セミナー・講演など の記事

Date:10/2/24

ここではまるまるコピーペーストの原稿はなるべく避けようと思うのですが、内容によっては避けられないか・・・・と思ったのが、ローカリゼーションマップ・プロジェクトについての発信です。ヨーロッパ文化部ノートに書いた内容をそのまま掲載します。デザインを大文字、すなわち広義の意味にこのブログでは捉えていますが、この「ローカリゼーションマップ研究会」は真っ向からこの大文字のデザインに向かっていきます。このプロジェクトに関心のある方はTwitter上の#lmapでつぶやいてください。

昨日、デザイナーの中林鉄太郎さんと会った。事前に以 下メモをお送りしておいた。その結果、3月20日(土曜日)、六本木AXISビルにあるインダストリアルデザイン協会内でキックオフミーティングを開催す ることになった。プロジェクトプロセスをできるだけオープンにするため、Twitter( #lmap)やその他で常時発信していくことにする。対象はハードとソフトの両方の製品だけでなく、アートや文学も領域に入れる。

<プロジェクトの趣旨>

今、プラットフォーム構築の主導権を握る重要性が盛んに語られる。そこに利益の源泉があるからだ。しかし、日本企業がプラットフォームのリーダーになることはあまりない。それを日本文化の伝統ゆえであると解説する向きもあるが、そう解説したところでビジネス上の解決には至らない。

過去、海外の文化情報が日本に蓄積されてきた。あるいは日本文化の分析も膨大だ。だが、それがどれほどにビジネスに活用されてきただろうか。メーカーの商品開発に生かされているか?ソフトの設計に生かされているか?否としか言わざるを得ない状況が多数だ。

どう文化を理解すれば、こういう形でビジネスに活用できる。そういう事例が示されないと、多くの人がビジネス上の文化理解の必要性になかなか気づかない。いや、正確に言えば、何となく気づいているが、その先に行けない。靄のかかった奥に入り込めない。これを案内するのが、ローカリゼーションマップ研究会の役目だ。

1、ローカリゼーションマップ研究会は何をやるのか?

日本人が好む茶碗はフランス人が好む茶碗とは異なる。日本人が好む茶碗がフランスでは売れにくい。携帯電話に期待するローカリゼーションと洗濯機に期待するそれは異なる。洗濯機にはユーザーの国のロジックが定着している。そして、その変化のスピードが携帯電話ほど早くない。こうやって、それぞれのモノやコトから違ってみえる世界観を具体的に描いていく。なぜ違うのか?そこに時間軸はどう関係してくるのか?を考えながらマップを作成していく。

このマップを見ることによって、自分が扱う製品の世界での位置づけが分かってくる。あるいは、文化の理解の仕方がみえてくる。

2、アウトプットは何か?

可視化されたものであることが重要。電子と紙の書籍化を目指す。タイトルは「2015年のローカリゼーションマップ」とし、現在から5年後に日本の製品が海外市場からどのような(どのレベルの)ローカリゼーションを要求されているかを予測する。これは主観的であることを基本とする。世界各地の正確な文化把握を基調として考案していたら金と時間がいくらあっても足りない。想像を含め個人的な経験をもとに大胆に考えていき、それを他メンバーとのディスカッションでより実効性の高い成果を出していく。複数の主観の重なり合いが見所のひとつとなろう。

3、プロジェクトの進め方


インダストリアルデザイナー協会のデザインプロセス委員会の2010年度(2010年4月ー2011年3月)のプロジェクトとして扱っていただき、そこを母体として外部の人間も参加する形をとる。定期的なリアルとヴァーチャルのミーティングを基本とし、早い段階での個々の参加者の第一次アウトプットがプロセスの進め方として重要。
Date:10/2/14

今日、日曜日の朝、国立の駅で改札口を出た瞬間、国立は約30年ぶりであることを思い出しました。不思議なもので、国立に出かける前までは、ただちょっと距離があるなあという感想だけだったのですが、街を眺めたと同時に急に過去の体験を遡ることになったのです。これが北海道のどこかであるとか、物理的距離がそれなりにある場所であると、「そうか、30年ぶりに出かけるんだ」という感慨を出発前にもつものですが、首都圏で可視圏内にあると距離と時間の経験を並行してもっている気になるーJRにのっていれば、車内にある路線図はいつも行っている気になるーようです。

