本を読む の記事

Date:17/6/20

この本『突破するデザインーあふれるビジョンから最高のヒットを創る』の監訳・日本語版解説を担当しているのでレビューに入れるのは正確ではないのですが、著者が他人なのでレビューに入れておきます。とはいうものの、立場が完全な読者でもないので裏話をしましょう。

 

デザインの次に来るもの』の「はじめに」でも書いたのですが、正直、ミラノ工科大学ビジネススクールでイノベーションを教えるベルガンティとこんなにも深い付き合いになるとは昨年の5月まで想像もしていませんでした。ベルガンティの『デザイン・ドリブン・イノベーション』を訳した立命館大学経営学部でデザインマネジメントを研究している八重樫文さんに、ミラノのワインバーで本を頂いたのがきっかけです。それまで、この本の存在は知っていても全然食指が動かなった。経営学の専門家が書いたデザインの本が面白いわけがない、と強烈な偏見をもっていたのですね。しかし、実際に読み始めたら俄然面白かったのです。そこで、ベルガンティの主張にもっと日本でも耳を傾けてもらうことをやった方がいいと八重樫さんと話し、いろいろとスタートしました(『デザイン・ドリブン・イノベーション」は北米や欧州に比べ、日本の反応が鈍かったのです)。

まず、その時点で『デザイン・ドリブン・イノベーション』の再版予定がないと判明したので、クロスメディアパブリッシングの吉田倫哉さんに頼んで、オンデマンドとキンドル版のプロジェクトを引き受けてもらいました。これなら販売実績に関わらず絶版になりません。一方でベルガンティが書いていることが、日本の読者に分かりにくい部分もあるし、だいたいデザインマネジメントが世間で言われるほどに、「デザインと経営がどうつながるの?」「デザインとイノベーションがどういう関係があるの?」というテーマが、歴史的・地理的(文化的)に俯瞰して一般向けに整理されていないと考え、八重樫さんとの共著で本を書くことになったのです。

 

一方でベルガンティの同僚たちと欧州委員会のイノベーション政策の現状を見聞するにつけ、「欧州ではデザイン思考とデザイン・ドリブン・イノベーションの両輪で推進しているのに、日本でのデザイン思考一本やりは危ないなあ」と感じるようになります。またデザインの地位向上ばかりに浮足立っている、つまりは何から何までデザインのおかげとしたがる流れもロクなことにならないと前々から思っていたことがむくむくと大きくなってきます。こうした原稿を書いているうちに、ベルガンティの前々から出ると言われながらずっと遅れていた新著の原稿を読むことになります。「これならいける!」と思いました。というのも『デザイン・ドリブン・イノベーション』はいわば研究知です。だから、これをどう実践的に使えば良いのかが分からないという人が多かったのです。しかし、MITプレスから出る『Overcrowded 』は、実践の書だったのです。ベルガンティとそのチームがこの10年、研究知から実践を試みた結果獲得したことが書いてありました。『デザインの次に来るもの』の趣旨もより自信をもって伝えられると確信をもちました。

 

日本語版の帯び付きのカバーを見ていただくと、この「実践」の意図が分かるでしょう。この日本語版を出すには日経BP社の長友真理さんのご尽力があり、なんとか英語版出版の2月からあまり時間を経ずに出版できることになりました。実践編というと、単なるノウハウ本のように思われるかもしれませんが、ここでの実践とは「ユーザー」ではなく「人間」を相手にした時に「人々が愛して欲しいと(私が)願うものは何か?」を考えることを起点とします。とても深いのです。ですから、「深く考えるにはどうですれば良いか?」ということが、ここには書いてあります。「ニーズ」や「ソリューション」が必要でないわけではないのですが、こうした次元のイノベーションの手法やツールは十分にあります。オープンイノベーション、クラウドソーシング、デザイン思考・・・・と。他方、人の心を捉えて離さないモノゴトをつくる手法やツールはあまりに未開拓であるとの認識を踏まえ、いわば「ブルーオーシャン戦略」の実践編が、本書という位置づけになります。

