家電と家具の境界を考えるにあたり、ちょっと別のアングルからこのテーマをみましょう。ずばり、書籍はどういう位置にあるか?です。本棚はいうまでもなくインテリア側に入ります。しかし、そこにある本はいったいどうなのか?本はインテリアなのか?です。まず、本を置いている本人が「ぼくは本なんて読まないよ。ただ、ちょっと知的な雰囲気を出したいので置いているだけさ」と言えば、これはインテリアとしかいいようがないでしょう。どんなに沢山天井まで壁一杯本で埋まっていたとしても、インテリアです。が、壁一杯の本を「インテリアとしても恰好いいですね!」と褒めると、「いや、ぼくはそういうつもりじゃないんだ。ただ、場所がないから書斎からはみ出ているだけ。インテリアとして見られるのは心外だなぁ」と不満をいう人もいます。
ここで気づくのは、後者はインテリアとは表面的な装いであり、それは内面と切り離されたものだという定義をしていることです。したがって、できれば自分の書籍を他人には見せたくないと思っています。一方、前者はインテリアをもう少し内面を表現するものとして捉えていますが、そもそも本で恰好がつくだろうと思う程度の知性しかないから、その境界線は曖昧なところにあるとの見方ができます。ただ、これは本それ自体のポジションをどうもつかの価値観にもかかわり、本は生きるにあたり必要な絶対的存在と考えるようなタイプにとっては、インテリアの定義がどうあれ、本は神聖な扱いをしないといけないと考えるでしょうー今や希少な存在と思いますが、電子書籍の論争で垣間見れることもあります。
そう、電子書籍の話では、電子デバイスというハードとしてのカタチはどうでもよく、コンテンツにフォーカスされます。あるいは、その便宜性、いってみれば人の活動を如何にスムーズにするかというか、「そのために何かをやらなくてもよい快適性」ーデスクトップPCはあるところまで行き、椅子にすわり、起動までの時間を待たないといけないーを追求するところに興味の対象があります。もちろん物理的スペースの効率利用という大テーマがあるわけですが、大前提として「ターンキー」的というか「ワンストップ」的にというか、身体がどう動こうが身体に同伴することが、こうしたデバイスの目標になっています。
それはどうしようもなく、コンテンツという王様から離反することはできない・・・。これは、本はインテリアかどうかではなく、本はファッションかどうかに移行しているとみるべきでしょうー文庫本をファッションととらえた時代があったとは違う意味で。こうしてコンテンツに「付随する」デバイスは家電というジャンルに入らなかったけれど、家電はどんどんとネットワーク機能をもつことで、あらゆる境界を自ら広げつつあり、「俺、家電とは呼ばれたくないけど・・・」というモノたちをも家電の世界に引きずり込んでいるー通信機器からすると、家電を取込んでいるという状況になります。
で、家電と家具です。前述したように、本という存在が主観的にも客観的にもインテリアのなかで揺れ動き、それがファッションの一部にさえなりつつあるというなかで、家電と家具はずいぶんと古典的な問題です。デザイン家電に象徴されるように、両者は対等ではなく、インテリアに組み込まれることで地位をあげるといった思考が隠されています。家具はデザインの世界で、家電はデザインではないという前提で成立しているかのように・・・そんなことないんですけど。それでは、照明器具はどうでしょう。