ローカリゼーションマップ の記事

Date:12/10/14

東京を中心に30代半ばの人たちが定期的に集まってワイワイおしゃべりする会があります。日本を何とかしたい、世界を変えていきたい・・・と思う人達が多いのですが、この会でサイトを作ることになりました。ぼくもスピーカーとして参加したことがあるので、コメントを掲載したいと依頼されました。お題は二つで、ぼくが会で話したことの趣旨と、会のメンバーへの一言です。数日前、その原稿を書いたので、ここにも掲載しておきます。それぞれ400字以内です。

ひとつめは、ローカリゼーションマップの狙いです。タイトルは「異文化への苦手意識をどう解消する?」です。

アカデミックに異文化を100%理解しようとしない。ビジネスを前進するには、この心構えが必要。世界を分かるためには、人と会いまくるか、モノをみていくか。これら2つのアプローチがあります。

もちろん人と話すのは大事。が、「人はみんな同じ」か「人は全部違う」という結論ではビジネスに使えません。そこで市場でローカライズされたモノをみて、地域で鍵となるロジックを探るのが有効になります。これがローカリゼーションマップ。ターゲット市場の消費者の頭の働きを理解するのが目的です。

今年から、企業の中でレクチャーやワークショップをスタートさせました。具体的なビジネスプランや商品企画を作るサポートをしていきます。

又、この活動は日本国内だけでなく国外でも行います。第一弾として、9月にバンコクのデザイン振興機関でタイ人のビジネスマネージャーやデザイナーを相手に行いましたが、海外進出を図る参加者から好評でした。

ローカリゼーションマップを端的に説明することを何百回とやってきましたが、たぶん、今時点では、このような表現が一番いいかなと思っています。みるべきモノは最低3つのフィールドにまたがっていることが条件で、「地域で鍵となるロジック」も一つではありません。

一方、二つ目の30代半ばの人たちへの言葉のタイトルは「如何に頭の中を計画的に『更新』するか?」

一番恐れなければいけないのは、頭の中が閉じていることです。どうしても開放させないといけない。そのためにすることは2つです。意図的に場所と時を移動すること。

生活圏500mの範囲でこれができる人もいますが、愚かなぼくには叶えない課題です。どうしても物理的な距離を移動しないとダメなんですね。それでミラノに住んでいる。やはり刺激が沢山あります。外国人ゆえの特権です。

時の移動は、例えば歴史の本をたまに読むことです。そうすると当たり前と思っている考え方が、すごく古い時代に起源があったり、ほんの数十年前に生まれたものだったりすることに気づきます。

大切なのは、そうやって常に頭の中の「更新」を計画的にやることです。ぼくの夢は、新しいコンセプトを作ることです。そのために拠点としてヨーロッパを選択しました。ヨーロッパは「更新の仕方」が他の地域より成熟しているからです。

気楽に遊びに来てください。

場所の移動には言語空間での移動も含みます。物理的に動けなければ、少なくても普段使っている言語ではない言語を意識的に使うことです。

このブログのエントリーを「まだ見ぬ地平線を目指す君たちへ」とややエラソーに書きましたが、この会には既に驚くような活躍をしている人達も多く、ぼくがアドバイスをもらいたいくらいです。ただ、20年近く彼らより多く生きている人間の経験から言わせてもらうと、35歳はあらゆる意味で転換期です。幸運と勢いで撃ち落としてきた鳥も、これ以降、知恵がつき始めます。鳥を飼いならすなり、違った方法で生きていかなくてはいけないでしょう。40代後半以降の「深み」を獲得するためのプロセスとして、「再起動」が35歳と考えてよいと思います。

「再起動」をいつクリックするか。その判断だけは早くしておいた方が良いと思います。

 

 

Date:12/10/2

「タイの人は和食は好きだし、日本の文化が好き」と満足げに語る日本の人が多いな。なんでそんな確信もてるんだよ。市場はタイにあり!という勢いで話すしさあ。まあ、それはそうかもしれないけど、悪いけどどうもぼくには全面的に信じきれないところがあって、先月5日間バンコクに滞在している間、このテーマについて考えてみたよ。短い間の限定された経験から感じたことをメモしておく。詳しい人は、どんどん内容の誤りを指摘してね。お願い。

