ローカリゼーションマップ の記事

Date:11/3/19

日経ビジネスオンライン連載「ローカリゼーションマップ」の3月最後の原稿をどう書くか、この2-3週間考えている。半年間の連載の区切りとなるような文章で、4月からの連載に新たな視点をもちこむような内容。これまでの記事はかなり早めに用意してきた。掲載の数週間前に原稿を用意することもあった。だが、区切りとなる原稿は、日本でのセミナーなどの反応を踏まえたうえで書こうと思ったので、あえてペンをとらなかった。しかも、ミラノに移動したところで、一度経験を反芻して記したほうがよいだろうと思ったのだ。しかし、先週金曜日の地震が、ぼくの移動を妨げた。そして、その後の展開が、いやおうなしに新たな視点を要求することになった。

この何年か、目覚めぬ日本に活を入れる情報が溢れてきた。「日本の壊滅はすぐそこだ!」と脅しともとれる言葉が飛び交ってきた。リーマンショックで崖っぷちに追いやられても、そこはかとない安心感が漂っていた。しかし、先週の金曜日で事態が変わった。確かに、その後でも政府やマスコミあるいは電力会社の対応を非難する声はある。が、「のんびり非難」している場合じゃなくて、それぞれが当事者として何らかの復興に向けた歩みをはじめないとどうしようもない、と思う人が急速に増えている。現実の壊滅を目の前にして脅す理由はなくなったのだ。

しかしながら、何を支えとして前に進めば良いか、それはまだ多くの人にはっきりとわかっていない。先週の金曜日以前、「日本はこう甦るべき」と言っていた見方自身が、実はある鄙びた古層のうえにのった論であった。だから、「希望」という言葉が踊るのだ。さて、ここで「希望」の次に言えることを考えてみよう。ヒントは英国を一つの事例としてみてみることだ。英国は中心的な役割で二度の大戦を経験したが、戦後も決して滅びた国ではない。生き延びた国だ。なぜだろう?それは、世界に張り巡らしたネットワークの利用に長けていたから だ。そして、情報の深読みが出来るからだ。いわゆるインテリジェンスの世界。今、これから日本が甦るにあたり、必要なヒントは、この二点にあるのではない か

世界には真似すべきものは多い。ぼくがよく引用する、「中国人のすし屋というビジネスモデル」もそうだ。寿司はもともと日本のものかもしれないが、世界で気楽に食べられる、日本人のイメージする典型から外れた寿司を提供する寿司屋というアイデアは、中国人を筆頭とした非日本人が作ったものだ。そんなのアイデアか?という勿れ。アイデアとは、そういうものなのだ。

今必要なのは、世界に利用できるモデルを探し回り、そこに日 本にあるリソースをどう繋げられるかという発想だ。アップルもそうだと分かりながら、割り切れてない人が多いのだ。この絶望的な風景の中で、ゼロから何かを生み出すことに拘らない。重要なのは、「情報を繋げる」ことと「評価の土俵」を作ることだ。そして、その評価の土俵を日本のものであると表に出さないことだ。いかにユニバーサルな考え方で多くの国の人たちの協力で自然発生的に合意がとれたものかを重視する。

そのためには、今までの日本が特殊であったという認識をまず捨てるべきである。「我々は新しいアイデアを生み出すのは苦手だけど、あるアイデアに磨きをかけるのは得意だ」という言い方に代表される考え方を否定することだ。「我々はあまりに磨きが得意だから、それが目だったのだ」と言えばいい。フランスも東からきた文化の真似と洗練を得意としてきたのだ。(→「ヴェルサイユ宮殿に村上隆が連れてこられた」) どこが違うのか?フランスは、それで洗練の術を世界で評価されるように仕向けるのが上手かった。フランスのソムリエは、フランスワインの営業マンなのだ。

当たり前であると思っていた理念の解釈が、単なる思い込みであり、実は世界では違ったことを表現していたということを、一つ一つ問いただしてみるといい。そして、どういう結び方をすれば一つの線となるかを試してみるといい。それも民主主義なんていう大きなテーマから、台所で使う包丁という日常の道具の理念まで皆、それこそ俎板にのっけてみればいい。違いを認め、その違いを新しいフォルムにどう繋げるか?そして、水面下で「評価の土俵」を着々として準備する。

この周辺のことを、今後、もっと考えていくことにする。

Date:11/3/13

この2週間、日記風のブログも書けなかった。明日、日本を離れるので整理をしておこう。

3月3日の二回目のセミナーも大盛況だった。参加された方たちから、びんびんと反応がくる。何となくではなく、あるご自分の経験がもとになって、ローカリゼーションをどうすべきか?を悩んでいる。いや、ローカリゼーションだけではない。どういうアングルから立ち向かえば、壁の向こうの世界が見えてくるのかへの欲求がものすごくある。言い換えれば、ローカリゼーションというめがねを通せば、何か別の世界が見えてくるのではないかという期待もある。そこには、ツール的なものの見方の限界への自覚がある。ローカリゼーションはツールではなく、「視点の持ち方」ということが理解されたのか、そういう方向を目指しているという匂いを感じてくださったのか、それは分からない。しかし、多くの方の話を伺っていて、深いレイヤーでものごとを考えなくてはどうしようもないとの認識がいや増していることを実感する。

