ミラノのマルペンサ空港のセキュリティチェックゾーンを過ぎた後、「正統モッツァレッラチーズ」のバーがあります。イタリアのある特定の地域のチーズであることを売り物にするのはー世の中に多くあるモッツァレッラチーズとの差別化を図るー、何もグローバル食品への反対からではなく、グローバルな均一化現象があるからこその「逆転戦略」です。
カンパーニャ州の一軒のレストランに国境を越えて延々とドライブしてきた旅人に食べてもらうだけでなく、国際空港のなかで世界の空を飛びまわる旅行者を相手にして商売が成立するのは、地域のオリジナリティ溢れるモノはグローバルな経済の動きの一角を占める可能性があることを示唆します。たとえば、フランスのテロワールワインが世界に広がる品種競争ーどの品種がマーケットで人気がとれているかーと対抗することなど、その象徴的な構図です。

自由なライフスタイルやビジネススタイルを好む人ーコスモポリタンであることを望む人ーがマックを使うという図式は、それなりに手ごろなMacBook Air やiPhone の普及により崩れてきました。市場を占有する大きなウィンドウズがあってこそ、マックの「テロワール」的な側面が実態以上に大きく見せられてきたのでしょう。「世界にはいろいろな価値があって当然。ぼくはその多様性を積極的に支持するよ」と思う人がアップル製品を愛している・・・ようにイメージを作ってきたとすると、あまりにアップルのシェアが大きくなることは自分の首を絞めることになりますーきわめて根本的な点を指摘するならば、多様性を愛し許容する人がそこまで世界の多くを占めるなんて誰も思っていないー。多様性を評価するのは選別された人間の優越感が潜んでいますから、ことはやっかいです。
端的にいえば、多様性という価値観の受容を拒む社会があったほうが、世界全体の多様性は向上する。そのような社会は、文化の外部にいるという地位を生かしてきわめて独自の創造物を生み出すからだ。
自分は差異を積極的に受け入れるコスモポリタンであると言う人が世界の多数を占めてはいけないのです。あるいは、ありえないという前提で世界は成立していると考えるのが妥当なのです。非コスモポリタンが独自の文化性を発揮するから、コスモポリタンは多彩な違いを楽しみ自らの寛容さに満足します。頑固おやじが「正統モッツァレッラチーズ」の作り方にこだわればこだわるほど、コスモポリタンは喜ぶわけです。

留意するべきは、発展の遅れた貧しい社会へと貿易が広がると、それらの社会の内部においては多様性が向上することが多い。(中略) パプア・ニューギニアにショッピング・モールが出来れば、パプア人の選択肢は増加するだろう。だが、社会のエートスが変化することによって、パプア彫刻の背後にある霊感が弱まるとしたら、パプア彫刻を収集しているアメリカ人にとっては、選択肢が減ることになる。(中略) パプア人の得るべきものがアメリカ人の失うものよりも「大きく」「重要である」と考える限り、貿易を擁護すべき理由はなくならない。
第三国への経済進出は文化的にも善であるという匂いをここに感じ嫌悪感を覚えたら、この本はあまり面白くないでしょう。そういう嫌らしさがそこここに散らばっていて、アメリカ人の書いたもんだよなあ・・・とため息をしながら読むにしても、それを相対化する指標が記されているから癪だなと思いながらも懐柔(!)されていきます。「客観的な類似性が高まると同時に、主観的には(残された相違を強調しているだけにせよ)ますます大きな差異が実感されるようになる」のカッコにある注釈などは、コーエンの態度を明確に示しています。そして、ここで見逃してはいけないのは、「主観的に実感する大きな差異」のおさめ方ことこそが焦点になるとの認識です。
国や地域、部族のアイデンティティの指標は、かなりの程度まで調整可能である。標識の必要性を否定するつもりはない(文化アイデンティティは私たちの生活において重要な部分を占めている)が、アイデンティティの標識は他にも存在し得るのに、過去から受け継いできた標識ばかりに規範力を持たせる理由は不確かである。異文化間交易を通じて過去の標識が新しい標識へと移り替わるかもしれないが、アイデンティティの標識というのは時間が経てばいずれにせよ変化するものであり、完全な合理的な手段によってコントロールできるものではない。
この標識を上手く組み合わせてアイデンティティの確立に励んできたーそして稀にみる成功をおさめたーのがルネサンス以降のヨーロッパだと思います。ギリシャからローマも含めすべて自分たちの祖先に入れ込んだ脚本は見事だったとしか言いようがない。しかし、そういう脚本がいつまでも同じようには使えないとの至極当然の真理が常に隣で見張っているので、より大きな網の開発に注力するに至ります。
そもそもなぜ文化衝突が生じるのかといえば、人々が文化的標識を移行させたり、新たな文化的標識を創りだしたり、より幅広い新たな共同体において文化的標識を共有したりすることを望むからである。
文化意識において先端であるための「事情」です。
「今年のサローネは興味しんしんだよね。経済がこれだけ厳しく絞った予算でどれだけの表現を見せるか?って見ものじゃない」とイタリア人の若手建築家が話します。日本のバブルがはじけた後のモーターショーやリーマンショック後のサローネを思い起こします。マイナス経済変化と商品開発や見本市の展示に関係があるのを感じるのは、およそ寂しいことが多いと思っていたぼくは、彼の「どういうエコロジカルな展示材料で出してくるかを見るのが楽しみ」というセリフに感覚の変化を感じました。マイナス経済変化を彼のビジネス文脈で否定的に捉えていないのです。チャンスとして考えています。

