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	<title>さまざまなデザイン &#187; ウンブリアの夏</title>
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	<description>ヨーロッパの目</description>
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		<title>頭の切り替えには強制力が必要？</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Aug 2011 20:40:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>
		<category><![CDATA[子育て]]></category>

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		<description><![CDATA[７月下旬に日本からミラノに戻りました。 日本ではいつものように沢山の方との新しい出会いがありました。ローカリゼーションマップの活動をスタートして１年数か月でじょじょに認知度もあがり、初めてお会いした方から、日経ビジネスオ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>７月下旬に日本からミラノに戻りました。</p>
<p>日本ではいつものように沢山の方との新しい出会いがありました。ローカリゼーションマップの活動をスタートして１年数か月でじょじょに認知度もあがり、初めてお会いした方から、日経ビジネスオンラインの記事について細かく感想をいただくことも増えました。また、若い方たち、学生をはじめ３０代前半くらいまでの方とのおつきあいも広がり、彼らと何をするべきなのかも深く考えるようになりました。</p>
<p>仙台の海にも出かけました。津波の被害のあった沿岸部に小学生の息子を連れて行ったのです。ぼくは小学生の５年間、父親の転勤で生まれ育った横浜を離れ、仙台市内に住んでいたことがありました。あの頃、友人と連れ立って１０数キロの距離にある海岸に自転車でよく出かけたものでした。そして４０年近く、あの場を再訪する機会はなかったのです。ですから、津波ですべてが破壊された風景をTVで見たとき、少し時を経たらあの場に出かけてみたいと想っていました。</p>
<p>息子を連れて行ったのは、自然の破壊力を見せておくべきだと考えたからです。数年前、ドイツからオーストリアにかけての道をドライブしながらアイルランド人の友人が、「小学生のころ、この近くのナチの強制収容所に父親に連れて行かされたんだ。人間ってどんなに愚かになるかを知っておくべきだ、とね」と語りました。ぼくは、その教育に感心しました。そして<strong>、小さいうちに、人の愚かさと自然の怖さを知らしめることが親の務めかもしれない</strong>と気付いたのです。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/08/umbria3.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4434" title="um" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/08/umbria3-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>仙台の海と街で想ったことは、また別の機会に書きましょう。たぶん、この秋に行うプロジェクトについて書くときが「別の機会」かもしれません。今回、日本で強く思ったのは、<strong>ズームアップとズームアウトを同時に扱うコツを多くの人がマスターしない</strong>といけないだろうなということです。ズームアップで焦点を合わせたのはいいけど、その焦点の横１０センチのほかの人の焦点が見えなくなっている。ズームアップの横移動ができないのです。ぼくは３点からの視点の大切さをよく言っていますが、３点をもてればズームアップの水平展開が比較的楽にできると思います。しかも、「正当性」とは何なのかを自問したこともなく、ズームアップしているから問題なのです。</p>
<p>日本から戻り中三日で、今度はウンブリアに出かけました。「日本の頭」をガラリと変えるには絶好の契機です。人は、それこそ愚かなもので、環境に支配されます。<strong>思考を大きく切り替えるには、水平軸と垂直軸の移動を頻繁に繰り返すこと</strong>です。すなわち、<strong>場所を移動する、使う言語を変える、時間軸を過去に遡る（あるいは未来を企画する）</strong>、という三つのことを強制的に行うことです。ふつうの人にとって、これらのことをせずに別の視点を獲得するのは、まず至難の業です。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/08/umbria_regione_panorama.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4435" title="umb" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/08/umbria_regione_panorama-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>ウンブリアの自然に囲まれながら、自然とのインターフェースとは何かを考えていました。</p>
<p>テラスで食事をしていると人懐っこい一羽の鳥が必ずと言ってよいほど近寄ってきます。そして皿の上にあるものにくちばしを伸ばそうとする、蚊取り線香の光る台を持ち去る、テーブルの近くにふんを落とす、ワイングラスを倒す、頭の上にとまり頭皮をつっつく・・・かわいいけど、迷惑極まりないです。犬か猫が飛び歩いているようなものです。どうも、ここの家で飼っている犬がこの小さな鳥を救ったことで、鳥が巣意識をもったとのことで、犬と仲良く遊びます。野鳥の「ペット化」なのか、ヒトの「わがまま」なのか？きっと、数か月もすれば森の中で生きるだろうとも想像しますが、ヒトの食べ物をつまんでいる限り、野生に戻るモチベーションがありません。どこの誰の視点にたって、この状況をみるとよいのか？ということを繰り返し思いました。</p>
