本を読む の記事

Date:09/7/1

イタリアに来る前、ぼくは自動車会社に勤めていたので、クルマ作りの現場を多少は知っています。新人研修で工場のラインで夜勤でも働いたし、さまざまな部品メーカーの現場に足を運んだことがあります。英国のスポーツカーメーカーと取引があったので、小規模生産の開発のあり方もおよそ想像がつくし、トリノでスーパーカーの生産現場で一台一台品質レポートをする仕事もしました。そして、今もカーメーカーや部品メーカーと別の形でビジネスが続いています。しかし、いつも全体の一部で働いているという意識が抜けません。これが自動車産業の特徴でしょう。巨匠ジュージャロでさえ、自分のカーデザインを大組織を相手に説得するのはストレスであると語っています。

今回の経済恐慌で分かるように、自動車産業が成熟しきった業界であり、しかしその巨大な蜘蛛の巣のような裾野の広さから、各国とも自動車会社の救済に躍起です。GMの国有化、オペルへの独政府のバックアップ、どれも破綻の影響力のサイズが問題になっています。電気自動車が急にスポットを浴びるのは、経済恐慌ゆえに自然環境が悪化しているのではなく、そこに大きな政治意志と経済的動機があるのが明白です。よく金融経済は目に見えないといいますが、別の意味でいうと、自動車産業もその関連企業の多さから目に見えにくい世界です。なにしろ2-3万点からなる部品の数々に多くの人間の生活がかかっているのです。

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例の36冊のリストのなかに、福野礼一郎『クルマはかくして作られる』を入れました。「現代性」を表現している本のカテゴリーです。そこで、この本を再読しています。著者がさまざまなメーカーに足を運び、そこで開発や生産の実態を詳細に記したものです。自動車の工場といえば、ボディ製作や流れるアッセンブリーラインばかりがイメージに残りますが、ギアボックスなどの大物部品の機械加工だけでなく、インテリアのウッドパネルやシート生地など「えっ、ここも自動車産業の一つなのか!」とあらためて気づくことになります。そういえば、ポルトローナ・フラウもクルマのシート生地をフィアットに供給している会社です。

ぼくが、この本を「現代性を表現している」カテゴリーに入れたのは、目に見えない全体性を目に見える形で理解するにはどうしたらいいのか?という疑問に答える一例になるのではないかと考えたからです。以前書いたことの繰り返しになりますが、全体性とは「曖昧性」も含めて包括しないといけないので、「すぐ分かる〇〇」「一覧で分かるXX」「役に立つ〇〇」という形では絶対に達し得ないのです。あるストーリーでしか表現しえないところにリアリティがあります。そういう点で、ぼくは「小説は読まない」と公言する人の全体把握力に疑問符をつけるわけです。小説といわずとも、少なくても、回想録の類が守備範疇に入っていないといけないと思います。嘘と現実の間にしか、真実はないわけですから・・・・。話が少々ずれましたが、言うまでもなく、この本にはストリー性があるとみたので、リストに挙げています。

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
Date:09/6/29

ぼくはフランス文学科卒業ですが、実はフランス文学系の授業を殆どとった覚えがありません。国際関係論や社会学で単位を埋めていました。その社会学も最初は政治社会学に向っていたのですが、だんだんとヨロヨロといき、ぼくが印象に残ったのは現象学的社会学のバーガー=ルックマン『日常世界の構成』(山口節郎訳、新曜社、1977年)でした。これを小集団論の授業で紹介され、「なんだ、こんな世界があったんだ!」と心騒いだ覚えがあります。ですから、今年、明治大学大学院理工学研究科新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系の管啓次郎さんのゼミに外部生として入り込み、36冊の本を自分で選び、それぞれにコメントを200文字でつけるという課題では、この『日常世界の構成』を「考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊」の一冊としていれました(下記のリストは4月30日現在で、特に現代性を主題とする12冊の内容はかなり入れ替えています)。

