イタリア料理と文化 の記事

Date:12/9/14

夏が後ろ髪を引っ張られるように連れ去られ、秋が侵入してきました。

6月に小学校を終えた息子の中学校もやっとはじまり、長い3か月の夏休みが終わりましたが、「ああ、やっぱりイタリアの文脈がよく分かっていないなあ」と痛感する経験が学校初日からありました。どうせ入学式なんかがあるわけじゃないんだからと思って、初日に学校に子供について行かなかったら「親が来ていなかったのはウチだけだったみたい」と息子が帰宅して不満そうに語ります。儀式的な集まりではなかったのですが、体育館に新入生と親を前に運営上の説明があったようです。こういうのがあるだろうと思っていると期待を裏切られ、そんなことに力を入れないだろうと思っていると案外の案外があるんですね。要するに勘が十分に効かない。そのたびにイタリア生活初心者に戻るわけです。

イタリアで生活をはじめたころ、親分から「言葉は経験の幅によるね」と言われたことを、こういう時に思い起こします。あることの経験をしないと、そのことに関連する言葉は存在さえ考え及ばない。義務教育からその土地で生きていない不利な点です。言葉も勘も。葬式のことなんかあんまり詳しくもなりなくないけど、それなりに回数を出ていると服の勘も分かってきます。こういう人のこの季節の葬儀なら、ジーパンにポロシャツでもいい、とか。昨日参列した教会での葬儀では喪主がネクタイなしの黒いシャツで、スーツにネクタイはお棺を運ぶ葬儀屋の屈強な男たちだけでした。こういう経験のない最初のころは、ダークグレーのスーツにネクタイで出かけ、「あれっ???」と居心地の悪い思いをしたものでした。真っ黒じゃなくてもいいだろうと思ったら、もっと崩れていたわけです。

長いイタリア生活で「変わったなあ」と思うことのひとつに服があります。20年数年前、日曜日の昼間はジャケットにネクタイで散策する人が目立ち、ジャージを日常着て歩く人は、イタリア人ではなくアフリカの人でした。だいたい「おしゃべり好きのイタリア人は黙々とジョギングなどしない」と言われ、確かに友人と駄弁りながらジョギングする人が多かったです。スポーツをする人はスポーツをしても、それが日常風景のなかにあまり入ってこなかったのです。あえていえば、自転車は日常のスポーツ文化として一般の人の目に見える存在でした。それがアメリカ発のスポーツファッションが定着し、アップル製品を手にしながらジョギングするに至ったのです。そう、まさしく「至った」という感覚です。西海外から地球を半周して到達した、と。

一時期、トレンドリサーチで、スポーツ雑誌を片っ端から買い集めていたことがあります。「ウォーキング」「ヨガ」あたりをみると、「西海岸文化臭さ」がぷーんと匂うのに、「ヨット」「サッカー」「テニス」ではヨーロッパの香りがしてきたものです。「トレッキング」はそれぞれの文化のなかで成立していて、これはこれら2つの流れとは違うなあとも思いました。そういうリサーチのなかで、禅に興味のある人が地中海でヨットを浮かべるに熱中することは少ないし、ヨットやスポーツカーに金をかける人たちにおける「東洋趣味」は極めて限定的であるということが肌で感じられるようになりました。ぼくがレクサスはヨーロッパで間違ったアプローチをしていると繰り返し話してきたのも、このスポーツをキーにしたときのタイプの違いは、そう簡単には変わらないと思ったからです。日本におけるスポーツの選択とは若干違っていると見えました。

こんなことをボソボソと独り語ちながら、夏の始末を終えつつ、秋の怒涛の日々へと移っています。来週は久しぶりにタイに滞在します。最初が30年前、2回目が23年前。そして、今度が3回目。タイのデザイン推進機関であるタイクリエイティブ・デザインセンターでレクチャーとワークショップを行います。タイのビジネスマンとデザイナーに異文化市場の見方を話してきます。同時に、今後、アジアの地域でローカリゼーションマップがどう貢献できるかをいろいろと確かめてこようと思っています。そして再来週は日本です。何か所かクローズドなところでレクチャーやワークショップを行い、滞在最終日に勉強会。ワークショップそのものをテーマにとりあげ、ワークショップをこねくり回してみます 笑。

そういえば全然関係ないのですが、最近、日本のテレビドラマで非常によく登場する舞台が漁村です。これ、何を象徴しているんでしょうか?

