子育て の記事

Date:11/3/27

息子の通う小学校が100周年を迎えました。色々なイベントが開催されていますが、今日は、学校見学の日でした。ここは幼稚園も併設されているので、幼稚園の頃から何度も学校敷地内には入っているし、施設見学も初めてではありません。かつて、日本から視察に来た先生たちと一緒に見学したこともあります。

しかし、今日の見学はちょっと趣向が違います。子供たちが親をはじめとする一般市民を相手に説明するのです。大人20名に対して生徒が数人。子供たちが大人に学校の歴史、建築、教育方針などについて質問し、大人が回答します。正解が一番多かった人には、最後に賞品という仕組みです。

上の写真のような感じです。もちろん質問は事前に用意され、それを子供が読み上げるのですが、大人たちも上手く調子をあわせ、とても和やかです。レンガの積み方や建築様式についても触れ、今まで何度も眺めながらよく見ていなかったことに気づかされます。ここでは、開校当時、学校の机と椅子はベンチタイプが普通でしたが、創立者は一人一人の椅子と机を用意することで生徒が自由に動け、校庭で学習することも可能になったことを話しています。

音楽室では楽器の説明。小学校1年生から音楽を教えるのは、100年前のイタリアでは先進的だったようです。なかなかいい空間だなと思うのは、食堂です。カルネバーレの時などは、ここがコンサート会場になります。

この学校は自然との共生が重視され、敷地内で動物が飼育され畑があります。ワイナリーで葡萄を収穫しワインの製造工程を学び、その後は学校において自分たちで葡萄を裸足で潰しワインを作り、翌年オークションで販売するという授業もあります。

これで1時間半くらいのコースなのですが、ここでつくづく思ったことがあります。プライドや自信を持つ大切さです。これまでの写真を見れば分かるように、ミラノ市内としては恵まれた環境です。施設だけでなく、その教育方針が開校当時から革新的であったことを先生は繰り返しますが、それが生徒たちの「身についた言葉」になっていることが、彼らの説明振りを聞いているとよく分かります。自分たちは革新的な教育を受けてきたのだから、当然、革新的な試みには長けているはずであるとの自信があります。

革新的であるというのは相対的な比較ではなく、したがってモノサシの問題ではなく、絶対的な自信の問題ではないかと考える一日でした。

Category: 子育て | Author 安西 洋之  | 
Date:11/1/11

今日の夕方、息子を小学校に迎えにいきました。12月23日から昨日の1月9日までの冬休みを終えて学校のスタートです。帰りがてら「みんな来ていた?」と聞くと「えっと、フランチェスコとアンナと・・・3人いなかったかな」との答え。クラス25人のうちの3人。風邪で休んでいるわけではなく、何処かに休みで出かけ、帰りをずらしているのです。これは休みの前も同じです。12月23日は木曜日でしたから、その前の12月18日(土曜日)から何処かに出かけるので、20日から22日も休んでしまいます。

学校を休ませることへの考え方が違うということもありますが、とにかくリズムの取り方が違うということが、この行動パターンのベースにあるでしょう。例えば、今年初めての稼働日だからといって、そう張り切らない。「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。さて、休み前にお話したあの件ですが・・・」ということを一瞬も惜しまずに一気にやる・・・・ということをしません。2週間以上の期間をリカバーの対象としては考えない傾向があります。休みは休みだったのだからと考えます。したがって、わりとスロースタートです。昔のディーゼルエンジン的です。

ディーゼルエンジン的ですから、トルクはある。で、一度動かすとグイグイと推していきます。無駄口も叩かずにひたすら集中します。夜遅くまで仕事することも厭いません。が、何が苦手といって、今日は仕事して、明日は休み、明後日は仕事というリズムにつきあうことです。そういう凸凹なやり方は「生産効率が悪い」と一蹴しやすいのです。もちろん今はネットの時代ですから、自分だけのリズム、あるいはイタリアだけのリズムをキープしようとしても、メールで周囲の動向はどうしても目に入ってきます。PCを休暇に持っていかなくても、スマートフォンを置いていくことは少ないでしょうから、どうしても「巻き込まれやすい」。それでも「巻き込まれない」と決意したら、それをかなり堅固に実行する人多いと周囲をみていて思います。

