ミラノサローネ2013 の記事

Date:13/4/7

フランスのデザイナー、ピエール・ポランにインタビューした時、二つのことが印象的でした。一つは彫刻家になりたかったのが手の怪我でその道を歩むことができなかったこと。もう一つはカーデザイナーになりたかったこと。ジョエ・コロンボも同じで、「もともとやりたかったこと」の一つにカーデザインがありました。彼はクルマのデザインをしたことがありますが、それがメインの仕事にはなりませんでした。あの思いっきり自分の味を出している巨匠であるジュージャロでさえ、「カーデザインは膨大な数の人との間で決まる自由度の少ない分野」と語っています。他の工業デザインや絵画で自由を享受するわけですが、「クルマ一台もカフェマシーン一つも労力は同じで受け取るデザインフィーは圧倒的に違う」とも言っています。

人はより自由度の高い、自分の意思で決定できる範囲の広い職業で食っていけることを「もともと」望む傾向にあります。新聞記者でもともと小説家になりたかった人、CMディレクターだけどもともと舞台監督をやりたかった人、工業デザイナーだけどもともとアーティストになりたかった人・・・・こういう「もともと」を抱えながら一生を過ごすのが大半の人です。統計をとったわけではないのでわかりませんが、もともと工業デザイナーになりたかったが、しかたなくアーティストになった人というのは少ないでしょう。自分の意思で決定できる、ということは、言ってみれば「自分の生の姿(のように見せかけることも含め)で賭けて経済的リターンがある」ということです。

アンジェロ・マンジャロッティの回顧展がコルソ・コモ10で始まりました。1921年に生まれ2012年に逝去したマンジャロッティは、建築家であり、工業デザイナーであり、教育者であり、彫刻家でした。昨年、東京で行われた展覧会をぼくは見ていないのですが、ミラノではさすがに「重いもの」が沢山あります。年譜を眺めていくと、1980年代から一気に彫刻が増えていきます。それもボリューム感が噴き出すような、概念を素材を媒介に両手でガッツリと掴むような作品です。上の写真(Assimetrie Gravitazionali 1995年)のような知的な作品であることには変わらなく、それは建築や工業デザインの数々と基本ラインは同じですが、「内から噴き出す勢いが違う」のです。

生前のマンジャロッティをよく知る方に「マンジャロッティの満足度って、ジャンルによってどうだったんですか?」と会場で伺うと、「彫刻、建築、工業デザインの順で褒められると嬉しい人でした。もともと彫刻がやりたくて、実際に若いころから製作していたんですが、だんだんと人が評価してくれるようになっていったのです。だから彫刻が評価されると殊の外喜んでいました」との答えが返ってきました。

人は「もともと」好きだったもの、憧れていたもの、場合によっては諦めて自らも忘れていたようなものを他人から評価されると、それまでの人生が全て肯定的に見えてくるんだよなあ・・・。「もともと」がそのままカタチになることは少ないけれど、人生のあらゆるプロセスを経て「もともと」が浮かび上がってくることに人生の醍醐味があるのでしょう。以前書いた「ぼく自身の歴史を話します」のなかの「人生における経験の統合」をマンジャロッティの作品を眺めながら思い起こしました。

http://milano.metrocs.jp/archives/258

Category: ミラノサローネ2013 | Author 安西 洋之  | 
Date:13/3/31

約2週間前に「『スローファッション』のアイデアを探る」を書きました。

十和田の裂織は世界に数多ある伝統的生地再生技術の一つであり、かつそれらの間にある共通点を見つめることでプラットホームのコアになれるのではないか?という問題提起から、ぼく自身も「自分ごと」として動き始めました。コンセプトは、1)伝統的再生技術 2)マスカスタマイゼーション (例→ 新品商品に自分の古着を切り裂いた生地で自分なりのポケットをつける) 3)リバース・イノベーション(例→ 田舎で活用されていて存在感がなくなりつつあるテクニックが、他の地域の伝統テクニックと融合されて都会で活用されていく) という3つのキーワードから成ります。この2週間もミラノ工科大学のファッションコースの先生とワークショップの相談をしたり、L’HUBのオーナーと協力のあり方について話し合ったりしてきました。あるいはファーストファッションの企業に提案する構想を練り、彼らの商品としては売れないB級品の活用法についても考え始めました。

一方、このプロジェクトを主宰している佐野里佳子さんは3月19日に The HUB TOKYO で開催されたスパーク・プラグというビジネスアイデアのコンテストで優勝しました。ファッションを社会問題の解決の糸口とする事業に一番多くの票が投じられたというわけです。さっそく聴衆の一人だった中国人投資家からのアプローチを受けるなど、各方面から高い関心が寄せられています。

このプロジェクトのコンセプトには世界で通用する普遍性があると考え推進していますが、L’HUBで指摘された点には「なるほど!」と思いました。上記 3)のリバース・イノベーション の視点が高く評価されたのですが、「女性的視点が含まれていることに意義がある」というのです。「女性はいつもあまりものや不要なもので、身近な生活を維持し豊かなものにしようとしてきた」というエッセンスが、女性的視点の導入による社会変化の大切さが叫ばれるなかでフル活用されていることに注目してくれたのです。ここで女性的な視点とは、単に性としての女性の視点ということだけではなく、従来男性が力を発揮できずにいた領域を切り開く目線との意味合いととらえていいでしょう。

