ミラノサローネ2010 の記事

Date:10/4/21

先週、サンバビラ広場の近くで「ハンブルグにチャンピオンリーグ決勝を見に行こう」というパネルを背負った集団に出会いました。下に「4月17日、スフォルツェスコ城においで」と書いてあり、どういうイベントが17日のあるのかなぁと思ったのですが、気になったのは、一人のカメラを抱えた女性。

「ちゃんときちんと並びなさいと言ったでしょう!!」と怖い声で叱りつけながら、一眼レフカメラを彼らの背中に向けます。

するとパネルが言われるようにだらだらと整列しなおします。チャンピオンリーグが何か寂しさを漂わせるような・・・パネルを背負った顔の数々をみると、「しかたがないなぁ」という顔をしています。スポンサーが、この名前の上の会社なのでしょう。スポンサーから仕事をもらったカメラマンはちゃんと撮影しないといけないし、アルバイトの男たちは指示に従わないといけない。なにかピリピリしたムードがあって、このスポンサーにぼくはよいイメージを持たなくなりそうですーまあ、本論に関係ないですが・・・。

そして今日、サンシーロスタジアムではインテルとバルセロナの対戦。アイスランドの噴火で飛行機が飛ばなくて、バスでミラノに来たであろうスペイン人たちが大声で街を練り歩いていました。

およそサッカーのサポーターたちの行儀はあまり良くないですが、スペイン人たちの行動を見ていると、英国人やドイツ人よりはましかなという印象をもちます。昼間からの酔っ払い率が低いように思えます。試合は3-1でインテルが勝ったので、今ごろスペイン人たちは管を巻いているかもしれません。あるいはイタリア人にからかわれて口論をしている最中かも。しかし、基本を言うならば、ヨーロッパクラブサッカーにおいて国籍は二の次です。クラブが第一です。バルセロナを好きなイタリア人もいるし、インテルを好きなスペイン人もいるという風に。そして、この週日に行われるチャンピオンリーグが「ヨーロッパを意識する日」ー週末は各国リーグに嵌るーなのですが、「ユベントスを応援するドイツ人」というエントリーを昨年12月17日に書いています

市場適合性についても、これはかなり前提条件によって左右されます。市場は場所に限定されるのか?という質問があります。もちろん、違います。世代という 時間軸も入ってきます。違った国のある世代のある階層の人達が示す特徴は、同じ国にいる異なる世代の異なる階層にある共通項より多いかもしれません。いわ ば、文化のカテゴリーわけの話になります。しかし、チャンピオンリーグで地元のバイエルミュンヘンを応援しないでユベントスを応援するドイツ人とイタリア 人の間に共通の傾向があっても、W杯ではドイツ人はドイツをイタリア人はイタリアのチームを応援するでしょう。これは、ある嗜好性は、次元の違う世界に入 ると通用しないことがある事例です。人はあることを全ての場合において受容するのではなく、ある限定条件のもので受容するわけです。

文化の多元性と人の多面性について触れました。ぼくは街中のバルセロナファンを見ながら、トリエンナーレでみたYoung Creative Poland を思い出し、上記の自分で書いた文章について考えていました。イタリアにおいて、スカンジナビアのデザインに対して敬意を表しながらも、同じ地中海エリアのスペインのデザインを好む層は少なくありません。が、明らかにオリエンタルよりスカンジナビアに親近性を持ちます。Aを評価する時には、BやCとの相対的な地図があります。問題は一人の人間が、あるいはある市場が「全てを同じように好きだと言い、全てを高く評価する」と明言することはありえないので、必ずパイの奪い合い、または椅子取りゲームの構造になっています。つまり知るべきは、ある趣向や傾向のデザインのそれぞれの市場規模を良く把握し、どのセグメントでこのプレイヤーが勝負に出ているか?です。そのために文化的なコンテクストを理解する必要がでてきます。ローカリゼーションマップ研究会の趣旨は、この内容に対応します

Category: ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之  | 
Date:10/4/20

ぼくはミラノサローネ2010を書くにあたって、前提を決めました。少々長いですが、一部をそのまま引用します。昨年12月14日に書いた文章です。

よく日本市場で凱旋をするためにミラノで発表する、という何十年前の美術の展覧会ーあるいは、全くその世界では全く話題にならない公会堂でアリアを歌ったことを履歴に書くーと同じような発想とメンタリティとしてはそう違わないところで、サローネを考えている人たちがいまだにいます。それは事業規模を問わずです。

しかし、ぼくは「そういう参加の仕方をしてはいけない」とは表立って言いません。そうしたければ、そうすればいい。ただ、そういうメンタリティ自身が、この今の時代に、ブランドを毀損する可能性があることは自覚しておくべきではないかとは思います。何度も言うように、ブランドとは、「考え方の痕跡の集積」なのですから。「あの会社がそんなつもりで出しているの?!」といわれるのは、マイナスにこそなれ、何のプラスにもなりません。自らが「ガラバコスの象徴」であると世界の人達にわざわざ公表しても何の得にもならない

