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	<title>さまざまなデザイン &#187; イタリア料理と文化</title>
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	<description>ヨーロッパの目</description>
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		<title>アーティストは何を考え、どう表現するのか？</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/4518</link>
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		<pubDate>Wed, 07 Sep 2011 19:40:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[コンテンポラリーアーティストの 廣瀬智央さんのアトリエを前回のエントリーで紹介しました。そして、今日、彼から今回の「アートとしての家」の構想と、それに至る経緯を書いた長いメールをもらいました。この内容は非常に面白く、ご本 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>コンテンポラリーアーティストの<a href="http://www.milleprato.com/?lang=jp"> 廣瀬智央さん</a>のアトリエを<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/4495">前回のエントリー</a>で紹介しました。そして、今日、彼から今回の「アートとしての家」の構想と、それに至る経緯を書いた長いメールをもらいました。この内容は非常に面白く、ご本人の許可を得て、ここに作品の画像とともに抜粋することにしました。</p>
<p>１９９１年からイタリアに住むようになった彼は、日本で活動していた時より広い意味でアートを捉えるようになりました。その契機がイタリアで直観した「アートと生活」のダイレクトなありようだったと言います。つまり、自分自身で「価値の地図」を作れることに気づいた。言葉を変えれば、自分なりのリアルな現実の見せ方がアート表現の一つになると考えるに至ったのです。「必然としてのアート」、とでも言えばよいでしょうか。それが、アトリエ内の家という発想に繋がっています。</p>
<p>ぼくがよく書いている、「自分目線での文化理解の正当性」と同じことを指していると思ってよいと思います。それでは、彼の文章を引用しましょう。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">「家シリーズ」の元になる最初の作品が, 1994年に制作した「塩の家」という作品です。これは、角砂糖で造った家の形態をした立体の内側に塩が詰まっている作品で、文字通り塩のための家なのです。見えないけれどそこに在る。現実的に存在する塩ですが、実際に見えているのは砂糖だけで、想像力によって見えないものが見えるというような可視と不可視をテーマにした作品です。想像力によって把握された空間は、精神の豊かさによって生きられるのだとおもいます。 </span></p></blockquote>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/1994_salthouse.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4519" title="1994_salthouse" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/1994_salthouse-300x185.jpg" alt="" width="300" height="185" /></a></p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">その後、1995年～1998年にかけて造った「紙幣の家」シリーズに続き、2002年〜2006年と「家シリーズ」作品が続きました。紙幣の家の作品は，旅先で紙幣を両替する事がきっかけで始まりました。EU統合前でよかったです。３年かけて旅で集めた紙幣で作った家を一緒に並べて展示しました。紙幣は現前に実在するけれど、どのように存在するのか？そこには両替するたびに見えてくる見えない差異が存在し、価値は常に変化していて、それぞれの紙幣を相対的に見ることで、価値そのものが曖昧であるということ、絶対的な安定的なものはなく、すべてが変化し続けているというような、見えないものが紙幣を通して見えてくるという作品です。余談ですが、紙幣２枚を使って折り紙の作法で家を造るのですが、必ず各紙幣の屋根の部分にその国の偉人？が顔をあらわすとういう偶然の発見もありました。 </span></p></blockquote>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/1995_banconote.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4520" title="1995_banconote" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/1995_banconote-300x185.jpg" alt="" width="300" height="185" /></a></p>
<blockquote><p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/1997_banconote.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4529" title="1997_banconote" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/1997_banconote-300x186.jpg" alt="" width="300" height="186" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="color: #000080;">2003年の家の作品シリーズあたりから、家そのものもつ機能を意識化するようになり、存在や現象の根幹に関わる物の理について抽出しようという段階になりました。まず思い浮かんだ家のイメージは、私的で限定された空間です。個そのものの空間であり、国家や共同体のアイデンティティーのメタファーとし作用させようと思いました。もし、家を内部とするならば、外は外部であるといえますが、家が本当に『いき』られるのは、内部も外部も内ない風通しの良い家にする必要があります。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">理想で言えば、家の現実的な境界がなくなる状態で、存在を安心させるその空間は無限に伸縮変化可能であることが了解されるはずですが、壁（境界）がある以上、内部も外部もない家というのはあり得ないので、それはいかに想像力や認識に働きかける詩学的側面が必要になってくることになります。そして、幾重にも切断された空間の地政学的分析こそが必要かと。（ローカリゼーションマップと言い換えてもいいかもしれません。） </span></p>
<p><span style="color: #000080;">分節され、空間の境界を自由に往来するようなイメージで、事物と事物、事物と状況の関係性に思考が及びます。ものをものとして存在せしめる状況や、関係性に新しいアートの可能性を自覚することになりました。このころ、同時に、雑誌『フィガロ』の連載のため、イタリア各地を旅し、ローカルの持つ食材や文化の豊かさに感動し、ローカル・アイデンティティーのもつ食材や日常的なものを、作品素材としてよく使用していました。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">そのような中で生まれた作品が、2004年のナポリの家（コーヒーのための家）という作品で、日本の茶室空間をリアルサイズで造り、茶室を反転させて、ギャラリーに宙ぶらりんに展示しました。その状況はカフェテリアを反転させことでできるナポリ式カフェそのものであり、茶室にあるのはコーヒーの粉で、コ-ヒーのための家です。遠く離れた異なる二つの文化が近くに遭遇する瞬間です。</span></p></blockquote>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/2004_casadelnapoletana.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4521" title="2004_casadelnapoletana" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/2004_casadelnapoletana-300x233.jpg" alt="" width="300" height="233" /></a></p>
<blockquote>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/2004_casadelnapoletana2_d.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4530" title="2004_casadelnapoletana2_d" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/2004_casadelnapoletana2_d-300x186.jpg" alt="" width="300" height="186" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="color: #000080;">コーヒー文化も茶文化もコミュニケーションを取る文化という意味では、一見相反するものが、詩的行為によって調和を得て全一性することになります。しかし、二つの文化は決して交わらない差異があります。その両義的空間を反映するように、作品が宙ぶらりんの状況になっています。ギリシャ以来の西洋美術史をつらぬく形而上学的な諸問題、すなわち存在論から現象論、そしてそれらを越えて行く関係性の問題へと突入することになります。家シリーズの着地点は、ものとものの関係性から、生活空間自体をアートとして投入して、観客までも巻き込んで行くところまで及ぶ予定です。</span></p></blockquote>
