子育て の記事

Date:11/11/2

「何でも基礎は退屈でやりたくないもの。でもそこを通過しないと面白いと思う領域に到達できない。そのあとに他の稽古事やスポーツへの展開を図ればいいのよね。それなのに生徒の親たちと話していると、子供が『つまらない、他のことをやりたい』というとすぐに変えさせる。子供の意思を尊重していると聞こえはいいんだけど、本当にこれでいいのかしら?」とイタリア人の子供たちにピアノを教えるぼくの奥さんの疑問です。3年から5年くらいはやらないと楽しくは曲を弾けない、と。日本で教えているとき、親は途中でやめたいという子供を叱った。イタリアでも親は子供を励ますが、あきらめのタイミングがきわめて早い。確かに判断に迷うところです。

一つのことを続けないデメリットをぼくも思います。しかし、何でもしがみつかせるのが良いのか?という問いも頭をかすめます。子供の時にいろいろなスポーツをやらせて身体の各部を平均的に使うことを重んじる人たちは、子供の全体的な能力を伸ばすことを優先するのではないだろうかとも考えるからです。一般に「つまみ食い」はネガティブなイメージを伴いますが、子供の人としての幅を広げるとの効用もあります。この見方に立った時、ピアノの基礎をマスターすることにどれだけの意味があるのかへの回答が揺らいできます。「何事も中途半端はよくない」との言葉は全面的に正しいのでしょうか。

あらゆる場面において全体像をつかむには二つの鍵があって、一つは直観です。この直観はある程度経験で身に着くもので、特に混沌とした状況に直面した場数が貢献するのではないかと思います。もう一つが、三つの視点の確保です。視点は何もないところにはアンカーを打てず、何らかの理由で足を踏み入れた経験のあるフィールドがあってこそです。この二つの鍵の重要性を考えるとき、カオスが日常化しているイタリアンライフと「つまみ食い」の二つが実は教育上看過できない要素ではないかとも思うのです。

プロジェクトの組み立て方や進め方からはじまり、プロダクトデザインやビジネスの取り決めに至るまで、どうしても全体像を描くのが苦手でディテールにこだわっている多くの日本人ーぼくも含めてーを見ていると、子供が稽古事をころころと変えることを割と容易に認めるイタリア人の親を批判するのに、ぼくはどうしても躊躇します。全体像の把握ができるということは、全体像を人に見せることをも得意とします。

「ぼんやりとしたコンセプトもコンセプトと言えるのだ」と喝破できるのは、自らの全体像に確信がもてるからです。いや、正確に言うならば、確信をもつ「術」を心得ている、あるいは不安の払拭の「術」を知っているというのが適切です。イノベーションを生むβ版の推進力の源泉は、このあたりにあるのではないかと匂いを嗅いでいるところです。

 

 

Date:11/8/8

7月下旬に日本からミラノに戻りました。

日本ではいつものように沢山の方との新しい出会いがありました。ローカリゼーションマップの活動をスタートして1年数か月でじょじょに認知度もあがり、初めてお会いした方から、日経ビジネスオンラインの記事について細かく感想をいただくことも増えました。また、若い方たち、学生をはじめ30代前半くらいまでの方とのおつきあいも広がり、彼らと何をするべきなのかも深く考えるようになりました。

仙台の海にも出かけました。津波の被害のあった沿岸部に小学生の息子を連れて行ったのです。ぼくは小学生の5年間、父親の転勤で生まれ育った横浜を離れ、仙台市内に住んでいたことがありました。あの頃、友人と連れ立って10数キロの距離にある海岸に自転車でよく出かけたものでした。そして40年近く、あの場を再訪する機会はなかったのです。ですから、津波ですべてが破壊された風景をTVで見たとき、少し時を経たらあの場に出かけてみたいと想っていました。

息子を連れて行ったのは、自然の破壊力を見せておくべきだと考えたからです。数年前、ドイツからオーストリアにかけての道をドライブしながらアイルランド人の友人が、「小学生のころ、この近くのナチの強制収容所に父親に連れて行かされたんだ。人間ってどんなに愚かになるかを知っておくべきだ、とね」と語りました。ぼくは、その教育に感心しました。そして、小さいうちに、人の愚かさと自然の怖さを知らしめることが親の務めかもしれないと気付いたのです。

仙台の海と街で想ったことは、また別の機会に書きましょう。たぶん、この秋に行うプロジェクトについて書くときが「別の機会」かもしれません。今回、日本で強く思ったのは、ズームアップとズームアウトを同時に扱うコツを多くの人がマスターしないといけないだろうなということです。ズームアップで焦点を合わせたのはいいけど、その焦点の横10センチのほかの人の焦点が見えなくなっている。ズームアップの横移動ができないのです。ぼくは3点からの視点の大切さをよく言っていますが、3点をもてればズームアップの水平展開が比較的楽にできると思います。しかも、「正当性」とは何なのかを自問したこともなく、ズームアップしているから問題なのです。

