本を読む の記事

Date:13/8/1

20代、ぼくは横浜でよく酒を飲み遊んでいました。ちょうどそのころ、桜木町にあった三菱重工の造船所が撤退し新たな都市開発が行われることが仲間の間で「噂」として広がりました。商業施設ができるとか、美術館ができるとか・・・ナニ?という感じでした。NOと言うわけじゃないけど、なじみのある風景を短い時間で急変させることに違和感を持ちました。そこで遊び仲間と「とりあえず、跡地を大きな空地にしようよ。そして次の世代にあの土地の利用を考えてもらおう」と言い始め、ああだこうだ、と議論が始まりました。オープンカフェなどというものがとんと普及していなかった時代、ぼくたちは街の中で質の高い空間を味わう経験がアピールには必要だと思い、日本銀行の前の大通りの並木の下で日曜日に集まることにしました。

道を正々堂々と使うわけです。警察に許可をお願いすることもなく。もちろん大通りのど真ん中でやるわけじゃないですが、ぼくのビッグホーン4WDや友人のBMWなどを駐車させ、そのクルマのまわりに椅子を並べ昼食をとったのです。80年代前半、そういう風景がパリにはあっても日本の都市にはない(と、思い込んでいた)。それは街の扱い方でもっと工夫する余地があるのではないか、という提案でした。通りかかりの人たちとも軽くコミュニケーションをとり、「街の軽い空気」を自ら演じることが大切だと思ったのです。

その後、仲間は増え山手のイギリス館で、横浜市長や都市計画局の人たちとのミーティングをもったりして、なんとかして「空地構想」を実現しようと動いたのですが、「みなとみらい」という既定路線は、当然のことながらビクともしませんでした。あ~あ~と開発が進むのを横目に見ながら、結局、ぼくは横浜を離れてイタリアにきました。だから、イタリアに来てから十年以上はほとんど横浜に足を運びませんでした。余談ながら、欧州風を吹かすバーのうさん臭さにも嫌気がさして、そういう店にも一切顔を出すのをやめました。

まあ、ぼくにとって「空地構想」は横浜のもつ「ニセ西洋」からの脱皮でもあったんだな、とも思います。ただ、一部でもいいから都市の空白を残しておきたいという欲求は特に日本の美学でもなく、同世代のイタリア人の友人たちが空地や路上でサッカーボールを蹴った日々を風景としても残しておいて欲しかったと語るのを耳にするにつけ、都市構造やランドスケープに本当のところ、どこまで文化性が問われるのかは、常に眉に唾つけて聴いておかないといけないと感じます。

いったい風景や景色というものは、そんなに変わるものなのだろうか。何年も何十年も、ばあいによっては百年の月日が必要にも思われよう。

が、東西の歴史を振り返れば分かるのだが、実はわれわれは景色を変えることしかやってこなかったのである。レバノン杉はすぐになくなったし、パリは変貌し、福岡のシーサイドは一変した。それが文明であり、文化というものだ。

文化や文明とは、その景色の変え方に本質がある。問題はその変え方だ。都市計画や環境計画や景観学や庭園学では、こうした変え方を「造景」「設景」「修景」などという。まとめて環境デザインともランドスケープデザインともいわれる。

こう松岡正剛は書いています。この話って、盛んにローカリゼーションマップで言っている、プラットフォームは同じでも文化が違うとアプリや使い方、あるいは売り方が違うという話と大分似たところにいます。空地で野球をやるかサッカーをやるかは違ったけど、空地が似たようなガラスと鉄骨のビルに変わるのは同じかもしれません。

過去形と現在形の狭間や過去形の遺し方の多様性にこそ注目すべきなのでしょう。

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
Date:13/7/31

ぼくの幼少時の外国人体験を思い起こすと、家の近くにあった教会の米国人神父家族、米軍の軍人、横浜中華街の中国人といった人たちとの接触ーといっても、直接コミュニケーションをもったのは神父家族程度だったと思うーでした。これはぼくの個人的な経験という偶然もありながら、同世代の一般的な傾向が如実に出ていると言ってよいでしょう。

