ローカリゼーションマップ の記事

Date:12/4/15

日本の原風景とは向こうに山の連なりが見え、その手前に防風林に囲まれた集落があり周囲には広大な水田が広がっている。こうした景色が近代工業社会の到来で破壊され、日本人は本来あったエコ的ライフスタイルを失った・・・という文章をありとあらゆるところで見ます。はたして、これは本当なのでしょうか。「日本の農村の原風景」と言われる風景が実は必ずしも典型ではなく、ごく一部にある風景であったことは、「農民」の定義には漁業など他産業の従事者が含まれていた事実とともに網野善彦が指摘しています。

日本人は繊細な感性をもち丁寧に簡潔に表現することを得意とするが、それは日本人の美意識に基づいている・・・という意見もよく聞きます。そして桂離宮が事例にあがります。が、はたして、これが日本文化の典型的姿なのでしょうか。外から比較的そうみられやすいのは確かですし、ぼく自身も、日本の人の静かな表現が必ずしも意図的に出ていないことを認識しています。ただ農村の風景と同じように、そこに日本の文化の要があると言明するのには首を傾げます。

村上隆が伊藤若冲をもとに自分の系譜図を描いていますが、若冲は「典型的日本文化イメージ」からは外れるでしょう。しかし、村上隆が作った系譜図が正しくないという批判は成立しないのです。それは、人ぞれぞれの解釈が歴史にはあると気休めに言われるフレーズ以上の重みをもちます。たとえば、日本の工業製品を作る人たちが狭路にあまりに入り過ぎるのは、自己文化の狭い固定的な定義に身動きがとれなくなっている側面が強いからと言えます。「典型とされる文化」の定義の功罪の罪の部分です。

功罪の功の部分を見ないわけでもないし、その部分がブランドを作る上で貢献することも百も承知のうえで、「安定した文化定義への安住」のマイナス面が殊のほか大きいことを知っていないといけないと思います。よく例に引き出すように、和食の正統性の主張が世界で70%の日本食レストラン市場をとれない一つの要因になっていることは確かでしょう。自分の文化で固有と思っているものは、実は「たいした固有」ではないことが多く、そのエッセンスを見間違うことは稀ではないのです。また同時に、日本の外の人ーアインシュタインやブルーノ・タウトーに褒めてもらった点を後生大事に抱えるのも、ほどほどに留めておくのが良いと思います。

読みやすく美しい情報ツールを手に国立公園に向かうとき、人々は、その体験を通して多くの人々の意識と連携することができる。おそらく国立公園というものは、自然そのものではなく、むしろその自然とどう向き合いどう慈しむかという、人の意識の中に構築された無形の意識の連鎖なのではないか。そういう意味で、国立公園は高度なデザインの集積ともいえる。

デザインは、商品の魅力をあおり立てる競いの文脈で語られることが多いが、本来は社会の中で共有される倫理的な側面を色濃く持っている。抑制、尊厳、そして誇りといったような価値観こそデザインの本質に近い。

デザインの肝を述べています。上述はアメリカの国立公園の事例から続いた文章ですが、富士箱根伊豆国立公園ー特に富士山ーを思い起こすと、「日本人の心性のデザイン」が国内外で上手くーあるいは意図的にー伝わっていることに気づくでしょう。それがゆえに、富士山を美しいと愛でながら、そこに日本文化の神髄をみて世界に固有のカタチとして表現されていると思いこまされてはいけない。噴火活動という自然現象によって生まれた形状が日本人の心性に影響を与えたことがあっても、日本人の心性を富士山が表現してくれているわけではありません。日本とは違う文化の人たちの土地にも、富士山と似た形状の火山があるという当たり前の事実に向きあうことが必要です。

ローカリゼーションマップで指し示すモノのローカリティとは、「本来は社会の中で共有される倫理的な側面を色濃く持っている。抑制、尊厳、そして誇りといったような価値観こそデザインの本質に近い」と照合します。富士山のカタチではなく、富士山の解釈にローカライズの「本性」があるのです。

 