<p>これを読んで分かることがあります。アーティストの考えていることが、エンジニアやビジネスマンの考えることと切り離されていると思うことは、大きなミスを招く。いや、<strong>アーティストが表現した作品に、日常生活に潜むー底流的なものであれー思考傾向が表れており、これを文化を読むヒントとして大いに活用できると気づいて欲しい</strong>と思います。ぼくは日常生活に近いところにあるモノのローカリゼーションへの期待度から文化を読み解く可能性を探っています。一方、アーティストも似たことを考え、ただアーティストはダイアグラムや記述ではなく、こうした三次元のインスタレーションや二次元のペインティングで表現しているのです。これでデザイナーの作品であれば、工業製品やグラフィックに「思考の痕跡」をみるわけです。</p>
<p>注意して欲しいのは、冒頭で「自分自身で『価値の地図』を作れることに気づいた」と書きましたが、これは「文脈を無視して作る」という意味ではありません<strong>。「文脈」と「リアリティ」を武器（あるいはフックという位置づけもある）にすれば、何も臆せずに先に進める道が常に開けている</strong>と解釈すべきです。<strong>あまりに暗黙知の地平が広いと落胆するのではなく、あまりに暗示の多い世界にぼくたちは生きているのだ、と考えられる。この反転のさせ方が、前回書いた、「ゼロから１」の出発点に立つコツではないか</strong>・・・そうぼくは思案しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&lt;以下、上から順に写真の解説＞</p>
<p>塩の家,1994.<br />
砂糖、塩、紙、大理石. 6.5x30x9.5cm<br />
Photography by Tartaruga<br />
Copyright © 2011 satoshi hirose All Rights Reserved.</p>
<p>私は100,000リラで家を建てた. 1995.<br />
3.5&#215;3.5x5cm。Photography by Tartaruga.<br />
CourtesyTomio Koyama Gallery, Tokyo.<br />
Copyright © 2011 satoshi hirose All Rights Reserved.</p>
<p>紙幣の家 シリーズ.1995-1998.<br />
Photography by Tartaruga.<br />
Courtesy Sagacho Exhibit Space, Tokyo<br />
Copyright © 2011 satoshi hirose All Rights Reserved.</p>
<p>ナポリの家 (カフェ）, 2004<br />
201,4&#215;201,4x300cm.<br />
木、ワイアー、カフェ、アルミニュウム、鉄、梯子<br />
Installation view at Umberto Di Marino Arte Contemporanea, Naples, 2004.<br />
Photography by Fabio Donato<br />
Courtesy Umberto Di Marino Arte Contemporanea, Naples.<br />
Copyright © 2011 satoshi hirose All Rights Reserved.</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<title>「ゼロから１」を分かりやすく考えてみよう</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/4495</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/4495#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 04 Sep 2011 17:13:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>

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		<description><![CDATA[３年前、ミラノサローネの見方を説明したエントリーで、コンテンポラリーアーティスト・廣瀬智央さんの作品を連続で紹介したことがあります。その彼が、ミラノのアトリエの中にスタジオを全くの一人で作りました。２年ほど前に完成しまし [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>３年前、ミラノサローネの見方を説明したエントリーで、<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/133">コンテンポラリーアーティスト・廣瀬智央さんの作品を連続で紹介した</a>ことがあります。その彼が、ミラノのアトリエの中にスタジオを全くの一人で作りました。２年ほど前に完成しましたが、この週末、「体験宿泊」をしてきました。「アトリエの中にスタジオって？」とお思いになるでしょう。ちょっと解説します。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1616.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4496" title="ドアとシャッター" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1616-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>フオーリサローネで賑わうトルトーナ地区からさほど遠くない場所にアトリエがあります。廣瀬さんは二次元と三次元の両方のタイプの作品を制作するため(作品は<a href="http://www.milleprato.com/">ここ</a>のサイトで見れます）、作業場は広さと作業中の音を比較的自由に出せる中庭にあるガレージをアトリエにしてきました（上の写真：正面が入口。右側が従来のガレージのシャッター）。天井がえらく高い空間で、何もなかったところです。廣瀬さんは、その空間を三分割し、アトリエ、倉庫、スタジオとしたのですが、倉庫の上に新しい部屋（ロフトが表現として適切か？）を作ったわけです。テーブルの上に脚立をのせ作業しているときに誤って落下して頭を強く打ち、病院に検査入院したなどのエピソードを携え、一般人には信じがたい（！）作業をやり遂げました。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1603.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4497" title="アトリエ入口" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1603-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>入口を入ってアトリエを見ます。左の壁の向こうは倉庫です。作業中にちょっとぼんやりするためのソファーもあります。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1604.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4498" title="作業台とロフトへの梯子" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1604-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>奥には、あらゆる道具がずらりと並んでいる作業台。手前にも、（たぶん）二次元の作品を制作する作業台があります。梯子階段でロフトに上ります。梯子のむこうに、トイレ＋シャワールームがあり、その手前がちょっとした台所です。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1605.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4499" title="作業台" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1605-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>作業台の上にあるすりガラスの向こうがスタジオです。その下が倉庫になっています。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1592.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4500" title="シャワーボックス" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1592-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>シャワーボックスとトイレの配管も「自家製！」。もちろん、タイルも一人の作業。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN15981.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4502" title="スタジオ" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN15981-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>スタジオ。作業が煮詰まったときは、そのままベッドで休むことも。ベッドヘッドが接する壁の反対側は書庫になっています。これらをすべて、廣瀬さんは、「アート作品」であると称しています。</p>