現在、ミラノに住んでいて南米人とのコンタクトはクーリエサービスの運転手やアパートの守衛あるいは掃除をする人たち、アフリカの人たちは露天のモノ売りであることが多いです。そして中国人は飲食店や小売の人たち。もちろん、これはあくまでも街で出会う人たちであり、ビジネスや教育関係の世界に入ると彼らも全く違った登場の仕方をしてきます。一方、韓国人はビジネスかプライベートな生活でのレイヤーが圧倒的に多く、中国人のように小売やサービス業でこちらが客として偶然に知り会うことが少ないです。これも日本人の個別の事例というより、普通に生活しているイタリア人の体験とそう変わりません。

すなわち多くの国籍、多くの民族の人たちに囲まれて生活しているように見えながら、実は非常に限定的な側面しか見ていない。そういうのをあえて超えるには、子供の学校ー特に公立の小学校ーの親と沢山付き合ったり、社会貢献的な活動に精を出すことですが、自らの殻を取り除くためという名目では継続的な活動は続けにくいものです。とするならばー話はかなり飛躍しますがー、この「敷居」の高さは、飲食店や小売りで世界にネットワークをもつことが、ある国の経済を活性化させる「情報収集」に如何に役に立つかの反証にもなります。

華僑や印僑のことを言っているわけですが、上海発でシルク素材をコンテポラリーなデザインで表現し、一流中国ブランドの確立に的を絞った戦略を着実に実行しているアナベル・リー・シャンハイの創業者が日本留学時代に向き合わざるをえなった現実がもつ意味は、ビジネス面からも示唆するところが大です。

1988年、父に半ば強制されるようにして、彼女は日本の地を踏んだ。日本語の予備知識ひとつなく、文字どおり西も東もわからない。(中略) 彼女の場合も、持ち帰り弁当店などでアルバイトをするかたわら、日本語の勉強に精を出す苦しい毎日が始まった。若いからこそ耐えられる、それは肉体的にも精神的にも過酷な日々だったに違いないけれども、彼ら彼女らはそういう暮らしを通じて、日本人とはどういう人々であるか、濃厚な集中講義を受けるにも等しい。一人の平均的日本人が付き合う階層的な範囲を大きく超え、学のある人ない人、カネのある人ない人、ウソをつく人つかない人・・・、彼らは実に多様な日本人と接していく。

現在、上海の中国人の100人に一人は日本留学経験者「留日生」と言われていますが、彼らの間でも「視点の交換」が濃密に行われてきたことを想像すると、商品開発からブランド戦略に至るまで、彼らの底力のソースを片っ端からリストアップしてみたくなります。

こうして生まれるいわゆる知日派は、ライシャワー的な、英語を喋る日本人ハイソサエティとの付きあいが生み出してきた類のそれとは随分と違うものになる。(中略)アナベル・リー・シャンハイのブックカバーが文庫本にジャストフィットしていて、しかもロゴふうの印をあしらったしおりがついていて読みかけのページをマークできるようになっていることなど、彼女が日本で、同世代の娘たちが電車の中で本を読みふける姿をじっと見ているだろう様子を想像させるものである。来店する日本人女性客は、必ずといっていいくらいこれを買っていく。

貪欲に生活しながら、読書習慣の妙に入り込んでいます。この例も「路地裏」と呼んでいいのかどうかわかりませんが、最近の日本食の海外プロモーション流行りーというか政策的な枠組みに入った、というべきーのなかで、その先に「路地裏経済の大きな地図」が描けることが分かると、スカスカ感の強い食周辺の論議ももう少しレベルアップするのではないかと思うことしきりです。

 

 

 

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
Date:13/7/11

寿司屋のカウンターがやや苦手な時があります。板前に趣味を判断されているようで心地よくない。振り返ってみると、20代では寿司屋のカウンターは贅沢な場所でした。銀座の値段の出ていない高級寿司屋に女の子とデートで出かけ、食べた気がしなかった冷や汗モンの経験など数知れず・・・パリで美術を勉強して乗馬を趣味としていた彼女の前で虚勢を張ろうとした自分が情けない 苦笑。どちらかといえば熱海にクルマを走らせ男友達と寿司を食べる方がずっと気楽で楽しかったです。ただ、ぼくがまだ苦手と思うのは、たぶん、友人たちが寿司屋のカウンターのマナーを学ぶ30代以降、日本にいないからです。寿司は大好きなのに、板前との会話には何となく距離を感じるというか・・・バーのバーテンダーと話すにはまったく抵抗がないのと逆です。