Date:12/4/14

「日本では地方から都会の大学を行くとそのまま残って就職するのがかなり一般的だと思うが、イタリアでは大学を出て地元に戻る人も少なくないと聞いてローカルの意味を悟った」というような発言を聞いて、ローカルの価値の違いについて、いい線をついているかもしれないなぁと思いました。ミラノ工科大学でのイタリアの学生と東大i.school の学生のワークショップの一場面です。

i.school の学生はメインが工学系、ミラノ工科大学はデザイン系。一部の学生を除き、今日が初めての顔合わせです。最初にi.school ディレクターの田村大さんがi.school が目指すイノベーションのあり方や、気仙沼を起点としてローカルとローカルが新しい価値を創造する狙いーMARU PROJECT- を説明。その後、学生がフィールドワークで見つけた「気仙沼の宝」ーライフスタイルや海を挟んでの外国との直接交流のしるしーをプレゼンします。次に2月に気仙沼に滞在した感想をイタリア人学生が述べ、アレッサンドロ・ビアモンティ教授が気仙沼で得たインスピレーションから繋がるヨーロッパのコンテクストを表す映像ーたとえば、エットーレ・ソットサスがみる「現代の遺跡」-を見せ、かつ学生のコンセプトプレゼンの動画を紹介しながらコンセプトに至るアプローチを説明します。

昼食をはさみ学生たちは数人のグループに分かれ、前半に説明した「気仙沼の宝」の数々のカードー表が画像で裏に説明ーを前にし、日本から持ってきた菓子を食べながら「イタリアの宝」を想起するための対話が始まります。あるモノやコトを自分の文脈にのせるとどういう説明が成立するか?というのが入口で、そこでお互いが解釈の相違に気づき、違いのバックグランドを追っていくと何らかのインスピレーションを得るというプロセスが想定されています。ぼくが各テーブルのブレーンストーミングを覗きながら思ったのは、コスモポリタン的文化ーアップル文化に象徴されるーを媒介にしないでローカルとローカルをぶつけると、かなり「身体的」「生理的」が乖離が見えてくるということです。これはどういうことかと言えば、「心や身に沁みついた」痕跡の整理のしかたはまだまだ開拓すべき余地がたくさんある、と。エドワード・T・ホールが何十年前にも提示した時間や物理的距離の文化差以上に明らかになっていることは意外に少ないのではないかと思ったのです。

ワークショップが始まる前にルカ・グエリーニ教授と雑談していて一つ考えるべきことがありました。「先月のPh.Dデザインコースで案外学生が質問しないのに驚いたんですが・・・イタリア人は街中であんなにいろいろな人と気楽に話しているのに。あれは英語で質問するという言語の問題があるんですか?」と切り出すと、「いや、言葉が原因ではない。対話を引き出すのには苦労するよ。特に教師がいる場合や数人ではなく何十人かの聴衆がいる場合、質問はぐっと減ってくる」と意外な答えが返ってきました。「でも小学校の授業なんか見ているとすごく活発じゃないですか。中学校、高校、大学ときてだんだんと閉じていくというわけですか?」とさらに突っ込むと、「そう。残念ながらそうなんだ。表面的には結構オープンな会話が交わされているようにみえて、世代間ギャップもぼくが学生だった30年前と比較しても広がっていると思う。若者と老人の会話も減少している」と指摘。「そのギャップに情報革命が相当の役割を担っている?」と別の方向に話しを向けると、「すべてが情報革命に要因があるとは考えないが、それは大きな要素だと思う」と。

今、ローカルとローカルが大都市を介在させずに直接対話する意義は、前々からぼくが想像していた以上に大きいのではないかと感じました。イタリアでのi.school の学生の活動は来週も続くので、追って考えたことをメモしていきます。

関連エントリー

コーエン『創造的破壊 グローバル文化経済学とコンテンツ産業』を読む
http://milano.metrocs.jp/archives/4977

「共通言語」はほうぼうで所望されている

http://milano.metrocs.jp/archives/5007

Date:12/4/9

1990年夏、友人とミュンヘンを起点にオーストリー、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、西ドイツ、フランスを3000キロほどクルマで走りまわりました。前年からの東欧革命のリアリティをそのまま感じたいという思いからです。新しい何かが生まれているはずだと賭けて走り回りました。そこかしこに「古い東欧」と「新しい息吹」を感じ興奮しまくったものです。森に続く道はことごとく戦車のマークとともに「進入禁止」の札がある傍を走りながら、それがどのくらいに効力が減少したのかを確認しあったのです。時代のうねりはこうやってくるものだと実感した大人になって初めての経験でしたーたぶん、子供のころは、東京オリンピックであり大阪万博だったのではないか。