<p>ウンブリアにいるとき、<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%B0%91%E9%A3%9F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F-%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E5%A3%B2%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%95%86%E5%93%81%E3%81%AE%E7%95%B0%E6%96%87%E5%8C%96%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%8A%9B-%E5%AE%89%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E4%B9%8B/dp/4822248631">『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか　－　世界で売れる商品の異文化対応力』</a>が発売になりました。おかげさまで、オンラインと書店ともによい販売スタートをきったようです。ネット上でもぼつぼつレビューが出始めました。みなさんの感想を聞かせていただくのが楽しみです。</p>
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		<title>ローマのサンピエトロ大聖堂に集う人々</title>
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		<pubDate>Sun, 09 Aug 2009 16:48:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>

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		<description><![CDATA[「夏のローマ」というエントリーでサンピエトロ大聖堂で感じる「体系」について触れましたが、夏の大聖堂のなかで感じる駅の雑踏に似たムードは、なにやら安心するというかちょっと不思議な心持でした。タンクトップで出た肩をかろうじて [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1882">「夏のローマ」というエントリーでサンピエトロ大聖堂で感じる「体系」について触れました</a>が、夏の大聖堂のなかで感じる駅の雑踏に似たムードは、なにやら安心するというかちょっと不思議な心持でした。タンクトップで出た肩をかろうじてストールで隠して入り口を通過し、その後にストールをとり、まるで冷房の効いた空間でホッとするような、そうした気持ちがあふれ出た空気を感じました。なにせ午前中は教会の入り口まで長蛇の列で、多分、１時間以上は３５度以上の炎天下で待たないといけない状況でした。そこでストレス発散を試みようという女の子たちも出てくるというわけです（下の写真）。ぼくはこの列に嫌気が指し、近くのレストランで昼食をとり、午後再びでかけたのですが、そのときは殆ど待たずに入れました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1933" title="dbsp" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/dbsp-300x225.jpg" alt="dbsp" width="300" height="225" /></p>
<p>そして教会のなかに入ると、冬だと冷たさをシンボライズする大理石と妙に相性が良いという次第。そして、この暑さから救われた環境変化が人の精神を解放するのか、聖空間にある神妙なムードではなくリラックスした雰囲気がどうしても目につきます。ぼくは、これを「小さな発見」として面白く思いました。ですから、教会の壁を飾る美術品の数々より人々の様子をカメラに収めることに熱心になりました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1934" title="ibsp" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/ibsp-300x225.jpg" alt="ibsp" width="300" height="225" /></p>
<p>ぼくは「これも悪くない」と思ったのです。俗空間と聖空間の接点がとてもはっきり見える世界がある、と。「夏のローマ」に書いたように、南米やアフリカから来たと思われる人たちが多く（ヨーロッパに住んでいる移民も含め）、彼らがリラックスしながら宗教空間に「馴染んでいる」のが印象的です。「学ぶ」「勉強する」という態度ではなく、「実家でくつろぐ」という表現は極端かもしれませんが、そういう比喩を思い起こさせるような肯定的印象を彼らから受けたというのは率直なところです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1935" title="wsg" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/wsg-300x225.jpg" alt="wsg" width="300" height="225" /></p>
<p>スイス衛兵と一緒にカジュアルな格好をした少年の姿もほほえましいです。もちろん、ぼくの横には、この少年のお父さんが一眼レフを構えていました。そういえば、ローマに来る観光客は一眼レフを抱えている人が多いなとも思いました。力の入れ方が違うのでしょうか。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1936" title="vcd" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/vcd-300x225.jpg" alt="vcd" width="300" height="225" /></p>
<p>場所は変わって、ここはスペイン広場からまっすぐに伸びるコンドッティ通り。ブランドショップが軒を並べますが、写真はエルメス。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/286">この建物が昨年「西洋紋章デザイナー山下一根さん」で取り上げたマルタ騎士団の所有で、ここに本部があります</a>。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1937" title="sdm" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/sdm-300x225.jpg" alt="sdm" width="300" height="225" /></p>
<p>旗の見える入り口には、上のプレートがあり、中庭には外交官ナンバーの車が駐車しています。十字軍以来の歴史ある組織の本部であるとは、この通りを何気なく歩いては気づかないかもしれません。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1938" title="cm" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/cm-300x225.jpg" alt="cm" width="300" height="225" /></p>
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		<title>ウンブリアの家とプリモ・レヴィ</title>
