ミラノサローネ2010 の記事

Date:09/12/17

市場適合性についても、これはかなり前提条件によって左右されます。市場は場所に限定されるのか?という質問があります。もちろん、違います。世代という時間軸も入ってきます。違った国のある世代のある階層の人達が示す特徴は、同じ国にいる異なる世代の異なる階層にある共通項より多いかもしれません。いわば、文化のカテゴリーわけの話になります。しかし、チャンピオンリーグで地元のバイエルミュンヘンを応援しないでユベントスを応援するドイツ人とイタリア人の間に共通の傾向があっても、W杯ではドイツ人はドイツをイタリア人はイタリアのチームを応援するでしょう。これは、ある嗜好性は、次元の違う世界に入ると通用しないことがある事例です。人はあることを全ての場合において受容するのではなく、ある限定条件のもので受容するわけです。

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シューマッハはフェラーリに入った当初、ドイツ人であるがゆえに親しみさに欠けるロボットのようなドライバーであると言われ、TVインタビューなどでもイタリア語を話さずに英語で通したことで、イタリアで受けがよくなった。が、連勝をはじめ、イタリア語も公の場で話すようになり、彼のイタリアでの株は上がりました。FIATのCMでも宅急便の運転手というコミカルな役柄を演じたのは、ゼロから親しみさを出すためではなく、ある程度、親しみがあると思われ始めた段階で、よりその方向を引っ張るための演出だったのでしょう。これは市場に受けいられるには、ある目に見える実績が有効ですが、それだけでも駄目だということを語ってくれます。また逆に、シューマッハが最初からイタリア語を話してにこやかであっても、それはそれで反感を買うということもあるでしょう。

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日本のアニメや漫画がヨーロッパのどのような階層に受けられ、その社会階層は社会全体でどの程度に力をもっているのかということを知っている場合と全く知らない場合、前者では大きなミスをおかす確率がかなり減るでしょう。日本の空をポケモンのイラストが入った飛行機が飛んでも、ヨーロッパの空は飛んでいない。ポケモンのイラストが入った銀行通帳が日本にあっても、ヨーロッパの銀行で同じようなことはなかなかない。それは未来永劫そうだというのではなく、ある時点で切り取った場合、そういうシーンの差異がある程度の時間、継続的に見られるということです。この差異を知らないでプレゼンすると、受け手は大きな違和感をもつわけです。

違和感をもたれることを意図的にやったのが村上隆でしょうが、彼は違和感の所在を日本美術の歴史と西洋美術の歴史を自分なりの解読をして、自分が新しいコンテクストを用意して、且つ、それを言語によって西洋人の説得を試みたところに成功の一因がありました。したがって、一見ベタなジャパンデザインを提示することに否と言っているのではなく、もしその方向に舵を合わせるならば、より大変なロジカルな説明をする必要があることを認識すべきです。それであっても、寿司を知らない人が最初に寿司を食べて「美味しい」と言わないのと同様、説得のための時間がかかります。この時間を覚悟できるならば、その道を選ぶのも悪くありません。が、それに対して寛容なのは、レクサスのような大量生産の高級車ではなく、生活雑貨的な分野の場合です。ビジネス規模やその商品のカテゴリーによっても、ある文化があります。その文化コードを読み違えないために、何を知らないといけないか?それは、ユベントスを応援するドイツ人が、W杯でドイツを応援する事例と似たところがあります。

Category: ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之  | 
Date:09/12/14

さて「ミラノサローネ2010」を書き始めたからには、まずはいろいろと前提について話していかないといけないでしょう。何が良くて何が不足かは、およそ前提条件の設定次第です。例えば、誰に評価してもらうと一番嬉しいか?誰に向けて発表するのかということが、意思として決まらないといけない。よく日本市場で凱旋をするためにミラノで発表する、という何十年前の美術の展覧会ーあるいは、全くその世界では全く話題にならない公会堂でアリアを歌ったことを履歴に書くーと同じような発想とメンタリティとしてはそう違わないところで、サローネを考えている人たちがいまだにいます。それは事業規模を問わずです。

しかし、ぼくは「そういう参加の仕方をしてはいけない」とは表立って言いません。そうしたければ、そうすればいい。ただ、そういうメンタリティ自身が、この今の時代に、ブランドを毀損する可能性があることは自覚しておくべきではないかとは思います。何度も言うように、ブランドとは、「考え方の痕跡の集積」なのですから。「あの会社がそんなつもりで出しているの?!」といわれるのは、マイナスにこそなれ、何のプラスにもなりません。自らが「ガラバコスの象徴」であると世界の人達にわざわざ公表しても何の得にもならない。

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デザイン表現がどうのこうのという前に、というかデザイン表現に透けて見える、そのメンタリティがまずは批評の対象になることを知っておくとよいです。「これ、ヨーロッパの人達にはどうかな・・・誰に向ってやっているの?ああ、日本なの。じゃあ、何もコメントする立場にないね。勝手にやれば・・・・わざわざミラノに来て日本向けにやる、その精神構造がぼくにはついていけないからね」と言われるくらいなら、金をかけて出展するより、日本で同金額で他のプロモーション手段を考えるほうが経済効率が結果的にいいはずです。

