ミラノサローネ2011 の記事

Date:11/4/14

プラスチックは1950年代から70年代にかけて新しい素材として、木や金属に置き換わる位置を占めるべく大躍進を遂げました。スカンジナビアデザインからイタリアデザインに中心軸が移動したのも、プラスチックが大きな要因だったと言われます。技術イノベーションが世界のデザイン図を変えたわけです。「これもプラスチックでできるんじゃないか」「プラスチックを使えば、もっと自由な形状を表現できるのではないか」という自問が飛び交っていた時代です。

その後もプラスチックはどんどんと進化し、当初の安物イメージを脱して質感の高い仕上げも可能になっていきます。日経ビジネスオンラインの「ヴェルサイユ宮殿に村上隆が連れてこられた」で書いたように、村上氏の作品は17世紀バロック建築の空間で全く素材的な違和感を醸し出しませんでした。しかし、石油を原料とする限りにおいて激動の中東政治と無縁であることはなく、あるいは環境面からリサイクルをせまられ、プラスチックはかなり悪者イメージを時々に背負わされてきた運命があります。「反エコロジーだ!」と声を高める人にとって、自然素材こそが尊重すべきもので、木はもちろんのこと、セラミックも同じ理由で「愛され」てきました。

今年のサローネを眺めていて思ったのは、「エコロジー」という言葉の終焉。それに替わった「サステナビリティ」という言葉も次の言葉を探している。そういう予感です。もちろん、それぞれの言葉自身がいい悪いではなく、その言葉の意味するところ、つまりは「範囲や深さ」がより再定義せざるを得ない状況になってきたということです。言い換えれば、人々がそれだけ大きなテーマであることを自覚してきた証でもあります。そして、現在、日本が抱える災難が、この再定義作業のスピードを加速させています。

更にモノのレベルに落としていうならば、リサイクル技術のおかげでプラスチックが悪者と見られると恐れる必要がなくなったため、デザインを考えるに素材の選択がより自由になりました。それをプラスチックゆえの多彩さでカラフルに表現しています。時代の心理的背景でポップなカラーを求めるだけでなく、素材の制限条件からの解放感がそこにはあります。この現象をプラスチックへの回帰と言ったら間違えです。プラスチックの戦力復帰と表現すべきです。加えて、ボリューム感。昨年も一回り大きくみせる「膨張感」について触れましたが、従来の1.2倍から1.3倍のサイズ感がとても「今的」です。だから不幸なことに、サテリテでみる日本のデザイナーの作品にある質感やサイズ感が、文化的差異による表現の違いだけでなく、トレンドからあまりに外れたイメージに見えてしまいます。残念です。(サテリテについては別のエントリーで書きます)

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  | 
Date:11/4/9

MiArt はミラノのアートフェアです。イタリアではボローニャやトリノのアートフェアが注目されやすく、ミラノのそれは若干影が薄いとされています。そのアートフェアが、今年、サローネの前週に開催されると聞き、これは行ってみるべきだと思いました。プログラムを見ると、ミラノがアートとデザインあるいは建築やファッションとの連合で、経済的価値を高めていく戦略をアピールしようとの意図が伺えます。今でこそサローネは世界中からあらゆるジャンルの人が集まるデザインの祭典になっています。が、かつては家具見本市以上のものではありませんでした。今、その力を使って、更なる変容を狙っているのでしょう。

アート界は、これまでサローネにあまり関心を向けてこなかったようです。個々のアーティストが何らかのデザインに関わることがあっても、サローネにあわせてアート界全体が何かをやるという意思が見えることはありませんでした。ビジネスセンスのある人間が、「これでは、あまりに経済効率が悪い」と考えるのは当然でしょう。また、ファッションブランドもアートをコレクションしていますから、この資産価値の向上と有効利用を高めるための土壌があればと願うのも自然です。ことは、このように夫々の事情と要望の重なり合いで形成されていくと考えるのが妥当でしょう。そして、これを戦略的にどう練っていくかが大切です。その実践例が、このミラノで進行しています。

