ローカリゼーションマップ の記事

Date:10/7/26

この数年の日本のデザイン動向を振り返ってきて分かることがあります。技術への偏りと日本の精神性への偏り。これがはっきりと出ています。経済産業省が主導してきた「新日本様式」や「感性価値創造イニシアティブ」にその傾向は出ているし、それが経済産業省だけの動向であると断言するには、あまりに同じような言説やデザインが中央官庁以外の場所にあり過ぎます。これは全体的傾向であると言ってよいでしょう。レクサスのデザインポリシーであるL Finess が2004年であり、「新日本様式」のスタートが2005年であるとの1年のずれがあったとしても、あるいはL Finessのもともとの発案が日本以外の場所にあったとしても、技術と「日本らしい」精神性への偏りすぎた志向性の表現であることは否定しがたいです。

これの何処が悪い?結局のところ、技術信仰の強い商品つくりの非はiPhoneやiPad、あるいはサムスンの製品に負けが込んでいることで散々言われており、高価な先端技術はビジネス上のメリットを生み出すことに貢献できないのではないかと見られています。実際、ミラノの家電店で日本製より安く、しかもデザイン的によりテイストがはっきりと市場よりのエアコンがあれば、日本の多機能を実現した商品ではなく韓国のそれを買うのが妥当です。ダサいデザインの高機能で高価格の商品が売れると思うほうがおかしい。しかし、それが日本製以外にはなければ、それは渋々でも買うしかない。こういうロジックです。

そして、技術信仰では立ち行けないと思ったとき、「日本らしい」精神性、いわば物言わぬ美学に突入する。外国人には分からぬであろうーと思い込んだー日本文化の奥深くにある美学をフロントラインに引き寄せ、「富士山は世界一美しい。ここに日本人の精神性が表現されている」という分けの分からない話を始めたがる・・・という傾向が顕著にデザインの動きにも出ています。加藤周一が、「富士山が美しいというのは、私もそう思います。それを日本一と言うと、どうかな?とは思うけど、その気持ちは推し量ることができます。しかし、富士山を世界一というなら、それはあまりに井の中の蛙であるといえるでしょう」と語ったのは、太平洋戦争時の日本を暗に指していたとしても、残念ながら、60年以上経た今も同じことが言える悲劇があります。

先週の土曜日、ローカリゼーションマップ研究会の第二回目の勉強会を開催しました。暑い中、定員通りの10数人の方においでいただき、スイカを食べながら議論しました。まず、「AXIS」編集部・記者で、最近フリーライターになった神吉弘邦さんに、「新日本様式」「感性価値創造イニシアチブ」「グッドデザイン賞」「Japan – Designs for the Crowded Globe」「ミラノサローネ」などを取り上げもらい、それぞれの内容紹介とそれに対するフィードバックを説明してもらいました。その後、デザイナー、デザインプロデューサー、ジャーナリスト、プランナー、学生などが各々の立場から発言していったのですが、ぼくが一番印象に残ったのは、神吉さんの出した事例から透けて見えてくる冒頭に述べたことです。

そして考えたこと。今までの自動車や電機に重点をおいた輸出振興は、シングルプレイヤーがそれなりの規模で予算をかけながら自分の商品をプロモートすることができました。だが、これからコンテンツ、食品、雑貨、家具など中小企業をメインとした商品を輸出していくに際し、個々の企業努力だけで話は済むのだろうか?ということが疑問として出てきます。殊、「日本として」という発想は不要でしょうが、仮に、ある商品ブランドを繋ぎ合わせることで大きなイメージ構築ができ、そのほうがそれぞれの商品がよく売れ、ある価値体系への認知を効率的に向上できるとするならば、それは考えるべきだと思います。コンテクストの創造です。精神性に逃げないコンテクストの創造です。

これが今週土曜日の「アジアを向いたローカリゼーション」をテーマとする勉強会の「影のキーコンセプト」になるのでは?と考えています。既に定員20人に対して9割近くの参加申し込みを受けています。ご希望の方は早めにご連絡ください。

Date:10/7/18

ローカリゼーションマップ研究会をキックオフしたのが今年3月。その後、Twitter上で#lmapを使って色々な情報や意見を集めてきましたが、定期的な勉強会で各種のローカリゼーション事例を通して情報を共有していくことにしました。そして、目標としては、来年、ローカライズされたモノを陳列し、その背景を説明した展覧会を開催することを考えています。

今月の勉強会は以下要領で実施します。参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taroo(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。あるいはTwitter上で#lmapに参加希望と書いてください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。

1) 7月24日(土曜日)1500-1700 なかのデザインプラットフォーム
中野駅より徒歩7-8分 (http://www.tn-design.com/

「明日の日本発を描く試み」

日本のデザインを促進するプロジェクトが「新日本様式」や「感性価値創造」という名称で推進されてきましたが、日本デザインとはどのように見られることが多いのか?その見方はビジネス的にポジティブに働くのか?等をテーマとします。最初にアクシス編集部・記者の神吉弘邦さんにプレゼンしてもらいます。ミラノサローネでの日本企業の展示や「世界を変えるデザイン展」に対する反響なども織り交ぜ、ここ数年の日本デザインの動きを整理してもらいます。その後、パネルディスカッションを行います。

