ミラノサローネ2012 の記事

Date:12/5/14

ファッションデザイナー・村田晴信さんに聞く(1)」の続きです。

サンケイBIZの連載でも村田さんの紹介をし、ミニマリズムが「弱い」とみられると欧州の市場でビジネスとして成功しづらく、力強く見られる必要があると書きました。今回のテーマは、吉岡徳仁の作品やその他のアートや音楽にインスピレーションを得た村田さんが、「自然の偶然性に寄り添う」コンセプトをどのようにコレクションとして表現を昇華させていったかです。彼の説明を聞きましょう。

「静謐の言葉がもつ空気をどのように表現するかに焦点を当てました。それまでに経験してきた静謐を感じる要素を噛み砕き、そこからいくつかのグループにわけマインドマップを作成。そして、洋服としてコレクションに落とし込みました。静謐を具体的なイメージでいえば、水のなかに潜った時のピーンとした感覚、霧のなかの様なもやっとした半透明な冷たい柔らかさ、ガラスのエッジの様な鋭さ…といった具合です」

「次に、例えば形ならどうだろうと考えます。ごちゃごちゃと要素の多いものではなさそうだ。むしろなにもないミニマルなフォルムに静けさを感じる。どうやったら一番そのミニマルさに近づけるだろう?縫い目なくせばいい。だが、それはどうやったら実現できるだろう….このようにして行き着くところを探します。こうして生まれたのが、縫い目をなくし、布の折り目だけで形作られたシリーズです」

経験を言葉に置き換えて整理し、それをもう一度、より幅のある経験の世界に放ちイメージを広げています。それからカタチへの収束を図ります。すなわち、概念と視覚イメージを何度か往復していることになります。

カタチへの収束はシャツだけでなく、ジャケットにも向かいます。素材、色で異なった収束を試みるわけです。その結果、塊がいくつも出来上がっていきます。村田さんは、「マインドマップは、この段階でも使いました」と言います。次に、冒頭で触れたミニマリズムでありながら、力強く見せるとはどういうことか?を説明します。

村田さんは「単にデコレーションのないシンプルな服を作るのではなく、その背後にある意図を感じさせる事で厚みを持たせる。それが”強さ”に繋がるひとつの要素だと思います」と強調します。

言ってみれば、コンセプトの論理構造がいかにしっかりできているか?ということになります。複雑な曲線でも大胆な色使いでもなく、シンプルそうに見える一連の表現にあるロジックの一貫性と柔軟性が、強く見えるのです。セントマーティンズ大学のようなコンセプトメイキングの教育を受けなかった村田さんが、今回のコレクションで「力強い」とイタリア人に評価されたのは、違った麓から登山道を歩き同じ結果を得たとも考えられます。彼が重んじる日本の美学は他の点でも表現されています。下の写真です。

「もしイタリア人がこのドレスを着る、もしくはスタイリングする場合は10中8、9、首元にアクセサリーをつけます。間を埋めようとするのです。が、僕はここではあえてアクセサリーは付けませんでした。間を間として残す考え方です。ヨーロッパの人と違う点でしょうね」と村田さん。しかし、モデルの腰周りには前回紹介したミョウバンの結晶に似た華やかな表現が見てとれます。これがセクシーさとは?という感覚や考え方に対する文化の違いに通じます。

同じく、上の写真もそうです。「フランス人のデザイナーであっても、こういうスタイリングはやらないかもしれません。写真ではなかなかわかりませんが、この中のドレスの生地が水が流れ様で、それを自然に引き立てる為にノーアクセサリーです」というように、あえて飾らない意思を表明しています。これをトータルに表現したいと、村田さんは音楽を含めショーの構成をプランしたことが、動画(1分20秒から)で発表風景を見ると分かります。

ヨーロッパの市場をとらえるには、ブランドとは記憶の痕跡の集積であると認識をすべきで、コンセプトとは建築構造的である必要があると何度もここで書いています。日本文化は説明的でないと投げ出すのではなく、日本文化の説明的ではない趣旨を可視化するためのストラクチャーを作っていかないといけません。余白の美はバウハウスにもあるなら、それの差異を説明することで一歩前に出ることができます。