 

その手法などについては、これからいろいろなところに書いていきます。尚、まだ告知がされていませんが、ベルガンティは7月に日本の複数の箇所で講演会をします。この本を読んで、是非、話も聞いてみてください。

 

 

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
Date:16/7/25

大学生から社会人になりたての頃、つまりは1970年代末から1980年代半ばくらいまで、三浦半島の先端、油壺によく行きました。ヨットハーバーのシーボニアに出かけたのです。たまにクルーとしてヨットにのり、たまにデートで食事にいく、という感じです。海から眺める周辺の陸の風景が妙に神秘的で、「今度、あのあたりを散策してみたいなあ」と思っていましたが、一度も足を踏み入れたことがありませんでした。まさか、そこが関東地方で稀な源流から河口にかけて丸ごと自然が守られている「奇跡の自然」であるとは、まったく知りませんでした。

ぼくが知らなかったのは当然で、この本の著者である岸由二さんと柳瀬博一さんのお2人が保全活動をスタートされたのが1985年ですから、それまではおふたりも知らない世界だったのです。ただ、そんな近くにある自然の価値をまったく知らなかったのは残念だった、というだけでありません。ぼくが1980年代後半からやや肩入れしていたのが横浜の三菱重工の造船所やその他の跡地をどうするか?という市民運動でした。それが行政から「市民の声は聴きました、はい、おわり」という感じだったところで、敗北感があったのです。その後、あの地域は「みなとみらい」と呼ばれることになりましたが、一方、同じ時期にスタートした岸さんと柳瀬さんの活動が、こうして30年を経て実り、小網代の自然は守られ、多くの人たちが自然を学ぶ場になっている。これは凄いなあ、と心の底から思うのです。

ぼくは1990年からイタリアに生活拠点を移した後、この三浦半島の先端に出かけることは全くありませんでした。確か4-5年くらい前、フェイスブックで柳瀬さんが小網代の自然を守るために、森を暗くしてしまう木や草を刈っていく「休日労働」をしていることを知りました。同時に、岸さんという柳瀬さんの大学時代の恩師の関係にも興味をもちました。柳瀬さんが理系の研究室にいたとか、岸さんがゼミの指導教官だったというのではなく、経済学部の学生が一般教養科目の履修で知った先生と30年もつきあうが続いている。しかも、柳瀬さんの流域や自然災害だけでないさまざまなテーマのフェイスブックの投稿に、岸さんは適切なコメントを書いていらっしゃる。この師弟関係を眺めていて、とても羨ましいとも率直に思っていました。

小網代の苦労と素晴らしさについては、2年前、ほぼ日で柳瀬さんが話されたレクチャーを読んでいましたが、今回、本書を読んで今さらながらに、保全のための絶妙な戦略と着実な実践に唸ります。実は今月初めに東京で柳瀬さんとお酒を呑んだ際(柳瀬さんは喉を傷めて、まともに声が出ない状態でノンアルコールビールだったのですが)、この本をいただき、ミラノに戻ってくる機内で読みました。そこで、なんとも胸がしめつけられるような思いをしたのです。岸さんが初めて小網代を訪ねるまでの経緯です。

岸さんは、かつて関与した自然保護運動から手をひき研究活動に専念していた。どうしても政治的な動きになってしまう自然保護運動から距離をおきたいと考えていたのです。が、人に強く誘われ、やや重い足取りで(のはず)、はじめて小網代を訪ね、この自然の凄さを一目で把握した。それが、1984年11月18日であったというのです。実際の活動をスタートされる前年です。岸さんにそれまでの10年以上の流域生態系の「思索と思い入れ」があったがために、30代後半のある日、大きな実践の場を得たわけです。それを大学できっと熱い思いで語り、学生であった柳瀬さんが惹かれていったのでしょう。