当たり前のことが、当たり前に認識されるようになってきた。そういうことだろう。当たり前ではないことで、世の中はそう長続きしない。まともな部分がそれなりの割合であって、まともでない部分を支えることができる。その反対ではない。それにしても、強く思うのは、日本企業はヨーロッパ市場をまともに見てこなかったつけが、アジア市場の進出で足かせになっている。日本市場をベースに商品設計し、それを北米向けにモディファイし、更に言語展開をプラスして欧州市場の「処理」をしてきた。「開拓」ではなく「処理」だった。したがって、多数文化市場への取り組みを考えること自身に不慣れで、ノウハウとして整備されておらず、これが多文化を抱えるアジア市場を前に唖然とする要因となっている

異なる文化のつなぎ目が分からない。または繋ぎ方が分からない。仮に欧州市場をまともに「開拓」していれば、アジアでも南米でもノウハウの展開を素早くできていただろうに・・・と思うことしきりである。まあ、時代は進んでいる。悔やんでばかりいても仕方がない。これから、やればいい。その時、欧州とアジアを平行してみるのが良いのではないか。東アジア共同体構想などに取り組んできた政治学の人たちの間では、EUから何を汲み取るかが以前からテーマになっていた。これが実際のビジネス活動においても、考え方として応用できると思う。

誰も確実なことはわかってない。だから、より説得性のある「全体図」が示せるかどうかが勝負だ。そして、それが早く出せること。状況は常に変化する。動的だ。よって、その「全体図」はときに応じて修正していかないといけないが、早いタイミングでのフィードバックこそが、「全体図」の精力剤でもある。これがものごとを前に進める。周回遅れの批評家は役に立たない。

こんなことを、この2週間、感じ続けた。さて、明日、無事に成田空港に着けるだろうか。その先、飛行機はちゃんと飛ぶのか。まあ、なるようにしかならない。

尚、フェイスブックに「#lmap ローカリゼーション・マップ」というページを作りました。ここにイベントの案内も掲載していきます。それでは、また、お会いしましょう!次はミラノ・サローネかな?

Date:11/3/1

友人が紹介してくれた「米国のファンが日本アニメを「海賊」する理由」という記事、なかなか面白い。海賊版を買う理由がここに記してある。フォーカスグループインタビューからあぶりだされた一面。特に、字幕に関する部分が目を引く。

より重要なのは字幕の問題だ。ファンが付ける字幕(ファンサブ)は、公式の英語字幕作品よりずっと早く登場するのだとオタク2は語った。ファンサブの制作 者たちは通常、1週間以内にコンテンツを出してくる。「放送の翌日に出てくることだってあるのに、公式作品は数カ月も待たなければいけない」という。

これは時間の問題だ。なるほどと思うのは、次だ。

より大きな問題は翻訳の質だという。「1番大きな理由は、プロの字幕よりもファンサブのほうがずっと好きだからだ。ファンサブのグループのほうが、文化的な特徴を残す傾向がある。プロの字幕は、何でもかんでも米国風にしてしまうんだ」とオタク2は説明した。

オタク1はこれに同意し、「ファンサブの制作者は文化的背景のバランスをとるのがうまい」と語った。「それに、視聴者にとってはっきりしないことがあるときは、ファンサブの制作者は説明を0.5秒ほど表示させ、後で一時停止して読めるようにしてくれる」

オタク3も賛成した。「ファンサブは、映像の中できちんと文化面の説明をする。対して公式の吹き替えや字幕は、そんなものは存在しないというふりをする。 ファンサブのなかには、ストーリーの最初や最後に、画面いっぱいのテキストを使って、その回の文化的なコンテキストを説明しようとするものまである

これは、ローカリゼーションの逆ヴァージョン。あえて不便な外車(日本の道路を左ハンドルで走る)に価値を見出す市場性と似通った話だ。しかし、だから不便なままで良いというのではなく、「どうして不便な思いをするのか」という理由を示すことで、更に価値が増す。ここにポイントがある。もちろん、これは一部のファンの意見であり、マスはそうではない。だから、以下のような説明が加わるわけだ。

米国風にされた公式版の翻訳は、日本の文化や歴史に詳しくない米国人たちにとっては、作品をより近づきやすいものにするかもしれないが、ハードコアなファン・コミュニティを形成している日本愛好者たちからは非常に嫌われているようだ。

こういった現象はアニメの字幕だけでなく、コアグループとはピュアなオリジナルを求め、フォローする「苦労」をベースにできることを示している。しかも、苦労の理由が明確である、というのも重要だ。

話は違うが、フェイスブックにローカリゼーションマップのページを作った。今後、フェイスブックからも情報発信をしていく予定。