子育て の記事

Date:12/1/5

この正月、日本人の友人と酒を飲みながら話題がイタリアの教育とアートのアーカイブになりました。イタリアの学校で重視されるのは口頭試問です。テーマに対して定義の設定から論理を構築していく力が試されます。どこかにある正解をなぞるのではなく、ある問題に対して自分なりの解釈をほどこすことが求められるわけです。それを書くのではなく話す。これが小学生の段階から徹底されています。一方アートの世界におけるアーカイブとは、批評空間に存在感があるという意味合いの話です。図書館でアート作品を検索すると、日本とは比較にならない桁の数で批評文が一つの作品について出てきます。よって、批評コンテクストでの位置づけを前提に作品を構想する訓練を作家は重ねることになります。

「自分の解釈を作る」という基盤があるから批評空間に存在感があると言えますが、時とともに生き残れる作品こそに価値があるという考えが強いので、批評の量と変遷にウエイトが置かれるのではないかと思います。言ってみれば、そこに石があること自身にさほど意味があるのではなく、そこになぜ石が置かれ、どのような年月をもって石が人に見られ、その石が何十年後にどのような価値をもつかが記述される・・・・マーケットを構成するシステムが「言葉が不要な感動」のみによって成立していないのです。

考えてみると人の人生も同じです。生きてきたプロセスを記録に残すことがセルフブランディングになります。年末から正月にかけ、少なからぬ人たちがフェイスブックに自分の幼少や青年時代の写真をアップさせていました。当たり障りのない話題提供や年の変わり目に過去に思いを馳せるという動機なのでしょうが、タイムラインに揺れ動く自身の姿の背景を知っておいてもらいたいとの欲求の表れなのだろうとも想像します。自分は身長が1.何メートルで体重が何十キロで過去現在の名の知れた人の顔に似ているかどうかではなく、世界で有史以来唯一である自分の生まれた瞬間からの営みの数々にしかーしか!-証がない。それは過去の誰とも同じではないし、将来、同じ人が出現することはありえない。人は「時」によってアリバイを獲得する存在なのです。

日記は自叙伝にまさり、自叙伝は作家が書いた伝記にまさるのは、その瞬間のありようは本人が一番の証言者だからです。これまで名の知れた人のライフヒストリーが評価されたのは、その人の世間的に認められた実績ゆえでありましたが、実は世間的に認められるシステムに入る「通行手形」をたまたま手にした幸運によるとの側面がなかったわけではありません。「通行手形」の入手が相対的に容易になった現在、何に対する証言者であるかがより問われます。ネットのおかげで証言者という地位はほぼ平等に与えられるのであれば、どこに証言者として立ち会うかがポイントになります。ゆえに、その点について意識をさらに高めることが自己肯定の契機になるとの理屈が幅を利かしそうです。証言者とは状況定義と解釈を開陳できる存在ですから、当然ながら、与えられた地位を十全に使いこなせるかどうかは別の問題としてあります。

やったことの結果もさることながら、どんな天気の時に、どんな道を辿っているかがセルフブランディングの肝になるわけです。ただし、初夏の暖かい日のヴェネツィアで昼寝をするのではなく、晩秋の霧の濃い海上でヴェネツィアへの足止めを食うことが証言者の生き方として重みがありそうで、実はそうではない。あまりに平凡な日常的な風景のなかで証言者であるー日曜日午後のイトーヨーカ堂の下着売り場で世界を語るーほうが存在感があるかもしれないのです。

文章の結を急ぐためにやや飛躍を許してもらえるなら、「今に生きる」ことが、かつてと比較にならないほど自己アイデンティティとブランディングのために重みを増していると考えてしかるべきです。無駄にできる時間はなにもないのですーいや、すべての時間はあなたが思う以上に価値がある。しかし、だから息苦しくなるのではない。逆に、だから開放された気持ちになるにはどうすればいいか?と考える人がー社会経済的に激しく揺さぶられるー2012年を生き残れるでしょう。

 

 

 

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Date:11/12/4

今日は息子が来年9月から通う予定の中学のオープンデイ。ステージのあるスペースで校長が親たちを前に概要を説明するのですがー何曜日が半日で何曜日が午後まで授業があるとかー、かなり「アバンギャルド」なムードに唸りました。マフラーをしたアーティスト風貌の2人が話している校長のすぐ前を通り過ぎ、親たちに「チャオ!」と軽く手を振って通り過ぎていく。隣の音楽室でその一人がガンガンとドラムを叩きはじめ校長の声が良く聞こえない。校長の話より音楽を聴きたい親は音楽室へ。校長が何度か演奏を中止するように音楽室に足を運ぶが、まったく無視でドラムの音が鳴り続けるのです。校内いたるところの壁いっぱいにイラストが描かれ、「ここは美大か?」という感じです。二人は音楽と美術の先生だったのです。

校内をぐるりとまわり学校を出て帰宅する途中、息子に「この学校でピアノとバスケットが得意ならスターになれるよ」とぼくは言いました。あのアーティストの先生を「友達」にすれば学校権力なんか怖くない!(笑)。第一外国語は英語で、第二外国語はフランス語かスペイン語を選択し、それによってクラス分けを決めるそうです。「どっちの言葉がいい?」と聞くと、「フランス語。スペイン語はイタリア語とものすごく近いから、あとで簡単にできそうだからね」との答え。うん、それはいい判断だ。「で、学校気に入った?」「壁中がアートでいいね!」