今年のギャラリー出展数はかなり絞られています。アーティストを自分で育てていくのではなく、有名な作品の流通にコミットするセカンダリーのギャラリーは少なくなっています。そして、何よりもミラノを中心としたイタリアのギャラリーがメインになっています。ワインにおけるテロワール戦略と同じだと思いました。ロンドンやNYと同じであることを目標とするのではなく、国際的に活躍するアーティストを擁するミラノ(あるいはイタリア)のギャラリーであることに意味を持たせるのです。だから、他のアートフェアと傾向が違っていることこそがアピールポイントになる可能性があります。まだ、それが成功するかどうかは分からないですが、「現在進行形」で伸びる芽をよく観察しておきたいと思います。

会場を歩きながら思ったのは、抽象的思考ほどユニバーサルで時を超えるものはないということです。作家の多くは、何らかの抽象的思考を経て構想を組み立て、さまざまな表現方式をとっている。その思考が、ぼくの脳裏にダイレクトに入り込んでくる。そんな感じをもったのです。抽象思考で説得できる強さを思いました。表現されたものが抽象か具象か、写真か彫刻か、それには関係なく、ある思考がそれ自身で伝えられる。もちろん、多くはぼくの一方的な理解で、作家からすると誤解であるかもしれません。しかし、一般によく言われることと反対に、感性的な部分での共有より、抽象的思考のほうが、よほど共有性が高いのではないか。そう考えました。感性は個別ケースにあまりに依存しますが、抽象的思考はいわば大きな枠組み、キャンバスを用意することができ、個別ケースに頼らない。

この抽象思考の緻密度や充実度が、実は作品に「強さ」を導くのではないか。別の言葉で言えば、「コンセプトがしっかりしている」ということになるのでしょうか。

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  | 
Date:11/4/6

2008年版の最終回です。

ある国の対外イメージを作り変えていくことは、綿密なプランで可能であることを示唆しています。

5月9日

以前、あるドイツ人のデザイナーに「あなたのイメージする日本とは何ですか?」と聞きました。そしたら即座に「静と動のバランスだ」と答えながら、桂離宮 の本を出してきました。 「この空間が静だ。動はカワサキなどのバイクに代表されるイメージ」と言います。桂離宮の解説は丹下健三によるものでした。桂離宮は十分に知れた存在です が、外国人は自国民が忘れてしまったような、あるいは見たこともないようなエレメントを取り出してきてイメージを作るのです。そして、情報をリアルに短時 間でアップデイトできませんから、いきわい長いスパンでイメージが固定化されます。これが国民性と言われるような曖昧な指標になっていきます。

「共感」という言葉がキーワードになりやすい世の中になっています。しかし、その言葉は限定的に使うべきだと思います。

5月12日

ぼくの友人が数ヶ月前こう語りました。

「イラクで100人が殺されたと報道するのはいい。でも、そこに悲しみや怒り、あるいは憎しみという感情を入れてはいけない。こころは、その場と時を共有してはじめて伝わるんだ。そのラインを超えてはいけない」

今という時代、ネットでこころが瞬時に世界を駆け巡る。これはだめだ。ブッシュは911でこれをやったんだ。グーテンベルグの印刷術では、そう いった即時性はなかった。が、今は瞬時だ。そしてTVは対多数だった。しかし、ネットの一対一で連鎖していく。ここに、今という時代の本質があると思う」

文化は静的ではなく動的であり、かつ変化のスピードは地域によって異なります

5月13日

久しぶりにミラノサローネに来た建築家が興味深いことを言っていました。

「いままでイタリアの建築は、建材の使い方などでも非常に保守的で、ドイツやフランスで使っていても使わないことが多かった。耐久性に対する疑念や 不安感がいつもつきまとう。その傾向は今も変わらないが、ガラスや鉄をより多く使うようになったのは確かだ。ボビザのミラノ工科大学やあの周辺の建築物を みていても、イタリア建築が軽さへ着実に進行しているのは確認できる。こういうのは市内を歩いているだけでは分からない。郊外の新しい建築を眺めてみない といけない。2015年の万博にむけて、どんどん新しい建物が増えていくので、ミラノ郊外は要注視だ」

