イノベーティブ思考 の記事

Date:12/6/10

日本滞在記です。今週も企業でローカリゼーションマップのレクチャーをしたり、今後のプロジェクトの種まきに大阪に出かけたりと走り回る日々でしたが、印象的なことをいくつか書いておきます。

今の時代は何に象徴されるか?特に日本で特徴的なのは何か?を考えるとき、「明示的に決して説明できないことに対して、明示的な回答を求める焦り」です。ある状況に70%の説明が可能だとしても30%はほぼ無理であるにも関わらず、その30%が無理であることを理解できないために、70%の延長線上のロジックで説明できないことに精神的焦燥感があると思います。そういう説明不可能の部分が何もない、ということは非現実的であるとふつうの大人は知っているはずなのに、そのラインを踏み越えたいという欲求に勝てない人が少なくない。

このような人たちが日本にはことさら多いなと思います。これは暗黙的コミュニケーションを前提としたハイコンテクスト文化からの脱却願望でもあるでしょう。それが明示的であろうとし続けてきた西洋文化圏で暗黙的であることを受け入れることに、そこまでプレッシャーがかからない理由です。しかも、その30%を巡ってリーズナブルではない時間とコストがかかっています。70%を確実におさえたほうが圧倒的に勝率があがるのですが、70%に霧がかかっているままにしておいて30%の雲上にのぼろうとしていると思います。人の心のやっかいなところです。

水曜日、東京ビックサイトのライフスタイル展に出かけました。このブログを運営しているメトロクスも出展しており、ぼくの関わっている製品のマーケットの反応を知っておくために見学に行ったのですが、こうした分野で動く人たちのタイプが変わってきたなあと実感しました。より中性的な部分にスポットができている。これまでメインだった女性の一部が男性的な部分に惹かれ、マイナーだった男性の一部が女性的な重力に引っぱられていることです。あまりに当然の理のごとく・・・。

さて、鳴海製陶のOSOROは、食器のシステム概念をしっかり作っていて感銘しました。デザインは田子学さんです。日本では、このようにシステム概念をきわめてはっきりとした輪郭で描ききったデザインは少なく、そこに大きなインパクトがあります。あえて、ぼくのなかでの自問ー今、考えているところーしている内容を問題提起として書いておきましょう。このシステムを採用するのは、ユーザーにとってライフスタイルの選択でありますーそれは一枚の皿を買うとは違うところに、このシリーズの意味があると考えるユーザーという限定ですがー。ここでターゲットにしているのは、必ずしも「理想の食生活」ではなく、どちらかというとレトルトも含めた「妥協的食生活」です。

欧州でいえばレトルトを多用する「妥協的食生活」とは英国に代表され、南ヨーロッパでも普及が急速に進んだと思いますが、大きな差があります。そこには 「妥協」のレベルにずいぶんと差があります。幸か不幸か、日本は妥協であることが妥協であるとはまったく意識されず、「妥協のほうがおいしいじゃない」と の表現が説得性をもっているとも言えます。このOSOROは日本国内だけでない市場を念頭に置いているのだろうとの前提でいうならば、「妥協的ポリシー」 にどれほどに積極的な意義をおいたうえで踏み込んでいるのか?を考えました。コンビニであれ何であれ、便利さが世に広まることをぼくは歓迎しますが、「妥 協の文化差」を意識すべきではあろうと思います。

 

金曜日はローカリゼーションマップのワークショップをやったのですが、ある考えや気づきを自由に表現してもらうこと、それらまったく同じ内容を限定的な選択肢のなかから選んでもらうこと、この二つの間には大きな乖離があると思いました。表現の評価に厳密な定義がない限り、どんな差異も差異として見えてこない。見る人の基準と範囲によって解釈が変わる部分が大きく、結論的にいうなら、それは第三者だけでなく本人自身が「気づき」の差異を認識するに至らないケースが多々あることになります。

昨日の土曜日はローカリゼーションマップの勉強会「検索エンジンとローカリゼーション」。講師は検索エンジンの第一人者の井上俊一さんで、使われたスライドはここにアップされています。アップル、アマゾン、グーグル、フェイスブック、これらの4つがスケールの論理で如何に世界の状況と動向を握っているかーいわば個人情報を掴んでいるかーを指摘してくれました。それでも、これらの4つのコピーで対抗しようとする無理を重ねる試みが沢山あります。そして予想されたように死屍累々が続くわけです。