安易に政治家に頼らず(どうしても、そういう誘惑が多いのです)、反対運動ではなくより包括的な提案を柱に、社会全体が合意する範囲と方向の見込みを読み間違えずに活動を続けてこれたのは、岸さんと柳瀬さんの「社会理解度」が抜群に高かったからだろう、と考えました。もちろん、「自然理解度」とセットになっているからこそですが、「自然理解度」だけではこういう「大人の成熟度」を感じるプロジェクトにならなかったでしょう。(だから、ぼくは自分の青臭い時代をフラッシュバックさせられる羽目になる・・・・)。

8月、小網代の森に行きたいと思っています。やっとのやっと、青臭さの整理もかねて 笑。

 

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
Date:16/5/28

ミラノサローネ2016をおよそ1か月半にわたって書き、久しぶりにこのテーマを集中的に考えることになりました。その結果、頭を働かせるだけでなく、実際に人に多く会い話をすることが多かったです。ミラノ工科大学のビジネススクールの先生であるロベルト・ベルガンティが8年前に書いた。「デザイン・ドリブン・イノベーション」を読む機会も得て、さらに頭と身体の動きが後押しされる羽目にも 笑。いや、この本、最高に面白かったです。

実は、この本、もっといえば「デザイン・ドリブン・イノベーション」という名前をぼくは避けていたのです、長い間。立命館大学経営学部デザインマネージメントラボのチームが日本語に訳して出版したのが、オリジナル本がハーバードビジネススクール出版から出た4年後、2012年ですが、確かその頃から、この名前を日本で耳にするようになったのでしょう。でも、ぼくは「何それ?」と読み気にもなれませんでした。だってですよ、ミラノの周辺のデザインを今更語るか?アルテミデとかアレッシとか、もう枯れたブランドじゃない、と。いや、ビジネスのブランドとしてはいまだに十分に立派ですが、ミラノデザインを語る際に、このブランドはもうないだろう、と。およそミラノからブリアンツァにかけての地域にミラノデザインを生むエコシステムがあったみたいな話は聞き飽きているわけです。

 

で、デザイン・ドリブン・イノベーションですよ。流行りのデザインとイノベーションの2つのバズワードが入っているのが、もう嫌で嫌で。いやらしい。そして経営学の教授がハーバード・ビジネス・レビューに書いたものだ、と。もう、これだけでツマラナイと語っているみたいなものじゃない、と(関係者のみなさん、失礼!)。まあ先入観のかたまりみたいな頭で、この本を手にとるなんて一生ないだろうと思っていたわけです(大げさにいえば)。確か、その頃、日本のある先生に、「ベルガンティを知っていたら、紹介してくれますか?」と聞かれたのです。ベルガンティを知らなかったぼくは、彼の略歴を検索でみて、「ああ、MBAの先生か。この人とのコネをわざわざ探さなくてもいいだろう」と判断し、日本の先生には「直接存じ上げないので、お役に立てそうもありません」と断ったのです。

さて、今年の4月のある日、ぼくの中小企業の本を読んだ日本の経営学の先生からメールをいただき、その方の論文も添えてありました。「イタリア+中小企業+産業集積+ブランド」の組み合わせが日本の経営学の範囲であろうと想像していたのですが、論文にはイタリアのデザインの考え方が記されていたのです。美術史や思想史に触れていて、それは驚きました。経営学はこのあたりまで手を伸ばしているのだ、と大いに感心しました。その感想をそのまま書いて返事をしたら、他の方を紹介いただくことになり、(詳細は省くとして)結果的にあの遠ざけていた「デザイン・ドリブン・イノベーション」を手にするに至ります。さっそく、最初の数ページを読んで、すぐさまぼくは自分が過ちをおかしていたことに気がつかされました。イタリアデザインには読ませるコンテンツがまだこんなにもあったのだ、と自らの無知と曇っていた目を恥じました。