村田さんは、これからのデザイナーですが、とても思索型であることが分かります。吉岡徳仁の作品をみて、高校時代の化学の先生に相談したエピソードなど印象深いです。たまたま先生と近しかったのかもしれませんが、直観的に見える表現にきわめてロジカルな裏付けをとっている点にポテンシャリティを感じます。直観とロジックの両方を行き来しながら、最終的なアウトップットを真ん中で提示して勝負することです。

Date:12/5/11

「セント・マーティンズやアントワープの卒業生は誰が着れるの?というアーティスティックな服をデザインする人が多いですが、ミラノのマランゴーニはもっとマーケット寄りです。各メーカーの戦略を読み取ることも重視されます。学生も服を自分で縫える人が多いですね」と村田晴信さんは話します。彼は東京のエスモードで3年間ファッションデザインを学び、神戸コレクションで特選。その結果、イタリア留学の切符を手にしてミラノにあるファッションデザインの学校、マランゴーニのマスターに1年通いました。この3月、2012年秋冬ミラノコレクションでデビューし、若手登竜門のイタリアファッション協会の「ネクストジェネレーション」で入賞した23歳の青年です。下は彼の作品です。

セント・マーティンズではコンセプト創造のプロセスが非常に重視されることを「セント・マーティンズ大学について語ろう」で紹介しましたが、村田さんがマランゴーニで要求されたのは、どこのメーカーがどういうラインを出しているか?出すか?に関する分析です。「マスターだからですか?その下の学年では?」と聞くと、「どうも、そうじゃないですねえ。」との返事が返ってきます。縫う方もマランゴーニの学生はそれなりにできるけど、エスモードほどでなく、セント・マーティンズよりは自分でやる人が多い、という印象だそうです。

「じゃあ、村田さんのコンセプトはどういう過程で生まれ、それをどういうカタチでとどめておきますか?」との質問には、「ぼくのコンセプトブックはエスモード時代に創ったもので、一冊です。いくつかのカテゴリーに分けることはせず、その後の発想をどんどん入れ込んでいきます。それもスケッチブックではなく、デジタル上にあります」とのコメント。セント・マーティンズで学んだイラストレーターは、コンセプトをいくつかに分類し、リアルなものはそのままリアルに保存していました。ずいぶんと方法が違います。それでは、村田さんのコンセプト作りの一端を紹介しましょう。

上は2008年に開催された吉岡徳仁の展覧会「second nature展」で村田さんがみた椅子です。「静謐な空間インスタレーションや結晶が自然に成長する過程をそのままデザインとして落とし込んだ結晶のイス。自然の偶然性を利用したデザインに惹かれ、何故それに惹かれるのか考えました」と語ります。

「その頃に読んでいた本ー深澤直人の本だったと思いますがーに、ある日本庭園師が招待した客人に『あの石の据え方が非常によろしい』と言われるや、庭師はすぐにその石を庭園から排除した、というエピソードが紹介されていました。人の知覚を超えたさりげない美意識、より自然の光景を作り出す事こそ美、という考え方に基づいています。ヨーロッパ、例えばベルサイユ宮殿の左右対称の庭と比較したとき、ずいぶんと違うなあと思います。この考え方が日本人としてのぼくの根底にある文化や美意識であり、そのため、吉岡徳仁の自然の偶発性に寄り添うデザインに惹かれたのだと思い至りました」

彼の話が続きます。「自然の静けさと同時に内包する力強さ、日本人としての文化と美意識というものを意識するようになったのはそのあたりからです。偶然性の服への応用を考えはじめ、そこで一つの実験をしました。水槽にミョウバンの飽和水溶液をつくり、それをスカートの上で成長させてみたのが下の写真です」 吉岡徳仁の作品が何でできているか分からなかったので、高校時代の化学の先生に意見を聞いてみたら、「たぶん、ミョウバンを使っているのではないか?」との意見だったのでミョウバンを試みたと言います。

その次に彼が行ったのは、これにガラスを粉砕して角をとったものを加えることでした。下のスカートです。偶発的に成長した結晶のモチーフを上と同じ型の別のスカートの上で再現させ、ファッションアイテムとして昇華させるとの試みです。