さて、時代の空気の変化を感じ取る場所はいろいろとあります。携帯電話のショップもそうです。1990年代後半から2000年代前半には華やかさがありました―ミラノの風景を言っています。トレンディな情報はあの場所にあると、用事もないのにショップに集まっていた。そこで性能や機能はもちろんのこと、デザインを語り合っている若い人たちが集まっていました。今、気のせいかもしれませんが、そういうムードが携帯電話のショップにはありません。だいたい携帯電話というモノ自身が、スマートフォンを前にして劣勢です。そして、統一感あるインテリアでまとめたキャリアの店舗がトレンドショップ的なムードをもっています。しかし、タッチパネル全盛の今、個々の商品のデザインを語り合う空気は減少しているようにみえますーTVのデザインが話題にのぼらなくなったと同様。

電源をONにしないと世の中の姿が見えてこない。それが生活の隅々まで浸透しはじめてきた現在、逆に物理的な店舗デザインが意味をもってくる・・・という方向にあるのかもしれません。ぼくたちは目に見えるデザインを捨てることはできない。よくセミナーなどでローカリゼーションの必要性を説明するとき、「馬鹿なロジックのインターフェースのカーナビを搭載したクルマは、どんなにスタイリングがよくてもクルマ自身もバカにみえる。だから、ユーザーの市場にあったロジックを提示すべき」と言います。しかし、それはカタチが造形力が不要になっていることを意味するのではありません。そこまでヴァーチャルとリアルが拮抗している、その力関係を指しているのです。アップルの店舗があれだけ凝っているのも、その一例でしょう。
リアルな経済が落ち込む → 展示が貧相になる ということではなく、リアルな経済が落ち込む → ヴァーチャルで積極的意義が議論される → 展示が内容的に豊かになる → 展示が見るべきデザインとなる というサイクルが生まれることを期待する人たちがいる。これが冒頭のエピソードをバックアップする背景ではないかと思います。それには電源ONがない限り、このサイクルが続かない・・・というかどうかがエコロジーや社会的持続性を考えるときに岐路を描きます。考えてみると実にーそれも猛烈にー微妙な危ういところに立っていることになります。あらゆる世界観のベースに「一杯のコップの水」のように「ひとかけらの電気」があることに思いをはせると、エラソーな世界観ってなんだかなと思わないでもありません。
トリノに住んでいたころ、すなわち20年くらい前、我が家に日本人の少年を夕食に招いたことがあります。親と一緒ではなく一人の小学生です。ということは10歳以下だったことになります。彼はインテルのジュニアチームに入りたいと思い、イタリア人の家庭にホームステイしていました。彼がイタリアへ来た経緯が興味を惹きました。彼の母親が年末宝くじを買い、「どうせ当たらないんだから」とつぶやいたら、そのセリフを耳にした男の子が「じゃあ、それぼくにくれる?」と頼んだのです。ごみ箱行きの紙切れになるんだからと思った母親が何気なしに渡した紙がなんと100万円に化けました。そこからです、彼の人生が動いたのは。
「ねえ、お母さん、これぼくの好きなようにしていいんだよね」と確認を求めたー外国語は何も勉強したことがないー彼は、和伊と伊和の辞書を買いイタリア語の手紙を自分でしたためイタリアのサッカー協会に送ったのでした。「ぼくは日本のサッカーの好きな少年でぜひイタリアでサッカーを学びたい」と書いたのです。結果をいえば情熱にほだされた母親の手助けも得て、ジュニアに入るには早いしイタリア語も覚えなくてはならないということで、トリノのふつうの小学校に留学することになったわけです。

「へえ、ミランでもユベントスでもなくインテルなんだ」と夕食をとりながら聞くと、「だってインテルかっこいいじゃん。ユーベなんかださいよ」。「ねえ、もしインテルの選手になれなかったらどうするの?」との問いには、「これからイタリアとサッカーに詳しくなるんだから、イタリアのサッカーのことを本に書けば売れるでしょう?」と逆に質問される始末。親をはさまずに大人の食事の招待をうけながら、こうもはきはきと自分の意見を言う小学生に会ったこちらは感心することしきりでした。かなり小柄だった彼がイタリアでサッカーのプロとして通用するかどうかはまるっきり予想がつきませんでしたが、こういうエピソードを携えて生きていく子なんだろうと思いました。ぼく自身、自分が弟子入りしたいと思う人に手紙を送ってイタリアに来た身ですから、とても共感を覚えたわけですーこの子は、ぼくより20年早く生きている!と。

今日、久しぶりにサンシーロでインテルのゲームを観戦し長友がピッチを走る姿を眺めながら、そういえば、あのトリノで出会ったサッカー少年はどうしたかなと思い出しました。長友は1986年生まれ。あの少年はもう30歳周辺のはずですから長友より少し年上です。特にサッカー記事を追っているわけでもないので、もしかしたら彼は既にライターになっているかもしれません。あるいはサッカーを諦めイタリア料理のシェフになっているかもしれませんーだって我が家で食事をしながら、なかなかの批評をしたのですから。「何者か」にはなりつつあるのだろうと思う一方、自分のエピソードに負けることもあるよなとも考えます。
エピソードを積みあげる人生が決して本人の望む道ではないことがある。いや、その方が多いかもしれないとも思います。小学生の時に神童と呼ばれ、まったくのふつうのオジサンになっている人の多いことを思い返すと、若い時のエピソードは役に立たないと思ったほうがいいのでしょうか。というかエピソードに寄り掛かるマインドがすでに負けなのでしょう。過去は捨て去りながら生きる・・・と分かっているものの、それを率直に受け入れるのはしんどいもので、そういう他人の自然な気持ちをどこまで寛容をもって接することができるのか?が、人が生きるテーマなんだろうと日曜日の夕方にしみじみと思いました。