ウンブリアの夏 の記事

Date:11/8/8

7月下旬に日本からミラノに戻りました。

日本ではいつものように沢山の方との新しい出会いがありました。ローカリゼーションマップの活動をスタートして1年数か月でじょじょに認知度もあがり、初めてお会いした方から、日経ビジネスオンラインの記事について細かく感想をいただくことも増えました。また、若い方たち、学生をはじめ30代前半くらいまでの方とのおつきあいも広がり、彼らと何をするべきなのかも深く考えるようになりました。

仙台の海にも出かけました。津波の被害のあった沿岸部に小学生の息子を連れて行ったのです。ぼくは小学生の5年間、父親の転勤で生まれ育った横浜を離れ、仙台市内に住んでいたことがありました。あの頃、友人と連れ立って10数キロの距離にある海岸に自転車でよく出かけたものでした。そして40年近く、あの場を再訪する機会はなかったのです。ですから、津波ですべてが破壊された風景をTVで見たとき、少し時を経たらあの場に出かけてみたいと想っていました。

息子を連れて行ったのは、自然の破壊力を見せておくべきだと考えたからです。数年前、ドイツからオーストリアにかけての道をドライブしながらアイルランド人の友人が、「小学生のころ、この近くのナチの強制収容所に父親に連れて行かされたんだ。人間ってどんなに愚かになるかを知っておくべきだ、とね」と語りました。ぼくは、その教育に感心しました。そして、小さいうちに、人の愚かさと自然の怖さを知らしめることが親の務めかもしれないと気付いたのです。

仙台の海と街で想ったことは、また別の機会に書きましょう。たぶん、この秋に行うプロジェクトについて書くときが「別の機会」かもしれません。今回、日本で強く思ったのは、ズームアップとズームアウトを同時に扱うコツを多くの人がマスターしないといけないだろうなということです。ズームアップで焦点を合わせたのはいいけど、その焦点の横10センチのほかの人の焦点が見えなくなっている。ズームアップの横移動ができないのです。ぼくは3点からの視点の大切さをよく言っていますが、3点をもてればズームアップの水平展開が比較的楽にできると思います。しかも、「正当性」とは何なのかを自問したこともなく、ズームアップしているから問題なのです。

日本から戻り中三日で、今度はウンブリアに出かけました。「日本の頭」をガラリと変えるには絶好の契機です。人は、それこそ愚かなもので、環境に支配されます。思考を大きく切り替えるには、水平軸と垂直軸の移動を頻繁に繰り返すことです。すなわち、場所を移動する、使う言語を変える、時間軸を過去に遡る(あるいは未来を企画する)、という三つのことを強制的に行うことです。ふつうの人にとって、これらのことをせずに別の視点を獲得するのは、まず至難の業です。

ウンブリアの自然に囲まれながら、自然とのインターフェースとは何かを考えていました。

テラスで食事をしていると人懐っこい一羽の鳥が必ずと言ってよいほど近寄ってきます。そして皿の上にあるものにくちばしを伸ばそうとする、蚊取り線香の光る台を持ち去る、テーブルの近くにふんを落とす、ワイングラスを倒す、頭の上にとまり頭皮をつっつく・・・かわいいけど、迷惑極まりないです。犬か猫が飛び歩いているようなものです。どうも、ここの家で飼っている犬がこの小さな鳥を救ったことで、鳥が巣意識をもったとのことで、犬と仲良く遊びます。野鳥の「ペット化」なのか、ヒトの「わがまま」なのか?きっと、数か月もすれば森の中で生きるだろうとも想像しますが、ヒトの食べ物をつまんでいる限り、野生に戻るモチベーションがありません。どこの誰の視点にたって、この状況をみるとよいのか?ということを繰り返し思いました。

ウンブリアにいるとき、『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか - 世界で売れる商品の異文化対応力』が発売になりました。おかげさまで、オンラインと書店ともによい販売スタートをきったようです。ネット上でもぼつぼつレビューが出始めました。みなさんの感想を聞かせていただくのが楽しみです。

 

 

 

 

Category: ウンブリアの夏, 子育て | Author 安西 洋之  | 
Date:09/8/10

「夏のローマ」というエントリーでサンピエトロ大聖堂で感じる「体系」について触れましたが、夏の大聖堂のなかで感じる駅の雑踏に似たムードは、なにやら安心するというかちょっと不思議な心持でした。タンクトップで出た肩をかろうじてストールで隠して入り口を通過し、その後にストールをとり、まるで冷房の効いた空間でホッとするような、そうした気持ちがあふれ出た空気を感じました。なにせ午前中は教会の入り口まで長蛇の列で、多分、1時間以上は35度以上の炎天下で待たないといけない状況でした。そこでストレス発散を試みようという女の子たちも出てくるというわけです(下の写真)。ぼくはこの列に嫌気が指し、近くのレストランで昼食をとり、午後再びでかけたのですが、そのときは殆ど待たずに入れました。

