イノベーティブ思考 の記事

Date:11/11/12
今朝、Twitterを眺めていて東大 i.school の横田さんのTweet に目がとまりました。
yokota8 YOKOTA Yukinobu 横田幸信
神永先生「物知りであることは、新しいことを思いつくことの基盤になっているようだ」、堀井先生「どんな知識をもっているかということも大事。知識の量だけではない。幅広ければよいというわけでもない。どんな知識がアイディア創出に必要か。そこを特定する研究必要」 #ischool_kmb

 

 

これを読んで一つピンときました。かつて「捨てる!技術」を世に問い、今、家事塾を主宰している辰巳渚さんが昨日フェイスブックに書いていたことです。

今日はほぼ終日、家にいました~。ある教育雑誌の取材を受けていたんだけど、話していてふと、「ようやく自分の言葉で話せるようになったなあ」と嬉しくなりました。雑誌の記者として働き始めたのが20余年前。人前で講演などで必死に話すようになって10年。家事塾を初めて、数多くの講座をこなすようになって3年。自分の血肉のような言葉が自然に出てくるようになった! そう考えると、ひとつの仕事をして、ようやく一歩踏み出せるのに20年かかるのかなあ。ワカモノは、のんびりしているヒマはありませんね。あ、それとも、私が成長が遅いだけなのか。

「自分の言葉で話せる」ことと「新しい発想を生む」ことは一見関係ないように見えますが、「新しい発想を生む」のが単なる思い付きのアイデアではなく、長期的にも生き残れる発想とのレベルで語るなら、この二つは強く結びついてきます。ぼくは辰巳さんに「そうですね。20年。言えるかも」とコメントしたら、「安西さん、前に話してくれた「インテグレート」という視点は得がたいものでした!」という返事がありました。そこで、辰巳さんに数年前、ぼくの「インテグレート」について話したことを思い出しました。以前、「ぼく自身の歴史を話します」で書いた内容です。ぼくがイタリアに来る契機を作ってくれた宮川秀之さんの奥さんの葬儀のことです。

その マリーザさんが2003年のクリスマスに突如この世を去ったのです。数日後、ぼくは雪の積もるトリノの教会に駆けつけました。

葬儀で神父 は「マリーザは若い人たちの世話など細かいことを日々丁寧にこなしながら、いつもその先に大きな目標を設定し実現に向かい、小さな日々のことどもを将来的 に統合することに生きた」という意味のことを語ります。その瞬間、この「統合」(英語でいうintegration) という言葉が身体中を駆け巡り、「統合」とはどういうことを意味するのかが体で理解できたのです。ここにぼくのひとつの転機があります。

職業経験を車業界からはじめ、濃淡の差はありますが、それまで文化、建築、建材、工業デザイン、家具、雑貨、ハイテクといった分野をみてきました。 そして2003年は、カーナビなどの電子製品のインターフェース、それも欧州市場向けのローカライゼーションのプロジェクトにも足を踏み入れつつあったの です。これはぼく向きの仕事であると瞬時に思いました。今まで関わったすべての経験が活用できるのです。あえて言えば、「知識が分断された人間」には分か りにくい世界だろうと感じました。1990年代初め、一台1億円のスーパーカーの品質を見るようにと宮川氏から言われたことが、「職務分担された自分」へ の訣別の契機になりましたが(実は、その時からルネサンス的工房やバウハウスのコンセプトが気になりはじめました)、この2003年末のマリーザさんの葬 儀をきっかけに、自分の「人間力」そのもので勝負する心構えができてきたのです。

たくさんのことを知れば知るほど新しいアイデアが生まれるわけではありませんが、あまりに乏しい知識や経験で勝負しても確率が低いのも確かです。横田さんが参加していたイベントにおける「新しい発想」は、ぼくが引用した「自分の人間力そのもので勝負する」とはふつうつながってこないと思います。しかし、そう簡単には破綻しないコンセプトに発展する発想と考えると、この2つはつながってきます。辰巳さんの「自分の血肉のような言葉が自然に出てくるようになった!」は、まさしく、そのレベルをめざして歩んできたからだと思います。そのレベルとは、マリーザさんの例でいえば「日々の小さいことの向こうの地平線に大きな目標を設定していた」が該当します。

よく夢はでできるだけ具体的にノートに書けと言われますが、それは自分の守備範囲を意識するようになるからです。そうすると眼前に散在しているとしか思えない小さなことどもが、ある形状をもって、あるいは色分けされ、それぞれのグループを結ぶ線がそこはかとなく見えてくるような気になります。「気になる」。それでいいのだと思います。また、危険が迫っている状況で、人の視界は広がると言います。分散するディテールをまとめようとする意思もでてくるでしょう。すなわち、先に大きな目標を描く、意図的に自分を「不十分な状況」におくことが、新しい発想を持つに至る契機になります。そして、それが自分の言葉をもつことにつながります。