Date:11/9/8

コンテンポラリーアーティストの 廣瀬智央さんのアトリエを前回のエントリーで紹介しました。そして、今日、彼から今回の「アートとしての家」の構想と、それに至る経緯を書いた長いメールをもらいました。この内容は非常に面白く、ご本人の許可を得て、ここに作品の画像とともに抜粋することにしました。

1991年からイタリアに住むようになった彼は、日本で活動していた時より広い意味でアートを捉えるようになりました。その契機がイタリアで直観した「アートと生活」のダイレクトなありようだったと言います。つまり、自分自身で「価値の地図」を作れることに気づいた。言葉を変えれば、自分なりのリアルな現実の見せ方がアート表現の一つになると考えるに至ったのです。「必然としてのアート」、とでも言えばよいでしょうか。それが、アトリエ内の家という発想に繋がっています。

ぼくがよく書いている、「自分目線での文化理解の正当性」と同じことを指していると思ってよいと思います。それでは、彼の文章を引用しましょう。

「家シリーズ」の元になる最初の作品が, 1994年に制作した「塩の家」という作品です。これは、角砂糖で造った家の形態をした立体の内側に塩が詰まっている作品で、文字通り塩のための家なのです。見えないけれどそこに在る。現実的に存在する塩ですが、実際に見えているのは砂糖だけで、想像力によって見えないものが見えるというような可視と不可視をテーマにした作品です。想像力によって把握された空間は、精神の豊かさによって生きられるのだとおもいます。

その後、1995年~1998年にかけて造った「紙幣の家」シリーズに続き、2002年〜2006年と「家シリーズ」作品が続きました。紙幣の家の作品は,旅先で紙幣を両替する事がきっかけで始まりました。EU統合前でよかったです。3年かけて旅で集めた紙幣で作った家を一緒に並べて展示しました。紙幣は現前に実在するけれど、どのように存在するのか?そこには両替するたびに見えてくる見えない差異が存在し、価値は常に変化していて、それぞれの紙幣を相対的に見ることで、価値そのものが曖昧であるということ、絶対的な安定的なものはなく、すべてが変化し続けているというような、見えないものが紙幣を通して見えてくるという作品です。余談ですが、紙幣2枚を使って折り紙の作法で家を造るのですが、必ず各紙幣の屋根の部分にその国の偉人?が顔をあらわすとういう偶然の発見もありました。

 

 

2003年の家の作品シリーズあたりから、家そのものもつ機能を意識化するようになり、存在や現象の根幹に関わる物の理について抽出しようという段階になりました。まず思い浮かんだ家のイメージは、私的で限定された空間です。個そのものの空間であり、国家や共同体のアイデンティティーのメタファーとし作用させようと思いました。もし、家を内部とするならば、外は外部であるといえますが、家が本当に『いき』られるのは、内部も外部も内ない風通しの良い家にする必要があります。

理想で言えば、家の現実的な境界がなくなる状態で、存在を安心させるその空間は無限に伸縮変化可能であることが了解されるはずですが、壁(境界)がある以上、内部も外部もない家というのはあり得ないので、それはいかに想像力や認識に働きかける詩学的側面が必要になってくることになります。そして、幾重にも切断された空間の地政学的分析こそが必要かと。(ローカリゼーションマップと言い換えてもいいかもしれません。)