3000キロの旅の最後、パリ北駅の周辺をふらつきながらヨーロッパのモラルの崩壊を目にします。あらゆるところに紙切れが舞い、街が汚すぎる。その時、友人がポツリと呟きました。「この階級社会のヨーロッパを見ていると、若者に希望ってあるのだろうか?日本のほうが階層移動が自由な分、よっぽど明日が語れるはずだ」と。その後、ぼくの耳には折に触れて、このセリフが蘇ってきました。「日本のほうがマシなんだ」 1990年はぼくがイタリアで生活をスタートさせた年です。日本でバブル崩壊がはじまったのも、このタイミングです。それでも、日本の若者の方がヨーロッパの若者より「希望に燃えるという肩書」が似合っていました。とすると、ヨーロッパで燃えたのは東ヨーロッパの若者だけだったのでしょうか。

その友人と東京で10年近くのちに会った時のこと。「明日が今日より良いと思うことは幻想ではないか。そういう希望をもつことは決してプラスにならないのではないか。これから日本は中世の時代と同じ境遇になると考えるのが妥当だと思う。昨日も、今日も、明日も同じ。大きな希望がないが大きな失望もない、そういう社会だ」と語りました。但し、注釈を加えるなら、彼は必ずしも「希望の存在」を否定したのではなく、希望という言葉を使わずに心の平穏を保つあり方を探るのが賢明であると主張していたのだと思います。

それからさらに5年。2005年、東大社会科学研究所が希望学という名の研究をはじめたと知ったとき、その意味がよく分かりませんでした。「希望」という概念にこだわる理由がピンとこなかったのです。「何をヤワなこと言ってるんだ」と。今にして思うに、ぼくの感度が鈍かったのです。したがって、その後この希望学をフォローしていなかったのですが、2010年、経済学者の青木昌彦さんが主宰する研究会でコーネル大学で文化人類学を研究されている宮崎広和さんの「金融という文化ー金融危機と金融社会論」を聴きました。金融に関わる人たちの思考回路にメスを入れています。しかも宮崎さんは希望学の研究メンバーです。ローカリゼーションマップに対して何らかのヒントがありそうだと思いました。が、この段階でもまだダイレクト感には不足していました。ほんとう、なんと鈍感なんでしょう!

宮崎さんとその次の研究会の際に少々雑談をし、メールで何度か交信をし、ローカリゼーションマップで考えていることが宮崎さんの活動領域でもダブっていることが分かりました。一方、イノベーション教育を行っている東大のi.school のディレクターである田村大さんと話していて、技術ではなく意味の変革を目指す際に「希望」「夢」「未来」という言葉がキーになっているとの示唆を受けました。ちょうどローカリゼーションマップがイノベーション理論と近いところにあるとぼく自身が気づきはじめていたので、i.schoolの活動にも関心がいくようになりました。

「継続」を求める幸福に対し、希望は「変化」と密接な関係があります。

この点にイノベーションとのつながりが見えてきます。ぼくは、それまで「変化」そのもののにあまり価値をおいてなかったのです。ぼくは一見「変化」のある人生を送ってきたようにみえて、実は自ら意識的に、それも頻発するがごとく「変化」を持ち込む積極性に不足していたのだと思います。それが「希望」という概念とすごく縁遠いわけでもないですが、隣人とは思っていなかった理由だと、本書を読んで考えました。

冒頭の旅から22年後の現在のヨーロッパで出会う若い人たちは、全体の割合では分かりませんが、十分に「変化」を求めているように思えます。ただし、「希望」のニュアンスは違うと感じます。

日本にくわしい海外の研究者の会議では、日本語の「希望」は「ホープ(hope)」とは違うのではないかと、いわれたことがあります。むしろ「アンビション(ambition)」もしくは「アスピレーション(aspiration)」のほうが近いのではないか、といった意見をいただいたりしました。通常、アンビションは「野心」、アスピレーションは「熱望」と訳されたりします。

ここにイノベーションに対する認識も異なってでてくる要因があるのかもしれません。