イタリア料理と文化 の記事

Date:09/7/14

ピッツァはラーメンです。決してお洒落な位置づけではなく、どちらかといえば、とりあえずお腹を一杯にさせておこう、それも気楽に・・・というムードの強い食事です。両方とも「じゃあ、ちょっと・・・」という誘い文句が似合います。リストランテにはピッツァはなく、ピッツェリアに行かないとピッツァはありません。前菜、ピッツァ、肉か魚・・・という順に食べるのは、あまり一般的ではありません。プロシュート、ピッツァ、サラダというくらいの食べ方はしますが、パスタを中心としたような食事とは完全にコンセプトが違います。ピッツァを食べてからスパゲッティを食べるのは、ラーメンのあとにチャーハンを食べるようなもので、最近の日本の定食ではありえる組み合わせながら、イタリアのなかではちょっと「外れる」ラインです。だから、ピッツァはラーメンです。また、たまにムショウに食べたくなる頻度もお互い似ています。

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ただ、それだけでなく、他にも共通点があります。ピッツァを食べるに、あまり会話に華を咲かせていると美味しくない。つまり話しをしている間にピッツァが冷えると、とても食べられるものではなくなるのです。ピッツァは猛スピードで食べてこそ美味しい。熱いうちに食べないといけないのは何でもそうですが、特にピッツァはその程度が大きい。それが伸びたラーメンが食をそそらないのと同じなのです。のんびり食べていると、大きな丸いピッツァの半分か4分の3くらいのところで、冷えて固くなってきたピッツァ、特に端っこなどは、学校給食の残り物のイメージさえ漂います。だから普段は食べるのがそうスピードが早くないイタリア人でも、ピッツァでは見事な食べっぷりをみせてくれます。日本人のラーメンの食べっぷりで、外国人から「サスガ!!」と褒められるようなものです。

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ピッツァに合う飲み物は炭酸系です。コーラやビールです。水ならガス入りです。あのチーズの「ごにゃごにゃねばねば」したものが口に入っている状態をサッパリ系へと変化させてくれます。このリズムと温度変化がまた大事です。さて、そうなると、暑い日に食べるピッツァがちょうどよいのでは?とも思います。季節を問うものではありませんが、あの釜がお店の中に見える場所で食べるには、やや外気が下がってきたときがちょうどよいです。暑い日、あの空間に身をおこうと思うのは尋常ではありません。

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さて、イタリア料理における問題とは何か? それはピッツァくらいしか、暑い夏の日、ダラーンと食べる脱力系の食事がなかったことです。食欲がそんなにないとき、サラダ、プロシュート、モッツァレッラチーズだけでは飽きます。本当をいえば、蕎麦やそーめんのような冷たい食事が求められ、確かに冷えたパスタという選択はありますが、そちらにいくと脱力系からずれるケースがあり危険(?)です。そこに寿司が嵌ったのです。寿司の定着には、このようなイタリア料理の弱みを衝いたという背景もあります。もちろん、地球温暖化現象が寿司の普及を助けるという面もあるかもしれません

今週もミラノは毎日30度以上、湿度も70%近いと予想されています。

Category: イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之  | 
Date:09/6/22

ぼくは日本でわりとイタリア料理を食べます。和食ばかりだと地中海の強い味を体の中から欲するということもありますが、日本における「イタリアの今」を知るのに参考になるからです。文化人類学のファビオ・ランベッリ『イタリア的ー「南」の魅力』(講談社)のなかで、日本のイタリア料理の特徴が紹介されています。いわく、ハムはプロシュート以外はドイツ系ソーセージ、パンはフランスパン、チーズはパルミジャ-ノの以外はフランス系・・・・そしてパスタは固いパスタ、これらが日本のイタリア料理であり、イタリア料理が完全に日本の西洋料理の体系に嵌っているといいます。

米国経由のスパゲッティやピザではなく、日本でイタリア料理が本格的に「お洒落なもの」として普及しはじめたのは、1970年代から80年代以降です。それまでマカロニとは、どちらかといえばマイナーなイメージがありました。つまり、それまでに日本で定着していたドイツ系ソーセージやフランス系チーズの枠組みに、イタリア料理のアイテムが適時はめ込まれていったことによって、「日本のイタリア料理」が出来上がってきたというわけです。これは米国や他欧州各国のようにイタリア人移民によるコミュニティが日本にはなく、イタリア料理体系を丸ごと伝達する受け皿がなかったからではないかとランベッリは語っています。