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		<pubDate>Sat, 08 Aug 2009 17:00:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>

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		<description><![CDATA[拙著『ヨーロッパの目　日本の目』に書いたエピソードがあります。ある夏、偶然にネットでみつけたウンブリアの家に滞在しました。その家のプールサイドで読んでいた本についてオーナーと夕食時に話をしたら、そのオーナーは読んでいた本 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>拙著『ヨーロッパの目　日本の目』に書いたエピソードがあります。ある夏、偶然にネットでみつけたウンブリアの家に滞在しました。その家のプールサイドで読んでいた本についてオーナーと夕食時に話をしたら、そのオーナーは読んでいた本の著者の縁戚でした。著者はプリモ・レヴィ(Primo Levi)で、ぼくが読んでいた本は処女作&#8221;Se questo e&#8217; un uomo&#8221;(原題は『これは人間か』ー邦題は『アウシュビッツは終わらないーあるイタリア人生存者の考察』（朝日新聞社））でした。アウシュビッツをサバイバルした人間が１９４７年に書いたロングセラー本です。ぼくは、オーナーのフランチェスコから同じ本のサイン入り初版本を見せられ、その偶然に驚きました。（<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1869">ここの家とは、「海は退廃的？」で掲載した家とプールです</a>。下の写真は、門から家に至る道で、両側に葡萄やオリーブの畑があります）</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1913" title="cu" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/casa-umbiria-300x225.jpg" alt="cu" width="300" height="225" /></p>
<p>先日もフランチェスコと夕食をともにしながら、色々な話題について話しました。ネタを明かせば、<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1853">「夏の虫の鳴き声」で書いた、虫の鳴き声を誌的に聞くのはユニバーサルかどうか？という会話も彼と数年前に話したこと</a>です。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1875">「ユニバーサルとユニバース」で触れた人権の問題も、彼との話しででできたこと</a>です。彼の話す「人権」には、彼なりのバックグランドがあるのだろうと思います。ぼくも「人権」が最後の砦であるとの思いがあります。だからこそ、当たり前意識やオプションに入る「人権」に要注意だと考えているのです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1914" title="fu" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/francesco-300x225.jpg" alt="fu" width="300" height="225" /></p>
<p>上の写真は、夕食の前のフランチェスコです。若いときは、馬の蹄鉄を作る職人を目指したといいます。今は農業をやりながらアグリツーリズモを経営しているのですが、丘の上にあり、見渡す限り殆ど人家が目に入ってこないという理想的な場所にあります。低い半月くらいでも天の川が見える抜群の環境です。しかも、たった二つしか家がないので、多数の客に気を遣う必要がありません。フランチェスコが語るところによれば、客の間で「うるさい！」と言い争いになることは全くないようです。二つの集団しかいない場合、平和を求めるしかなく、三つの集団になった場合、勢力のアンバランスが出てくるのかもしれません。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1915" title="ccalcio" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/ccalcio-300x225.jpg" alt="ccalcio" width="300" height="225" /></p>
<p>というわけで、敷地内にあるミニサッカー場でも、「お隣さん」と仲良くサッカーをして楽しむという場面が出てきます。ローマから来た子供たちは地元ローマのトッティのファンです。ミラノだとインテルやミランのファンというのが定番ですから、適当に対抗意識もあり、ちょうどよいです。このような環境で、本を読んだり新しいプロジェクトの草案を練ったりすると、考えるべき大事な点が色々と見えてきたりします。</p>
<p>下はフランチェスコの家族とのお別れのシーンです。息子のジョルジョは子供らしさが抜けつつあり、奥さんのセレーナの料理には今回もノックアウトでした。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1917" title="partenza" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/partenza-300x225.jpg" alt="partenza" width="300" height="225" /></p>
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		<title>地方の活性化促進は税金の無駄？</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1904</link>
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		<pubDate>Thu, 06 Aug 2009 15:30:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>

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		<description><![CDATA[今日のイタリアのニュースを読んでいると、今週末がバカンスの大移動のピークになりそうです。驚いたことに、バカンスに出かける人は昨年より１０％の増加で、平均日数も増えています。経済不況が続き、英国では新型インフルエンザの蔓延 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今日のイタリアのニュースを読んでいると、今週末がバカンスの大移動のピークになりそうです。驚いたことに、バカンスに出かける人は昨年より１０％の増加で、平均日数も増えています。経済不況が続き、英国では新型インフルエンザの蔓延が騒がれているなか、前年比でプラスというのには頭を捻りました。いずれにしても金曜日から土曜日にかけ高速道路に大型トラックは走らず、休暇に出かけるクルマでいっぱいになるでしょう。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-full wp-image-1905" title="ta" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/traffico_autostrada-250.jpg" alt="ta" width="250" height="230" /></p>