曰く、「急進的なイノベーションとは、モノがもつ意味の転換であり、テクノロジーだけのイノベーションには限界がある」「ユーザー中心のデザインは緩やかな商品改良には貢献するが、長期的な資産を生む急進的なイノベーションには役立たない」「オープンイノベーションは誰でもアクセスできるのだから、誰でも模倣できる」「意味の転換を見極めるのは、ユーザーにクローズアップするのではなく、文化的にクローズドなコミュニティ(解釈者たちのネットワーク)で語られる内容を吟味して見極め、ユーザーをズームアウトして眺める必要がある」・・・・といったことが(ぼくの解釈も加えると)書き連ねてあるわけです。ぼくは、いわゆるソーシャルライフで得られる情報や見方を自分のなかで統合するのが肝心で、それが次の戦略を決めるヒントがあると考えてきました。例えば、アートギャラリーのオープニングでのアーティストやキュレーターとの雑談が、文化人類学者や企業家との会話と方向として一致することが、大きな指針になったりするわけです。ぼくはミラノサローネを「デザインディスコース」としてみる実践をしてきたので、もう、本に書いてあることに頷きまくる展開になったのです。

ちょっとエラソーに言えば、説明が曖昧な部分に嘘ではないけどリスキーな要素は多いとか、ソーシャルメディア時代のデザインディスコースは2008年には語りきれなかったはずだが、もう少しネット時代の解釈たちを予見しても良かったのではないかとか、批判的に言おうとすれば言えることがないわけじゃないですが、まっ、そんなの読者がその先を考えればいいことだ、と思えるのですよ。その裏付けに言うなら、いわゆる教養人や感度の良い人の集まりが、文化コンテクストを読み商品コンセプトをつくるにとてつもなく大切ってのは、この本には書いていないデザインマネージメント研究の動向が示唆してくれるんです。米国のデザインマネージメント研究のなかにはあまり出ていないようだけど、ヨーロッパのデザインマネージメントでは、デザイナーの役割だけじゃなく、アーティストの役割が大いに議論されています。これは、ベルガンティが投げかけたテーマの筋が良かったことを物語っているわけです。

ビジネスパーソンの教養は、日経新聞の文化欄やサラリーマンの週末の趣味の読書を指しているのじゃないというのが、この本を読めば痛切に分かるのです。ぼくは8年前に「ヨーロッパの目 日本の目」で、ヨーロッパに”まだある”ハイカルチャーの社会文脈の解釈は見逃せないと書きましたが、この8年間でもハイカルチャーの存在感は下降線を辿っています。それでもイタリアの小学校の歴史の教科書の冒頭に、「歴史を学ぶのは過去の散在したディテールから全体像を積み上げていく刑事のようなものだ」とあり、中学の美術史の教科書が「アートに表現されている象徴から時代を読み取る」と強調して説明されているのを読むと、ヨーロッパの人のコンテクストを読む態度がおよそ想像がつくのです。

いってみれば、ベルガンティが指す「解釈者」とそこにある「デザインディスコース」のいわば社会的根拠が見える。そして、本書には、十数人から何百人規模のイタリア企業が、社内2-3人と外部の「解釈者」たちのネットワークで意味のイノベーションをおこした事例が沢山紹介されているのです。ヨーロッパで急進的なイノベーティブなビジネス展開を図りたい日本の中堅企業が知るべき内容がふんだんにありますよ。もちろん日本のなかのビジネス展開の参考にもなりますが、小さなチームと質の高い外部チームでヨーロッパでガツンとやるのも刺激的だし、なによりも長期的な利益の源泉を狙うに最適な道であると確信をもつに背中を押してくれます。特に、グローバルの統一ブランドやデザインからローカリゼーションを図る道筋が旧世代になり、ローカルな文化文脈が他のローカルに飛び火してローカライズし、そこにイノベーションを生む新世代には、大企業ではないサイズの企業が小さなチームをつくるのことで大企業にはないイノベーションをおこす可能性が大きいですからね。これが楽しみじゃなくてなんだろう・・・と思います。

 

 

 

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