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このエピソードは何かに似ています。そうです、ヨーロッパでのキリスト教の発展において、それぞれの国での民俗的習慣を取り入れていった事例と相似です。キリスト教の代表的イベントであるクリスマスもそうした風習の一つであることは良く知られていますが、言ってみれば、キリスト教でさせ、そういう意味でのローカリゼーションが布教に際して重要なキーであったわけです。これはキリスト教だけでなく、あらゆる宗教にあてはまり、社会学者の八幡さんは、アニミズムが全ての地域の基本レイヤーにあり、インドネシアなどは、その上に仏教やイスラム教がある「三階建て」であると先日話していました。そこで昨日の記事で、魚を炙ることが寿司の海外普及を助けてきた話を書きましたが、日本のイタリア料理は寿司の全く反対の例であるといってよいでしょう。

キリスト教でさえ、イタリア料理でさえ・・・ということです。日本の工業製品をヨーロッパ市場で売るにあたり、この「日本のイタリア料理」は、とても参考になると思います。フランチーズに勝てる部分、ドイツのソーセージに勝てる部分、そうした一つ一つの勝負どころと、パスタという圧勝を果たせる領域の確保。そして地中海的であることのイメージ的優位性。市場分析と戦略が如何に重要で、それ次第でオセロ的な大逆転ー日本でのフランス料理に対するイタリア料理は、オセロ的大逆転としか表現しようがないでしょうーが可能である証左であるといえます。

Category: イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之  | 
Date:09/5/21

昨日、イタリア料理のレストランでぼくの奥さんと話したこと。ぼくはボンゴレスパゲッティが好きで、我が家では毎週末、一回はボンゴレスパゲッティを食べています。自慢じゃないですが、奥さんの料理は美味いです。それでも、外のボンゴレスパゲッティと味比べをしてみたく、外でも食べます。昨晩もそうでした。抜群の味でしたが、我が家のそれと違い、、オリーブオイルとにんにくの量が、圧倒的に多いです。自宅で作る場合も、相当に入れているはずですが、外で食べる皿と比べると、やはり少ない。パスタの全て一本一本のあらゆる部分にオリーブオイルが絡まっているように作られています。

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これを食べながら、こういう会話になりました。

「外国人が寿司や刺身を食べるとき、醤油をたっぷりつけて食べるけど、あれは臭みを消すとか、醤油の味で食べるというだけじゃなくて、ソースとはすべからくたっぷりつけるべきだという考え方なんだろうね」

日本人は寿司を食べるとき、醤油はちょっとひたす程度につけて口に入れます。ですから外国人の食べ方をみて「分かっていないな~」と嘆きますが、それは味という問題もさることながら、あるカテゴリーに対する一つ一つの概念が違うことによって生じているわけです。

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もう一つ、改めて思ったことがあります。昨晩のレストランは、厨房に料理人は一人しかいません。正確には厨房内にもう一人いますが皿洗いだけです。それでも7人が一緒のテーブルがオーダーした皿、それも3-4種類は違う料理を一緒に持ってきます。テーブルの全ての人が同時に熱いうちに料理を食べることができます。ご存知のように、イタリア料理は、前菜、プリモ、セコンド・・・という順序があり、それぞれのステップで皿を片付けていきます。そして、人と皿をシェアする習慣が基本的にありません。ですから、貴方が先にきたリゾットを食べ終わる頃に、彼氏に席にパスタが運ばれてくるというのでは、食事のルールを根本から崩すことになります。ですから、同時に料理を作り、同時に皿を同じテーブルに運ぶことが何よりも尊重されます。

一方、日本では、懐石料理を除くと、比較的順番が緩く、出来たものから運んできて、それらを友人同士でシェアして食べることがよく行われます。もちろん丼ものはできませんが、わりとそうした部分はフレキブルである習慣があり、だからなのか、テーブルについてオーダーした皿が同時に運ばれてこないというトラブルがよく起こりがちです。イタリアでもないトラブルではないですが、この点については、日本のほうが目立ち、ファミレスのような本来機能的に同期化が可能なはずの場所でもそういうことが起こります。やはり、日本の食卓は皿を幾つか並べ、それぞれの皿を同時並行で食べていくという習慣が、レストランのサービスでの優先順位を変えていくのでしょうか。

そんなことを話しながら食事をしました。

Category: イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之  | 
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