デザイン表現がどうのこうのという前に、というかデザイン表現に透けて見える、そのメンタリティがまずは批評の対象になることを知っておくとよいです。

こういう考えで、ヨーロッパの人たちに訴求することを第一目的とする場合の表現方法ついて、ずいぶんと書いてきました。ですからサローネが開幕してからは、日本のデザインについて殊更「ローカリゼーションが甘い」と指摘する気にはなれません。でも気になる点があったので、たまたま見学したnendoとキャノンについて少々触れました。今日、トリエンナーレのボビーザで見た玩具の数々をみて、「これがnendoと違うのは何なのだろうか?」と考えました。本職は19世紀から20世紀初頭の家具の修復と販売をしているイタリア人が、子供の頃に玩具を与えられず、工作道具を手にして玩具を作ってきた。その彼の展示です。

「私はこれらを好きで作っているのです」と書いてあります。ただマニアックに手が動いていたのだろうと思うしかない数々の玩具です。これは言葉とおりに受け取ってよい言葉でしょう。しかし、nendoで「私たちはこれらを好きで作っているのです」と3-4ヶ月かけて1000以上の小さな作品を仕上げた風景を前にして受けた説明は、上のマニアックな職人の趣味とは違った解釈をしないといけないでしょう。「好きでやる」と説明してそれが字義通りにとられない、しかも好意的にとられるかどうかの境界線にいる。こういう違いはどこで生じるのでしょうか。狙う市場の規模ークライアントが狙う市場規模ーにかなり左右されるかもしれません。

トリエンナーレのボビーザに足を運んだのは、学生たちの活動や息吹を感じるためです。以前のトルトーナやサテリテの展示は「これ、やってみたらどう?」という気楽さが感じられていたのですが、最近、特にトルトーナはそういう場ではなくなってきました。そこで、何となく雑然とした学生たちの汗を感じることがぼくに必要なのです。完成度の高さなんてまったく問題外で、ひたすら生のアイデアを練りあげていく姿勢を観察すること自身が、もう一つの視点を与えてくれるのです。

彼女たちはプラスチックのブロックを組みあわせて照明器具を作り上げています。そのプロセスをカメラに逐次おさめていっています。下の写真は、スーパーの袋を再生利用する照明です。言っては悪いけど、まったく新鮮さはありません。でも、こういう作品をいずれにせよ出してくる学生のおおらかさにホッとしたりする。軽い白ワインも重い赤ワインも、その時々で料理と気分と体調によって飲み分けるように、サローネを巡る旅もちょっとずつ趣向の違う領域を攻めることが結構重要ではないかとも思うのです。

このトリエンナーレで2月に東京で行われた飲み会で知り合ったライターの方と偶然お会いしました。カフェで心地よい風を感じながら雑談をしたのですが、日本が強みとしてきたディテールの精度の高さが勝負の領域として優先順位が低下した今、やはり世界観の構築で生きていくしかないのがー内田樹が『日本辺境論』でそれは日本の方向ではないと書いてもー、プラットフォームで利益を獲得するビジネス世界のありようであり、その世界観はどうやってできるのか?という話をぼくはしました。それには分業化されない自分を創るしかないでしょうすぐれてメンタリティー自分の内からしかクリエイティビティは発揮できないと確信するーの問題であり、タフであることは当然ながら、人を説得すること自身は暴力的な行為ではないと正しく認識するところからスタートするのではないか・・・・そんなことを話しました。

今日トリエンナーレでみた完成度の低い作品の数々は、そのコンテクストで言うならば、どんなレベルであろうと人を説得することをまったく厭わないとみえます

Category: ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之  | 
Date:10/4/19

日曜日の朝遅く起きてTwitterを覗くと、パスポート、カード、現金、ケータイなど全てを前の晩、ミラノ中央駅近くで盗まれた日本の方が助けを求めていました。ぼくが一度会ったことのある方のお知り合いということもあり、午後一緒に警察に行くことになりましたが、パスポートのコピーを持っていなかったので盗難証明を発行してもらえませんでした。パスポート番号だけでは不十分で、本人であることを証明するものを持っていない人間のパスポートの盗難を証明することはできないという理由です。「領事館は盗難証明書をもって渡航証明書を発行すると言うんだけど」と説明すると、「これはしょっちゅうあることなんだけど、それはパスポートのコピーがある場合の話。それがない場合、領事館には被害者のデータを取れる手段があるのだから、領事館で渡航証明書を出してもらい、それから保険のためなどに警察に来て欲しい。クレジットカードなどを即使用停止にすれば、明朝の領事館の開館を待つことで問題ないはず」と。・・・・ということで、海外旅行の際はパスポートのコピーをパスポートと別に保管しておくようにしておいてください。