「巻き込まれないキャラクター」は、郵便局であろうと銀行であろうと、どこの窓口にいっても観察することができます。窓口の人間はある書類整理をしていたら、お客がその窓口の前にたっても「ちょっと待ってくれ」と言って、ひたすらリアルにはそこにいない誰かの「先約」の仕事を片付けます。客がイライラしようがあまり気にしません。そして「先約」が終了後、目の前のリアルの客に「ご用は?」と聞きます。当然、それまで待たされるリアルな客はいい気持ちがしませんし、「早く、こっちをやってくれ」ともクレームをつけますが、少なくても、そのリズムには理解を示します。このリズムが休日に挟まれた期間に大胆にブリッジを作るわけで、それを否定するのはイタリア人気質とその文化の否定です 笑

Date:10/12/12

ミラノの小学校に通う息子の歴史の教科書をみていて驚くのは、3年生でビッグバンから先史時代まで延々に続き、4年生に入ってやっと世界の四大文明に入ることです。どうして、どうやって人は火を扱うようになったかとか、実に丁寧に教えていきます。今の日本の小学生の歴史の教科書がどうなのか知りませんが、このイタリアの教科書はロジカルに歴史が分かるように説明されています。

歴史に限らず、地理でも文法でもそうなのですが、大人と同じようなレベルの内容がきちんと書かれています。例えば、地図に二種類あり、実寸にもとづく地図とメンタルマップの二つがあると説明されているのです。事例として正しいかどうか分かりませんが、イタリアの子供服は大人の洋服のミニチュア版であり、いわゆるキャラクターものの子供らしい服が主流ではないのは、こういう教科書の作り方と関係がありそうだと想像しています。

本書はエッセーの集まりですが、「世界史が未履修と知って」というタイトルのなかに、ヨーロッパの学校において世界史教育に如何に時間を費やすかがやはり説明されています。高校の5年間すべてに歴史教育があり、1年目は先史時代からギリシャ文明まで。2年目は1年すべてつかってローマ史のみ。教科書があまりに完璧なので、塩野氏は『ローマ人の物語』の各巻を書く際に、この教科書で全体図を確認していたといいます。これは、日本の高校で世界史が未履修でニュースになった話題の対比としてとりあげたのですが、塩野氏が小説を書くにあたっての姿勢が四項目あり、これはぼくの文化差異の説明にも参考になります。

第一に、やさしい語り口で物語らないこと。なにしろ歴史の知識は不十分でも、知力は充分すぎるほど充分なのが私の読者なので、子供に語って聴かせるような語り口では礼を失する。

第二は、内容の知的水準を下げないこと。水準を下げないでおいて知識は不十分な人に理解してもらうには、方法は一つしかなかった。明晰に書くこと。それしかなかったのである

第三は、視覚を活用することだ。具体的には、地図や人物の顔写真を使うことだが、人物の顔といっても私の場合は、彫刻や絵画に描かれたものになる。事件が語られれば、それに関係した人物の顔を見たいと思うのは当然だから。地図のほうは、地理ですね。歴史地理と言われるように、歴史と地理は不可分の関係にある。

最後は、歴史の流れを読む人に感じ取ってもらえるように書くことだった。流れを感知できるようになりさえすれば、歴史というものは、半ばわかったのも当然なのである。

いい読者がついているんだなぁと第一に対してまず思いました。子供に語りかけるような調子が失礼というのは彼女流の皮肉であり、第二のポイントを成立させる必要条件と位置づけたほうが良さそうです。それにしても、ぼくが「そうだなぁ」と納得したのは、太字にした第二のポイントです。明晰にまさるものはないんだというのは、えらく説得性のある言葉です。第三や第四の項目ももちろん大事ですが、すべての解決策は第二の項目にしかないでしょう。

Category: 子育て, 本を読む | Author 安西 洋之  | 
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