分節され、空間の境界を自由に往来するようなイメージで、事物と事物、事物と状況の関係性に思考が及びます。ものをものとして存在せしめる状況や、関係性に新しいアートの可能性を自覚することになりました。このころ、同時に、雑誌『フィガロ』の連載のため、イタリア各地を旅し、ローカルの持つ食材や文化の豊かさに感動し、ローカル・アイデンティティーのもつ食材や日常的なものを、作品素材としてよく使用していました。

そのような中で生まれた作品が、2004年のナポリの家(コーヒーのための家)という作品で、日本の茶室空間をリアルサイズで造り、茶室を反転させて、ギャラリーに宙ぶらりんに展示しました。その状況はカフェテリアを反転させことでできるナポリ式カフェそのものであり、茶室にあるのはコーヒーの粉で、コ-ヒーのための家です。遠く離れた異なる二つの文化が近くに遭遇する瞬間です。

 

コーヒー文化も茶文化もコミュニケーションを取る文化という意味では、一見相反するものが、詩的行為によって調和を得て全一性することになります。しかし、二つの文化は決して交わらない差異があります。その両義的空間を反映するように、作品が宙ぶらりんの状況になっています。ギリシャ以来の西洋美術史をつらぬく形而上学的な諸問題、すなわち存在論から現象論、そしてそれらを越えて行く関係性の問題へと突入することになります。家シリーズの着地点は、ものとものの関係性から、生活空間自体をアートとして投入して、観客までも巻き込んで行くところまで及ぶ予定です。

これを読んで分かることがあります。アーティストの考えていることが、エンジニアやビジネスマンの考えることと切り離されていると思うことは、大きなミスを招く。いや、アーティストが表現した作品に、日常生活に潜むー底流的なものであれー思考傾向が表れており、これを文化を読むヒントとして大いに活用できると気づいて欲しいと思います。ぼくは日常生活に近いところにあるモノのローカリゼーションへの期待度から文化を読み解く可能性を探っています。一方、アーティストも似たことを考え、ただアーティストはダイアグラムや記述ではなく、こうした三次元のインスタレーションや二次元のペインティングで表現しているのです。これでデザイナーの作品であれば、工業製品やグラフィックに「思考の痕跡」をみるわけです。

注意して欲しいのは、冒頭で「自分自身で『価値の地図』を作れることに気づいた」と書きましたが、これは「文脈を無視して作る」という意味ではありません。「文脈」と「リアリティ」を武器(あるいはフックという位置づけもある)にすれば、何も臆せずに先に進める道が常に開けていると解釈すべきです。あまりに暗黙知の地平が広いと落胆するのではなく、あまりに暗示の多い世界にぼくたちは生きているのだ、と考えられる。この反転のさせ方が、前回書いた、「ゼロから1」の出発点に立つコツではないか・・・そうぼくは思案しています。

 

<以下、上から順に写真の解説>

塩の家,1994.
砂糖、塩、紙、大理石. 6.5x30x9.5cm
Photography by Tartaruga
Copyright © 2011 satoshi hirose All Rights Reserved.

私は100,000リラで家を建てた. 1995.
3.5×3.5x5cm。Photography by Tartaruga.
CourtesyTomio Koyama Gallery, Tokyo.
Copyright © 2011 satoshi hirose All Rights Reserved.

紙幣の家 シリーズ.1995-1998.
Photography by Tartaruga.
Courtesy Sagacho Exhibit Space, Tokyo
Copyright © 2011 satoshi hirose All Rights Reserved.

ナポリの家 (カフェ), 2004
201,4×201,4x300cm.
木、ワイアー、カフェ、アルミニュウム、鉄、梯子
Installation view at Umberto Di Marino Arte Contemporanea, Naples, 2004.
Photography by Fabio Donato
Courtesy Umberto Di Marino Arte Contemporanea, Naples.
Copyright © 2011 satoshi hirose All Rights Reserved.

