イタリア料理と文化 の記事

Date:11/2/14

日本で茄子といえば、こんな大きさでこんな色というイメージがあった。皮が黒か紫をしていて、まあ、そんなに大きくない。だから、イタリアに来て大きい茄子を店頭でみつけ、「いやあ、これを食べるのか!」と驚いたものだ。日本と同じ料理に使っても、当然、味が違う。歯ごたえもあり、大味になる。一時、苦手意識もでてきた。そして、時を経て、イタリアの茄子に馴れた。が、最近、奥さんが八百屋で買ってきた茄子をみて、またビックリした。縞々の茄子だ。

こういう茄子を見たことがなかった。そこで記念にツーショット。一体、茄子の色ってどのくらいあるんだろうとウィキで調べると、こうある。

日本で栽培される栽培品種のほとんどは果皮が紫色又は黒紫色である。しかしヨーロッパやアメリカ等では白・黄緑色・明るい紫、さらに縞模様の品種も広く栽培される。

なんだ、こんなにも様々な茄子がヨーロッパにはあると、はじめて知った。グーグルの画像検索でも黄色い茄子がでてきた。ここで、ふっと、思った。何かの機会にウィキで茄子を調べ、上述を読んでいたとすると、この縞々の実物をみたときに、「ああ、これだったのか!」と叫んだはずだ。頭にある知識がリアルで確認されることで、知識がより深くなるという実感をもつ。しかし、今回は、ウィキで知識を仕入れたことで「ああ、こんなにも知らないことが多いし、実際、イタリアでも見れていないことが多いよな」と反省もする。

文字情報をあとでリアルに確認することと、リアルに見たことを文字で確認することの間に、どういう違いが生じるのだろう。後者である、事前の勉強をしないでリアルな経験を獲得し、そのうえで文字で知識を深めると良いということが理想的であると言われる。子供の世界でいえば、幼稚園くらいまで。小学校の低中学年までは並行。そして高学年になると文字経験が飛躍的に増大していく。俗にいう、頭でっかちになっていく。だからこそ、リアル経験の増幅がキャンプなどでサポートされていく。

現実的には、リアル経験だけで描ける地図は小さすぎ、文字情報で大きな地図を描き、適切なリアル経験の分布で、その大きな地図の妥当性をサポートする。つまり、リアル経験<文字経験であることは確かなので、文字経験にリアル経験がはまり込む確率の方が低いはずで、これに遭遇した場合は、喜びが大きいだろう。逆の場合は、茄子の例のごとく、「そうか、自分は勉強不足なんだな」と思うことが多い。もちろん、「自分のリアル経験をこんなによく説明してくれていた人がいるんだ!」と喜び、弟子入りする場合もあるが・・・・。

Date:11/2/13

昨晩、イタリア人宅に10人が集まり、寿司パーティをやりました。手巻き寿司です。寿司をそれなりの頻度で食べている人たちです。そこで、それぞれの具のなくなり具合を観察していて分かったこと。それは、結局のところ、寿司飯そのものがイタリア人にとっての発見であったということです。イタリアにも酢を使った白米はありますが、それだけではなく、そこに甘い砂糖の味がある。そこに新味があります。まず、具は何を用意したかを書きましょう。

まぐろ、さけ、すずき、エビ(生ではない)

きゅうり、ルーコラ、ねぎ、アボガド

ツナのマヨネーズ和え、甘辛いオイルサーディン

ハム、ウィンナー、たまご、かにかま

この上記で、まず生魚ですが、はけのよかった生魚は、さけ→まぐろです。すずきは若干遅かった。やはり白身は味が薄い。しかし、このさけ、まぐろも、ツナやオイルサーディンほどのスピードではなくなっていかないのです。即ち、生魚が好きだといいながら、手は正直に自分たちのより馴れたものをとります。だから、さけの次にまぐろです。生魚を受け入れるキャパが、これでみえてきます。そこから、逆に、冒頭でのべた、寿司とは酢飯を言うのであるという結論が出ます。その証拠に、ほとんどの人たちが、「このご飯は美味しい」と何度も語り合っていました。