<p>都市から田舎に出る人、北から南に行く人、山の別荘から海の別荘に移る人、山の家からギリシャに直行する人・・・・いろいろな形があります。場所を変えることに一番大きな意味があり、その異なった空間で違った質の時を過ごすことが大事です。それぞれの土地にある、独自の文化を維持するに、実はこうしたバカンスという行為は有益です。日本のブログを読んでいて、「地方の過疎化はなぜ悪？」と書いている人がいました。過疎化を防ぐために、あるいは過疎化した地域の公共サービスを提供するために税金が無駄に使われているというのです。</p>
<p>もちろん、そういう人は経済効率性を重視するのだと書きますが、文化の均質化が、いかに脆弱な社会を作るかということを考えてはいないのでしょう。多層的で多重的な「強い社会」は、経済の揺さぶりにしぶといということを見ていないのです。もっと地方に旅をして、どういう文化を構築していくべきなのか自分で気づいていかないといけないでしょう。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1906" title="val" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/valigia-300x208.jpg" alt="val" width="300" height="208" /></p>
<p>そういえば、昨年末だったか、同じようなことー地方を捨て都市を活性化するーをブログに書いていた経済学者がいましたが、その人は半年後のあるシンポジウムで、自説を撤回していました。「ユニクロの本社は山口にあり、代表の柳井正氏は外に出ないで、あのような事業を行ってきた。東京人の発想ではない。みなが、東京に集中したら同じことしか考えられなくなる。だから経済効率からの都市集中型の提案は撤回する」と説明しているのです。ぼくはこれをその場で聞いていて「なんだ・・・そんな当たり前のことを無視して、都市集中を唱えていたのか・・・」と驚きました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1907" title="se" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/settembre-300x225.gif" alt="se" width="300" height="225" /></p>
<p>異文化の共生が大きなテーマであり、その実現のために多大なる犠牲をも払いながら何としてでも実行すべきであるという強い意志が必要です。が、それは表層的なお題目を唱えることではなく、しぶとい社会を作るための重要な施策であることを心の底から分かるには、もっと多くの人がバカンスで経験を実際に積んでゆくしかないのかなと、つらつらと思うのであります。</p>
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		<title>夏のローマ</title>
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		<pubDate>Sat, 01 Aug 2009 22:16:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>

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		<description><![CDATA[イタリア語でいうフルボというのは、「ずる賢い」と日本語に訳されると多分に否定的な意味合いをもつように思われる。しかし、ご存知の方が多いと思うが、これはイタリア文化文脈のなかでさほど否定的ではないというより、より肯定的な意 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>イタリア語でいうフルボというのは、「ずる賢い」と日本語に訳されると多分に否定的な意味合いをもつように思われる。しかし、ご存知の方が多いと思うが、これはイタリア文化文脈のなかでさほど否定的ではないというより、より肯定的な意味で使われるといったほうがよい。それが生きる知恵であるという前提が認められている。たまにローマに行くと、それをいつも街のなかで感じる。観光客が多いがゆえに、通りを歩きながらでも、そのフルボを異邦人であるぼくは思う。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1883" title="rr" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/ragazze_620-300x199.jpg" alt="rr" width="300" height="199" /></p>
<p>ローマの夏は暑い。タンクトップの女性が非常に多い。しかし、タンクトップでサンピエトロ大聖堂には入れない。半袖でないといけない。そのためX線探知機の手前で急いでジャージを着込む人やストールを羽織る姿があとを絶たない。それでも、そのまま通り過ぎ、入り口で厳重に注意をうけることもある。これは権威のひとつの体系である。その体系の枠組みが、服装の指示に表れる。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1884" title="bsp" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/3569004642_25a7d87631_o-225x300.jpg" alt="bsp" width="225" height="300" /></p>
<p>聖堂のなかを人々は熱心に歩き回る。どちかといえば、南米や東南アジア系の人たちのほうが、気持ちが濃いかもしれないと思わせる雰囲気があるかもしれない。それは信者の数の勢いとういう先入観だろうか。ここにはすべてがあるかもしれないと信じさせるシステムがある。しかし、すべてはないだろう。「フルボ」以外にローマでいつも感じることに、ローマは今のヨーロッパの中心からは離れているということだ。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1886" title="vs" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/533732956110_0_bg-300x225.jpg" alt="vs" width="300" height="225" /></p>