しかしながら、ぼくがここで感じたのは、これら4つが存在感を増せば増すほど、対抗勢力が違った路線をとってくることの期待です。ひとつは西洋的ユニバーサル文化をベースにしてグローバル文化を追加したロジック。これは、スケールで勝負してきます。二つ目は、スケールにのらないロジックです。その場合はグローバル文化と衝突しないローカルにある現代的ライフスタイルに適用されるロジックです。

自分が企画して決断を下すことに価値をおくー生理的というほどにその必要性を感じ、そこに自分の生存理由を見出す人は多数ではないけれど、極めて少数であることもないアメリカにいないー人たちが、コトをおこすなら後者を選択します。韓国のNAVERの戦略とサムスンの戦略のあいだにある共通点を見出すところに一つヒントが「転がって!」いそうです。井上さんのスライドをよく読んでみてください。

Date:12/6/3

木曜日、日本に着きました。

日本で地震、イタリアでも地震という最近、どこでもリスクはあるけれど、リスクとは現象と備えの関係なんだよなとつくづく思います。イタリアも南や東北などの地震多発地域は耐震構造が義務付けられていますが、それが古い建物まで含めて実施されているとは言い難いでしょう。レンガがセメントで積み重なっただけの壁がボロボロと崩れるさまは痛々しいー「わたし、そんなつもりじゃなかったのに・・・こんな長生きするつもりもなかったし、そんな揺れを覚悟もしていなかったのに」と壁が呟いているように思えます。まあ、そういう風景をTVで眺めて日本に来て、地下鉄の表参道駅で震度4の地震にあうと、「たまったものじゃないなあ」感じる一方、地球は自転しながら太陽を回っているんだから地面が動かないほうが不思議だ・・・と考えざるをえません。

金曜日は東京ビックサイトに出かけ次世代自動車展を訪ねました。今、ぼくがかかわっているドイツの新素材メーカーの日本のお客さんがブースを出して商品を紹介してくれました。予想通りとても良い反応で、見るべき人が見てくれた、知るべき人が知ってくれました。関心をもってくれるのは自動車業界は当然のこと、業界も多岐にわたります。素材の革新が引き起こす影響力は大きいと実感します。これからのビジネスの動きが楽しみです。1年半準備してきた甲斐があります。

夕方からは前述した地震にあいながら原宿のレストラン・アイへ。ニースと原宿でミシュラン星つきフランス料理レストランを経営するシェフ・松嶋啓介さんの77年の会。彼のことは本にも書きましたが、食を通じてのローカライズに造詣が深い人です。77年の会は1977年生まれの人たちが集まって世の中を活性化していこうという集まりです。ここでぼくは、文化、ローカリゼーション、あるいはMARU プロジェクトについて話しました。ぼくは比較的多様な世代と日ごろ接していますが、どの世代でも共通して「自分たちが頑張らなくては」という意識が増しています。松嶋さんがこの会を主宰しているのは、「やっぱり、人って何か共通点があると結びつきやすいでしょう」ということです。これだけのソーシャルネットワークの時代だからこそ、生年でさえも逆に接着剤になるわけです。とにかく、道筋はどうであれ、それぞれはそれぞれに主体的に動いていってほしいものだと切に思います。

土曜日は津田沼の千葉工大です。デザインの山崎和彦さんの研究室の主催で「ローカリゼーションとUXDワークショップ」でした。ここでぼくはローカリゼーションについてレクチャーしたのですが、今までの話からの転換を図りました。これまでもローカリゼーションを通じて異文化の理解をしてイノベーションへという流れは話してきましたが、どちらかといえばイノベーションは前半部分のプラスアルファという位置づけでした。が、重心をやや後半に置きだしたというのが昨日のレクチャーです。ただ、そのために前半をおろそかにするべきではなく、ポイントは如何に早く前半のプロセスを終えるか?です。たとえば食の世界では新しい味が定着するには10年ー20年を要するのは当然というのが定理で、確かにこれまでの現実でした。しかし、今、ビジネスをするに「採算は10年後」という論理が通じるか?といえば、無理です。そういう余裕は失われており、かつ全てのスピードが速くなっています。