寿司屋の板前は、客をよく見ています。注文の仕方や注文する順序だけでなく、船ちょこといわれるつけ皿に、むらさきを入れる量、握りの持ち方、箸の置き方までです。

やっぱり!ちょっと叶わないなあ、と思ってしまいます。それも板前だけでなくカウンターの隣の客にも見られている風なのが。寿司屋は客がメニューを自分でつくる分ー本書によれば「寿司は総合芸術だ」とありますー客に緊張を迫る余地が沢山あるというわけです。あえていうと、天ぷら屋のカウンターもうるさい親父の目が光っていることが多いですが寿司屋ほどではありません。まあ、ラーメン屋でも「俺の流儀で食わない客は出ていけ!」みたいなムードがあることもありますので、どのジャンルに限らないか。とにかく、こういうの大嫌いです!好きにさせてくれ!

というわけで「魚道」なんて言われると、自らを批判されるようで実に居心地が悪いです。しかし、この著者のお二人を直接知っているぼくとしては、単に緊張を強いるためにこの本を出したわけではないことがよく分かります。相模湾の魚を味わう葉山の「稲穂」の鈴木さんは清々しい方ですし、本書に何度と出てくる今はない四谷の「纏寿司」の親父さんも無駄に客にプレッシャーをかける人ではありませんでした。水谷さんも鈴木さんも、すてきなことを言ってくれます。

寿司屋は、季節を食べに行くところです。(中略) 寿司屋のネタケースを、きちんといつも見てください。季節折々に、その季節に旬を迎えた魚が並んでいます。それを食べながら、海の四季を知る。これが、鮨の醍醐味だと、私は考えています。

と水谷さんが書けば、鈴木さんはこう書きます。

海の四季を感じることは、漁師でもない限りなかなか難しいからでしょう。でも、実は、簡単に海の四季を感じる方法があります。それは、寿司屋で鮨をつまみながら、板前とそのときどきの海について話せばよいのです。板前は魚のプロ、当然折々の海についても、よく知っています。その話から、季節を知り、そしてその季節のおいしい魚を、海の中の様子を思い浮かべながら楽しめばよいのです。

そう、話せばいいんです。コミュニケーション。分からないことがあれば板前にメニューをお任せにして、それぞれ教えてもらえばいいわけです。鈴木さんは、こうも書きます。

私が、寿司屋の小僧だった半世紀前と今で、何が寿司屋で一番変わったかといったら、やはり、ネタケースに並ぶ魚の種類と数でしょう。あの当時は、本当に江戸前、東京湾で獲れた魚を出していました。ネタケースには、東京湾の四季、季節がありました。今は、寿司屋によっては、世界中の魚が、季節を超えて並びます。これは、いいことなのか、わるいことなのか、私にはわかりません。

そうだよなあ、海外の8割以上の非日本人による寿司に対して、日本の寿司が正統であると主張するに相応しい状況に日本の寿司はあるのか?と思います。このテーマの水谷さんの考え方には賛成です。

単に江戸前寿司が、本当の姿、それが本物と、日本のどこでも、冷凍物や輸入された魚でその形に近づけて、またネタも同じようにして、その土地の客に提供するのではなく、ある程度は、妥協はやむを得ないにしても、その土地土地の魚を素材として、その土地の海の味を、いのちを、客に楽しんでもらう。これが、鮨の本道なのではないでしょうか。

つまり、イタリアであれば地中海やアドリア海の魚を最大限生かすことに注力するのが「本物の鮨」の考え方であり、そういった地産地消的なポリシーの普及材料として鮨が語れることはもっとあるのではないか、との感想を本書を読みながらもちました。「地中海の四季を伝える」という名前の寿司屋がリグーリアの海外沿いにある・・・いいなあ。だいたい、寿司屋は鮨だけを食べるところじゃなくて、魚を中心とした料理屋であるという定義にもっと近づかないといけないですね。

 

 

 

 

 

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
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