しかし、そうすべてを網羅しているわけではない。だから実際に足を運ぶ前はぜんぜん懐かしくないのに、身体的な経験を得たときに、時間軸がわが身に押し寄せてくる・・・ということを思いました。もちろん、これはぼくが通常ミラノにいるからで、ミラノから遠くにみる日本、そのなかの小さな首都圏という鳥瞰図が普段のぼくのメンタルモデルであるがゆえに、最近頻繁に眺めるJR・地下鉄路線図がリアルな動きと接近していると感じる度合いが強いーあるいは誤解する度合いが強いーのでしょう。

さて、一橋大学の学生を中心とした勉強会に参加。その内容はTwitterの#hitu_st を見ると分かります。いくつかの点でぼくのメッセージが正確に伝わっていないと思う点もありますが、どういう点をメモ要と参加者が考えたのかが分かり、ぼくにとっても別の観点で使えるメモです。学生たちの理解とアナロジーへの展開がスピーディーで気持ちよく、結局、昼食時間も含めると5時間近い時を一緒に過ごしたことになりました。ぼくが発信するインプット/アウトプットに対する学生たちのフィードバックに接し、ぼく自身がぼくのプロジェクトーローカリゼーションマップの構想ー次のステップをぼくの頭のなかで描いていけ、予想以上に得るものがありました。

その昔、クルマが憧れの存在だったとき、どんなタイヤを履くとかサスペンションのチューニングをどうするかと熱く話し合った世代と、Twitterなどのメディアやソフトの使い勝手を話し合う今の世代に、根本的な差はないと思います。しかし、どんなタイヤを履いても太平洋はそのまま渡れませんが、Twitterではそのまま地球が一周できるという結果において、世界観の差が当然生じます。同じようなエネルギーをあることに注ぎ込んだとき、そのアウトプットと影響に格段の差があるわけですー往々にして「肥大」という表現も使われますー。ユニバーサルとローカルの意味と価値の認識がより重要になってきていることを、こうした学生たちの反応をみていて再認識することになりました。

サスペンションはドイツのアウトバーンではどうか?という話にしかならず、高速道路の各国比較に持ち込むことは稀だったのに対し、ITの世界ではそれより多い頻度で文化差を考える対象になる必然が生じるのです。これがぼくの人間工学+認知科学をポイントにおいた文化・ビジネス論につながってくるのですが、この観点において、タイヤで文化を語る人と、ITで文化を語る人、その両方がいかに同じグループに入っていけるか?です。どちらか片方ではなく、両方でないと意味がありません。今日会った学生たちが、そうした統合性を目指していって欲しいものです。それが、やや飛躍に聞こえるかもしれませんが、EVを新しいシステムのパラメーターとして見ることにもつながっていきます。

Date:10/1/12

昨晩、年末に放映された日本のTV番組をみていて、少々考えさせられました。内容は日本のコンテンツを輸出するプロジェクトの紹介です。秋元康がプロデュースしているAKB48を「ネタ」に海外市場でビジネス化を図るというものです。「ネタ」としたのは、ビジネス化はAKB48そのものの紹介より劇場コンサート、TV、ネットをセットにし、このビジネスモデルを売るからです。現在、各国で似たTV番組ーオーディション番組やクイズ番組などーがそれぞれの国のタレントで放映されていますが、それはフォーマット販売の成果です。AKB48も、各国で各国の「可愛い女の子」が日本と同じシステムで競い合うことを提案しています。週刊ダイヤモンドWEBに番組の要旨が紹介されています。秋元の言葉があります。

「私の学生時代は欧米にあこがれていました。音楽もファッションも、そんなものを作りたいと思っていました。しかしAKB48は違います。アメリカ風に もフランス風でもないこれが日本だというもの。つまり納豆なのです。クリームチーズを入れて食べやすくしたりしません。海外のバイヤーにとって異質で、強 烈な経験だったことでしょう。だから逆にそれに惹かれたと思います」

