ローカリゼーションマップ の記事

Date:11/2/28

人と話していても、ネットをみていても、「人はみな違うのに、それを地域や年代で文化的特徴を分けるのはリアルじゃないじゃない?」という発言や、「iPhone ユーザーのように世界であるタイプがあるんだから、こういう層を如何に掴まえるかが、問題なんじゃないか」という意見をよく聞く。当然だが、それはそれで大切であり、「世界の人の心は一緒なんだから」という世界観以上に傾聴に値する。しかし、それだけでは商品企画上では、不十分なことが多い。いや、これで言い尽くせない商品群で世界が成立していると考えざるを得ないケースの方が圧倒的に多い

こういうことだ。この種の発言には2つのタイプがあるように思う。一つは、極めて少ない異文化経験(あるいは複数文化圏に跨らない異文化経験ー例えば一カ国のみの外国)で見出した共通要素に依存しすぎた場合だ。もう一つは、ネット、最近ではスマートメディアの世界観を中心に据えている場合。この2つのパターンは、全く経験の種類と量が違っているが、結論として似ていることが多々ある。当たり前だが、後者はこれがトレンドの行方であるとの意識が強い。だが、ぼくがよく書いているように、そうした見方は検索エンジンやスマートメディアにおける地域文化差を見るように、グローバリゼーションの先にあるローカルの重要性を見逃していることが多い

例えば、イタリアにおけるアメリカナイズしたイタリア人でイタリア文化の変容は語りきれない部分が多すぎる。それは日本にいるアメリカナイズした日本人がメインストリームではないことを想像すれば分かる。アメリカナイズした日本人は、逆に日本への国粋的な態度をとることもあるがーいわばアメリカに虐げられた恨みとしてー、アメリカグローバリズムから世界の動向を見がちなために、どうしても見落とす点がでてくる。そして、その見落とされたポイントに背後にこそ、広大な固有文化の地平がある

見落としても大方すむ製品群もあるが、それは英語が表現されている世界が実は少数であることに象徴されるように(多くの国際語としての英語は非ネイティブの日常生活のロジックにまで落とし込まれていないだろう)、多数の製品群は英語非ネイティブの母国語観によって成立している。この製品群は、英語的ロジックを介して、地域を越えることが少ない。しかし、地域を越えて売りたいという意思を生産者はもつ。その時に彼は砂漠で似た砂を探し歩くのではなく、もう少し目立つ石との相性を考えるほうが効率が良いだろう。

3月3日に掲載される日経ビジネスオンライン連載「ローカリゼーションマップ」は、上記を示唆する内容を書いている。

Date:11/2/27

今週後半のメモ。

木曜日の午前中もローカリゼーションマップのプレゼン。異文化理解の仕方の提示として、かなり完成度が高いと評価された。西洋と日本の都市計画の説明について、日本の都市変貌とアジアの都市変貌の「動的」部分を追加すると、現在多くの企業がアジア諸国に関心の目は向いている状況において有効だろうとのアドバイスを受ける。なるほど。基本、プレゼンの内容は異文化理解の基礎なので対象の場所に拘らないのだがー例えば、包丁の使い方の違いを通じで道具とプロセスの関係を知るというのは、そういうことだー、やはり、アジアとビジネスをしている人たちが親近性をもつ事例は増やしていかないといけないだろう。

午後は六本木で七味オイルとオリーブの販促の話し合い。どのように、この商品が買われているかの実例をいろいろと説明。実際、どのような使い方や食べ方がされても全く構わないのだが、何らかの指標を販売側は提示しないといけない。消費者は動機の理由付けが欲しいのだ。それから池袋のデパートに出かけ、色々な商品売り場を見て歩く。なるべくストーリーを出しながら売りたいと意図がどこの売り場でも見て取れる。ただ、ストーリーがあれば売れるものでもない。「そんなにストーリー要らないよ!」という気にもなる。ぼくもストーリーを売る立場で考えながら、買う立場で不要なストーリーを考える。池袋から六本木に戻り、人と会う。言語で通じ合うことが人間にできる最高のことで最低限のことだ。非言語表現で、分かった気になるのは怖い。

金曜日の午前中は、あるリサーチについて話し合う。手探りの状態でやるリアルリサーチとWEBを使った母数の多いリサーチの間にある乖離がテーマ。午後はローカリゼーションマップのプレゼン。ここでも、アジアとの親近性を出していく必要を感じた。それから、ローカリゼーションマップ活動を別の場所で経過報告し、最後は東京理科大学の知財戦略セミナー。米国における日本アニメ市場の推移についてレクチャーを受ける。当然、ローカリゼーションの問題が絡んでくるが、ビジネスモデルへどうフィットさせていくかを含め、出遅れ感が強かったところが、苦戦の理由だろうか。ただ、絶頂期の数字がバブルだったという見方もあり、一概に「苦戦」「敗退」とは表現できない。