<p>昨晩、このスタジオにぼくは寝たのですがー文字通りギャラリーのなかで寝ているような気分ですー、白い天井を見つめながら、「クリエイティブな発想」って何だろうかと考えました。ガレージの何もないところから、一人で設計図を描き、一人で材料を買い集め、一人で作っていく。この仕事をやり終えたエネルギーにも驚くのですが、これらのプロセスで廣瀬さんが何を考えていたのかを、このスペースの中に身をおいて想像していたら、「クリエイティブな発想」に頭がいったのです。</p>
<p>ゼロから１を創ることをクリエイティブと言いやすいですが、「無の境地」になったところから「何かが閃く」ことをイメージし過ぎていないでしょうか。しかし、どうもそれは無理があるのでは、とぼくは前々から思っています。およそのところ、無の境地に達すること自身が「ないものねだり」のようです。ここで二つのことを考えます。</p>
<p><strong>「ゼロから１」という時の「ゼロ」は、ある限定された領域でのゼロであって、線の引かれていない広野をイメージしてはいけない</strong>のが第一点。そんな<strong>漠然としたフィールドを対象とするのではなく、枠組みが厳然とあるエリアを相手にすること</strong>です。このスタジオでいえば、ガレージです。中庭は対象から外れています。二つ目は、<strong>対象領域にとってはゼロであるが、隣接領域においてゼロではないことが往々にしてあるとの現実</strong>を認識することです。隣接地帯（いや、遠くにあっても、もちろんいいです）に蓄積されたアイデアを持ち込んで一向に構わない、という意味です。例えば、このロフト建設に使用された材料は、ほぼDIYで販売されているものです。</p>
<p>実は、廣瀬さんの言う「作品」とは、「アートを住めるものにする」とのコンセプト（あるいはプロトタイプ）という意味もあります。この「体験宿泊」を通じて、実際にある空間に身をおくがゆえに思考できることはとても多いと痛感しました。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1589.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4506" title="夕食" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/09/DSCN1589-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>パンチェッタのグリルも美味しかったし・・・・。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<title>「知る」に至る経緯</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/4044</link>
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		<pubDate>Sun, 13 Feb 2011 17:44:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[日本で茄子といえば、こんな大きさでこんな色というイメージがあった。皮が黒か紫をしていて、まあ、そんなに大きくない。だから、イタリアに来て大きい茄子を店頭でみつけ、「いやあ、これを食べるのか！」と驚いたものだ。日本と同じ料 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>日本で茄子といえば、こんな大きさでこんな色というイメージがあった。皮が黒か紫をしていて、まあ、そんなに大きくない。だから、イタリアに来て大きい茄子を店頭でみつけ、「いやあ、これを食べるのか！」と驚いたものだ。日本と同じ料理に使っても、当然、味が違う。歯ごたえもあり、大味になる。一時、苦手意識もでてきた。そして、時を経て、イタリアの茄子に馴れた。が、最近、奥さんが八百屋で買ってきた茄子をみて、またビックリした。縞々の茄子だ。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/02/a9694a7a97f8866dbbccace755d6fc72.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4045" title="イタリアのなす２" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/02/a9694a7a97f8866dbbccace755d6fc72-300x224.jpg" alt="" width="300" height="224" /></a></p>
<p>こういう茄子を見たことがなかった。そこで記念にツーショット。一体、茄子の色ってどのくらいあるんだろうとウィキで調べると、こうある。</p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">日本で栽培される<a title="栽培品種" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BD%E5%9F%B9%E5%93%81%E7%A8%AE">栽培品種</a>のほとんどは<a title="果皮" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9C%E7%9A%AE">果皮</a>が紫色又は黒紫色である。しかし<strong>ヨーロッパやアメリカ等では白・黄緑色・明るい紫、さらに縞模様の品種も</strong>広く栽培される。</span></p></blockquote>
<p>なんだ、こんなにも様々な茄子がヨーロッパにはあると、はじめて知った。グーグルの画像検索でも黄色い茄子がでてきた。ここで、ふっと、思った。何かの機会にウィキで茄子を調べ、上述を読んでいたとすると、この縞々の実物をみたときに、「ああ、これだったのか！」と叫んだはずだ。頭にある知識がリアルで確認されることで、知識がより深くなるという実感をもつ。しかし、今回は、ウィキで知識を仕入れたことで「ああ、こんなにも知らないことが多いし、実際、イタリアでも見れていないことが多いよな」と反省もする。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/02/94aa0f55ad348cf6890f80453196dc6a.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4047" title="イタリアのなす１" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/02/94aa0f55ad348cf6890f80453196dc6a-300x224.jpg" alt="" width="300" height="224" /></a></p>
<p>文字情報をあとでリアルに確認することと、リアルに見たことを文字で確認することの間に、どういう違いが生じるのだろう。後者である、事前の勉強をしないでリアルな経験を獲得し、そのうえで文字で知識を深めると良いということが理想的であると言われる。子供の世界でいえば、幼稚園くらいまで。小学校の低中学年までは並行。そして高学年になると文字経験が飛躍的に増大していく。俗にいう、頭でっかちになっていく。だからこそ、リアル経験の増幅がキャンプなどでサポートされていく。</p>
<p>現実的には、リアル経験だけで描ける地図は小さすぎ、文字情報で大きな地図を描き、適切なリアル経験の分布で、その大きな地図の妥当性をサポートする。つまり、リアル経験＜文字経験であることは確かなので、文字経験にリアル経験がはまり込む確率の方が低いはずで、これに遭遇した場合は、喜びが大きいだろう。逆の場合は、茄子の例のごとく、「そうか、自分は勉強不足なんだな」と思うことが多い。もちろん、「自分のリアル経験をこんなによく説明してくれていた人がいるんだ！」と喜び、弟子入りする場合もあるが・・・・。</p>
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		<title>寿司飯を発見した人たち</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/4037</link>
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		<pubDate>Sun, 13 Feb 2011 14:08:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>

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		<description><![CDATA[昨晩、イタリア人宅に１０人が集まり、寿司パーティをやりました。手巻き寿司です。寿司をそれなりの頻度で食べている人たちです。そこで、それぞれの具のなくなり具合を観察していて分かったこと。それは、結局のところ、寿司飯そのもの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>昨晩、イタリア人宅に１０人が集まり、寿司パーティをやりました。手巻き寿司です。寿司をそれなりの頻度で食べている人たちです。そこで、それぞれの具のなくなり具合を観察していて分かったこと。それは、<strong>結局のところ、寿司飯そのものがイタリア人にとっての発見であった</strong>ということです。イタリアにも酢を使った白米はありますが、それだけではなく、そこに甘い砂糖の味がある。そこに新味があります。まず、具は何を用意したかを書きましょう。</p>
