イタリア料理と文化 の記事

Date:10/4/10

昨日、ミラノに戻るJAL機内で和食を選び甲州の白ワインをオーダーしてみました。日本のコンクールで金賞をとったとメニューに記してあるので試してみようと思ったのです。サービスしてくれた女性に「このコンクールって何社くらい出るのですか?」と聞くと、「何社か知りませんが、最近、日本のワインは美味しくなりましたね」との答え。別に意地悪ではなく、好奇心で「どう美味しくなったと思います?」と質問すると、「日本食とすごく合うようになりました」との返事が返ってきました。このコメントでぼくが真っ先に思い出したのは、3月初めのFOODEXで日本酒メーカーの欧州営業に聞いた話です。「ヨーロッパで日本酒が売れるのは、英国か北ヨーロッパ。これらの地域の日本食レストランが大きなマーケットです。スペイン、フランス、イタリアというワイン産地ではダメですね」「家庭で日本酒が飲まれることはあまりないです。あわせる料理がないんですよ

ワインと日本酒は基本的に食事とのコンビですから、料理自身が変わらないとそのままワインや日本酒が飲まれるには若干の無理を強いることになり、日本におけるウィスキーの水割りが日本のウィスキーメーカーの売り込み方によって生まれたのは、料理との相性を考慮した調整結果だったわけです。つまり、JALの乗務員が語った「日本のワインは日本食とすごく合うようになりました」というのは、それまで西洋料理とマッチするワインを目標にしていたのが、日本料理とのフィットに軌道修正した結果であるということを意味することになります。ワインの日本のローカリゼーションの一つである、と。

2月のはじめに「失われた地中海料理」というエントリーを書きました。

数十年前の元町も同じだったのかもしれませんが、あの時代は地中海料理という表現が一般的であったように、やや雑駁な文化受容だったと思います。それにたいして、現在はディテールで嘘がないことを示していく必要がある時代なのだと感じます。

もろん文脈はそのまま伝播できず、ディテールの数々は違った位置づけをされていくのですが、それでもディテールの重みがリアリティを提示し、そのディテールがより検証可能な今は、数十年前とは違った店になっていくのが当然です。しかも、そのディテールは必ずしもすべての視点からみた客観的真実であるよりーそういうこととは、昔でもありえなかったのですがー、君自身の視点で「これ!」と言えれば良いという価値観に我々は生きているという自覚がより強くなっています。だからこそ、「地中海料理」という逃げが通用しなくなったとも言えそうです。

これを書いてから約2ヶ月、ぼくは東京を中心にずいぶんと沢山のレストランに行き、上記を少々修正しないといけないかもしれないと思い始めました。確かにディテールで嘘がない店が増えている一方、「地中海料理」というカテゴリーは逆に拡大しているかもしれないという印象もうけました。2008年のリーマンショック以降、一般にコースの価格が高いフルサービスのフレンチが大いに行き詰まり、そこで生じている業態変更はフレンチからイタリアンではなく、フレンチから地中海と呼ぶにふさわしいミックスした料理が増えているとみたのです。特に15人程度の席数の店ーシェフがメインで多忙な時はホールをアシスタントがサービス。フランスのカテゴリーだとブラッスリーやビストローが増加しているようで、このような店でゆるりと幅の広い料理を提供することで、多くの客の要望を掬って行くことを狙っているように思えました。しかし、これを退歩とみるのではなく進化とみるなら、中華料理やタイ料理からアジアン無国籍と動いたトレンドと同じで、フレンチ、スパニッシュ、イタリアンの無国籍化と位置づけた「地中海」と考えるべきなのだろうかとも考えました。

一見すると、米国経由のピザ(イタリアダイレクトのピッツァではなく)が平均的な層では相変わらず主流ではないか、そこに経済的要因で回帰したのではないかーあまりフルサービスのレストランだとカップルで店に入ってきても、女性が「こんな贅沢そうな場所は恥ずかしい」と帰ってしまうことも少なくない、とあるレストランで聞きましたーという疑問もあります。そういう一面も否定できないでしょう。しかしながら、そのようなトレンドを表面的にみるだけでなく、そこに新しい萌芽をみることも欠かしてはいけないとも強く思うのです。ローカライズとは一直線に進むのではなく蛇行して進むものだとするならば、今の地中海化現象の読み方には注意が必要であると認識すべきでしょう。

