ミラノサローネ2012 の記事

Date:12/5/5

「同じモノを目の前に、プロダクト、グラフィック、ファッションのデザイナーが素描するとするでしょう。そうすると、かなりそれぞれのフィールドの違いが出てくるんですよね。プロダクトでは輪郭線がはっきりするけれど、ファッションではぼやける部分を残すんです。基本、動きのある人体を相手にしているんから、どうしてもはっきりしないラインは『はっきりしない』と表現するしかない習慣が強いわけですよ。もちろん、そういうことがプロダクトのデザイナーには許されないので、何でも(私からみると)無理に『はっきり』させる傾向があると思いますね」と目の前のファッションイラストレーターが語ります。ヨーロッパのファッション雑誌にイラストを描いている彼女は、ファッションの世界とプロダクトのそれを分ける、もう一つのヒントを提示してくれます。

「私たちは、できるできないかは別にして、アイデアをどんどん出していくトレーニングを受けてきましたが、プロダクトは構造や生産性を最初から考えながらアイデアを出すように道案内されてきていますよね。それは対象が違うから当然の帰結ですが・・・」と続けますが、この話しを聞きながら、ぼくはあるエピソードを思い出します。

子供が3-4歳のころ、子供の身体に合わせた服を母親と子供で一緒に紙で作るというワークショップがありました。イタリア人のママたちは、自分のイメージする立体を最初に考えると、それをベースに平面に置き換えることなしに、紙細工をはじめます。つまり、スムーズなカーブを折り目できれいに実現することに頭を悩まして作業が止まるのではなく、ややヘンテコなカーブであろうと、まずは自分のイメージに近いカタチにしあげるーとすると、折り目ではなく2枚の紙をホチキスで無粋につなぐようなことが多くなるー。それは張りぼて的ではありますが、自分のイメージを直線的に表現しようとする意思が強く見え、結果的に「ディテールはさておき、欲しいイメージが分かる」ことになります。これがディテールで手が止まりがちな、日本のママとちょっと違うところなんではないかと想像しました。

言うまでもなく、プロのファッションデザイナーやイラストレーターとど素人を比較するのは恐れ多いのですが、どうもファッションフィールドの人たちとプロダクトデザイナーの間にある差も相似の関係ではないかという印象をもちます。数々の厳しい制約条件のあるところでコンセプトアイデアを練っていくのが仕事で、ファッションの人たちも制約条件のなかで作業するわけですが、条件の質の違いが両者の発想の枠組みを規定しており、特にプロダクトデザインのイノベーションを考えたときファッション領域にネタがありそうです。そういうわけで、これからテキスタイルやファッションの話題も、このブログのエントリーに入れていこうと思います。

で、冒頭の女性が卒業したロンドンにあるセント・マーティンズ大学で何を学んだか?から紹介していきます。ジョン・ガリア―ノ、アレキサンダー・マックイーン、ステラ・マッカートニーのような卒業生の名前が綺羅星のごとく並び、ファッションビジネスを思いのままに操っている(ようにみえる)LVMHの主要ポストは、同大学の出身者によって占められています。彼女によれば、「新しいコンセプトは、セント・マーティンズ大学かベルギーのアントワープ大学の出身者から生まれていることが多く、フランスやイタリアのファッション教育は一時代古く見えてしまう」そうです。「RCAは?」と聞くと、「あそこのファッションは品が良いんだけど、ビジネスでセント・マーティンズほどの勢いはない」との言葉が返ってきます。

それでは、セント・マーティンズの教育を知らないわけにはいかなくなります。次回は、この大学について書きます。
+1: セントマーティンズの正式名称はCentral Saint Marins College of Artで現在はロンドン芸術大学University of the Arts Londonという大学機関の中の、ひとつのカレッジ。一般的にはCSMと略す。

Date:12/5/1

この4年間、日本の企業やデザイナーの表現について、その不足点を散々書いてきたし、それらをローカリゼーションマップの活動でずいぶんと指摘してきたので、今年は日本企業の展示についてあまり書く気がしないというのが正直なところです。昨年、日経ビジネスオンラインに書いた記事、ここで記した「日本企業に思うこと」が良い意味で裏切られることはなかった・・・残念ながら。それで日本のことを書くなら、日本人の若いデザイナーをどんどんと紹介していきたいと思っています。実際、そういう趣旨で何人かのデザイナーの作品を紹介しました。今、良いかどうかより、特に、どうすれば今後、彼らのデザインがビジネスとして成立するか?という視点でみたいと思います。

何を書くかといえば、プロダクトデザインの周辺にある条件というか状況をもう少し明快にしていきたいと思います。テーブルの裏をひっくりかえしたりディテールの具合をみるのもいいですが、それと同時にサローネやイタリアデザインが「機能する」のはなぜか?あるいは「機能」しないにも関わらず、そのような神話が生まれる理由はどこにあるのか?ということを、周辺事情を探りながら考えてみたらどうだろうかと思うわけです。周辺ですから従来のプロダクトデザイン領域から若干離れます。しかし、かなり影響を与えている(受けている)・・・という分野にいる若い日本人から「何を考えているか」を聞いていこうと思います。