<blockquote><p><span style="color: #003366;">まぐろ、さけ、すずき、エビ（生ではない）</span></p>
<p><span style="color: #003366;">きゅうり、ルーコラ、ねぎ、アボガド</span></p>
<p><span style="color: #003366;">ツナのマヨネーズ和え、甘辛いオイルサーディン</span></p>
<p><span style="color: #003366;">ハム、ウィンナー、たまご、かにかま</span></p></blockquote>
<p>この上記で、まず生魚ですが、はけのよかった生魚は、さけ→まぐろです。すずきは若干遅かった。やはり白身は味が薄い。しかし、このさけ、まぐろも、ツナやオイルサーディンほどのスピードではなくなっていかないのです。即ち、<strong>生魚が好きだといいながら、手は正直に自分たちのより馴れたものをとります。だから、さけの次にまぐろです。生魚を受け入れるキャパが、これでみえてきます</strong>。そこから、逆に、冒頭でのべた、寿司とは酢飯を言うのであるという結論が出ます。その証拠に、ほとんどの人たちが、「このご飯は美味しい」と何度も語り合っていました。</p>
<p>ウィキペディアで寿司は次のように書かれています。</p>
<blockquote><p><span style="color: #003366;"><strong>寿司</strong>（すし、鮨、鮓、寿斗<sup id="cite_ref-0"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8#cite_note-0">[1]</a></sup>、寿し、壽司）と呼ばれる食品は、<a title="酢飯" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%A2%E9%A3%AF">酢飯</a>と主に<a title="魚介類" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E4%BB%8B%E9%A1%9E">魚介類</a>を組み合わせた<a title="日本料理" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%99%E7%90%86">日本料理</a>である。</span></p></blockquote>
<p>そして、酢飯はこうです。</p>
<blockquote><p><span style="color: #003366;"><strong>酢飯</strong>（すめし）は、主に<a title="寿司" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8">寿司</a>で使われる、<a title="酢" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%A2">酢</a>と<a title="糖分" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%96%E5%88%86">糖分</a>で調味された<a title="飯" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF">飯</a>である。独特の風味の他、保存性に優れる点が利点として挙げられる。<strong>寿司飯</strong>（すしめし）とも呼ばれる。<a title="寿司屋" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8%E5%B1%8B">寿司屋</a>でシャリ（<a title="寿司" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8#.E7.94.A8.E8.AA.9E">寿司用語</a>参照）と言った場合には酢飯のことを指し、これは寿司種と同等以上に特徴や寿司職人の差が出る。</span></p></blockquote>
<p>そこでもう一度、寿司の項から引用すると、寿司の海外普及について、以下の記述があります。</p>
<blockquote><p><span style="color: #003366;">世界各地の<a title="寿司屋" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8%E5%B1%8B">スシ・レストラン</a>には中国人や韓国人など日本人以外の経営・調理によるものが増加し、日本人による寿司店の割合は10パーセント以下とまで言われるほど減少している<sup id="cite_ref-44"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8#cite_note-44">[45]</a></sup>。 そのため、日本の伝統的な寿司の調理法から大きく飛躍（あるいは逸脱）した調理法の料理までもが「スシ」として販売されるようになった。<strong>酢をあわせていな い飯に魚や中国料理を乗せて「スシ」だと称するところまである</strong>。</span></p></blockquote>
<p>この寿司の決定打とされる酢飯を発見し、自由に自分で寿司を作っていいんだと分かった人たちが、カリフォルニア巻きにあったように、自分になじみで口に入りやすい寿司を試していくとき、写真にあるようなフルーツ寿司も、大いにアリということになります。ただし、これをもって日本料理における砂糖の使い方が全面的に指示をうけたわけではなく、おせち料理にあるような甘さを受容するには、それなりの距離があると認識すべきでしょう。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/02/fruit-sushi1.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4038" title="fs" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/02/fruit-sushi1-200x300.jpg" alt="" width="200" height="300" /></a></p>
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		<title>中国人経営の日本料理屋で聞く演歌</title>
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		<pubDate>Wed, 20 Oct 2010 09:29:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[上海でフレンチをはじめ各国料理を勉強し、１５年前にイタリアに来た中国人が日本料理屋を開きました。２週間前のことです。日本人が好む日本料理ではなく、創作系というか、ローカライズした料理をサービスしていくことに興味が強いとい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>上海でフレンチをはじめ各国料理を勉強し、１５年前にイタリアに来た中国人が日本料理屋を開きました。２週間前のことです。日本人が好む日本料理ではなく、創作系というか、ローカライズした料理をサービスしていくことに興味が強いというタイプです。「いわゆる中国人の日本料理屋じゃない」という以上にはセンスがよく、それなりにしゃれた盛り付けもします。 本人が「正しい日本料理なんてない」と広言しているのですから、そのフィロソフィーは尊重したいです。</p>
<p>昨晩、ちらし寿司を食べました。が、寿司飯ではありません。「これはローカライズなのか？」と質問すると、「鉄火丼は、寿司飯を使わないじゃない」と説明さ れ、ちらし寿司と鉄火丼の違いをよく知らないことが理解できました。しかし、かといって、ちらしは寿司飯でないといけないと主張することが、客のメイン であるイタリア人のオーダーにどう影響するか・・・かなり不明です。 詳しく知っていることが、必ずしも商売繁盛には繋がらない。そういう一例かもしれません。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/10/Neapolitan-street.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3686" title="N1" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/10/Neapolitan-street-300x207.jpg" alt="" width="300" height="207" /></a></p>
<p>日本酒の熱燗をちびちちびやっていると、台湾や香港経由で中国でヒットした日本の音楽ーいまや歌謡曲という言葉は死語かもしれませんがーが聞こえてきます。日本人客へのサービスです。こういう場合、テレサ・テンなんかは欠かせない歌手ですが、案の定。かなりマニアックな彼は、次に韓国、日本、台湾、香港、中国のぞれぞれの曲を流し、それらの間にある違いを僕たちにだけではなく、イタリア人客にも向かって説明しはじめます。彼が台湾製と思っている曲が実はオリジナルが日本だったりすることがあります。しかし、それは彼の無知ではなく、日本人も知らぬ間にアイルランド民謡を楽しんでいたりします。つまり、ぼくたちはオリジナルのことなんかそんなに知らずに生活しているわけで、それで一向に構わないのです。</p>