Category: イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之  | 
Date:10/3/14

今の日本の閉塞感の原因がどこにあるかということをあまり突きつめても仕方がないだろうとは思っていますが、今週、なんとなく気になることがありました。木曜日、国際文化会館で英国のシンク・タンクDEMOSアソシエイトであるジョン・ホールデンが「国境を越える文化の価値ーひとりひとりが造る『文化外交』」というタイトルの講演会を行いました。「政治が文化を造るのではなく、文化が政治を造る」という表現はぼくの頭にもフィットします。エリートのハイカルチャーの時代ではない、文化に全体的な合意は難しいということはぼくも同感です。キャリア上仕方がないことでしょうが、コマーシャルカルチャーに対する切り口と深さが不足していて、これが文化を相変わらず経済活動から孤立させる遠因になっているのではないかという印象をもちました。

ここで気になったのは、「文化活動の評価はいかなるものか?」という会場からの質問です。どうも「評価」という言葉がどこへいってもキーになっています。しかし、ある対象を孤立化させての「評価」ということ自身が自らを袋小路に追いやっていることをあまり気づいていないのではないか?とふと思いました。そして、それと同じことを翌日も感じたのです。国際フォーラムでのアイルランドのグリーンテクノロジーに関するセミナー(冒頭の写真)でも、スマートグリッドの「評価」とプロモーションする場合の経済的モチベーションが会場からの質問にありました。あるテーマが前にあれば、個人的動機と評価がついてまわるのは当然のことですが、その質問に答えられないと先に進めないという余裕のなさがあります。そこで一方では、「文化の評価なんかできるわけがない。長期的に後で気づくもの」という突っぱねたコメントが出てくることになります。これは、全体の姿の見方に不十分があるからではないか・・・そんなことを二日連続で思いました。

国際フォーラムでのセミナーを終え、次のアイルランド大使公邸でのレセプションまで時間があったので、ダブリンからきたフレーザー・マッキム(昨年、彼と一緒に御嶽山に滝修行に出かけた話を書きました。冒頭の写真のパネラーの右端)と一緒に浅草に行きました。彼の奥さんが、以前、浅草の店で和風のケータイカバーをみて、買おうか買うまいかたいそう迷ったあげく買わなかった・・・・が、ダブリンに戻る機上の人になって「ああ、あれは買うべきだった!」とつぶやいたから、是非ともそこの店に行きたいと言うのでつきあいました。フレーザーの日本文化への傾倒を見ていて考えるのは、観光地あるいは観光向けとわりあい否定的にとらえられる側面は、もっと積極的に見るべきではないかということです。彼は「日本の文化はゴシックである」と語るほどに教養ある人間ですが、その彼が褒め称える「日本らしさ」は、日本人の目からすると「観光向け」と思えるものが多々あるのです。それを「趣味が分からない」と言うのではなく、多くの人は観光向けの所から入り込む事実を重要視するほうが大事ではないかと思ったのです。敷居の低さは誰にとっても求められる要件だろう、と。そういえばジョン・ホールデンもツーリズムが文化外交にとって注視すべき活動であることを強調していました。

アイルランド大使館公邸におけるレセプションは、相変わらずギネスビールが主役です。イタリアのパーティと比較するとやや地味な印象ーそれは人であったりファッションから判断するのですがー、パーティの終わり近くになってゲール語の歌を歌い始める青年がいました。青年というよりは年齢が上かもしれませんが、ケルトの与えるムードが青年のもつ清清しさをかもし出しているという意味で、「アイルランドの青年らしさ」を感じないわけにはいかないのです。その青年らしさは、その翌日である昨日、土曜日のパーティでも思いました。ウエェスティンホテルでの晩餐会「エメラルドボール」に参加している人たちの表情からもうかがえます。しかし、アイルランド人だけでなく、ここにいる日本人でも青年のような人はいて、水産会社をやっている橘泰正さんという方は、「現在、海外で生魚が多く食べられるようになったが、生魚はすべて氷を入れて冷やせばよいというものではなく、種類によって保存の仕方が違う。こういうことを海外の人に教えていきたい」と熱く語っていました。彼は800種類もの魚のデータをもっているとのことで、ぼくは魚の世界の話に思わず引き込まれてしまいました。

