ミラノサローネ2011 の記事

Date:10/12/14

家電と家具の境界を考えるにあたり、ちょっと別のアングルからこのテーマをみましょう。ずばり、書籍はどういう位置にあるか?です。本棚はいうまでもなくインテリア側に入ります。しかし、そこにある本はいったいどうなのか?本はインテリアなのか?です。まず、本を置いている本人が「ぼくは本なんて読まないよ。ただ、ちょっと知的な雰囲気を出したいので置いているだけさ」と言えば、これはインテリアとしかいいようがないでしょう。どんなに沢山天井まで壁一杯本で埋まっていたとしても、インテリアです。が、壁一杯の本を「インテリアとしても恰好いいですね!」と褒めると、「いや、ぼくはそういうつもりじゃないんだ。ただ、場所がないから書斎からはみ出ているだけ。インテリアとして見られるのは心外だなぁ」と不満をいう人もいます。

ここで気づくのは、後者はインテリアとは表面的な装いであり、それは内面と切り離されたものだという定義をしていることです。したがって、できれば自分の書籍を他人には見せたくないと思っています。一方、前者はインテリアをもう少し内面を表現するものとして捉えていますが、そもそも本で恰好がつくだろうと思う程度の知性しかないから、その境界線は曖昧なところにあるとの見方ができます。ただ、これは本それ自体のポジションをどうもつかの価値観にもかかわり、本は生きるにあたり必要な絶対的存在と考えるようなタイプにとっては、インテリアの定義がどうあれ、本は神聖な扱いをしないといけないと考えるでしょうー今や希少な存在と思いますが、電子書籍の論争で垣間見れることもあります。

そう、電子書籍の話では、電子デバイスというハードとしてのカタチはどうでもよく、コンテンツにフォーカスされます。あるいは、その便宜性、いってみれば人の活動を如何にスムーズにするかというか、「そのために何かをやらなくてもよい快適性」ーデスクトップPCはあるところまで行き、椅子にすわり、起動までの時間を待たないといけないーを追求するところに興味の対象があります。もちろん物理的スペースの効率利用という大テーマがあるわけですが、大前提として「ターンキー」的というか「ワンストップ」的にというか、身体がどう動こうが身体に同伴することが、こうしたデバイスの目標になっています。

それはどうしようもなく、コンテンツという王様から離反することはできない・・・。これは、本はインテリアかどうかではなく、本はファッションかどうかに移行しているとみるべきでしょうー文庫本をファッションととらえた時代があったとは違う意味で。こうしてコンテンツに「付随する」デバイスは家電というジャンルに入らなかったけれど、家電はどんどんとネットワーク機能をもつことで、あらゆる境界を自ら広げつつあり、「俺、家電とは呼ばれたくないけど・・・」というモノたちをも家電の世界に引きずり込んでいるー通信機器からすると、家電を取込んでいるという状況になります。

で、家電と家具です。前述したように、本という存在が主観的にも客観的にもインテリアのなかで揺れ動き、それがファッションの一部にさえなりつつあるというなかで、家電と家具はずいぶんと古典的な問題です。デザイン家電に象徴されるように、両者は対等ではなく、インテリアに組み込まれることで地位をあげるといった思考が隠されています。家具はデザインの世界で、家電はデザインではないという前提で成立しているかのように・・・そんなことないんですけど。それでは、照明器具はどうでしょう。

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  | 
Date:10/12/12

そろそろ「ミラノサローネ」シリーズの4年目を書こうかなと思いながら、何の話題をトップバッターにもってこようかと考えていました。そのとき、日経ビジネスオンラインの連載「ローカリゼーションマップ」で取り上げたパナソニックの欧州白物家電戦略について書いた記事について、Twitter上でかとうけんたろう(http://twitter.com/kentarouster)さんが、以下のコメントをくれました。

「日本って照明器具を軽んじてる。イタリアなんかは照明器具ってデザインの花形だったりするわけでしょ?家具を買う文化か家電を買う文化かの違いかな。今後否が 応でも家具と家電は境界があまくなる。ヨーロッパ製品はやっぱり日本製品より魅力的なものを多く出しそう。ダイナミズムが違う」

「ぼくは家電的なものは極力生活から排したいんですが、多くの人は家電でコーディネートしたいと思っているようで。。。。。だからデザイン家電みたいなわけわからんもんが。。。。。」

パナソニックの白物家電に関する記事では、ヨーロッパでは冷蔵庫は「冷えるキャビネット」としてインテリア側の範疇に入る話を紹介しました。かとうさんのコメントは「冷蔵庫を家電サイドに入れるか、インテリアサイドに入れるか」の見方の議論より、何をもってインテリアデザインの発想のベースとするかを問うています。当然、流れる時間も違う。TVを10年もてば「それなり」かもしれませんが、ソファーが10年では短いでしょう。

長くキープされるモノが空間の骨格を作り、短期で回転するモノがそのなかで踊っていく。それが極めて自然な考え方ですが、そのようなことを当然のこととして認識しながらも、どうしてもその場その場、あるいはその時々で短期的なモノで骨格を崩すことに後ろめさたをもたない。これが、かとうさんの日本での家電と家具の関係の指摘のバックグランドにあるのではないか?と想像しました。

デザイン家電という言葉はさすがに最近はあまり使われなくなったように思えますが、単に言葉が使われないだけで、意識はそう変わってないでしょう。空間において補完的存在であるものが、補完的存在を自己否定する振る舞いをするのが「デザインのコツ」のように表現されることがあります。デザイン家電はそれよりは「マシ」なポジションからスタートしているにせよーそれ自身の機能が主役を演じるモノが多いー、この家具と家電の境界線を考えることは極めて大切だと思うので、「ミラノサローネ2011」は、このテーマを出発点とします。

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