<p>ヴァチカン衛兵がスイス人であるのをみると、そのヨーロッパとの距離感は、時代によって大きく変化していることがより分かる。このスイス人をみて、現代においてローマとスイスが近いと思うのではなく、過去のバチカンとスイスは近かったと思うのだ。だからといって、バチカンが過去に生きる世界であるというわけではない。世界の動きのなかで大きな極であることには変わりない。</p>
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		<title>ユニバーサルとユニバース</title>
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		<pubDate>Thu, 30 Jul 2009 09:57:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>

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		<description><![CDATA[昨晩、遅くまで「人権」について話した。ぼくも、あるときまで「人権」はすべての価値に優先すると考えてきた。しかし、それは決まった範囲内の定義ではないかと思い始めた。そのことを昨晩会ったイタリア人に話したら、猛烈な反発をうけ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>昨晩、遅くまで「人権」について話した。ぼくも、あるときまで「人権」はすべての価値に優先すると考えてきた。しかし、それは決まった範囲内の定義ではないかと思い始めた。そのことを昨晩会ったイタリア人に話したら、猛烈な反発をうけた。それで夜中近くまでになった。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1876" title="cf" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/ficulle_3-199x300.jpg" alt="cf" width="199" height="300" /></p>
<p>毎年アムネスティのレポートがでるが、死刑執行の数では世界に民主主義を広めると大きな声で叫んでいる国がトップ５に入っている。その国はそれまで人権が最優先だと主張してきたが、国債を買ってもらうには、その最優先事項をとりあえず脇におくことを否定しなかった。この状況は、今までの世界の枠組みを大きく変える契機になると思った。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1877" title="ff" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/8b-300x225.jpg" alt="ff" width="300" height="225" /></p>
<p>すべては経済原理が優先するのか？そうとは表立って誰も言わない。それを言ってはいけない。そうとは必ずしも言い切れないからだ。イタリア人の客が帰り、外に出てみた。天の川がきれいにみえる。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1742">ユニバーサルとユニバースについて、再び思いを馳せた。</a></p>
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		<title>海は退廃的？</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Jul 2009 15:15:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>

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		<description><![CDATA[山派あるいは海派という言い方がある。海派は山の何がいいのか？と問い、山派は海は退廃的と言ったりする。でもどちらかだけへ行くということではなく、気分によってどちらにも行くものだ。 そして、その気分だが、山に行くときのほうが [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>山派あるいは海派という言い方がある。海派は山の何がいいのか？と問い、山派は海は退廃的と言ったりする。でもどちらかだけへ行くということではなく、気分によってどちらにも行くものだ。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1870" title="im" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/img1-300x197.jpg" alt="im" width="300" height="197" /></p>
<p>そして、その気分だが、山に行くときのほうが、やや内省的ではあるまいか？特にそう顔の表情が変貌するわけでもないが、暇な時間を読書ですごしたりすることが、海よりやや多いかもしれない。だいたい、海の光の下で本を読むのは、眼が痛くなりそうだ。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1871" title="pi" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/piscina_5-300x268.jpg" alt="pi" width="300" height="268" /></p>
<p>確かに、海では馬鹿騒ぎをしやすく、山はちょっと静かに行動することが多いような気がする。暑さへの発散が外へ向かうのではなく、内へ向かう。今日も天気予報によれば３６度、日向にいれば体感は４０度に近いだろう。しかし、木陰では気持ちよい空気を感じることができる。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1853">その快適な木陰にいる時に聞こえる虫の鳴き声が、単なる雑音であると日に日に思わなくなる。</a></p>
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		<title>ヨーロッパの息抜き</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Jul 2009 21:30:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>