街中のどこでも日本料理店は大きな日本語の看板と共にあり、そこにタイ人の客が多くいることは確かだし、スーパーの食品の棚にも日本の食品が並んでいる。でも、「タイ人は日本食好き。だから日本の文化は好まれている。したがって日本のビジネスに追い風」という論法を応援する人には申し訳ないんだけど、それはあまりその成立を信じきないのがいいんじゃないかな。

高級ショッピング街にある、イタリア料理専門店ではない、いわゆる洋食系でパスタを2回食べて、その麺の質がタイ料理の麺の質に近いことから、洋食のローカライズに気づいたんだよね。同様に、日本人客の少ない日本食屋はやはりタイ風の味で、日本人客の多いラーメン屋は日本の味。ああ、やっぱりね。だいたい、タイ人がタイ人を接待で使うのは中華料理というじゃない。日本食じゃないんだよ。要はすみ分けなんじゃない。

タイの人と話せば日本のことを聞かれるのは当然でしょう。ぼくが日本人なんだから。相手は日本に興味があるとも言うよね。でもそれ以上に、ぼくの住んでいるヨーロッパへの質問が多いんだよ。大規模な書店の棚をみると、どんな分野であれ、英語と中国語の書籍が多くタイ語のそれは少ない。こういう本をエリートが読んでいるなかで、日本文化への関心が突出することはあまり考えにくいなあと想像するのが普通でしょう。バンコクで日本食が普及して定着したのは、世界中にあるチャイナタウンをコアにした中華料理のケースと近いんじゃない?5万人も日本人がいれば、それで何でもいちおう成立しちゃうよね。世界にある中国人の「なんちゃって寿司」が大衆化を図ったのと路線が違うんだよ。

とにかく、日本人がこれだけの母数があって食のバリエーションがあれば、それだけ社会的インパクトが与えられる。イタリア人やフランス人はここまで多くないんだよ。だから小規模に商売するし、大量に食材を仕入れられるわけでもないから、やはり高コスト体質がついてまわる。そういう店はローカライズ度が低い店で母国人がわりといて、タイ人もいるけど、大多数とはいかないんだな。だからタイ人も興味しんしんなのに気楽に足を運びにくいんだよ、よくあるじゃない。三色旗を店の前に出しているところ。あれに行きたいんだけど、金はかかるし、敷居が高いんだ。昔、日本でイタリアントマトみたいのがイタリア料理を普及させた功績ってあると思うんだよ。そう、そう、イタリアントマトはタイにもあるんだよね、余計だけど。

また余計かもしれないけど、この手の外の店のワインリストはね、スカスカなんだよ。チリ、オーストラリア、南アのなかにフランスとイタリアも鎮座してんだけど、なんかやる気が伝わってこない感じなんだよ。まあ、スーパーに並んでいるワインも種類が少ないねえ。それ反してオリーブオイルは賑やかなほど鎮座しているんだ。

人数って大きな要素なんだよ、ある食が広まるにね。そしてその食が定着すると、それは文化を意識しないものになる。日本の家庭でカレーをインドと結びつけて食べる人なんていないでしょう。そういうもんなんだよ。ローカライズされた食はオリジナルのコンテクストと絶縁しちゃうわけだ。たまにふっと思い出されるぐらいにね。まあ、そういうことを沢山、思ったね。

タイの後、1週間日本にいて、日曜日にミラノに戻ってきた。さあ、明日からイタリアデザイン三昧の生活だ!