堀井さんが語った「どの知識が必要か」は、別の機会に書きましょう。

Date:11/11/2

「何でも基礎は退屈でやりたくないもの。でもそこを通過しないと面白いと思う領域に到達できない。そのあとに他の稽古事やスポーツへの展開を図ればいいのよね。それなのに生徒の親たちと話していると、子供が『つまらない、他のことをやりたい』というとすぐに変えさせる。子供の意思を尊重していると聞こえはいいんだけど、本当にこれでいいのかしら?」とイタリア人の子供たちにピアノを教えるぼくの奥さんの疑問です。3年から5年くらいはやらないと楽しくは曲を弾けない、と。日本で教えているとき、親は途中でやめたいという子供を叱った。イタリアでも親は子供を励ますが、あきらめのタイミングがきわめて早い。確かに判断に迷うところです。

一つのことを続けないデメリットをぼくも思います。しかし、何でもしがみつかせるのが良いのか?という問いも頭をかすめます。子供の時にいろいろなスポーツをやらせて身体の各部を平均的に使うことを重んじる人たちは、子供の全体的な能力を伸ばすことを優先するのではないだろうかとも考えるからです。一般に「つまみ食い」はネガティブなイメージを伴いますが、子供の人としての幅を広げるとの効用もあります。この見方に立った時、ピアノの基礎をマスターすることにどれだけの意味があるのかへの回答が揺らいできます。「何事も中途半端はよくない」との言葉は全面的に正しいのでしょうか。

あらゆる場面において全体像をつかむには二つの鍵があって、一つは直観です。この直観はある程度経験で身に着くもので、特に混沌とした状況に直面した場数が貢献するのではないかと思います。もう一つが、三つの視点の確保です。視点は何もないところにはアンカーを打てず、何らかの理由で足を踏み入れた経験のあるフィールドがあってこそです。この二つの鍵の重要性を考えるとき、カオスが日常化しているイタリアンライフと「つまみ食い」の二つが実は教育上看過できない要素ではないかとも思うのです。

プロジェクトの組み立て方や進め方からはじまり、プロダクトデザインやビジネスの取り決めに至るまで、どうしても全体像を描くのが苦手でディテールにこだわっている多くの日本人ーぼくも含めてーを見ていると、子供が稽古事をころころと変えることを割と容易に認めるイタリア人の親を批判するのに、ぼくはどうしても躊躇します。全体像の把握ができるということは、全体像を人に見せることをも得意とします。

「ぼんやりとしたコンセプトもコンセプトと言えるのだ」と喝破できるのは、自らの全体像に確信がもてるからです。いや、正確に言うならば、確信をもつ「術」を心得ている、あるいは不安の払拭の「術」を知っているというのが適切です。イノベーションを生むβ版の推進力の源泉は、このあたりにあるのではないかと匂いを嗅いでいるところです。

 

 

Date:11/10/9

横浜のみなとみらいに先月オープンした「カップヌードルミュージアム」。1958年発売の第一号から並んだあらゆる種類のインスタントラーメンを眺めながら、10年数年前くらいの時代を懐かしいと話し合っている人たちの声を耳にしながら、旧東ドイツの生活空間を再現したベルリンのDDRミュージアムの様子を思い出しました。「え~!パパやママ、これ知ってるの?」と子供が叫ぶと満足そうな顔をする親たち。あまりに過去過ぎては自慢のネタにならないけど、「近過去」あたりが親の地位向上には良いのでしょうか。

カップヌードルが発売されたのは1971年。日本にファーストフードが一斉に入り始めた時代です。それまでの通常のインスタントラーメンの海外市場拡大を考えていた1960年代後半、米国のスーパーの担当がインスタントラーメンを砕いてカップに入れてフォークで食べるシーンを日清食品の創業者が見てカップヌードルのヒントを得たといいます。

「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか』(←ちなみに「マルちゃん」は東洋水産です)では、ローカリゼーションを考えることと同時に、異文化のロジックとの出会いがイノベーティブなアイデアを生む重要性に言及しました。人は無から何か新しいアイデアを生むのではなく、コンテクストの違う環境に入った時に、自分の今までのナレッジや感覚とのずれからアイデアを生むことが多いのです。

日清食品の創業者・安藤百福氏は、1)インスタントラーメンの海外市場へのローカリゼーションの必要性を認識した 2)ローカリゼーションの必要性の認識がカップラーメンという革新的な商品のアイデアを誘発した という点において、ローカリゼーションマップの主張の正しさを裏付けてくれることになります。このミュージアムは子供が創造的な思考を体感する場所のためか、クリエイティブシンキングの6つのキーワードの第一番目は「まだ無いものを見つけるー世の中にはまだ無いが、「あったらいいな」というものを探す!」とシンプルに書いてあります。当然ながら、ラーメンがあったところへの+αであり、インスタントラーメンがあったところへの+αです。ラーメンを発明したわけではありません。「まだ無いもの」をどういう範囲で設定するかが、実は課題の第一事項になります

カップラーメンの通気性のない蓋も、飛行機でマカデミアナッツの蓋をみてひらめいたのです。つまり発想の鍵はコンテクストの差異の連続的な体験の蓄積になります。ローカリゼーションの重要性の2本目の柱として、異文化ロジックとの出会い方やイノベーティブな発想への繋げ方について、ぼくも更に説明を深めていかないといけないだろうと思います。これから、もっとこのテーマについて書いていきます。

「イノベーティブ思考」というカテゴリーを新規設定しました。

 

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