コンセプト自身については、一切、ローカライズを考えない、いわばプレイステーション的発想です。プラットフォームを自分で構築する考え方です。フォーマット販売というコンセプトは良いと思うし、秋元がカンヌの見本市での商談から「簡単に外国人に納得されないのは、いいことだ。すぐOKと言ってもらえるものは、中身が薄い。NOの回答が続く内容にこそ、容易に真似されない濃さがある」といった主旨をインタビューで話しています。かなり意味深です。これは「考え方の輸出」ですから、説得には時間がかかります。だからこそ、エッセンスを守れるというのは傾聴に値する意見です。

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ヨーロッパで東洋人と結婚をした男性たちが、割とよく語っていることに、「強すぎない女性がいい」という表現があります。どんなに強いと思われる東洋人でも、ヨーロッパの弱い印象を与える女性よりは「癒される」と言った意味合いが含まれています。AKB48のドキュメンタリーを見ながら、考えたのは、このことです。AKB48に熱い人達はネットで日本のアニメなどに情報を集めている人達ですが、そういう存在は確かに一定の層を占めています。その彼らが、社会のメインの価値を作る人ではないが、無視できるほど小さくもなく、且つそのレイヤーは増加することはあっても、減少することは当分なさそうです

米国と違いヨーロッパのサブカルチャーは、もっとメインカルチャーと対峙しています。そして、それがメインカルチャーあるいは社会の風景のなかに視覚化されることは少ないです。今のところポケモンの飛行機がヨーロッパの空を飛ぶことはないでしょう。イタリアにかなり強烈なポップ調銀行(以下、インテリア)があります。

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まったく銀行らしからぬインテリアですが、これがアニメのキャラクターで親しみを強調することはないのです。ですから、AKB48的な「可愛い女の子」を受け入れる社会のなかでのスペースの広さとポジションが常にチェックの対象になります。そこには、往々にして「幼児性」というイメージが想起されるからです。これは社会的に視覚化するのではなく、個人的に隠す方向にいく傾向にあります。

今朝、たまたま日経ビジネスオンラインを読んでいると、アウディのデザイナーであった和田智さんが書いている記事に目がとまりました。「「こども店長」に感じる違和感 ドイツのおやじはなぜカッコイイのか」というタイトルです。

仕事以外でも日本とドイツは真逆な国と感じることが多くあります。日本の男性に、「美人と可愛い女性、どちらがいい」と尋ねれば、9割方が可愛い女性と答えるのではないでしょうか。私の印象では、ドイツには美人はいても可愛い女性はほとんどいませんでした。

概して独立心が強く、男性に媚びたりしない。男性、女性にかかわらず個人としての意識がとても高い。そこで「女性に優しいデザインです」「女性のためのデザインです」なんて言ったらぶっ飛ばされるのではないかと思うほどです。したがってドイツにはかっこいい商品はあっても、可愛い商品はまずないのです。媚びたり、甘えたりたりする商品が許されないのです。

先に書いたように、「可愛い」の視覚化はメインカルチャーと馴染まないもので、またドイツのクルマ文化とも縁遠いものですが、ランチャのイプシロンクラスであれば、違った文化もあるでしょう。要するに趣味は多様だし、視覚化していないけれど心の底では抱えているフラストレーションがあることを今まで書いたわけです。そのフラストレーションへの対応としてAKB48がマッチするかどうか、これがテーマになると思うのです。外国語版のグーグルの画像検索で日本をインプットすると、ロリータ系の画像も多いですが、これをどう読むかです。

もう一点、和田さんの視点で気になったのは、この後に和田さんは日本では子供に媚びていると書いています。水谷修さんの『ドラッグ世代』のレビューで引用した部分をペーストしておきます。もう少し時間軸と社会全体への目配せが、和田さんの主張に加わるといいだろうと思いました。

これまで大人たちは、若者が努力して大人に近づこうとすることを当たり前の こととしてきた。これは、大人に権威があり、子供が大人になることを夢として持つことができた時代の話である。今は、通用しない。若者たちは、多くの大人 がただ自分たちより年をとっているつまらない存在であると感じている。私たち大人が若者に近づいていかなくてはならない。そして、大人も捨てたものではないことを若者に伝えなければならない。

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