さて話は変わって、どうも世の中は急速に動きはじめました。「今更なにを?」と言うかもしれませんが、そのスピードアップは激しい。サローネの評判の伝播のしかたも早い。かつては草臥れた姿で夕飯をとっているときに、「今まで何が面白かった?」と聞いて、「じゃあ、明日の午後にでも出かけてみようか」という具合だったのが、Twitterやfbの評判で瞬時に歩の方向が変わるのです。そういう物理的な動作の早さと変化が、モノの見方を変えている・・・というかモノが違って目に飛び込んでくるのです。だから下の写真のように、在庫数というより生産可能数をデジタルの数字で表示しようというのは、悲しいほどに時代の感覚に鈍感です。だって、この前にしばらく立っていてもちっとも変わらない数字をデジタルでリアル感を出そうなんて勘違いも甚だしい。黒板に数字を書くのが似合っている!

デジタルのリアル感は、十字架の前に立って頭を垂れると ON TIME やCHECK IN と一斉に切り替わるシーンでこそお似合いです。

「デジタル表示なんかにコンテンポラリーさを感じるの?」と問われれば違います。デジタル腕時計を持っている人を見るほうが珍しくなっているのに、十字架に飛行機の運航状況がコンビになると切れの良さを感じます。十字架にある緊張感がダブるのです。一方、インフォグラフィックスは情報をデジタル数字ではなくフィジカルなモノにーもちろんグラフィックとしてー置き換えるケースが多いですが、この手の表現が人は好きです。↓にあるたくさんの茶封筒は、コンペの応募者のものです。これを「インフォグラフィックスみたいだ」と思いはじめたら、時代はもう一つ向こうに跨いだことになるでしょう。

Category: ミラノサローネ2012 | Author 安西 洋之  | 
Date:12/4/28

トリノに IN Residence – Design Dialogue というプロジェクトがあります。いろいろな国のデザイナーやアーティストが同じ屋根の下で1年間生活し何らかの作品を作っていくのですが、最初のブリーフィングで与えられるのはとても簡単な言葉、一言です。その言葉の解釈からワークショップがスタートします。一緒に住み経験を共有しながらコンセプトを創っていく。

こういう試みは世界のあらゆるところで進行中ですが、なぜ、かくも対話や経験の共有が強調されるのかーいわば、もてはやされるのか。アイデアは一人で考え実行段階でチームを組むというのではなく、人との対話のなかで一緒に動きながらアイデアが育まれていくことを重んじるというのは、集合知の威力をネットで見せつけられたからでしょうか。「どうせ!」一人じゃあ限界があるなら、一人の能力を限定的にみて、それらの組み合わせで生まれるアイデアを尊重するーある意味、とても民主主義的であるというか、民主主義にある個々の自立性を見直しているというべきなのでしょうか。

アイデアは流動的、あるいはカオス的状況でこそ強靭な独創性あるものが生まれるとの経験値からすると、個々に自立したメンタリティをもちながら、どのようにしてオープンな「こころ」を保てるかが鍵になります。ちょっと話がずれますが、ぼくは、これまでさんざんロジックの重要性を説いてきましたが、密かに(!)並行してメンタリティの強さがかなりの部分を決定すると考えています。ローカリゼーションの必要性も、発信側のメンタリティと非対称の関係になるのではないかと思案しています。メンタリティの弱い発信者はローカリゼーションをより考えないといけない運命にある、というように。で、話を共同生活や協業に戻すと、結局のところメンタリティの強さが道を開くことが多いと言えそうです。Lago の社員たちが同じ家に住みながら、ライブ感覚で家具をデザインしているのも、そのあたりの問題点を踏まえているのではないか、と想像して彼らのブレラにあるアパートを見ました。

それにしても、こういう生活・就労形態をみるにつけ、かつての日本企業にあった24時間生活一緒という典型的サラリーマン生活はアイデア発酵の絶好の条件を整えていたことになります。ヒエラルキー構造にあったから、その閉鎖的弱点を指摘され崩壊すべきものとして見られてきたわけですが、水平構造で再編成するとそこにはとてつもない潜在力があるとの見方が成り立ちます。しかし、水平構造が生きるには、メンタリティの強さ=オープンなこころを可能とする という地平に降り立たないといけないーここにジレンマが生じるのです。

先週、今年のサローネはオープンソース元年であると定義しましたが、この流れは数年前から Recession Design などでみられました。またパーソナリゼーションは家の家具だけでなく、ベネトンの店舗什器提案にもあります。

トレンドはどんどんとオープンソースでライブ感のある水平展開に向かうときーそれは既に「リアリティ」という言葉の存在感を喪失させていくー、カタチがミニマリズム的な表現になっています。そこでミニマリズムとは多くを受容するための最大公約数の世界であるという解釈が見えてきます。だからこそ、パーソナリゼーションを可能にするのではないかと仮説がたちます。

 

Category: ミラノサローネ2012 | Author 安西 洋之  | 
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