・・・というわけで、警察からトリエンナーレへ。Young Creative Poland では、世界は「そこの国のデザイナー自身の生まれながらの才能ではなく、デザイナーの質をあげる教育機関やデザインを必要とする民間企業の存在、あるいはそれを発表する場所の有無」でデザインの中心地が決まってくることをよく物語っています。ここで発表しているデザイナーの何人かはポーランド以外での経験をもとに自国にリターンしています。ポーランドに限らず、どこの国でも留学や海外修行による影響は大きいですが、これを促進し尚且つ受け皿がある(または、ありさえすれば)、かなりのレベルが確保できます。逆に、その点でミラノサローネのイタリアデザインにおける意義は大きいのです。いわば、プラットフォームの存在がものを言います。F1の世界でドライバーの出身国が入賞の時の国旗掲揚以外には出番がない、というのは比喩の一つに考えられるでしょう。

またガエタノ・ペーシェです。「また」というのは、先週もとりあげたし、去年のサローネでも紹介しているからです。しかし、彼の作品が売れるかどうかは別にして、「いやおうなし」とでも言ってもようほどに彼の作品には人が集まってきます。そこで楽しみ、何かを心に残して人は去っていきます。何らかのワクワク感を期待し、それに裏切られない。そして子供たちがとても楽しそうだ。男女の抱擁したL’Abbraccio (左上の写真)の前では同じようにキスをするカップルがいる・・・・ここでエクスペリエンスとは何かをよく考えるとよいでしょう。ここで得るような深い経験を、多分、もっと沢山のお金を使っているキャノンのインスタレーションNeoreal で得ることができない・・・かなり根源的な問題点を含んでいると思えます。

建材メーカーのさほど大掛かりではない展示でも、こんなに人の関心を引き寄せることができるのです。もっとリアルに近寄ったアプローチが必要なのではないかということを示唆する一例です。とてもシンプルでありながら、それを見た人にはしっかりとメッセージを伝える好例がトリエンナーレの庭にありました。

天体望遠鏡のようなカタチをしたチューブが10本あります。しかし、これを覗いても空が見えるわけではなく、その中に書かれている10種類のメッセージを一本一本覗きながら読んでいくのです。一度読み始めた人は、かなりの確率で次のメッセージを読み続けていきます。これは空から降ってきたメッセージではないかと思わせる仕掛けがあることにだんだんと気づきます。

ブレラの美術学校内にある図書館ではキッチン関係のイベントが行われ、二階に上る階段の手すり(右上の写真)には、キッチンの歴史がプレゼンされています。メッセージはきちんと伝えることが重要で、それは受け手の曖昧な想像に一任するというものではありません。何度も本ブログで繰り返し書いていることですが、この基本ルールが守られている展示は好感がもてます。ブレラ美術館の1階の展示(下)は、イタリアのこういう場所でしかできない真骨頂を示しており、ある種の典型的プレゼンでありながら、やはり訴求力の大きいものです。

ブレラ美術館はこの期間中、入場料が無料となっており、駆け足ながラッファエロの絵画などにざっと久しぶりに出会ってきました。そこで確認したのは、歴史を復習する大切さです。これをいつも王宮でやっていたのですが、今回はブレラ美術館で絵画をみて頭の切り替えをすることができました。モンテナポレオーネやスピーガでファッションの先端的な感覚に目を馴れさせ、美術館で長い時の流れを自分の視野として確認したというわけです。これはサローネでデザインを見るときの、目のトレーニングのようなものと言ってよいかもしれません。いずれにせよ、ブレラ地区が少々本気になってきたのはいいことです。

毎年サローネ期間中の市内移動手段として色々な試みが提案され、2-3年ほど前はトヨタがプリウスを提供していましたが、今年はシトロエンのDS3や自転車が使われています。自転車は時代の空気にぴったりとあっています。

ただ空気の問題だけではなく、どうもサローネが家具や雑貨がメインである限りにおいて、自動車には違和感をもちやすいということがあります。それは形態のレベルだけでなく、カーメーカーの予算が(相対的に)圧倒的に多いことからする「はずれ」を感じさせてしまいます。下の写真はモンテナポレオーネにあるシトロエンDS3の展示ですが、あの贅沢さが売りの場所でさせ、その予算の使い方に「どうかなぁ」と思ってしまうのです。ここで「そういえば、キャノンや日本の大手メーカーの展示がどうも空気にそぐわないのは、ローカリゼーションや世界観のレベルだけではなく、その予算の使い方が不自然に見えるのかもしれない」と思うに至ります。

Category: ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之  | 
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