ガエ・アウレンティ の記事

Date:12/11/2

今から7-8年前、メトロクス社長の下坪さんと1960年代ー1970年代に大活躍し、その後「マエストロ」と呼ばれるに至ったデザイナーに連続的にインビューしました。その一人にフランス人のピエール・ポランがいたのですが、彼が数年前に逝去したとき、「人の晩年を知っておくのは大切だ」と思いました。だいたい、いつからを晩年というかははっきりしませんが、自分の人生を総体的に捉えるあり方に、その人の味が出るものです。1950年代になぜイタリアデザインが世界の主役に躍り出たのかがはっきりわかったのは、カルテルの創業者であるジュリオ・カステッリと話し、彼の人生観に腑に落ちるものがあったからです。

ガエ・アウレンティに会ったとき、素っ気ない答えしか返ってきませんでした。プカプカとタバコを吸っている姿を前にして、こちらは参りました。それで残念ながら記事化されていません。ただ、その時から3-4年経たころ、イタリア国営放送で彼女をスタジオに迎えてのインタビューありました。聞き手はイタリアの抜群のインタビューアーです。ガエ・アウレンティはまったく同じ態度で、インタビューアーがオタオタしているのが傍目にはっきりわかり、それは気の毒なほどでした。

その彼女が享年84歳で逝去したとのニュースを今日読んで、「全体性の把握」に譲歩を見せなかったアウレンティの偉さを思わずにはいられません。

3年前、彼女について書いたエントリーをペーストしておきます。

東京のイタリア文化会館の「赤」を巡っての論議で、設計をしたガエ・アウレンティの名前が日本のなかで一般化した感がありましたが、ガエ・アウレンティは パリにあるオルセー美術館の仕事でよく名前が引き合いに出されます。彼女の照明器具や家具のデザインを見ていて思うのは、やはり、建築家ゆえの強さなんだ ろうなと思います。より大きな範囲を考えれば、その中の一部のあり方がよく見えてくる。宮台真司に関する記事でも書きましたが、一人で全体を眺めれば、自ずと「部分」が関係性をもって見えてくる。都市計画をやってこそ、それぞれの建築のデザインのあるべき姿が考えられるだろうと思いますが、建築設計をするがためにインテリアのコンポーネントが全体のなかの一部として考えられるのでしょう。

数年前、ガエ・アウレンティと会って話したとき、その「全体と部分の有機性」ということへの拘りというか信念を強く感じ、したがって照明だけ椅子だけとい う建築空間の文脈から離れた単体のデザインを(少なくても)今はしないとの理由がよく分かりました。今でこそ建築学部は半数以上は女性ですが、アウレン ティがミラノ工科大学で学んだ頃は、50人の中での紅一点だったようです。建築は完全に男の世界だったわけですが、そのなかで彼女は卒業後、エルネスト・ ロジャーズのもとで雑誌『カーザベッラ』の編集に携わるのですが、多分、ここでも彼女は「リーチを広げる」ことを学んだのではないかと思います。彼女自 身、大学ではテクニックより「型」を学んだと語っています。そして、文化的色彩が強かったオリベッティの世界巡回の展覧会に関わったことも、彼女の幅を広 げるのに大いに役立ったようです。

演出家のルカ・ロンコーニの舞台美術はアウレンティがかなり手がけましたが、彼女は都市計画、建築、工業デザイン、舞台美術、展覧会とイタリアの典型的建 築家コースメニューをこなしてきたため、大先生を前にこう言っては失礼ですが、文化の全体を語るに際して臆することがありません。これは、例えば、先日亡くなったフランスのピエール・ポランなどとは根本的に違うところです。 イタリアで知識人あるいは文化人は、「左翼」であることが他の国よりも強い条件になりますが、米国のブッシュ時代の政治に関しても非常に厳しい眼でみてい ました。19世紀的貴族主義を支持し、大量消費主義に違和感をもっていたポランも米国政治に同じような態度をとったと思いますが、それはもっと控えめな表 現でした。性格ではなく、リアルな世界に対するポジションの取り方がまるっきり違うのでしょう。

