セミナー・講演など の記事

Date:10/3/8

日本のアニメなどで表現される「かわいい」ポップカルチャーが、欧州で公的には隠す領域に属すことを以前、「可愛い女の子が座るスペースと場所」で指摘しました。

AKB48的な「可愛い女の子」を受け入れる社会のなかでのスペースの広さとポジションが常にチェックの対象になります。そこには、往々にして「幼児性」というイメージが想起されるからです。これは社会的に視覚化するのではなく、個人的に隠す方向にいく傾向にあります。

しかし、ぼくは常に未来永劫そうであると言っているのではなく、時間の経過と領域の変貌に注視すべきという意味で言っています。また地域的な差もあります。フランスでロリータファッションの紹介をすることと、イタリアでそれを見せることでは、傾向として似たような反応があったとしても絶対数に違いがでてきます。

ヨーロッパで東洋人と結婚をした男性たちが、割とよく語っていることに、「強すぎない女性がいい」という表現があります。どんなに強いと思われる東洋人で も、ヨーロッパの弱い印象を与える女性よりは「癒される」と言った意味合いが含まれています。AKB48のドキュメンタリーを見ながら、考えたのは、この ことです。AKB48に熱い人達はネットで日本のアニメなどに情報を集めている人達ですが、そういう存在は確かに一定の層を占めています。その彼らが、社会のメインの価値を作る人ではないが、無視できるほど小さくもなく、且つそのレイヤーは増加することはあっても、減少することは当分なさそうです

先週の土曜日午後、東工大の世界文明センター主催のシンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」2日目、「日本的未成熟をめぐって」を聞いてきました。モデレーターの東浩紀が、趣旨のなかで今の現象をこう書いています。以下、抜粋します。

そもそも日本的なものとはなにか、クールとはなにか、なんの合意もありません。クール・ジャパンへの視線は、単なる日本趣味であったり乱暴な産業振興論であったりすることが多く、当のクリエーターはそれをとても迷惑がっている。そんな光景もしばしば見かけます。

ぼくは、これを読み、乱暴ではない産業振興になりうるべき「日本的なるもの」がシンポジウムの重要なテーマになるだろうと想像していました。日本的なるものの定義に合意は不要であり、それぞれが一人一人で作業していくものだと考えており、そう考えなかった間違えがトヨタのレクサスにはありーしたがって欧州市場で失敗したー、その逆を仕掛けたー自分で日本美術の定義を行ったー村上隆の躍進があったのだと思います。また、日本の工業製品がなぜ欧州でガジェットとして見られるか?というところで、幼児性や未成熟とどう繋がってくるかを考えることは、丁寧な産業振興論になりえます

その観点でシンポジウムをみた時に一番有意義な発言を重ねたのは村上隆であったと思います。黒沢清が自分の映像を「スタイリッシュで静か」と受け止められることを発言の基点においていましたが、学生相手にベーシックな話をしたとすればそれはそれでよいのですが、いずれにせよ、そうした「見られ方」をすること、あるいは自分自身でももう一つの視点にたつと「そう見えること」を当たり前の認識をもつことは基礎的な素養でしょう。

尚、日本的未熟性を西洋論理の超克への積極的手段として意味を見出すことは、自然との共生ででてくるエコロジー思想と似たところがあります。曖昧であること、弱くあること、これらが発想の転換に繋がることは否定しませんが、ある世界観を多くの人たちに理解してもらうためには、「曖昧であること、弱くあること」も説得的である必要があります。村上隆が「早晩、ぼくの作品は欧米でスポイルされていくのでは・・・」と語っていたのは印象的で、ぼくは、まさしく、この説得的であるべき世界観の構築が市場の維持と拡大には重要であると彼が認識しているのではないかと想像しましたー彼は、今までも説得的であろうとしてきたし、それを実行してきたと思うのですが、それを更に発展させないといけない、と考えているという意味で

<上の2番目の写真は、先週の幕張でのFOODEXが終了した後のとある中国ブースの様子です。どこもごみも含めてきれいに片付けているなか、中国ブースには、こういう光景が散見されました。何をユニバーサルな価値の優先順位とするか、何を無視するかを考えるとき、こういう後片付けの差異を検証することも重要です。即ち、ごみを放置をする説得的な論理をもてるか?ということです>

Date:10/2/24

ここではまるまるコピーペーストの原稿はなるべく避けようと思うのですが、内容によっては避けられないか・・・・と思ったのが、ローカリゼーションマップ・プロジェクトについての発信です。ヨーロッパ文化部ノートに書いた内容をそのまま掲載します。デザインを大文字、すなわち広義の意味にこのブログでは捉えていますが、この「ローカリゼーションマップ研究会」は真っ向からこの大文字のデザインに向かっていきます。このプロジェクトに関心のある方はTwitter上の#lmapでつぶやいてください。

昨日、デザイナーの中林鉄太郎さんと会った。事前に以 下メモをお送りしておいた。その結果、3月20日(土曜日)、六本木AXISビルにあるインダストリアルデザイン協会内でキックオフミーティングを開催す ることになった。プロジェクトプロセスをできるだけオープンにするため、Twitter( #lmap)やその他で常時発信していくことにする。対象はハードとソフトの両方の製品だけでなく、アートや文学も領域に入れる。

<プロジェクトの趣旨>

今、プラットフォーム構築の主導権を握る重要性が盛んに語られる。そこに利益の源泉があるからだ。しかし、日本企業がプラットフォームのリーダーになることはあまりない。それを日本文化の伝統ゆえであると解説する向きもあるが、そう解説したところでビジネス上の解決には至らない。

過去、海外の文化情報が日本に蓄積されてきた。あるいは日本文化の分析も膨大だ。だが、それがどれほどにビジネスに活用されてきただろうか。メーカーの商品開発に生かされているか?ソフトの設計に生かされているか?否としか言わざるを得ない状況が多数だ。

どう文化を理解すれば、こういう形でビジネスに活用できる。そういう事例が示されないと、多くの人がビジネス上の文化理解の必要性になかなか気づかない。いや、正確に言えば、何となく気づいているが、その先に行けない。靄のかかった奥に入り込めない。これを案内するのが、ローカリゼーションマップ研究会の役目だ。

1、ローカリゼーションマップ研究会は何をやるのか?