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		<description><![CDATA[ドイツのクルマでイタリアのアウストストラーダを平均時速１７０－１８０キロで走りながら、ドイツのクルマは「概念」だと思う。それにたいして、イタリアのクルマは「大きな枠」だと感じる。どうして、そう思ったか？　イタリア現代思想 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ドイツのクルマでイタリアのアウストストラーダを平均時速１７０－１８０キロで走りながら、ドイツのクルマは「概念」だと思う。それにたいして、イタリアのクルマは「大きな枠」だと感じる。どうして、そう思ったか？　イタリア現代思想の本を読んでいて、日本でコンセプトといった場合、ドイツ哲学の「概念」という翻訳語に集約されがちだが、コンセプトのラテン語の語源からいって、コンセプトとは、何かを受け入れる器のようなものだとの説明があった。アウトストラーダでクルマをとばしながら、その文章を思い出したのだ。ドイツのクルマには、「クルマとはこうあるべき」という主張が、しっかりとクルマとしてより固定化されている。だから剛性を感じることに納得がいく。しかし、それがすべてではないともう一方のぼくが思う。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1860" title="ai" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/eolico-autostrada-300x225.jpg" alt="ai" width="300" height="225" /></p>
<p>その昔から、北ヨーロッパの多くの人たちがイタリアを目指してきた。それはローマだけでなく、シチリアでありトスカーナであった。南の明るい太陽を求めたのか、それともローマ以来の時間の積層を感じるためだったのか。もちろん、どちらかとは言えない。どちらでもある。旅は新しい風景との出会いである限り、あらゆる風景に古さはなく、すべては新しい・・・とも言える。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1861" title="oi" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/orvieto-italia-alley222-221x300.jpg" alt="oi" width="221" height="300" /></p>
<p>ミラノにいて、無性に北の「きっちりとした固さ」を欲したくなる時がある。乾いた空気の冷たさ、ドイツやオーストリアの音楽の荘厳な世界で「起立！前に倣え！」と言われることが落ち着く場合がある。イタリアに高速道路をひたすらと南へと進路をとるオランダ、ベルギー、ドイツのナンバープレートが見える。「概念」の世界にいながら、やっぱり窮屈で息抜きを欲しているのかなとも思う。南の太陽だけではあるまい、彼らがほしいのは。それと同時に、ブレンナー峠を北に走りぬくイタリアナンバーが連なるのだ。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1863" title="iuo" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/2007_10_04_italy_umbria_orvieto_duomo_-11-4-2007-4-11-10-pm-225x300.jpg" alt="iuo" width="225" height="300" /></p>
<p>ヨーロッパを理解するには、この二つの流れを公平に見る眼が必要なのだと思う。だが常に毎日が公平である必要はなく、ある日は北に寄り、ある日は南に寄り、結果としてそのバランスが取れればいいのだろう。願わくば、その振り子が今どちらに揺れているかについて、若干自覚的になっていることが大切なのだろう。外国人に気に入られる自国文化の見せ方とは、この振り子への観察眼によるのかもしれない。</p>
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		<title>夏の虫の鳴き声</title>
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		<pubDate>Sun, 26 Jul 2009 21:12:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウンブリアの夏]]></category>

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		<description><![CDATA[ある著名な方が西洋人は虫の鳴き声を雑音として聞き、それは感性の問題であると本に書いていたので、拙著『ヨーロッパの目　日本の目』で、それはその方が付き合った人の資質の問題だろうと書きました。ぼくの友人は「虫の鳴き声を詩的に [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ある著名な方が西洋人は虫の鳴き声を雑音として聞き、それは感性の問題であると本に書いていたので、拙著『ヨーロッパの目　日本の目』で、それはその方が付き合った人の資質の問題だろうと書きました。ぼくの友人は「虫の鳴き声を詩的に聞くのは、ユニバーサルではないか」と言いました。今日、その友人が発言した場所にいて、森に響きわたる鳴き声を聞きながら、ぼくは「これは記憶の問題ではないか」と思いました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1854" title="au" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/p130008-assisi-umbria-300x224.jpg" alt="au" width="300" height="224" /></p>
<p>この場所に何回か息子を連れてきていますが、「虫がうるさいね」と初めて言いました。いつも、ここには８月に来ていたのです。８月になると虫はめっきり静かになります。でも７月はまさに盛夏であり、息子にとって、こういう虫の合唱ははじめてなのです。そこで虫の鳴き声は、音として心地よいかどうかではなく、夏とはこういう音と付き合うものだというトレーニングと記憶ーこの音を聞いて懐かしいと思うーではないかと思いました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1855" title="us" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/07/umbria_031p-300x236.jpg" alt="us" width="300" height="236" /></p>
<p>ぼくの幼年から少年時代、こういう虫の音は当たり前でした。しかしミラノ市内で、これは当たり前の音ではありません。これが文化の問題なのです。ある音を良いと思うか悪いと思うか、または心地よく思うか不快に思うか、それはきわめて教育と馴れの問題なのだろうと思います。そして記憶です。甘酸っぱい思い出のさまざまなシーンにある音は、多分、不快にはならないのでしょう。</p>
<p>・・・・というわけで、資質だけではなく、その人自身のヒストリーの問題も強いだろうと、今日、思ったのです。</p>
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