土曜日は、六本木のJIDAで勉強会。その前にちょっとAXISギャラリーで開催されていた武蔵美術大学の視覚デザインの卒展を覗いたのだが、これが予想以上に面白かった。このあたりの学生が言語とデザインのつなぎ目として将来活躍してくれるとよい。勉強会では、アジア新興国におけるスマートメディアがテーマ。インドネシアなどでフェイスブックの普及率は日本と比較にならないくらい高いが、こうしたメディアが充分にマーケティングに活用されてない状況を報告いただいた。どこの国でも同じだが、インタラクティブなツールは販促にはある程度まで活用できるが、商品企画のリサーチに使うのは極めて難しく、敷居を低くさせてどうコミュニティを作っていくかは各社懸命に検討中というところのようだ。

昨日の勉強会で発言下さった国際文化会館の松本洋さんのことは下記を参考ください。

http://milano.metrocs.jp/archives/2321

Date:11/2/23

引き続き、日本で走り続ける日々を日記風に。

月曜日はあるエンジニアとのミーティングからはじまった。彼は世界の技術動向の先端を見てきた人だ。その彼が、「日本は要素技術だけはまだ良いと言う人がいるが、それは間違えだ。次の時代の要素技術のネタを用意してこなったことが明らかになっている今、日本の技術も落ちぶれたというしかないだろう」と語った。「ただ、このまま落ちていってはいけないから、逆転のための挑戦をしないといけない。それには、本質的な必要とされる技術にもっと力を集中させることだ。この世界は10-20年で勝つことを考えないといけないが、そういうふうに考えない日本企業の人が多すぎる」と嘆いていた。

夕方から、麻布十番のドリームラボでセミナー開催。大勢の方に来ていただき、熱心に話しを聴いていただいた。ただ、仕方がないといえば仕方がないが、懇親会で一人一人の方と深くお話ができないのが悲しい。ちょっとお話して次の方と・・・・これは、やはり、もう一度時間をかけてお会いしないといけないと思う。とにかく、従来の文化理解とビジネスのギャップを埋める提案をしていることが、多くの方の賛同を呼んでいることは確かだ。それも、海外商品開発という側面だけでなく、違ったモノの見方ということで何らかの意義を汲んでくださる方たちが多いというのは、嬉しい

火曜日はローカリゼーションをビジネスとしている方とのミーティングから。月曜日の技術の話と同じだが、ローカリゼーションが何に効くのか?の明確な提示をすることが重要だと感じる。その次にリサーチをしている方と。やはり実践編の究極の答えをダイレクトに求める企業が多くなってきたと実感。しかし、これは本質志向というより、目の前のことに追われるという意味合いも強く、必ずしも肯定的とはいえない。最後は、大学の先生とミーティング。ここで思ったのは、ある経験をした人たちは必ずあることを思う。しかし、それも同じ局面をどちらかから見るかで全く様相が違ってくる。つまり同じローカリゼーションでも、日系企業で海外市場で苦労した人と、外資系で日本市場で苦労した人の経験は似ているようで相当に違う

今日は朝一でプレゼン。月曜日と同じく、ローカリゼーションはものの見方を養うという側面でもっと活用範囲が広いことは示唆される。実は、それは昨年の3月から考えていた。しかし、それでは漠然と受け止める人も多い。そこで海外市場ビジネスと目的を絞ってきた。が、見る人は見ている。こうい指摘は、じ~んとくる。それから昼食をとりがら知財の専門家と話す。ここでも防御ではない知財の戦略欠如が日本企業を「戦略外」に追いやっている現状を聞く。知財戦略は実は外交戦略そのものであり、そこにあるロビー活動の重要性を認識していない人も多い

夕方、あるメーカーで海外戦略を聞き、大いに関心。インターナショナルスタンダードとローカーリゼーションを見事に使い分けながら、上手くコンビを組ませている。見事。ただ、それも長い時間をかけて獲得してきた知恵とノウハウである。逆をいえば、そのくらいの時間をかけてやるつもりであればできるし、そうでなければ妥協的な道で利益率の低い道を歩むことになる。多分、これだけ書いても、ほとんどの人は、このメーカーがどことは分かるまい。実は、そこに鍵がある。