<p>知らないほうがいいわけではありませんが、知らなくてもまったく現実には問題がなく、道徳的にも恥じることがないことが世の中殆どです。今目の前にあることを如何に編集していくか頭を使うほうがよっぽど大事だということでもあります。日本の演歌が聞こえてくると「これ、イタリアのナポリの歌みたいね」と近くのイタリア人女性がつぶやきます。「親近感をもつわ」と。それも当然で、日本の演歌はナポリの歌を取り入れているのだから、あの寂しさを歌い上げる世界に共通性がないはずがないのです。<strong>「だからどうだっていうのか？」と言うことです。いや、「だからどうだ」と説明できないといけないシーンと、「どうでもいい」と言えるシーンの二つがあることを知っていることが、更に重要なことでしょう</strong>。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/10/MapoliMarechiaro.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3687" title="N2" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/10/MapoliMarechiaro-300x204.jpg" alt="" width="300" height="204" /></a></p>
<p>今日から日経ビジネスオンライン「異文化市場で売れるためのモノづくりガイドーローカリゼーションマップ」の連載がスタートしました。初回は「世界各地で何が売れるか、“目的地”を示す「地図」が必要だ」です。　　<a href="http://bit.ly/bjy9H3" target="_blank">http://bit.ly/bjy9H3</a> ここで紹介したエピソードなんかも、今後、少々カタチを変えて使っていきたいと思っています。</p>
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		<title>「日本とイタリアの食文化の融合実験」</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/3522</link>
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		<pubDate>Wed, 28 Jul 2010 03:16:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[自分が開発に絡んだクルマを街中で偶然に見かけるのはとても嬉しく、それも国境を越えていると感慨もいや増します。かつて、日本のカーメーカーにいた時に関わったクルマをヨーロッパの道で見かけたとき、思わずクルマに駆け寄ったことが [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>自分が開発に絡んだクルマを街中で偶然に見かけるのはとても嬉しく、それも国境を越えていると感慨もいや増します。かつて、日本のカーメーカーにいた時に関わったクルマをヨーロッパの道で見かけたとき、思わずクルマに駆け寄ったことが何回かあります。それだけ、自分のアウトプットがどこか地球の片隅に届いていたことを自分の目で見るのは心躍ります。しかも、それがもっと生活の奥深いところに浸透していたりすると、さらに喜びが増します。あるいは、「それって、こういうことじゃない？」という他人の言葉の前提が実は、自分たちが発信した考え方だったりすると、もっと充実感がある。食ビジネスは、これに近い感覚があります。</p>
<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/2978">３月に幕張メッセで開催されたFOOＤＥＸでオリーブオイルの紹介をした話を書きました</a>。初日に確認したことは以下でした。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;"><strong>ある味を賞賛するのは味覚、触覚、臭覚、視覚だけではなく、ロジックで評価するということです。もちろん頭でっかちの味覚は話になりませんが、必ずしも舌だけで人は簡単に振り向かない</strong></span></p></blockquote>
<p>舌に限らないことですが、舌なら「食べ慣れる」ということが重要です。馴れるには、馴れるための環境を含めた条件が揃わないといけません。したがって、<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/2988">オリーブ漬けについて、以下のような発想がでました</a>。</p>
<blockquote><p><strong> </strong><span style="color: #000080;">実は<strong>アレキサンダー自身はオイル漬けオリーブは日本での漬物であると考えていました。しかし、そのようにヨーロッパ人が説明するのではなく、日本人が日本人の思考枠のなかで、「これは漬物である」と自然に思えることが重要</strong>なのです。日本で漬物は野菜のできない季節の保存食として考えられました。それはイタリアでも似たような事情があるのですが、しかし、その周辺事情だけでは同じカテゴリーと定義するリアリティに欠けるのです。石森さんが居酒屋で言った</span><span style="color: #ff0000;">「<strong>漬物って特に欲しいと思わなくても、テーブルの上にあると、なんとなく食べているんですね」という感覚が日本とイタリアで一致していることが、似たものを同じものとするに際しての決定打ではないか</strong></span>・</p></blockquote>
<p>この最後の部分、これが肝です。似たものは世の中に沢山あるけど、それを似たものではなく、同じものとするには大きな溝を飛び越えないといけない。こういうコンテクストが作れてはじめてモノは売れ定番化していきます。ローカライズからローカルへの道筋です。先週から今週にかけ、<a href="http://www.delponte.com/jp/">デルポンテ社の七味オイルやエキストラヴァージンオイルの販売現場</a>を歩きながら、「定番化のキーとは何か？」を考えていました。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/07/8169add18e93b0f7c94cd8e7fbe321c51.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3526" title="f1" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/07/8169add18e93b0f7c94cd8e7fbe321c51-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" /></a></p>
<p>上は赤坂ＴＢＳ前にある<a href="http://world.jp/brand/enthese/l/">ワールドが経営するF.O.B COOP ENTHESE</a> です。下は同じ店内の別の棚です。真ん中にある赤とうす緑のボックスがデルポンテの商品です。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/07/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3523" title="o1" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/07/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" /></a></p>
<p>また、下は<a href="http://www.abura-ya.jp/SHOP/OV_k001.html">浅草橋にある油専門店、金田油店</a>です。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/07/8169add18e93b0f7c94cd8e7fbe321c5.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3525" title="o2" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/07/8169add18e93b0f7c94cd8e7fbe321c5-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" /></a></p>
<p>同じ商品ながら、違った文脈におかれています。両方ともきれいなディスプレイですが、全く異なったコンテクストのなかにあり、当然ながら、世の中は複数のコンテクストで成立していることがよく分かります。ある程度のコンテクストの固定化と流動性のバランスの上に定番が成り立つと思いますが、ここで面白いのは、F.O.B.COOP ENTHESE はいわばヨーロッパ文脈からアプローチし、金田油店は日本文脈から見せていることです。似たものを同じとする試みの一つといえるでしょう。</p>
<p>因みに、先週、マガジンハウスのサイトで「日本とイタリアの食文化の融合実験」というタイトルで紹介されているので、宣伝しておきます　笑。</p>
<p><a href="http://webdacapo.magazineworld.jp/lifestyles/gourmet/29232/">http://webdacapo.magazineworld.jp/lifestyles/gourmet/29232/</a></p>
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		<title>イタリア好きのアリタリア便</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Jun 2010 11:04:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>

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		<description><![CDATA[昨日、日本に飛ぶためミラノの空港に向かう直前、自宅に一通の手紙がきました。差出人はパドヴァの警察。「えっ、出発直前に、なんだ、このややこしいのは！」と思いながら乱暴に封を切ると、昨年１１月、パドヴァ市内で通行禁止の区域を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/06/padova.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3427" title="pa" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/06/padova-300x212.jpg" alt="" width="300" height="212" /></a></p>