Date:12/9/14

夏が後ろ髪を引っ張られるように連れ去られ、秋が侵入してきました。

6月に小学校を終えた息子の中学校もやっとはじまり、長い3か月の夏休みが終わりましたが、「ああ、やっぱりイタリアの文脈がよく分かっていないなあ」と痛感する経験が学校初日からありました。どうせ入学式なんかがあるわけじゃないんだからと思って、初日に学校に子供について行かなかったら「親が来ていなかったのはウチだけだったみたい」と息子が帰宅して不満そうに語ります。儀式的な集まりではなかったのですが、体育館に新入生と親を前に運営上の説明があったようです。こういうのがあるだろうと思っていると期待を裏切られ、そんなことに力を入れないだろうと思っていると案外の案外があるんですね。要するに勘が十分に効かない。そのたびにイタリア生活初心者に戻るわけです。

イタリアで生活をはじめたころ、親分から「言葉は経験の幅によるね」と言われたことを、こういう時に思い起こします。あることの経験をしないと、そのことに関連する言葉は存在さえ考え及ばない。義務教育からその土地で生きていない不利な点です。言葉も勘も。葬式のことなんかあんまり詳しくもなりなくないけど、それなりに回数を出ていると服の勘も分かってきます。こういう人のこの季節の葬儀なら、ジーパンにポロシャツでもいい、とか。昨日参列した教会での葬儀では喪主がネクタイなしの黒いシャツで、スーツにネクタイはお棺を運ぶ葬儀屋の屈強な男たちだけでした。こういう経験のない最初のころは、ダークグレーのスーツにネクタイで出かけ、「あれっ???」と居心地の悪い思いをしたものでした。真っ黒じゃなくてもいいだろうと思ったら、もっと崩れていたわけです。

長いイタリア生活で「変わったなあ」と思うことのひとつに服があります。20年数年前、日曜日の昼間はジャケットにネクタイで散策する人が目立ち、ジャージを日常着て歩く人は、イタリア人ではなくアフリカの人でした。だいたい「おしゃべり好きのイタリア人は黙々とジョギングなどしない」と言われ、確かに友人と駄弁りながらジョギングする人が多かったです。スポーツをする人はスポーツをしても、それが日常風景のなかにあまり入ってこなかったのです。あえていえば、自転車は日常のスポーツ文化として一般の人の目に見える存在でした。それがアメリカ発のスポーツファッションが定着し、アップル製品を手にしながらジョギングするに至ったのです。そう、まさしく「至った」という感覚です。西海外から地球を半周して到達した、と。

一時期、トレンドリサーチで、スポーツ雑誌を片っ端から買い集めていたことがあります。「ウォーキング」「ヨガ」あたりをみると、「西海岸文化臭さ」がぷーんと匂うのに、「ヨット」「サッカー」「テニス」ではヨーロッパの香りがしてきたものです。「トレッキング」はそれぞれの文化のなかで成立していて、これはこれら2つの流れとは違うなあとも思いました。そういうリサーチのなかで、禅に興味のある人が地中海でヨットを浮かべるに熱中することは少ないし、ヨットやスポーツカーに金をかける人たちにおける「東洋趣味」は極めて限定的であるということが肌で感じられるようになりました。ぼくがレクサスはヨーロッパで間違ったアプローチをしていると繰り返し話してきたのも、このスポーツをキーにしたときのタイプの違いは、そう簡単には変わらないと思ったからです。日本におけるスポーツの選択とは若干違っていると見えました。

こんなことをボソボソと独り語ちながら、夏の始末を終えつつ、秋の怒涛の日々へと移っています。来週は久しぶりにタイに滞在します。最初が30年前、2回目が23年前。そして、今度が3回目。タイのデザイン推進機関であるタイクリエイティブ・デザインセンターでレクチャーとワークショップを行います。タイのビジネスマンとデザイナーに異文化市場の見方を話してきます。同時に、今後、アジアの地域でローカリゼーションマップがどう貢献できるかをいろいろと確かめてこようと思っています。そして再来週は日本です。何か所かクローズドなところでレクチャーやワークショップを行い、滞在最終日に勉強会。ワークショップそのものをテーマにとりあげ、ワークショップをこねくり回してみます 笑。

そういえば全然関係ないのですが、最近、日本のテレビドラマで非常によく登場する舞台が漁村です。これ、何を象徴しているんでしょうか?

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