ミラノサローネ2011 の記事

Date:11/4/16

アートギャラリーの壁は普通、白です。作品の背景に色をつけない。また、白はコンセプトの骨格を見せやすい色でもあります。そういう色だと分かっているのですが、サローネを歩き回っていて、この白がどうにも「古臭く」見えてしまうのはどうしてなのだろうと思いはじめました。(17)で書いたようなカラフルなプラスチックに目が馴れているからなのか?と当初、思いました。しかし、そういう問題とは違うところに理由があるはずだと考えるに至ります。13日、サテリテで山本さんの作品を見たとき、他の多くのデザイナーたちがプロトの量産化に専念しているなかで、アイデアのプレゼンに特化しているのは、とても好感がもてました。

ただ、壁もインスタレーションのマテリアルも全て白いことが、ぼくにはひっかかりました。昨年、同じ場所でモッツァレッラチーズをイメージしたスツールを彼は発表しましたが、その時、ぼくはその白い作品がすっと目に心に入ってきました。でも、上の写真の白には違和感をもちました。山本さんは、このマテリアルを使用する制約条件もあったようですが、コンセプトをよく説明してくれる色であると説明してくれます。それは分かるのですが、どうもぼくは腑に落ちません。なぜ、そういう心境の変化がぼくの内に起こったのだろうと思います。そこで、ふとトリエンナーレでみたオブジェが想起されました。

日常にある西洋的なモノの文脈を解体し、それをインドの文化にフィットさせるオブジェです。西洋にある日常的なモノとは便器です。通常は白い便器が、色と組み合わせで全く違ったコンテクストを作っています。ぼくは、これを見たとき、ローカライズの発想のヒントになるなと思いました。文脈の解体という点に我々はもっと習練すべきではないかを気づかせてくれていると考えたのです。そのうえでの文脈の再構成ではないか、と。白い色でコンセプトを見やすくすると考えるのではなく、白い色が既にバイアスがかかっている色であるということに注視し、その文脈自身を解きほぐすことにまず意味を見出す時代になっているのではないか・・・と、そうぼくは感じ始めたようです(あえて、傍観者的な言い方をしますが)。

この数年、天から光を受けたような印象を与える、上の写真のような表現をあちこちで見ます。このようなインスタレーションが凡庸になっているところで、ここで使う白にも何か痩せ細ったコンセプトと目に映ります。膨張感のあるものに親近性を感じているときに、痩せ細ったごつごつした存在が、まるでダイエット中の禁欲性の象徴のようで、「ご立派だけど、ぼくが今欲しいのはそれじゃないし、世の中には色があるんだから、その条件でコンセプトが成立するのを見たいんだよ」と言いたくなってくるのです。「脆弱なプロトタイプでお腹一杯にしたくないんだ」とも語りたい。だから、オラ・イトのシトロエンの2つのプロトも見方が違ってきます。

これは2010年の”EVO MOBILE”です。これには、ぼくの心はあまり動かない。しかし、今年のUFO(下の写真)には唸ります。1950年代のDSのラインが如何にフューチャリスティックであったかを知らしめ、シトロエンのアイデンティティの強さに感心するのです。

これは白ではない。もちろん、色だけが判断の決定要素ではありませんが、白で表現しようとする発想プロセス自身に、ぼくが何らかの不足感を抱いてしまっていることが、だんだんとわかってきました。

吉岡徳仁が霧が充満するような空間に白い椅子をおいたことにOUT OF DATE な印象を抱いたのは、2005年の石上純也のレクサス展示と似ているからではなく、この白を巡る発想への疑問から発しているのではないかと気づいたのです。

<追記>

2003年、吉岡徳仁がサローネで霧を使ったインスタレーションを発表しているとの指摘を受けたので、そのイメージを以下にご紹介しておきます。

http://www.tokujin.com/art/clouds/

Date:11/4/15

ぼくは、過去毎年のように、フオーリサローネでのレクサスの展示について散々批判をしました。特に、デザインフィロソフィーのL Finess のあり方は量産高級車市場のコンセプトとして間違えであると書きました。文化はトッピングで使うべきなのに、レクサスは、コンセプトの中に日本文化を入れ込もうとしている、と。そのトヨタが一昨年、グローバル戦略からローカル戦略に舵を切り、レクサスのサローネ参加もなくなりました。レクサスの販売は米国市場では成功しましたが、欧州市場では失敗したのは、サローネにおける展示を見ていれば一目瞭然でした。欧州で売れる文脈にのっていればやらないであろう、見せ方をしていたのです。