10月のはじめ下坪さんとミラノのアンティークショップでアウレンティの作品を2つ見つけました。この何年間ずっと探していたものが突然、2つの場所で同時に出てきたのです。さっそく下坪さんはそれらを購入しましたが、今日のニュースに接し、あの「掘り出し物」の所以が知りたくなりました。

尚、今年2月にコリエーレ・デッラ・セーラが行ったインタビューの動画が、ここにあります(←イタリア語のみ)。

 

 

Category: ガエ・アウレンティ | Author 安西 洋之  | 
Date:09/6/30

東京のイタリア文化会館の「赤」を巡っての論議で、設計をしたガエ・アウレンティの名前が日本のなかで一般化した感がありましたが、ガエ・アウレンティはパリにあるオルセー美術館の仕事でよく名前が引き合いに出されます。彼女の照明器具や家具のデザインを見ていて思うのは、やはり、建築家ゆえの強さなんだろうなと思います。より大きな範囲を考えれば、その中の一部のあり方がよく見えてくる。宮台真司に関する記事でも書きましたが、一人で全体を眺めれば、自ずと「部分」が関係性をもって見えてくる。都市計画をやってこそ、それぞれの建築のデザインのあるべき姿が考えられるだろうと思いますが、建築設計をするがためにインテリアのコンポーネントが全体のなかの一部として考えられるのでしょう。

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数年前、ガエ・アウレンティと会って話したとき、その「全体と部分の有機性」ということへの拘りというか信念を強く感じ、したがって照明だけ椅子だけという建築空間の文脈から離れた単体のデザインを(少なくても)今はしないとの理由がよく分かりました。今でこそ建築学部は半数以上は女性ですが、アウレンティがミラノ工科大学で学んだ頃は、50人の中での紅一点だったようです。建築は完全に男の世界だったわけですが、そのなかで彼女は卒業後、エルネスト・ロジャーズのもとで雑誌『カーザベッラ』の編集に携わるのですが、多分、ここでも彼女は「リーチを広げる」ことを学んだのではないかと思います。彼女自身、大学ではテクニックより「型」を学んだと語っています。そして、文化的色彩が強かったオリベッティの世界巡回の展覧会に関わったことも、彼女の幅を広げるのに大いに役立ったようです。

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演出家のルカ・ロンコーニの舞台美術はアウレンティがかなり手がけましたが、彼女は都市計画、建築、工業デザイン、舞台美術、展覧会とイタリアの典型的建築家コースメニューをこなしてきたため、大先生を前にこう言っては失礼ですが、文化の全体を語るに際して臆することがありません。これは、例えば、先日亡くなったフランスのピエール・ポランなどとは根本的に違うところです。イタリアで知識人あるいは文化人は、「左翼」であることが他の国よりも強い条件になりますが、米国のブッシュ時代の政治に関しても非常に厳しい眼でみていました。19世紀的貴族主義を支持し、大量消費主義に違和感をもっていたポランも米国政治に同じような態度をとったと思いますが、それはもっと控えめな表現でした。性格ではなく、リアルな世界に対するポジションの取り方がまるっきり違うのでしょう。

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陣内秀信さんの『イタリア都市再生の論理』を久しぶりに読み返したことを、この前の記事で書きましたが、この分野は政治的意志に非常に左右されということを改めて認識しました。これは単体の工業デザインの世界とは大きく違う点です。工業デザイン、建築空間、都市空間、社会経済、政治・・・・といったそれぞれの位置づけをどうおさえるべきか、これはなかなかタフなことですが、意志としては、あるいは目標としては、これらの全てを一人で鳥瞰する意気込みをもたないと、「生き残れる工業デザイン」の実現は難しいのだろうな・・・ということを、アウレンティの作品を眺めながら思いました。

Category: ガエ・アウレンティ | Author 安西 洋之  |