日本人が好む茶碗はフランス人が好む茶碗とは異なる。日本人が好む茶碗がフランスでは売れにくい。携帯電話に期待するローカリゼーションと洗濯機に期待するそれは異なる。洗濯機にはユーザーの国のロジックが定着している。そして、その変化のスピードが携帯電話ほど早くない。こうやって、それぞれのモノやコトから違ってみえる世界観を具体的に描いていく。なぜ違うのか?そこに時間軸はどう関係してくるのか?を考えながらマップを作成していく。

このマップを見ることによって、自分が扱う製品の世界での位置づけが分かってくる。あるいは、文化の理解の仕方がみえてくる。

2、アウトプットは何か?

可視化されたものであることが重要。電子と紙の書籍化を目指す。タイトルは「2015年のローカリゼーションマップ」とし、現在から5年後に日本の製品が海外市場からどのような(どのレベルの)ローカリゼーションを要求されているかを予測する。これは主観的であることを基本とする。世界各地の正確な文化把握を基調として考案していたら金と時間がいくらあっても足りない。想像を含め個人的な経験をもとに大胆に考えていき、それを他メンバーとのディスカッションでより実効性の高い成果を出していく。複数の主観の重なり合いが見所のひとつとなろう。

3、プロジェクトの進め方


インダストリアルデザイナー協会のデザインプロセス委員会の2010年度(2010年4月ー2011年3月)のプロジェクトとして扱っていただき、そこを母体として外部の人間も参加する形をとる。定期的なリアルとヴァーチャルのミーティングを基本とし、早い段階での個々の参加者の第一次アウトプットがプロセスの進め方として重要。
Date:10/2/14

今日、日曜日の朝、国立の駅で改札口を出た瞬間、国立は約30年ぶりであることを思い出しました。不思議なもので、国立に出かける前までは、ただちょっと距離があるなあという感想だけだったのですが、街を眺めたと同時に急に過去の体験を遡ることになったのです。これが北海道のどこかであるとか、物理的距離がそれなりにある場所であると、「そうか、30年ぶりに出かけるんだ」という感慨を出発前にもつものですが、首都圏で可視圏内にあると距離と時間の経験を並行してもっている気になるーJRにのっていれば、車内にある路線図はいつも行っている気になるーようです。

しかし、そうすべてを網羅しているわけではない。だから実際に足を運ぶ前はぜんぜん懐かしくないのに、身体的な経験を得たときに、時間軸がわが身に押し寄せてくる・・・ということを思いました。もちろん、これはぼくが通常ミラノにいるからで、ミラノから遠くにみる日本、そのなかの小さな首都圏という鳥瞰図が普段のぼくのメンタルモデルであるがゆえに、最近頻繁に眺めるJR・地下鉄路線図がリアルな動きと接近していると感じる度合いが強いーあるいは誤解する度合いが強いーのでしょう。

さて、一橋大学の学生を中心とした勉強会に参加。その内容はTwitterの#hitu_st を見ると分かります。いくつかの点でぼくのメッセージが正確に伝わっていないと思う点もありますが、どういう点をメモ要と参加者が考えたのかが分かり、ぼくにとっても別の観点で使えるメモです。学生たちの理解とアナロジーへの展開がスピーディーで気持ちよく、結局、昼食時間も含めると5時間近い時を一緒に過ごしたことになりました。ぼくが発信するインプット/アウトプットに対する学生たちのフィードバックに接し、ぼく自身がぼくのプロジェクトーローカリゼーションマップの構想ー次のステップをぼくの頭のなかで描いていけ、予想以上に得るものがありました。

その昔、クルマが憧れの存在だったとき、どんなタイヤを履くとかサスペンションのチューニングをどうするかと熱く話し合った世代と、Twitterなどのメディアやソフトの使い勝手を話し合う今の世代に、根本的な差はないと思います。しかし、どんなタイヤを履いても太平洋はそのまま渡れませんが、Twitterではそのまま地球が一周できるという結果において、世界観の差が当然生じます。同じようなエネルギーをあることに注ぎ込んだとき、そのアウトプットと影響に格段の差があるわけですー往々にして「肥大」という表現も使われますー。ユニバーサルとローカルの意味と価値の認識がより重要になってきていることを、こうした学生たちの反応をみていて再認識することになりました。

サスペンションはドイツのアウトバーンではどうか?という話にしかならず、高速道路の各国比較に持ち込むことは稀だったのに対し、ITの世界ではそれより多い頻度で文化差を考える対象になる必然が生じるのです。これがぼくの人間工学+認知科学をポイントにおいた文化・ビジネス論につながってくるのですが、この観点において、タイヤで文化を語る人と、ITで文化を語る人、その両方がいかに同じグループに入っていけるか?です。どちらか片方ではなく、両方でないと意味がありません。今日会った学生たちが、そうした統合性を目指していって欲しいものです。それが、やや飛躍に聞こえるかもしれませんが、EVを新しいシステムのパラメーターとして見ることにもつながっていきます。

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