<p>昨日、日本に飛ぶためミラノの空港に向かう直前、自宅に一通の手紙がきました。差出人はパドヴァの警察。「えっ、出発直前に、なんだ、このややこしいのは！」と思いながら乱暴に封を切ると、昨年１１月、パドヴァ市内で通行禁止の区域を走ったのを監視カメラに撮られたようです。<a href="../archives/2364">１１月のパドヴァといえば、「メトロクスの旅」で書いた、メトロクス社長の下坪さんと営業の片岡さんの３人でＢ－ＬＩＮＥに行ったとき</a>のことです。約 ９０ユーロ（約１万円）の罰金を払えというのですが、「<strong>この手紙が発行された１２月１５日から６０日以内に振り込まないとペナルティを科す</strong>」とギョッとし たことが・・・。ご丁寧にも６０日以内であって２ヶ月以内ではないと注釈もあります。<strong>しかし、手紙を受け取ったのは２０１０年６月４日。封筒の消印をみる と２０１０年５月４日！</strong> 思わず大笑いしてしまいました。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/06/20080925_alitalia_hostess1.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3428" title="pa2" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/06/20080925_alitalia_hostess1-239x300.jpg" alt="" width="239" height="300" /></a></p>
<p>さて、航空会社選択には二通りのパターンがあると書いたことがあります。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/2821">「ＪＡＬのサービスに想う」</a>です。</p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">外国に出かける人は二つのタイプがあり、一つは「<strong>これから出かける国の雰囲気に飛行機から味わおう</strong>」という経験先行型であり、もう一つは「<strong>目的地に到着するまでは、なるべく自分の習慣を通したい</strong>」という経験先延ばし型でしょう。料金や乗り継ぎの便宜性という合理的レベルでの判断を別にすれば、上述の二つのパターンは一般的と考えてよいと思います。</span></p></blockquote>
<p>この１０年以上、欧州内でアリタリアを使うことはあっても、日本との往復はもっぱらＪＡＬでした。しかしＪＡＬは９月末にミラノと成田の直行便を廃止することになりました。それで新しい環境に早く馴れようと、昨日はアリタリア便に搭乗してみました。そこで、随分、ＪＡＬ便と違うなあと思いました。まず第一に搭乗直前にチケットとパスポートを提示するところで、「ボンジョルノ」「グラッツィエ」と挨拶する日本人がＪＡＬ便と比較して圧倒的に多いのです。それは機内でも同じで、ワインではなくヴィーノという乗客が多いように感じました。要するにイタリア好きが多いのです。上の範疇によれば、経験先行型です。一人旅も少なくなく、なんとなくテーマがあってイタリアに行って来たという雰囲気をもっています。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/06/hostess-alitalia.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-3429" title="pa3" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/06/hostess-alitalia.jpg" alt="" width="250" height="274" /></a></p>
<p>実はミラノに長く住んでいる日本人は、こと日本との往復に関してはＪＡＬを使う人が多いーアリタリアの定時運行の確率の低さにうんざりしていて、日本に行くときくらいそういう苦労は避けたいーとの印象をもっているのですが、面白いのはイタリア人。ＪＡＬを選ぶイタリア人はどことなく日本びいきの傾向があり、アリタリアに搭乗するイタリア人はその日本びいき率が若干下がるようなタイプが目に付きます。経験先延ばし型にカテゴライズされそうな人たちです。「日本に特に興味があるわけじゃなく、でも嫌いっていうんじゃないんだよ。ただ、移動は馴れた航空会社がよくてね」と。もちろんマイレージをもっている人が多いこともあるでしょうが、わざわざＪＡＬのマイレージカードは作らないのでしょう。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/06/piredda2.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3430" title="pa4" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/06/piredda2-300x234.jpg" alt="" width="300" height="234" /></a></p>
<p>ぼくは、アリタリアの機上の人となりながらーなんと陳腐な表現！－出発前に受け取った警察の手紙のことを考えていました。全てがああだったら社会はまったく機能しないけど、たまに生じるにはたいしたことない。ぼくは、正直言ってイタリア的役所仕事の健在ぶりにホッとしました。ＥＵの誕生以降、ＩＴの普及とあいまって自由がききずらくなっているのですが、最後の管理に穴があるところに、市民が逆手をとる余地があるわけです。その痛快さに大笑いしたのです。これがイタリアの良さでしょう。愛嬌のある文化は結局は好かれる・・・・。</p>
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		<title>ピンクのジャケットを着るかどうかは大いに迷うところ</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/3414</link>
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		<pubDate>Fri, 28 May 2010 16:47:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>

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		<description><![CDATA[今週、ミラノのサルトリアでジャケットを見ていたところ、ハッとするピンクのジャケットを見つけました。そんなに濃いピンクではなく薄いピンク。とても品があり綺麗なので思わず手にとり試着しました。サイズもちょうどいい。買っちゃお [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/michele-baroni.jpeg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3416" title="p2" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/michele-baroni-300x207.jpg" alt="" width="300" height="207" /></a></p>
<p>今週、ミラノのサルトリアでジャケットを見ていたところ、ハッとするピンクのジャケットを見つけました。そんなに濃いピンクではなく薄いピンク。とても品があり綺麗なので思わず手にとり試着しました。サイズもちょうどいい。買っちゃおうか、と一瞬思いますが、頭を振って「いや、いや、こういうのを買ってはいけない。どこに着ていくんだ？」と自問します。見た瞬間、夏の海岸沿いのカフェでビールを飲む姿を想像します。確かにあそこにはいい。でも、「ミラノでも仕事で着れるか？いわんや、東京でどこで着れる？」という疑問符が頭を走ります。</p>
<p>ピンクのシャツは何枚かもっているしセーターも着ますが、ジャケットは話が違います。同じカラーでも洋服のカテゴリーが異なると急に敷居が高まります。「でも、ミラノならいいんじゃない？」と言う人もいますが、これは逆でダークスーツが基本で、それには白かブルー系のシャツがルールであることが定着しています。薄い茶系の麻のスーツにもシャツは白かブルー。「ピンクやイエローのシャツはイナカモンが着る色」と言われたりします。とても保守的なわけですーミラノでファッションに長く携わってきた友人によれば、特にこの数年は世界的にこの保守的傾向が強いようです。あるいはシック。しかし、それは逆にいうと、<strong>色のコンビネーションは色彩学上定義されていることを尊重している</strong>ことも意味します。この色とあの色は合わないというのが徹底され、この色を使うときはどこかのパーツに同系色を入れる、といった気配りが当然視されるということです。そのルールから外れると、生理的に落ち着かないという感覚世界で生きています。つまり<strong>色彩学的な判断が生理的な部分とリンクしており、だからＴＰＯを含めた色の扱いに説得力がでます</strong>。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/Kenyatte-Nelson-Pink-Jacket-2.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3417" title="p2" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/Kenyatte-Nelson-Pink-Jacket-2-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" /></a></p>