特に経済的苦境に陥り社会に行き場がなくなる一方のなかで、自らの周囲を大事にしながら明るくサバイバルするための知恵やメンタリティはもっと重んじられてしかるべきだと思います。「当たり前の日常生活の確立」が、このプロジェクトの底流にあるのだと女性的視点との言葉から再認識しました・・・・さて、ここでふっと思いました。このテーマはまさしくイタリアのライフスタイルのことを話しているのではないか?と。「この裂織りを発信地としながら世界各地の再生技術と融合を図り、エスプリの効いたオシャレなサバイバルを目指す」というのは、イタリアが実験の舞台として相応しいのだあらためて思いました。

今年のサローネをこういう文脈で見て回ってみようという気になっています。

Date:13/3/19

「日本でいう平均値って、平均値そのものの集合体なわけですよ。どうしても最初から平均値ばかり狙うわけです。でもフランスで料理やっていて思うのは、抜群に良い点と悪い点の結果での平均値という、平均のコンセプトそのものをターゲットにして結果としてバランスが生まれるんですね。例えば食材の苦味をとるのではなく、それを何か他の特徴的なものでカバーするとかね」、とニースと東京でフランス料理店を経営するシェフ・松嶋啓介さんが話します。「これはサッカーのチームにも言えることで、トルシエと話していても、彼の平均に対する考え方は当たり前だけどフランス式なんですよ」

松嶋さんとThe HUB Milano で話し合いました。実は、以前、「ライトアップ・ニッポン」のドキュメンタリー映画を世界各地で上映したいという話が松嶋さんからあったので、ぼくはThe HUB Milano のホストに話しておいたことがあります。あの映画をDVDで見た時、被災地各地での花火大会をオーガナイズした高田佳岳さんの活躍ぶりは、ソーシャルチェンジを旗印に活動している人たちにとても参考になると思いました。ぼくも高田さんと話し、「この只者ならぬ人が動くなら何かが起きるに違いない」、と感じたのです。「日本の旗手は、こんな感じで頑張っている」とインパクトのあるストーリーが語れます。ただ、残念ながらその時は英語字幕がなかったので実現できなかったのですが、松嶋さんにも今後のために The HUBの趣旨を知ってもらっておいたほうが良いだろうと考えました。

話を冒頭のテーマに戻します。ぼくが「日本のスイーツって甘さ控えめとなっていて、かなり特徴的な傾向かなと思うのですが、どう判断すればいいのですか?」と質問すると、「寒い所では甘さを欲するからスイーツは甘くなりやすいですが、まず基本的にスイーツは毎日食べることを前提にしていないんですよ。毎晩のように、うちのレストランに来るお客さんはデザートを食べないでチーズで終わりにしますね」との答えが返ってきます。それなのに日本では毎日食べることを想定し甘さを平均的にならすことを考えてしまう、というわけです。酸味との関係で舌に甘さが残る印象を減らす、という方向をもっと試みるべきではないか・・・。

もちろん、ことの発端は健康意識の変化にあったのでしょうし、それが多くのスイーツの甘味を減少させた(フィンランドやポルトガルで加工食品の塩分を長期にわたって減らし、心筋梗塞の発生率が70パーセント下げたような)「壮大な物語」があったのだろうとも想像するのですが、甘いものを毎日食べる「飽食の時代」は自分の首を絞めたのではないかーかえって甘さに鈍感になっているという意味でーという気にもなります。いずれにせよ、この平均のコンセプトの捉え方の違いは、チーム運営にも反映されていると松嶋さんは語るわけです。「このスタッフはまだここができていないと言って担当を外すのではなく、彼の得意な部分が活躍できることを考え、できない部分は他のスタッフが補うって考えなくちゃあ」と。

「日本は引き算の美学っていうけど、引き算で捨ててっていって何も残らないわけだ」というと、「結果としてマイナス部分を捨ててゼロに近づくだけなんですよ」と松嶋さん。「ははあ、引き算の美学とは異分子排除でもあるんだな」、とぼくは合点がいきます。そして異分子とは「平均値ではない」ということになります。平均値のスペックでシンプルなミニマルスタイルが成立というまことに分かりやすい「引き算の美学のナゾ」が見えてきます。日本のデザイナーも引き算の美学の深淵を極めるなんて哲学的なことを言って泥沼にはまっていないで、足し算の美学を学習するのも大切なんじゃないの?と思いました。

「和食の特徴はうまみだという意見もありますが、うまみを分かっている人なんてどれだけいるんでしょうね。(大衆も食を楽しむようになった)飽食の時代以降の和食の強みは、食材の組み合わせの多様性」と指摘する松嶋さんの話は、クリエイティブ領域で働くあらゆる人に是非聞いてもらいたいです。

 

 

Category: ミラノサローネ2013 | Author 安西 洋之  | 
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