ウィキペディアで寿司は次のように書かれています。

寿司(すし、鮨、鮓、寿斗[1]、寿し、壽司)と呼ばれる食品は、酢飯と主に魚介類を組み合わせた日本料理である。

そして、酢飯はこうです。

酢飯(すめし)は、主に寿司で使われる、糖分で調味されたである。独特の風味の他、保存性に優れる点が利点として挙げられる。寿司飯(すしめし)とも呼ばれる。寿司屋でシャリ(寿司用語参照)と言った場合には酢飯のことを指し、これは寿司種と同等以上に特徴や寿司職人の差が出る。

そこでもう一度、寿司の項から引用すると、寿司の海外普及について、以下の記述があります。

世界各地のスシ・レストランには中国人や韓国人など日本人以外の経営・調理によるものが増加し、日本人による寿司店の割合は10パーセント以下とまで言われるほど減少している[45]。 そのため、日本の伝統的な寿司の調理法から大きく飛躍(あるいは逸脱)した調理法の料理までもが「スシ」として販売されるようになった。酢をあわせていな い飯に魚や中国料理を乗せて「スシ」だと称するところまである

この寿司の決定打とされる酢飯を発見し、自由に自分で寿司を作っていいんだと分かった人たちが、カリフォルニア巻きにあったように、自分になじみで口に入りやすい寿司を試していくとき、写真にあるようなフルーツ寿司も、大いにアリということになります。ただし、これをもって日本料理における砂糖の使い方が全面的に指示をうけたわけではなく、おせち料理にあるような甘さを受容するには、それなりの距離があると認識すべきでしょう。

Category: イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之  | 
Date:10/10/20

上海でフレンチをはじめ各国料理を勉強し、15年前にイタリアに来た中国人が日本料理屋を開きました。2週間前のことです。日本人が好む日本料理ではなく、創作系というか、ローカライズした料理をサービスしていくことに興味が強いというタイプです。「いわゆる中国人の日本料理屋じゃない」という以上にはセンスがよく、それなりにしゃれた盛り付けもします。 本人が「正しい日本料理なんてない」と広言しているのですから、そのフィロソフィーは尊重したいです。

昨晩、ちらし寿司を食べました。が、寿司飯ではありません。「これはローカライズなのか?」と質問すると、「鉄火丼は、寿司飯を使わないじゃない」と説明さ れ、ちらし寿司と鉄火丼の違いをよく知らないことが理解できました。しかし、かといって、ちらしは寿司飯でないといけないと主張することが、客のメイン であるイタリア人のオーダーにどう影響するか・・・かなり不明です。 詳しく知っていることが、必ずしも商売繁盛には繋がらない。そういう一例かもしれません。

日本酒の熱燗をちびちちびやっていると、台湾や香港経由で中国でヒットした日本の音楽ーいまや歌謡曲という言葉は死語かもしれませんがーが聞こえてきます。日本人客へのサービスです。こういう場合、テレサ・テンなんかは欠かせない歌手ですが、案の定。かなりマニアックな彼は、次に韓国、日本、台湾、香港、中国のぞれぞれの曲を流し、それらの間にある違いを僕たちにだけではなく、イタリア人客にも向かって説明しはじめます。彼が台湾製と思っている曲が実はオリジナルが日本だったりすることがあります。しかし、それは彼の無知ではなく、日本人も知らぬ間にアイルランド民謡を楽しんでいたりします。つまり、ぼくたちはオリジナルのことなんかそんなに知らずに生活しているわけで、それで一向に構わないのです。

知らないほうがいいわけではありませんが、知らなくてもまったく現実には問題がなく、道徳的にも恥じることがないことが世の中殆どです。今目の前にあることを如何に編集していくか頭を使うほうがよっぽど大事だということでもあります。日本の演歌が聞こえてくると「これ、イタリアのナポリの歌みたいね」と近くのイタリア人女性がつぶやきます。「親近感をもつわ」と。それも当然で、日本の演歌はナポリの歌を取り入れているのだから、あの寂しさを歌い上げる世界に共通性がないはずがないのです。「だからどうだっていうのか?」と言うことです。いや、「だからどうだ」と説明できないといけないシーンと、「どうでもいい」と言えるシーンの二つがあることを知っていることが、更に重要なことでしょう

今日から日経ビジネスオンライン「異文化市場で売れるためのモノづくりガイドーローカリゼーションマップ」の連載がスタートしました。初回は「世界各地で何が売れるか、“目的地”を示す「地図」が必要だ」です。  http://bit.ly/bjy9H3 ここで紹介したエピソードなんかも、今後、少々カタチを変えて使っていきたいと思っています。

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