<p>自宅に戻っても、あのジャケットのピンクが目に焼きついています。「ああいうジャケットは、場所そのものだけでなく、職業的にそういう立場じゃないと難しいよな」と思い返します。アーティストなら何色を着てもいいだろうと、アーティストではないぼくは思います。アーティストが何というか分かりませんが、とりあえず外の人はそう思うという土壌が色にはあります。必ずしもアーティストが自由人とは定義できないけど、それに近いところにいると世間に思ってもらえることが可能なポジションにいます。その日の晩、ぼくは「アーティストになりたい。自由にピンクのジャケットを着れるような人間になりたいなぁ・・・」と不思議と強く思いました。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/1217282777.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3418" title="p3" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/1217282777-300x300.jpg" alt="" width="300" height="300" /></a></p>
<p>別にピンクに自分のメッセージを込めたい、自由に服を選びたいーだいたい、今でも自由な立場で自由に選んでいるほうですがーというより、極めて感覚的なところで底のない自由を求めたいという欲求です。洋服の色を契機にこう思うのもあまりないのですが、どういうわけか、ピンクのジャケットは違ったようです。</p>
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		</item>
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		<title>アマゾン販売をTwitter上で告知するわけ</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/3371</link>
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		<pubDate>Sat, 22 May 2010 16:00:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>

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		<description><![CDATA[３月初旬、幕張でＦＯＯＤＥＸのスタンドに立ったことを、このブログに書きました。トスカーナのデルポンテのオリーブオイル商品を紹介したのですが、その際の目玉が二つ。トスカーナのエキストラヴァージンオイルと日本で三大七味といわ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/shichimi-series.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-3372" title="shichimi-series" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/shichimi-series.jpg" alt="" width="160" height="239" /></a></p>
<p>３月初旬、幕張でＦＯＯＤＥＸのスタンドに立ったことを、このブログに書きました。トスカーナのデルポンテのオリーブオイル商品を紹介したのですが、その際の目玉が二つ。トスカーナのエキストラヴァージンオイルと日本で三大七味といわれる善光寺の八幡屋礒五郎の七味唐辛子のコラボ商品ミニボトル版。もう一つが、この味にゴマをあわせたオイル漬けのオリーブ。七味オイルは２年前からデパートなどで販売してきましたが、２５０mlだとお試しにはサイズがやや大きく、まったく新しい味でも気楽に買っていただけるよう１００mlボトルを出したのです。同時に若い人たちを中心に浸透しつつあるオリーブの実に、この七味風味を加え、お酒のつまみとしてとしても提案できる商品として出品しました。その結果、実に多くの方から「美味しい！」「コンセプトが斬新！」という感想をいただいたわけです。特に、若い方や女性ーどうも女性のほうが辛いものがお好きなようですーからの賛同の強さにはビックリしました。これを契機に、有名ホテルの結婚式場の引き出物カタログに採用されたり、セレクトショップで販売されたりと流通経路が広がってきました。今、そこで感じることがあります。<a href="../archives/2996">Twitterで知った方が大勢スタンドを訪れてくれた</a>ことの意味です。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/9111c2e18282d6e66f4d9f45422562b91-300x225.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-3373" title="f1" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/9111c2e18282d6e66f4d9f45422562b91-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>Twitterが日本で一般的に認知されるようになったのは鳩山首相がはじめた今年１月頃と言われます。しかし、認知はされたが、実際にTwitterを日常で使い倒している人は思ったほど多くはないとも言われます。最近みたデータでは首都圏とそれ以外の地域でのユーザー数に格段に差がありました。例えば、世田谷区内ではフォローワーが１５００－２０００人近くにならないとフォロワー上位ランキングにならないが、首都圏を外れると、県ベースでも一桁少なくてもそれなりの順位に入るという具合です。Twitterを見ていると日本でiPadが発売される前に米国で購入した人たちが珍しくない数でいます。既にiPhoneが、そういう意味では話題にはならなくなっていると思わせるムードがあります。しかし、電車のなかでケータイを弄り回す高校生は沢山いますが、iPhoneはそうはなっていない。Twitterで知ったイベントに出かけると全員がiPhoneをテーブルに置いていたりする一方、別のところでは「iPhone? 何それ？名前だけ聞いたことがあるけど」となる。で、<strong>世の中の多くは「iPhone・・・何？」「Twitter・・・何？」で成立</strong>しています。それはタイプとしかいいようがないほどに、そうです。</p>
<p>以前、ホリエモンのブログを読んでいたら、これだけネットが普及しケータイを至るところで使っているいるにも関わらず、あまりに多くの人がネットショップを使っていないと憤りに近い焦燥感を書いていました。彼が、iPhoneの携帯バッテリーチャージャーがネットで売っていると説明すると、「ネットでしか売っていないのですか？」と聞かれることがなんと多いのか、と。これを読み、当たり前ながらiPhoneユーザーの全てが必ずしもオンラインショップを日常には使っているわけではないという以上に、オンラインでの購入決定には馴れが大きく左右していると言えるな、と感じました。本も相変わらず書店で手に取って買いたいという人が多いです。こういう傾向をみていると、<strong>Twitterの情報を有効活用して動いている人たちは、感度がどうのこうのということでなく、Twitterという新しいメディアに何らかのきっかけでたまたま身を任すことに決めた人たちが多い</strong>という印象をもちます。そして、そこにたまたま遭遇の幸運がある場合もあるだろう。だからやってみようじゃないと思った人たちがTwitterユーザーである、と。もちろん登録はしたけど、何が面白いのかさっぱり分からないと冬眠中の人も少なくないでしょう。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/olivetuke_shichimi4.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-3374" title="olivetuke_shichimi4" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/olivetuke_shichimi4.jpg" alt="" width="160" height="239" /></a></p>
<p>今週木曜日よりFOODEXに出品した<a href="http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&amp;url=search-alias%3Daps&amp;field-keywords=%C3%DE%D9%CE%DF%DD%C3+%83I%83%8A%81%5B%83u&amp;x=17&amp;y=19">七味オイルのミニボトルとオリーブの実をアマゾンで販売をはじめました</a>。そこでキャンペーンのために<a href="http://www.delponte.com/jp/">Twitter上でレシピとショートストーリーを募集するアイデアをＨＰ上で昨日案内</a>しました。</p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">アマゾン販売スタートを記念して商品プレゼントのキャンペーンを行います。対象は七味唐からしオリーブオイル ミニボトル、オイル漬けオリーブ（七味風味）。それぞれを５名さまずつ（合計１０名さま）に以下の要領でプレゼントします。両方とも<strong>募集期間は５月２５日 （月）から５月３１日（月）の１週間</strong>です。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"><strong>＜七味オイル＞　レシピ募集</strong><br />