ですから、ぼくがここで書くことは、ヨーロッパの人たちに評価されることを経済的にメリットがあると思う人達を対象にします。つまり、ヨーロッパの人達が自分の製品を買ってくれる、ヨーロッパのメーカーが自分のアイデアを量産として作ってくれる、ということが第一目標になっていることです。ぼくが2年連続で書いてきた「ミラノサローネ2008」「ミラノサローネ2009」は、基本的にその目線です。その目線でみたときに、2005年からスタートしたレクサスの表現はヨーロッパ市場では明らかにおかしいと書いてきたわけです。

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言葉にならない日本の文化表現こそがデザインコンセプトのコアになると語りー皮肉にも、それはドイツ民族主義の文化表現と同じで、スタイリングのみならず、デザインコンセプトまでもドイツを追従していることに気づかずに、日本は世界で唯一の表現をもっていると誇張したー、結果的に販売台数が伸びていない理由を逆に証明してしまったのです。米国でのメルセデス年間販売台数とレクサスのそれが良い勝負なのに対し、ヨーロッパでは10分の一にも至らぬ数字が、このストーリーを明らかにしました。だからこそ、6月23日、豊田章男社長は新任の記者会見で、従来の商品戦略を改め、市場適合性を重視していくと述べたわけです。

ぼくが語るのは、「ガラバコスではいけないの?」と開き直っている人達に対してではなく、ガラバコスとか何とかは一般的な傾向の話であって、極めて個人的な表現欲求としてもっと多くの人に評価してもらいたいと願い、極めて個人的な経済欲求としてもっと多くの人に買ってもらいたいと願う、そういう人達に対してです。そして、そういう人達が、語りかけるべき相手とは誰なのか?を書いていきましょう。

Category: ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之  | 
Date:09/12/8

このブログへのアクセスを眺めていて、先月はじめあたりから気になることがあります。キーワード検索で「ミラノサローネ 2010」でアクセスしてくる人が急増してきたのです。来春4月のミラノサローネの出展を考えるに際し、トレンドをおさえアイデアを考えていこうという人達ではないかと想像されます(もし、そうであれば、手を挙げてくれると嬉しいです・・・Twitterで返事くれてもいいですが)。「そうか、そういう季節だな」と認識すると不思議なもので、「じゃあ、ぼくも、そのトレンドを考え始めようか」という気になりはじめます。で、それなら、いっそうのこと「ミラノサローネ2010」でシリーズをスタートさせてしまえ!と決めたわけです。同テーマで3年目です。

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ネットの普及によって、ある事件が瞬時に伝わるだけでなく、感情自身も一瞬にして世界に広まるようになってきたーNYの911に象徴されるようにーと皆が認識している一方で、どれかでアウトプットしたからといって、それが全てに広まるわけでもないということにも気づきつつあります。それはTVや新聞の影響力の低下だけでなく、ネット自身でも、どれかに集中投資すれば全てに広がるということにはならなくなっています。海部美知さんの「オバマのいわゆる「Twitterおよびネット戦略」の今更解説」にもあるように、FACEBOOKやTwitterだけで世の中の流れが決まるということはなく、しかしながら、多くのメディアのなかのそれらのエレメントを落とすようでは、戦略を実施したことにはならない。では全てに手を自ら染めないといけないのか?といえばそうではなく、オバマの実例にあるように、ダイナミックに自らが動くネットワークーいわばボランティア的にネットの網を各々が張り巡らしていくーをどうオーガナイズしていくかが鍵になります。

鶏が先か卵が先かということにもなりますが、世の中のフラット化は、色々なメディアで普通の人が発信できるようになったーまさしく、このぼく自身も!-ことと並行して、権威の没落という現象もありました。ある有力な評論家や学者がこうだといえば、その社会事象の判断が正解とされることはなく、すべてはOne of Them であるのが今という時代です。しかし、その一方で個人ブランドの急騰という現象もある。が、ここでいう個人ブランドは、個々人の情報量勝負ではなく、どちらかといえば「社会のある共感を鏡でうつしとる上手さの優劣」という傾向が強いように思えます。だから、その個人ブランドが世の中を引っ張るのではなく、その個人ブランドに表れる意味ーそれは、かつてビートルズや山口百恵でもあったことではあるが、彼らは一般の人びとではなかったーがうねりとなることにより注目しないといけないことになります。

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難しいのは、一見フラット化したようでも、かつての権威ストラクチャーが完全に消滅したわけではなく、それは残骸以上の実質性をいまだもっているからやっかいです。村上春樹流にいえば「やれ、やれ」です。ミラノサローネには30万人以上、それもデザイン関係の人たちがメインで市内500箇所以上のイベントを動きまわり、その動向は従来のマスメディアにもとりあげられるわけですが、ミラノサローネ自身にーパリやミラノのファッションのコレクションが他地域より重視され、今年の東京モーターショーが惨敗気味であったようにー権威はついてまわります。ただ、分野のエキスパートの声が判断の唯一の物差しではないのは確かです。それでは、ミラノサローネに出展する際、誰の意見を聞けばいいのでしょうか?誰のアイデアを参考にするといいのでしょうか?だいたい何を考えればいいのでしょうか?このあたりから、今回のシリーズをはじめてみましょう。不定期に書いていきます。

過去、2008年と2009年のミラノサローネについては、右側にあるブログのカテゴリーから見に行ってください。それぞれ50以上の記事が入っています。

Category: ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之  | 
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