日本から戻り中三日で、今度はウンブリアに出かけました。「日本の頭」をガラリと変えるには絶好の契機です。人は、それこそ愚かなもので、環境に支配されます。思考を大きく切り替えるには、水平軸と垂直軸の移動を頻繁に繰り返すことです。すなわち、場所を移動する、使う言語を変える、時間軸を過去に遡る(あるいは未来を企画する)、という三つのことを強制的に行うことです。ふつうの人にとって、これらのことをせずに別の視点を獲得するのは、まず至難の業です。

ウンブリアの自然に囲まれながら、自然とのインターフェースとは何かを考えていました。

テラスで食事をしていると人懐っこい一羽の鳥が必ずと言ってよいほど近寄ってきます。そして皿の上にあるものにくちばしを伸ばそうとする、蚊取り線香の光る台を持ち去る、テーブルの近くにふんを落とす、ワイングラスを倒す、頭の上にとまり頭皮をつっつく・・・かわいいけど、迷惑極まりないです。犬か猫が飛び歩いているようなものです。どうも、ここの家で飼っている犬がこの小さな鳥を救ったことで、鳥が巣意識をもったとのことで、犬と仲良く遊びます。野鳥の「ペット化」なのか、ヒトの「わがまま」なのか?きっと、数か月もすれば森の中で生きるだろうとも想像しますが、ヒトの食べ物をつまんでいる限り、野生に戻るモチベーションがありません。どこの誰の視点にたって、この状況をみるとよいのか?ということを繰り返し思いました。

ウンブリアにいるとき、『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか - 世界で売れる商品の異文化対応力』が発売になりました。おかげさまで、オンラインと書店ともによい販売スタートをきったようです。ネット上でもぼつぼつレビューが出始めました。みなさんの感想を聞かせていただくのが楽しみです。

 

 

 

 

Category: ウンブリアの夏, 子育て | Author 安西 洋之  | 
Date:11/4/1

今週アップした日経ビジネスオンラインの連載記事「世界で活躍するための地図を持とう 震災後、日本人は否応なく外に向かう」に以下のコメントをいただきました。この方が指摘されていることは、ぼくも気になっていたので、ここにぼくの考えを書いておきます。

抽象的な主張に留まってはいるが,よい記事と考える.特に,『非英語圏が世界のリアルな様相を実際には作っているという事実を直視すべきだと考えている。 これが前提だ。』は,さすがというべき指摘である.震災後,日本の雰囲気が変わったのではないかと著者は観測しているが,確かに,日本国内での予定調和を 前提に生活を組み立て続けられないという実感は(まともな)大人にはできたと思う.しかし,被災地から離れたところでの子どもたちを巡る社会,具体的に は,中高の生徒たちを相手にしている「世界」,学校・塾から芸能・スポーツ界まで含むけれど,そこでは,本当のところ,変身できるのか.つまり,次代を担 う人たちに,予定調和を前提にしない職業選択や自己実現というものを意識させなければいけないのだが.

今回の震災でソーシャルメディアの威力がマスメディアでも取り上げられています。ぼく自身、上記の記事で、マスメディアには満足しないことに気づいた人たちについて触れました。しかし、それと同時に、マスメディアに満足するか不満足かは関係なく、マスメディアの情報で一方的に気分や意見を左右されている人たちが圧倒的に多い現実も認めないといけないとも感じました。それはマスメディアしか見ない年齢層でだけでなく、かなり広い年齢層に渡っている。そして、社会の動向を決定的に決めるメインストリームは相変わらず、後者の方にあります。ソーシャルメディアにある勢力もマスメディアに認知されて、次の展開にひっぱることが可能になることが多いでしょう。

そうした趨勢のなかで、このコメントされた方が書くように、「まともな」大人はどんな情報環境下にいようが、社会の変化を感じ取っていると思います。第二次大戦時に大本営発表の戦況情報がどうであろうと、日本の敗戦を確信していた人たちが少なからずいたように、散々叩かれている今回の震災での新聞やTVの情報だけでも、情報の質を嗅ぎ分け次なる方向をよく読んでいる方も多いだろうと思います。でも、「まともな」大人とはどのくらいいるものなのだろう、と思わないでもありません。願わくば、このくらいは・・・と思っているのですが・・・。

さて、さらに気になるのは、上記の方が書くように、子供たちのことです。この社会の変化をどう察知するか、できるか。この方が中高生と書いているところに多分ポイントがあり、小学生は(まともな)親の意見で自覚するというか、比較をするものをまだもっていない時期です。大学生はそれこそ自分での嗅覚をもちはじめています。親の意見もあまり聞かなくなり、かといって社会へ処し方がまだあるわけではない場合が多い世代が、どういう悩み方をするのかは注視していかないといけないでしょう。「まともな」大人がどう寄り添っていけるか、大きなテーマだと思います。

繰り返しますが、「これで日本は変わる」と大きな声で言っているのは、確かにソーシャルメディア側に多く、その多くは都市圏に住んでいる人たちです。「ソーシャルメディア?なんだ、それ?」と言い、「これで変わるって?何が変わるんだ?俺たちは、また振り回されるのか?」と思う人たちがが沢山いることを認識しておくことが、「これで日本は変わる」と語る際に重要なことだと、自戒をこめて思います。

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