このように他の分野の作品に刺激をうけた自分を振り返りながら、自分のフィールドへの適用を試みていくことは、どの分野であっても必要なプロセスです。ただ、それをやりやすいかどうか、という違いはあります。プロトを作るのに時間やコストがかかる分野であると、どうしても「彼らは楽に試作ができていいよなあ」というやっかみでーやや自負もこめてー終わりがちです。そこに実は、エッセンスの喪失と適用範囲の設定のミスがあります。要するに、刺激を受けた対象を十分にかみ砕けていない。しかも、自分の分野についても因数分解ができていない・・・という事実があるでしょう。

この村田さんの試みをみると、ファッションがファッションである理由が見えてくるでしょう。どこまで読み込めるか?が大切なのです。次は、彼がミラノコレクションで発表した作品に話題を移します。

Date:12/5/10

ミラノの運河沿いにある L’HUB の店内を眺め、数分とせず、「あっ、世界のすべてが、ここで分かるんだ!」と思いました。ここは一言でいえば、FabLabテキスタイル版です。生地の染色、プリント、縫製までを一貫して行える工房です。ちょっと縫製の心得のある人は型紙-もちろん自分のサイズーと生地だけここで買って、自宅でスカートを仕上げることも可能です。その心得がなければ、レッスン料を払い教えを乞うことができます。下のようなワークショップ風景をみれば、どこにでもある自分だけの服を楽しみたい主婦の手芸教室だと思うでしょう。それは間違いではありません。子供向けのコースもあると聞けば、「なるほど、子供にモノを作る面白さを教えるわけね」と納得しやすいです。

が、一歩奥に入り、古びたプリントの型が棚に重ねてあるのをみると「只者ではない!」とピンときます。これはズッキコレクションの一部で、18世紀から20世紀初頭に至るまで欧州各地で使われた5万個以上の手製プリントの型なのです。大量生産時代に入る前の型が実際に使える状態になっていて、自然染色の材料もそろっていますから、思いのままに生地で「遊ぶ」ことができます。しかも、そこかしこにある台から小物のモノ掛けに至るまで、すべてテキスタイルやファッション関連の生産施設で使用されたものという徹底ぶりです。そして、ここの主宰者がイタリアの大手テキスタイルメーカー・ズッキのオーナーファミリーの人間で、ビジネススクールのプレジデントであり、イノベーションが専門であると知ると、この工房の「野心」が想像できるようになります。

生地ストックには困りません。大量生産メーカーでは使いきれなくなった捨てる寸前の端切れ扱いの生地であっても、100着分くらいは余裕です。これを一人一人がユニークな服を作ることに使えば100人が喜べるわけです。200年前のプリントのデザインを実際に活用することで、200年前の繊維産業に従事する気持ちを推し量ることができるかもしれません。また、それによって1950年代の由緒あるホテルで使われていたテーブルクロスは蘇ります。色を工業製品に頼ることなく植物から得ようとすると、インドやエクアドルの人を頼ることになります。彼らの収入になり感謝されるかもしれません。が、その独特の色をそれなりの商業ベースにのせようとするとキャパが追い付かず一挙に破綻します。とするならば、そういう技術をもった世界各地の人たちがネットワークをもてばどうなるだろうか?という方向に頭がいきます。

冒頭で「世界のすべて」と表現したのは大げさですが、この工房にいると、200-300年の時の流れ、世界を巡るビジネスの勢い、その勢いのなかで右往左往せざるを得ない人々の事情と気持ちが手に取るように、いや、まさしく物理的に手に取って分かってくるのです。それはなにも低迷しがちなテキスタイルやファッション産業の再生のためだけでなく、これらの産業にいない人たちも、自ら手にしている生地を眺めながら、大きくは自分のフィールドの変革やクリエイティビティへのヒントをえやすい条件がここにあります。田舎でろくろをまわして陶器を作るのもいいですが、これほどには小さな創造性から大きな創造性へのマップが描きずらいのが普通ではないかと思います。

ボタンやジッパーだけでなく、服を作るに必要なこんな小さな道具の数々まで売っています。そして左には、受け取った名刺が突き刺さっています。これらをかけてあるのも繊維を作るに使用されるものです。これをみれば「サステナビリティ」や狭義から広義に至る「デザイン」という言葉の意味を実感するに違いありません。

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