参加定員数:15人
参加費:1000円

講師:神吉弘邦
1998年、慶應義塾大学(SFC)環境情報学部卒。日経BP社「日経パソコン」編集記者、メタローグ「recoreco」創刊などを経て、2002年よりアクシス「AXIS」編集部。この7月より、現代社会を「デザインの切り口」で考えることをコンセプトに、フリーランスとして「AXIS」ほか複数のメディアで活動。テーマは、プロトタイプデザイン、インタラクションデザイン、都市デザイン、産業とデザインの連携、ユニバーサルデザイン、自動車文化の継承、文芸とデザインの融合など。Twitterは@h_kanki

2) 7月31日(土曜日) 1600-1900 六本木JIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)

「アジアを向いたローカリゼーション」

今、アジアの新興市場に多くの企業の目が向いています。特に、ボリュームゾーンの市場確保に関心が高まっています。そもそも「アジア」とはなにか?日本をはじめとした先進国は研究というフィールドでアジアをどう見てきたのか?などをアジア経済研究所ERIA支援室の吉田暢さんに話してもらいます。ローカリゼーションを考えるにあたっての基礎的素養の一例を学ぶという位置づけです。

その次に、住宅機器のローカリゼーションとはどのようなプロセスを経て判断・決定されるのか?を元TOTOのデザイナーである橋田規子さんにプレゼンしてもらいます。特にアジア向けと限らず、日常生活視点から市場を把握することの意味と重要性について語ってもらいます。

これらのプレゼンの後、7月24日の「明日の日本発を描く試み」の結果要約をお話しし、アジア市場向けのローカリゼーションは何を考えればよいかをディスカッションします。

参加定員数:20名
参加費:1500円(1900以降の懇親会参加費を含む)

講師:吉田暢
2001年、東京学芸大学国際理解教育課程欧米研究専攻卒後、JTBで法人営業。その後、ジェトロに転職。現在、アジア経済研究所ERIA支援室リサーチコーディネーションオフィサー。東アジア経済統合を推進するために日本政府が設立した国際機関である、東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)の立ち上げおよび経営支援、研究プロジェクトのコーディネーション、PR業務等に従事。Twitterは@44D44D

講師:橋田規子
1988年、東京芸術大学美術学部デザイン科卒業後、東陶機器株式会社(現在TOTO株式会社)入社。商品研究所生活研究課にて生活者トレンド研究、商品企画提案。1991年以降、同社デザインセンター第一デザイン課にて便器、水栓金具、洗面器などのデザイン、2000年より、デザインセンター第二デザインGにて洗面化粧台、浴室、浴槽、キッチンのデザインに携わる。2005年からデザインセンタープロジェクトデザインGのデザインディレクター。2008年、同社退社。芝浦工業大学システム工学部機械制御システム学科教授に就任。2009年より、同大学デザイン工学部デザイン工学科教授。
Date:10/7/17

従来の枠組みを大きく変える、あるいは脱却した発想が必要であることが散々言われるようになってどのくらい時間がたつののだろう・・・と考えると、これはどんな時でも喧伝されてきたのではないかと思います。常に世代間でもあった論争でしょう。しかし、「今までの考えでやっていけばいいんだよ」ということも並行していつも言われていて、どちらの表現もどの時代にも流通するのですが、冷戦の終焉と情報革命によるグローバル化は、何事も変革が求められるプレッシャーがより強くなり、特に「失われた20年」に入りはじめた日本では、旧来派が生きる隙間がどんどん減っていっています。ミラノの刃物のセレクトショップのロレンツィが語ったような台詞は、そうは思っても小さな声でささやかざるをえないムードがあります。

つまり、製品そのものの理解に時間がかかり、かついわば抽象性の高い製品であるということですが、それだけでなく、彼らの扱い商品点数はなんと1万5千点 にものぼるということもあるでしょう。セレクトショップとしては膨大な点数です。これを全てPC管理しているわけではなく、約半分しかデジタルデータ化し ていません。後は手書きです。それが「商品知識が身につく」コツだといいます。お客さんの要望を聞いて、ピンとくるには、商品と触れる絶対的な時間量が要 求されるのです。どの店員も一流ホテルのコンシェルジュのようなムードがあります。そして、お客さんもそれなりの年齢以上。「どうして、人生経験の乏しい 30代以下で良いモノを見極めることができるのか?」と言われたとき、ぼくもハッとしました。