http://monpaysnatal.blogspot.com/2009/05/blog-post_7753.html

この12冊には、陣内秀信『イタリア都市再生の論理』(鹿島出版会、1978年)も挙げたので、最近、読み返してみました。最初に読んだのは、イタリアに来た1990年で、ぼくは本書を読んで即、陣内さんに面談を申し込み会ってお話しました。その後、トスカーナの文化センターのセミナー構想に協力いただくことになるのですが、19年ぶりに読んで、何故、この本に惹かれたのか、その時の興奮を思い出しました。都市再生が芸術的価値に代表されるモニュメンタルな建物に限るのではなく、社会経済的な側面から、一般の人々が生きれる空間としての都市のあり方を説いた。そのところにイタリア都市計画の革新性があったという、その全体性への取り組みに共感を覚えたのです。D.A.ノーマン『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』(野島久雄訳、 新曜社認知科学選書、1990年)を専門とする分野の12冊に入れたのは、やはり日常世界から見通す全体性ー例えば、記憶は外部環境に手がかりをもつーが語られているからです。

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さて、ぼくは去年あたりから盛んに、一人で理解するヨーロッパ文化のあり方とは?ということを書き話しています。色々な専門家がそれぞれに自分の分野でヨーロッパ文化を語っているのでは、実際のビジネスでは使えず、「群盲象を撫でる」ということになります。もっと直感的に全体像をつかめる工夫をしないといけないと説いているのです。そのためには、あらゆる分野に実際にタッチしてみるかしかありません。あるいは、自分で考えてみるしかありません。ぼくが本やブログを読んでいてもつ不満の一つは、「この人、政治について考えたことあるのかな?」「この人、小説を読んだことがあるのかな?」「この人、ビジネスしたことあるのかな?」等を感じさせる内容であった場合です。

この観点で、社会学者の宮台真司が『日本の難点』のあとがきで書いていることは、全面的によく理解できます。

日本が抱えるあらゆる問題を包括的に関連させて論じた、しかも一人の著者が書いた本ならば、読んでみたいと思うようになりました。

僕が社会システム理論の訓練を受けてきたことに関連しますが、経済や政治や宗教や性愛や教育を個別に論じた本はあっても、これらを一人の著者が串刺しにして論じ、かつ時事的性格を帯びた本が一つもないことです。これでは人々を「世直し」に適切に動機付けることはできない相談です。

著者の「一人」に拘るポイントが、僕が一人に拘るポイントに近いのではないかと思う点とプラスし、次の点も氏に同感する理由です。

その意味で、本書の全体を読み通すと、叙事詩やギリシャ悲劇を通読したような、あえて言えば文学的な印象を与えるはずです。日本では政治と文学の連関が絶たれて久しいのですが、僕の隠れた意図はーと語る以上もう隠されていませんがーこの連関を取り戻したいというところにあります。

チャートやマニュアル的な説明で、世の全体が語れるはずがなく、どこかにある曖昧性も含めて「包摂的」に提示するしかなく、その点を超えない限り、次のアクションに繋がらないのです。ただ、この本に書いてあること全てに同意することはありません。

本土で激烈な地上戦を戦う時点で、既に戦争は負けです。この時点から戦況を挽回することは不可能なのです。なのに、なぜ日本は負け戦の地上戦に備える必要があるのか。答え。専守防衛を掲げているからです。

ソ連のチェチェイン戦争、米国のベトナム戦争やイラク戦争、これらは空ではなく地で苦しめられ敗退しています。地上での戦いになったとき、そこに逆転を生んでいる20世紀後半以降の戦争を著者はどう見ているのだろうと思います。でも、このような一つ一つを取り上げるのではなく、著者が全体で言いたかったことを肯定的に汲まないことには、いつも分けが分からない専門家(いわば群盲)に振り回される状況は変わらないということになってしまうのです。

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
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