七味オイルをつかった１４０文字レシピを募集します。和洋中なんでも結構です。ご応募いただいた方の中から５名さまに七味唐辛 子オリーブオイルのミニボトルをプレゼントします。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"><strong>＜オイル漬けオリーブ（七味風味）＞　ショートストーリー募集</strong><br />
これはお酒の肴として最高です。オリーブを酒の肴として使うシーンが入っている１４０文字ストーリーを考えてください。恋愛モ ノでもなんでもＯＫ。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">＜５名さまの選び方＞</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">５名さまは、Twitter上 で「これは美味しそう！」（←七味オイル）「これは面白 い！」（←オリーブ）と RTを多く獲得した方から選びます。こちらで応募データを把握するため に、応募されるレシピやショートストーリーまたはRTの中 には必ず @delpontejp が入っていることを 条件とします（したがってストーリの文字数は、このスペースを勘案してください）。ご不明な点はTwitter上 かＤＭでお問い合わせください。</span></p></blockquote>
<p>iPhoneユーザーがオンライン購入者とは限らないように、Twitterユーザーがオンラインショップユーザーであるとも限りません。しかし、即アクションをとるネットユーザーである確率は高いのではないか？と想定したわけです。ネットヘビーユーザーである方をTwitterでフォローしたら、１０分も経ずして七味オイルを買ってくれたエピソードを紹介しましたことがあります（<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/3014">八子知礼さんのクラウドコンピューティング研究会</a>）。今回もアマゾン販売の開始をTwitterで案内したら、ほんのわずかな時間で買ってくださった方がいます。アマゾンユーザーでTwitterユーザーであるより、Twitterユーザーでアマゾンユーザーであることがこのケースでは大事で、どの程度の割合なのかはまだ分かりません。が、<strong>ぼくが何よりも期待しているのは、Twitterの「時間感覚」ー情報新鮮度が重要とされるーのみならず、Twitterの「情報発見感覚」です</strong>。「こんな情報があったんだ！」という発見の喜びをＲＴがどう作り上げてくれる可能性があるのか？ということです。</p>
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		<title>イタリア文化が分からない</title>
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		<pubDate>Wed, 12 May 2010 21:04:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イタリア料理と文化]]></category>
		<category><![CDATA[子育て]]></category>

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		<description><![CDATA[今日、近所に住む息子の同級生が学校を休みました。その母親からウチに電話があり、「娘が学校に置いてきた教材を学校の帰りに持ってきてくれない？」と依頼がありました。そこで息子は彼女の教材を先生から受け取り、彼女の自宅に届けま [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/la-giovane-coppia-di-attori-portia-doubleday-e-michael-cera-in-una-scena-del-film-youth-in-revolt-143180.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3323" title="s1" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/la-giovane-coppia-di-attori-portia-doubleday-e-michael-cera-in-una-scena-del-film-youth-in-revolt-143180-300x168.jpg" alt="" width="300" height="168" /></a></p>
<p>今日、近所に住む息子の同級生が学校を休みました。その母親からウチに電話があり、「娘が学校に置いてきた教材を学校の帰りに持ってきてくれない？」と依頼がありました。そこで息子は彼女の教材を先生から受け取り、彼女の自宅に届けます。ぼくも一緒につきあったのですが、インターフォーンで「教材持ってきたよ」と息子が言うと、同級生の母親の「よかったら、エレベーターで上まで上がってきて」という声が聞こえます。それを聞いて、ぼくは「頼んでおいて、自分で降りてこないのかよ。よかったらもないだろうに・・・」とちょっと思います。怒るほどじゃないけど、ちょっとひっかかるなというレベル。「よかったら」はイタリア語で&#8221;se vuoi&#8221; 。英語なら&#8221;if you want&#8221;。「君が欲するなら、上まで来てよ」ということになります。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/25706_340668301580_301918771580_4189342_2064668_n.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3324" title="s2" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/25706_340668301580_301918771580_4189342_2064668_n-234x300.jpg" alt="" width="234" height="300" /></a></p>
<p>この&#8221;se vuoi&#8221;がひっかかるのは、ぼくがイタリア語を理解していないからだろうか。この動詞 volere（英語のwantでvuoiはvolere の二人称単数形）が丁寧な疑問形を作ると分かっていても、それを丁寧表現とは受け取れないのです。それはイタリア文化を理解してないからなのか・・・と前々から気になり、イタリア人にも意味を聞いてみたことがあります。理詰めで話すと、「そう、そういう場合は、se vuoi　じゃなくてse puoi （できれば）が正しいかもね」という答えがきますが、その本人がそばから”se vuoi”を連発するから、頭と口は別機能なんだと分かります。これはイタリア文化という文脈のなせる業なのか。要はこういうことです。「この行為をするかしないかの決定権は君にあるということは尊重したうえで言っているんだ。無理にやれとも言っていないし、君のキャパや意思を無視して頼んでいるわけでもない。あくまでも君の判断なんだよ」という伏線をしいておいて、「で、君がぼくを助けたいなら、助けてくれよ」と読めなくもない・・・と思うこともあるから、気になるフレーズなわけです。</p>
<p>もちろん&#8221;se vuoi&#8221;の後が「食事に誘うよ」というなら別に何の問題もないのですが、冒頭のように明らかに頼み事をしている時の&#8221;se vuoi”は、どうも頼みを有利に運ぶための術のように聴こえてしまいます。それをまったく気にならないで聞けるのは、こういう文脈に馴れきっているからではないか。あるいは、ぼくもそのように馴れきらないといけないのだろうか。そう考えます。ぼくの倍近くイタリアに住んでいる日本人に聞いてみると、「そうしょっちゅう気に障っているわけじゃないけど、まったく気にならないといえば嘘になる」と。イタリア生活が長いフランス語が母国語の友人は「自分ではあまり使わないけど、それを聞くと嫌な感じというよりなんとなく釈然としない気持ちが残る」と答えてくれます。そうか、あえて大きな声で言わないけど、「なんかなぁ」とは思っているフレーズであることが分かります。でも、ぼくの息子は「決めるのはぼくだと言われていると思うだけ」とそっけない感想。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/coppia-giovane.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3325" title="s3" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/05/coppia-giovane-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a></p>
<p>この&#8221;se vuoi&#8221;をまったく意識することなく堂々と使えないと、イタリア人の精神構造をマスターできたとは言えないのかなとボンヤリと思います。日本語で「すみません」を連発するようなものでしょうか。「すみません」本来の意味とは関係なく、この言葉を挟むと日本文化に嵌ったような気になるという意味で。多くの外国人が「どうして悪くないのに、すみませんと言うの？」という質問をするのと同じように、ぼくは「頼みたいくせに、やりたければなんて聞き方をするの？」と思ってしまう。どうしても、丁寧表現は遥か遠くに霞み、第一義が頭に直球で浮かんでくる。だからからか、日本であれば謝罪をするケースでも「すみません」と言うのではなく、「それは残念だった」「それはお気の毒」とコメントするイタリア文化が&#8221;se vuoi&#8221;を多発させるのかと勘ぐります。メンタリティは言葉によって作られ、言葉はメンタリティによって作られる・・・・こんなところでしょうか。</p>
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