実を言えば、全てに変革が必要なのではなく、ある分野やある事柄に変革が必要なのであり、例えば、男女の社会的役割に変化が要求されたとしても、男女の恋愛感情に変化が求められているわけではないのです。そして、変わらぬものをいかに見極めそれを維持していくかも重要です。バチカンの生命倫理に関する言説が時に人を苛立たせても、多くの支持も得るのは、社会的変化は常に過去との対話によって成立することを多くの人が認識しているからでしょう。もちろん、これはブロックされて機能不全に陥っている部分を肯定しているわけではなく、訂正や修正・変更あるいはジャンプすべきポイントは積極的に推進するようにしないと、惰性で悪化する方に流れるに決まっている水を逆流させることはできないでしょう。

とにかく、イノベーションを引き起こすことが今の日本に必要とされる分野や事柄が少なくないことは確かで、それを目的としたワークショップやセミナーが全国いたるところで開催され、出版物も「どうしたらイノベーターになれるか?」と突きつけてきます。ただ、多分に精神論に流されているところもあり、これは要注意です。個人の認知の変化によって状況が好転すべきことが、イノベーションを大きな声で語ることで全てが前進するような錯覚を無用に煽りたて目を曇らせてしまうことがあります。繰り返しますが、ぼくはイノベーションという言葉が嫌いとか好きとかではなく、とにかくその言葉が意味する内容を推進するには、それなりのメンタリティを伴っていないと火傷するだけだろうと言っているのです。

さてイノベーションという言葉の周辺を巡ったのは、先週に引き続き今週も東大にでかけi.schoolを見学してきたからです。知の構造化センターの実施する教育プログラムで、ワークショップなどを行いながらイノベーションを生み出すメカニズムを研究し、イノベーションサイエンスを作っていこうとの目的がエグゼクティブ・ディレクターの堀井秀之さんによって語られています。

私たち i.schoolが目指すのは、これまで世界に存在せず、誰も生み出しえなかった、新しい答えを創り出す人材の育成です。分野・領域の枠を越えて、横断的・統合的な視野を持つ。論理的な思考の先に、クリエイティビティを羽ばたかせ、いままでにない発想を産み出す。人間中心に考え、人間の幸福を見据えて行動する。イノベーション —-画期的な価値の創出につながる新しい変化 —-を創り出す人間こそ、 21世紀の行政・産業・学術をリードする人間になる。i.schoolはそう考えています。

今週、10回に渡る2010年度の第二回目ワークショップ「新聞の未来をつくる」のプレゼンがありました。5チームが寸劇や紙芝居形式で発表。パワーポイントの使用は禁止です。どの学生たちもプレゼンはそれなりのレベルで、会場からの質問にも当意即妙の回答が返ってきます。それはそれで感心するのですが、色々な人に新聞の問題点を生活者目線でインタビューしてどう感じてどう考えた、最初の部分のコアが最終アウトプットにどれだけ効いているのかがよく分からない・・・という不満は残りました。しかし、それもまとめ方が上手いがゆえに生を出し切れないということもあり、なかなか悩ましいです。

素直な生の声をいつも自分の耳に響かせるのは難しいものです。ぼくが今まで実際に色々な人と接してきて思うことは、イノベーションのようなジャンプができる人というのは、まずは一人で突っ走れる性格が非常に重要で、革新的なアイデアはその猛烈な走り込みのなかでランニングハイのようなタイミングで出てくるような気がします。もちろん、性格だけではありません。以前「イタリア人の遅刻の理由」で書いたジグザグ歩行も、言ってみれば、他人とのアポより自分の心に忠実であることを言っています。

アポの時刻があっても、道を歩きながら店のウィンドウに何か素敵なものをみつけたら、吸い寄せられていく。そして時間がないにも関わらず、店に入っ て商品知識を得ようとする。つまり、この一瞬が大事。そして道の向こうにも目をひくものがあれば、そっちにも行ってしまう。ジグザグ歩行です。だから、目的地への到着が遅れのです。

しかし、このジグザグ歩行にイタリア人のクリエイティビティが隠されています。アイデアは、こういう歩行途中、もしかしたら向こうの道に渡っている 時に、ひらめていたりするものです。そして情報が集積し、それらがお互いにつながり、統合されたイメージをもつその直前にハッと思うことがあります。

そして、心に余裕をもち、いつも心と頭に遊びの部分がもてないと、このジグザグができないのです。ちょっと飛躍した言い方になりますが、これこそが「生活の質」のリアルな側面です。隣に弱った老人がいれば手を貸し、小さな子供が転べばじっと立ち上がるのを見ててあげ、子供と老人の会話が成立する。こういうところから、生活者目線の状況把握力がついてくるはずで、いったいi.schoolの学生たちはそのあたり、どうなんだろう・・・というのがぼくが知りたいところで、今後もよく見ていきたい点です。経験の幅を自然と広げられない人間には、所詮、新しい時代を作るようなイノベーションなど無理なのです。ですから、このポイントにi.schoolが注目しているなら、これは将来に期待したいです。

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