その後の日本企業の「見せ方」を確認するべく、昨日、トルトーナに出かけてみました。展示を眺めていて気づいたのは、どこの企業ブースも日本人スタッフが多すぎることです。隅々に日本人が立っている。日本の流儀らしく、事前に綿密なプランをたて、そのプランがお互い実行されているか、必要以上に気を配りあっているのが彼らの動きをみていると分かります。もちろん、気配りは悪いことではないのですが、何か窮屈なムードを醸し出しています。イタリア人のコンパニオンの女の子の選び方をみても傾向があり、ややまじめそうな「日本寄り」な子が多い。フオーリサローネは「実験的なアイデアへ直接の声を聞く」「即の商売の結果を狙わない部分での認知度向上」というイベント全体のコンテクストを参加企業は理解したうえで、企画しているのか?という疑問が出てきます。韓国のサムスンや台湾のhtc の展示との比較で見ると分かりやすいです。

実は問題は単にスタッフの配置の仕方にあるのではなく、こういう配置をしようとする考え方そのものに潜んでいます。日本の本社での基準そのものを全て適用しようとする(いや、しようとするというより、それ以外のやり方の存在が目に入っていない)、結果的に、そこに嵌りきれないものにはチェックを入れるべきという態度を表明しているように見えるのです。いわば「異なるものへの許容度の低さ」が、日本人スタッフの数の多さとなって表現されていると解釈できます。本社の意向としては、なるべく多くのスタッフに現地の経験を積んで欲しいという願いもあるでしょう。それなら、「私服警官」ならぬ「私服社員」として、如何に影となってフィードバックを受け取るかということを課題にすべきだと思います。

キャノンはカメラのプロモーションをとても上手くやっているという印象をイタリアで持ちます。ファッションショーの入り口にキャノンのスタンドがあったり、バスの停留所のガラスに大きなポスターが目を引きます。写真撮るのっていいよね、と思わせる絶妙な場所にそういう広告があります。しかしながら、サローネでみるキャノンはどうも、こういう日常でみる上手さから乖離しているように感じます。レクサスは売れていない場所で外れた展示をやっていたという問題がありましたが、キャノンは逆です。「なんであのキャノンがこうなの?」という距離感というか違和感をもちます。それは、本社の意向の問題との絡みでいえば、本社の事業部やイタリアの販社が築いてきているだろう文脈と無関係な感じが、マイナスの結果を生んでいるのではないかと疑わせるのです。

ここにもう一つの問題が隠れています。このイベントや展示の位置づけが外部に不明である環境で(ブースのどこにも、そういう背景説明はありません)、この種のインスタレーションの良し悪しの判断はあまりに微妙すぎます。プロモーションすべき製品が何なのか、それを選んでいる理由が何なのか、そこで表現手段と場所をどういう背景で選択しているのかの明確化です。これが展示されている製品から明らか、あるいは受け手の文脈で自然なケースでは特に不要な説明ですが、受け手に何らかの混乱が予想されることをあえてやるときには、それなりの分かりやすさが期待されます。受け手を混乱させることでインパクトを与える手法として選んだとは思えず、「こうした整理がないままにミラノに来てしまった」と思わせるから、こう書くのです。だからこそ、日本人スタッフの数ときめの細かさで綻びを辻褄あわせしようというなら、何をかいわんやです。

震災で厳しい環境がこれから続きます。今後、プロモーションの目的と手段の選択がより精査されるはずです。そこで、ミラノサローネをあえて使うなら、もう一度、この場の意味と「市場が見る目」を問い直してみることが必要かと思います。

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  | 
Date:11/4/14

カリム・ラシッドは量産化になったデザイン点数が3000以上あると聞いて、その精力ぶりに驚きます。引退間際のベテランではない、ちょうど脂がのっているデザイナーが3000以上というのは尋常ではない数です。彼のタレントに頼る企業の多さもあるでしょうが、それだけ、彼自身が営業熱心ということでしょう。トリエンネーレでは、彼の「営業の戦果」が披露されています。実に優秀なビジネスマンであることが一目で分かります。にも関わらず、アーティストのような振る舞いを意図的に使っているところが憎いです。

アーティストであるようなイメージを出しながら、クライアントの実力に合わせて、ちょうど良いボールを投げ込んでいるさまが見えます。ぼくは、それをB-LINEのスタンドで行われたプレスミーティングで感じました。まずは、彼が来る前の様子から。ぼくが行くと、社長のジオが近づいてきます。

しばらくカリム・ラシッドの新作に座りながら雑談しているところに、スタッフが集まってきます。

ちょっと時間があったので、ぼくはその間に他のブースを回り、戻ってくると、ジャーナリストが集まっていて、しばらくすると主人公の登場です。

彼はエスプレッソじゃなくてカプチーノが欲しいのですが、なかなか到着せず。彼のトークがスタート。

この日の彼の服装は、空色のスーツ、ブルーのフレームのメガネ、ピンクのシャツ、靴下、スニーカー。個人的に羨ましいです、こういう恰好ができることが。

終わると、ジオと雑談。

カリム・ラシッド、よく喋る人です。

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  | 
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