したがって、「文化の変容は時間がかかる」ということは本当なのか?を疑ってかかる必要がでてきています。少なくても「(ビジネス上の目的で)文化変容の短期化を促すことは可能か?」を追求することが大きな課題になってきています。文化的土壌を無視してビジネス行為をすることもアリですが、反撃を受けた時の対応コストが計算のなかに入っていないといけません。昆虫を中国では普通に食べたとしても、英国の中華料理屋でそのまま出せば反発がでます。しかし、世界の食料危機を前にした時に、昆虫を食べる試みは「先端的実験」となります。イタリアのファッションでベビーピンクが受けにくかったのに、ハローキティを媒介にしてベビーピンクという色への受容態度を変えてきている・・・そのメカニズムをローカリゼーションのプロセスで理解していくのが良いのではないかというのが、昨日の要諦でした。

ワークショップでは言葉とイメージの関係を問いました。「雨」と「Rain」で想起される言葉の差異、それらをイメージにしたときの差異、「タイ」「雨」だったらどうか?ここでとても関心を引いたのはーそして衝撃的であったーのは、雨で情感が出てくるのに、映画や音楽の文化的作品の連想はRainから出てくることです。しかも、日本のドラマや映画にもたくさんの雨に関する作品がありますが、米国や欧州の雨がでてくる作品ーしかもかなり古典的ーでした。これは国外市場をターゲットにした商品を開発するとき、何をリサーチすべきか?-「セント・マーティンズ大学について語ろう」で書いたリサーチであり、絵画でいえばドローイングの段階ーの課題を示したと思います。

 

Date:12/5/28

前回の「ファッションデザイン教育におけるテキスタイル(1)」の続きです。

今井さんは「ファッションをデザインするにあたり、生地の仕組みや作り方をよく知っているべき」と語ります。そこでNABAの学生たちに生地のつくり方を手を動かしながら教えます。彼が卒業制作でインスピレーションをえた「空気の動き」を前回紹介しましたが、表現のヒントは異なる素材の組み合わせです。下の写真は道路工事現場です。アスファルトとメタルの組み合わせに目がいきます。

組み合わせのイメージは他にもあります。ビルの片方が解体になった後の姿だと思いますが、この様子を見ているとテキスタイルデザインにおけるコンセプトイメージ生成に「土地の風景」の影響も大きいだろうと考えられます。

自然にもインスピレーションのもとはあります。樹木の肌や苔です。

これらは視覚的なイメージですが、テキスタイルは触覚が大切です。そのサンプルをいろいろと集めてきたのが以下です。

これらによって「あの感じ」の「あの」が具体的に手の指に記憶として残り、コンセプトが決まってきます。もちろん、従来からあるいろいろな生地との組み合わさも試され、新しい作品ができてきます。

この2つは今井さんの提案です。写真と言葉で全てを言い尽くすのは無理ですが、空気がスルリと通過していく、木肌のイメージ、それらがここにはあるように思えます。視覚イメージがダイレクトに表現されたのではなく、視覚で喚起されたイメージが頭のなかで熟成され、それが触覚を伴って一枚のテキスタイルに「変換」されたとのプロセスではないかと思いました。

ファッションやテキスタイルの人たちが、「生地は触らないと分からない」と言い、高級ファッションブランドが長らくオンライン販売を拒否し続けていたのは、世界観の一部にある「空気を通し肌にしっくりくる」という感覚がどうしても評価軸の上にくるからなのでしょう。食について言葉で言い表すのも難度が高いですが、食に対する語彙はかなり一般性を獲得してきていることからすると、テキスタイルの言語表現のほうが一般レベルでは敷居が高いかもしれません。NABAの学生はファッションのプロになるために勉強しているのですが、この言葉をどう自分のものにしていくかが、手の感覚と同時に必要なのだろうと思います。ただ、ある時点で選択するべきポイントがあるはずです。

よく言葉と手(技術)について二つの意見があります。「コンセプトについてよく明快にしゃべるけど手が動かない」と「いいものを作っているように思えるけど、そのコンセプトが上手く説明できないと多くの人には伝わらない」という言い方に代表される二つです。両方できれば、それに越したことはありませんが、人には得意不得意があります。どうしても自分の得意なところの理論武装するのが人の常です。それを超越するー自分の能力を見極めて、もう一つの側面をどうカバーするかの戦略をたてて実行できた人が、最終的に評価をうけるのです。

中間に自分の立ち位置を定めようとは思わず、どちらかに徹底したうえで、逆のポイントをじっくりと見据える鳥瞰図をもつコツが、ファッションデザイン教育におけるテキスタイルをみていると分かりそうです。

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