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そして教会のなかに入ると、冬だと冷たさをシンボライズする大理石と妙に相性が良いという次第。そして、この暑さから救われた環境変化が人の精神を解放するのか、聖空間にある神妙なムードではなくリラックスした雰囲気がどうしても目につきます。ぼくは、これを「小さな発見」として面白く思いました。ですから、教会の壁を飾る美術品の数々より人々の様子をカメラに収めることに熱心になりました。

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ぼくは「これも悪くない」と思ったのです。俗空間と聖空間の接点がとてもはっきり見える世界がある、と。「夏のローマ」に書いたように、南米やアフリカから来たと思われる人たちが多く(ヨーロッパに住んでいる移民も含め)、彼らがリラックスしながら宗教空間に「馴染んでいる」のが印象的です。「学ぶ」「勉強する」という態度ではなく、「実家でくつろぐ」という表現は極端かもしれませんが、そういう比喩を思い起こさせるような肯定的印象を彼らから受けたというのは率直なところです。

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スイス衛兵と一緒にカジュアルな格好をした少年の姿もほほえましいです。もちろん、ぼくの横には、この少年のお父さんが一眼レフを構えていました。そういえば、ローマに来る観光客は一眼レフを抱えている人が多いなとも思いました。力の入れ方が違うのでしょうか。

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場所は変わって、ここはスペイン広場からまっすぐに伸びるコンドッティ通り。ブランドショップが軒を並べますが、写真はエルメス。この建物が昨年「西洋紋章デザイナー山下一根さん」で取り上げたマルタ騎士団の所有で、ここに本部があります

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旗の見える入り口には、上のプレートがあり、中庭には外交官ナンバーの車が駐車しています。十字軍以来の歴史ある組織の本部であるとは、この通りを何気なく歩いては気づかないかもしれません。

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Category: ウンブリアの夏 | Author 安西 洋之  | 
Date:09/8/9

拙著『ヨーロッパの目 日本の目』に書いたエピソードがあります。ある夏、偶然にネットでみつけたウンブリアの家に滞在しました。その家のプールサイドで読んでいた本についてオーナーと夕食時に話をしたら、そのオーナーは読んでいた本の著者の縁戚でした。著者はプリモ・レヴィ(Primo Levi)で、ぼくが読んでいた本は処女作”Se questo e’ un uomo”(原題は『これは人間か』ー邦題は『アウシュビッツは終わらないーあるイタリア人生存者の考察』(朝日新聞社))でした。アウシュビッツをサバイバルした人間が1947年に書いたロングセラー本です。ぼくは、オーナーのフランチェスコから同じ本のサイン入り初版本を見せられ、その偶然に驚きました。(ここの家とは、「海は退廃的?」で掲載した家とプールです。下の写真は、門から家に至る道で、両側に葡萄やオリーブの畑があります)

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先日もフランチェスコと夕食をともにしながら、色々な話題について話しました。ネタを明かせば、「夏の虫の鳴き声」で書いた、虫の鳴き声を誌的に聞くのはユニバーサルかどうか?という会話も彼と数年前に話したことです。「ユニバーサルとユニバース」で触れた人権の問題も、彼との話しででできたことです。彼の話す「人権」には、彼なりのバックグランドがあるのだろうと思います。ぼくも「人権」が最後の砦であるとの思いがあります。だからこそ、当たり前意識やオプションに入る「人権」に要注意だと考えているのです。

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上の写真は、夕食の前のフランチェスコです。若いときは、馬の蹄鉄を作る職人を目指したといいます。今は農業をやりながらアグリツーリズモを経営しているのですが、丘の上にあり、見渡す限り殆ど人家が目に入ってこないという理想的な場所にあります。低い半月くらいでも天の川が見える抜群の環境です。しかも、たった二つしか家がないので、多数の客に気を遣う必要がありません。フランチェスコが語るところによれば、客の間で「うるさい!」と言い争いになることは全くないようです。二つの集団しかいない場合、平和を求めるしかなく、三つの集団になった場合、勢力のアンバランスが出てくるのかもしれません。

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というわけで、敷地内にあるミニサッカー場でも、「お隣さん」と仲良くサッカーをして楽しむという場面が出てきます。ローマから来た子供たちは地元ローマのトッティのファンです。ミラノだとインテルやミランのファンというのが定番ですから、適当に対抗意識もあり、ちょうどよいです。このような環境で、本を読んだり新しいプロジェクトの草案を練ったりすると、考えるべき大事な点が色々と見えてきたりします。

下はフランチェスコの家族とのお別れのシーンです。息子のジョルジョは子供らしさが抜けつつあり、奥さんのセレーナの料理には今回もノックアウトでした。

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Category: ウンブリアの夏 | Author 安西 洋之  | 
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