 

 

Date:11/9/5

3年前、ミラノサローネの見方を説明したエントリーで、コンテンポラリーアーティスト・廣瀬智央さんの作品を連続で紹介したことがあります。その彼が、ミラノのアトリエの中にスタジオを全くの一人で作りました。2年ほど前に完成しましたが、この週末、「体験宿泊」をしてきました。「アトリエの中にスタジオって?」とお思いになるでしょう。ちょっと解説します。

フオーリサローネで賑わうトルトーナ地区からさほど遠くない場所にアトリエがあります。廣瀬さんは二次元と三次元の両方のタイプの作品を制作するため(作品はここのサイトで見れます)、作業場は広さと作業中の音を比較的自由に出せる中庭にあるガレージをアトリエにしてきました(上の写真:正面が入口。右側が従来のガレージのシャッター)。天井がえらく高い空間で、何もなかったところです。廣瀬さんは、その空間を三分割し、アトリエ、倉庫、スタジオとしたのですが、倉庫の上に新しい部屋(ロフトが表現として適切か?)を作ったわけです。テーブルの上に脚立をのせ作業しているときに誤って落下して頭を強く打ち、病院に検査入院したなどのエピソードを携え、一般人には信じがたい(!)作業をやり遂げました。

入口を入ってアトリエを見ます。左の壁の向こうは倉庫です。作業中にちょっとぼんやりするためのソファーもあります。

奥には、あらゆる道具がずらりと並んでいる作業台。手前にも、(たぶん)二次元の作品を制作する作業台があります。梯子階段でロフトに上ります。梯子のむこうに、トイレ+シャワールームがあり、その手前がちょっとした台所です。

作業台の上にあるすりガラスの向こうがスタジオです。その下が倉庫になっています。

シャワーボックスとトイレの配管も「自家製!」。もちろん、タイルも一人の作業。

スタジオ。作業が煮詰まったときは、そのままベッドで休むことも。ベッドヘッドが接する壁の反対側は書庫になっています。これらをすべて、廣瀬さんは、「アート作品」であると称しています。

昨晩、このスタジオにぼくは寝たのですがー文字通りギャラリーのなかで寝ているような気分ですー、白い天井を見つめながら、「クリエイティブな発想」って何だろうかと考えました。ガレージの何もないところから、一人で設計図を描き、一人で材料を買い集め、一人で作っていく。この仕事をやり終えたエネルギーにも驚くのですが、これらのプロセスで廣瀬さんが何を考えていたのかを、このスペースの中に身をおいて想像していたら、「クリエイティブな発想」に頭がいったのです。

ゼロから1を創ることをクリエイティブと言いやすいですが、「無の境地」になったところから「何かが閃く」ことをイメージし過ぎていないでしょうか。しかし、どうもそれは無理があるのでは、とぼくは前々から思っています。およそのところ、無の境地に達すること自身が「ないものねだり」のようです。ここで二つのことを考えます。

「ゼロから1」という時の「ゼロ」は、ある限定された領域でのゼロであって、線の引かれていない広野をイメージしてはいけないのが第一点。そんな漠然としたフィールドを対象とするのではなく、枠組みが厳然とあるエリアを相手にすることです。このスタジオでいえば、ガレージです。中庭は対象から外れています。二つ目は、対象領域にとってはゼロであるが、隣接領域においてゼロではないことが往々にしてあるとの現実を認識することです。隣接地帯(いや、遠くにあっても、もちろんいいです)に蓄積されたアイデアを持ち込んで一向に構わない、という意味です。例えば、このロフト建設に使用された材料は、ほぼDIYで販売されているものです。

実は、廣瀬さんの言う「作品」とは、「アートを住めるものにする」とのコンセプト(あるいはプロトタイプ)という意味もあります。この「体験宿泊」を通じて、実際にある空間に身をおくがゆえに思考できることはとても多いと痛感しました。

 

パンチェッタのグリルも美味しかったし・・・・。

 

 

 

 

Category: イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之  | 
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