アイルランド人の青年らしさに話を戻すと、下の写真のフレーザーは少々違った表情をしていますが、スピリットは青年です。

Date:10/3/8

先週の土曜日、この前に書いた東工大でのシンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性ー日本的未成熟を巡って」の後、神宮前のイタリアンワインバーに駆けつけました。2月はじめに書いたAZです。実は2月のあの晩、オーナーの平野さんと話していて、3月にトスカーナからデル・ポンテ社のアレキサンダーが来たときに、ここでパーティをやろうという話になりました。彼が飼っている豚、チンタセネーゼの肉を平野さんが料理し、色々な人を呼び、その場で新製品の七味オリーブも食べてもらおう、と。結局、20人近い人が集まり、イタリアや料理の話で盛り上がり、イタリアネタの強さに感心。

実は、その会の様子を撮影するのを忘れてしまいました。他の何人かはiPhoneで撮影し、Twitterに書いていたのですが・・・(そこで、上はFOODEXでのアレキサンダー)。ここに参加し、かつバンバンとTwitterに投稿していたのが八子知礼さん。彼は『図解クラウド早分かり』の著者で、ぼくは彼の本についてスマートグリッドとクラウドコンピューティングに焦点をあわせてブックレビューを書きましたが、この本について知ったのは、レビューを書いたその2-3日前。発売と同時ですが、彼のTwitterのつぶやきで知りました。そして、更に遡ると、その数日前、Twitterのデルポンテアカウントが八子さんをフォローして10分後に八子さんは七味オイルをオーダーしてくれました。ほぼ瞬時に、彼が並行してとった行動は、デルポンテのサイトにあるヨーロッパ関連ブログの著者、つまりぼくのブログーこの「さまざまなデザイン」-に数分後にたどり着き、ぼくのTwitterのアカウントのフォローをすることでした。多分、このあいだの時間は5分くらいでしょう。

そのとき、ぼくはミラノにいたのですが、日本に着いて新著について知り、この本はクラウドコンピューティングとスマートグリッドなど全体のシステムと動向で把握している点に関心をもち、読後即ブックレビューを書いたというわけですーなにせ、1時間で分かる!-。特に七味オイルを買ってくれたとかそういうことではなく、この方の視点の持ち方がブックレビューの対象になったのです。それから約2週間後、リアルでお会いしました。一橋大学での学生たちとの勉強会でぼくが話すことを八子さんはTwitter上で知り、日曜日の朝、国立のキャンパスに現れたのです。ここでまとめると、Twitter上でデルポンテアカウントからスタートした関係が3週間後に、ぼくの文化論の勉強会の出席者に発展したということになります。それから3週間後に、イタリアンワインバーでのパーティ参加、その翌日ーつまり昨日の日曜の午後ーに新著のテーマを中心とした中経出版で開催されたクラウドコンピューティング研究会に、ぼくが出席するというカタチに発展したのです。その後の懇親会では、前日に八子さんが投稿したイタリアンの写真が話題になる、という具合です。

こうした経緯について詳しく書いたのは、今の時代に流れる時間とスピード感、そして「交差感」です。「交差感」とは、情報があらゆる方面に飛び、同じくあらゆる方面から飛んでくるという感覚です。「クール・ジャパノロジーの可能性」で村上隆は盛んに仮説をたてて検証していく大事さを強調し、彼の一つ目の仮説検証に15年を要した。だから、今挑戦している仮説も15年後に結果が出るだろうと語っていました。しかし、本当に検証に15年かかるだろうか?という疑問をぼくは持っています。今の情報の拡散の仕方とスピードをみていてぼくが感じるのは、仮説→検証が、これまでの15年とは比較にならない少ないコストで短期間に行えることです。かつては大企業が二期1年の予算で仮説検証していたことを、小さいグループで12回できる可能性がでてきているのが現実です。前者よりは精度は下がるかもしれませんが、およそ、このフローのなかで精度のレベル自身が再定義されている今、コンテンポラリーアートで問う思考トレンドも影響を受けないわけがないと思うのです。

これもクライアント側に情報をもたず、「向こう側」の集積情報を適時利用するクラウドコンピューティングが実現していく、世界観変化のもう一つの側面なのではないか・・・と昨日の研究会でつらつらと思ったのでした。

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