いちおうは、もう一つ別の中学も見学してみようかと思います。実をいうと、外観からこの中学にあまりよい印象をもっていなったのです。しかも、かつては評判も良くなかった。ぼくの友人も先生と喧嘩して放校処分になった・・・もちろん大昔です。が、この2-3年、体制が変わって抜群に良くなったという噂です。それでも息子には「別の学校もいいんじゃない?」とそれとなく言っていたのです。今日、あの「アバンギャルド」にはぼくも心が惹かれはじめ、別の学校見学は「いちおう」に格下げです。

ぼく自身、イタリアで学校教育を受けていないので、学校で生じるエピソード判断に迷うことが沢山あります。最近、息子の持ち物をクラスの友人にいたずらされました。それを息子が先生に訴えると、「それなら、いたずらをした彼に何か仕返しをしなさい」と言われたそうです。ぼくたちは教育上そりゃあないだろうと瞬時に思いますが、そういう考え方とは違う土壌に生活しているんだと気づかされます。人の話している前を遠慮なく通過するのはエチケットとして良くないにせよ、腰をかがめて小走りにいくー日本の会社の会議室で毎度お目にかかる風景ーのがつつましい態度として良いのかとも思うのです。

もちろんイタリア人の親たちの学校の評判も参考にしますが、そこそこに聞くしかないかとも思います。学校や先生に対する意見や感想は、自分の子供がどう扱われているかに大きく左右されー端的にいえば、成績の良い子にとって居心地がよいか、成績の悪い子にとって救われる場所かー、ぼくたちの子供にとってどうなのかは別の話になります。先生の話を聞くのも大切ですが、どうせいいことしか言いません。それにどの先生が担当するのかもわかりません。とするならば、校内に足を踏み入れ先生たちの様子を観察するしかないのです。

それに学校は先生のものではなく生徒たちで作っていくもの。その思いをあらたに、あの「アバンギャルド」に任せてみるかという直観が働いたので、かなりの確率で今日の学校に決めることになりそうです。

Category: 子育て | Author 安西 洋之  | 
Date:11/11/12

息子の小学校では1年生と最高学年の5年生が絆をつくる「ジェメラッジョ」というしかけがあり、それぞれの5年生がツインとなった1年生の一人の面倒を何かとみます。毎日、食堂で昼食を一緒にとることからはじまり、さまざまな課外活動で一緒になる機会を作ります。息子も1年生の時、5年生の世話になったことは深い思い出となっているようで、高学年になると「早く担当の1年生が決まらないかな」と言うようになりました。今日、そのジェメラッジョの「儀式」があり、寸劇や合唱を見に行きました。

相変わらずイタリア人の子供たちの表現力の良さに感心します。正確に言えば、他の欧州や中東、南米、アジアの子供と多様です。中国社会にどっぷりと入りやすい中国人の子供は若干動作が遅いことがありますが、みんな怖気づくことなく、思い切り声を出し、ぞんぶんに腕を伸ばす。音程がとれていなくても気持ちが良いです。実に子供らしくはじけています。こういうイベントだけでなく、ピアノの発表会でも思うのですが、上手い下手は別にして、「らしい」雰囲気を作り、曲も「らしく」歌うのです。ショパンはショパンらしく。どういうわけか、「らしく」なるのかのコツを自然と身に着けているのです。

「つまみ食い」にあえて賛成してみる』で書いたような「つまみ食い」の効用がここに出ているかと問えば、直接の影響はないかもしれないけれど、「緩い線をつなぐことを優先する」との考え方が生きていることは確かです。ぼくはローカリゼーションマップで「大ざっぱに地域を理解する重要性」を強調していますが、これも「らしく捉まえる」と言い換えられるかもしれません。つまり、緩い線の途中にあるいくつかの(若干太い線を予感する)「点」で説得性があれば、その間にひかれるラインは少々弱くてもよく、そこに「らしさ」の姿が見えてくると考えます。

来週月曜日から約2週間、日本に滞在します。新しいプロジェクトの準備をしながら、15日の赤坂インターコンチネンタルホテルでのアリババ会員向け講演を皮切りに、セミナーなどをこなしていきます。公表できるものについてご紹介しておきます。

16日、日本の伝統工芸を子供のために生かしていこうという慶応大学の学生、矢島里佳さんとローカリゼーションや教育をテーマにトークセッションに参加します。ローカリゼーションマップと子供の教育を結ぶものが何かなと考えていて、上述のようなラインをひいてみたわけです。19日はインフォグラフィックの文化差について勉強会を開催します。大幅に定員を超える参加応募があり、この問題に対する関心の高さを認識しました。 

28日はUXD initiative研究会として「イタリアンライフを題材にしたローカリゼーション・ワークショップ」を行います。異文化のコンテクストをつかみ、それにフィットする商品をデザインすることをテーマに実験的なワークショップを行います。これは募集をスタートしたばかりなのでまだ席があります。

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