「ミラノに入る高速道路でわざわざ傾けたビルをみたけど、最近、捩れや傾けた建物のプロジェクトが実に多い。あれはすごく金がかかる。お施主さんに もえらい負担だ。そんなにまでコストをかけて、ああいうフォルムにすることが、本当に良いことなのか、自信をもって『こうだ』 と言い難いと思うようになってきた

軽いことに価値観が移動している、本当に良いこととは何なのか断言しづらいことが多くなってきている。こういうことを建築家は最初の二つの例をあげて示唆 しています。三つ目は日本の発信力の弱さを指摘しているわけですが、同時に、発信力次第では、混沌とした状況のなかで、あるポジションを作ることが可能と も考えられます。時代は変わることは変わります。しかし、ドイツやフランスとイタリアの建材の使い方が違うように、その変わり方とスピードには文化差があ ります。この見方をおさえたプレゼンをしないと、欧州の人たち、それもデザイナーではなくビジネスサイドの人たちの納得を得にくいということになります。

5月15日

最近デザイン関係のブログを読んでいて気になることがあります。いわく「このごろの日本のデザインには深みがない。哲学や思想がない」という批評です。結 論を言いましょう。必要なのは、コンセプトです。欧州のデザインが深いかどうか。それはおよそのところ、考え方の骨格がしっかりしていることが多いという ことでしょう

欧州文化の特徴を四つ書いています。一つ目は連続性です。

5月16日

連続性とは、論理的連続性、地理的連続性、 時間的連続性、この三つを指します。まず論理的連続性、これは(3)で書いた「ヨー ロッパの人たちは、パワーポイントではなく、まずワードでびっしりと文章を書くことが多いです。もちろん分野にもよります。あくまでも比ゆ的な話とし て読んでください。目の前に陳列されているのがプロトであれなんであれ、この文章に書いてあることを理解することがキーです」が該当します。道を覚えるのも、通りの名前を連続で水平に覚えていきます。日本人の多く、特に男性が鳥瞰的にゾーンで覚えるのとは違います。

欧州文化の特徴、二つ目です。コンテクストの存在

5月19日

欧州文化の特色、二つ目です。「コンテクストの存在」と書きましたが、コンテクストとは、テキストを共有するという意味です。つまり、同じベースをもって いるかどうかということです。あくまでも日本との比較ですが、日本では歴史の把握に連続性が欠け、皆が同じように持つべき知識や観念が断片的になっている のに対し、欧州では、「まだ」共通の話題が持てる傾向にあることが、コンテクストの存在を挙げた理由です。

欧州文化の特徴の三つ目はメインカルチャーへの敬意です。

5月20日

「メインカルチャーへの敬意」です。メインはサブカルチャーに対応するものです。ハイカチャーと言っても良いでしょう。もともと大衆文化に対比して位置づ けしますから、かつて大学の教養科目に入ってきたような哲学や純文学などが対象になります。ただ、ポップミュージックや漫画も大学での研究対象となってき ている今、 全てがなし崩し的にメインカルチャーになった感もあります。いずれにせよ、こうしたメインカルチャーに対する敬意が残っていて、それがより日常生活に近い ところで生きている。それが欧州文化だと思います。

欧州文化の特徴の四つ目は、多様性の維持です。

5月22日

欧州文化とは何かの最後の項目です。「多様性の維持」は、EUのポリシーに典型的に表現されています。EUでは実際に個々に話す言葉は英語やフランス語に なっても、正式な会議では全て各国言語の通訳がつき、文書も翻訳されます。各々の文化の根幹をなす言語については、どの言語にも優勢性を与えることをしな いわけです。膨大な費用になります。しかし、それを必要コストとみなしています。もともと様々な文化が共存する欧州ですが、ここで紹介したポリシーは、人 々の感情を刺激しない工夫のひとつだと思います。

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  | 
Page 4 of 9« First...23456...Last »