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Date:17/4/9

常々思うのですが、何事もドレスアップよりもドレスダウンこそが難しいです。ドレスアップは、ある意味、ルールに従うことで実践可能です。が、ドレスダウンはルールを自ら破って頭を働かさないといけません。それなりの勇気も必要なことがあるし、それこそ方向を決めることがより重要になります。フオーリサローネを眺めていて、この数年、本当にドレスアップが主流になりました。「売る」ことを強く意識しているのでしょうね。そういうなかにあってIKEAが「売る」ことを意識しながらチープな舞台設定を行ったのは、ドレスダウンの強調ではないか、と思いました。この数年間、IKEAは単なる売り場的な発想が目につく展示を重ねてきましたが、今年はかなり主張をはっきりと「IKEA FESTIVAL」という名称で表明しています。

あまりに高い商品を買うのはカッコよくない、との空気がありますが、それをドレスダウンによって表現しているのがIKEAということになります。これは一つ、批判的アイロニーとも呼べます。かつてランブラーテは、廃棄材などを活用してドレスダウンの極め付けのような場でした。しかしながら、最近、ややドレスアップ傾向になっています。そこにIKEAという大企業が、かつての「ランブラーテ・スピリット」(あるいは、フオーリサローネ・スピリット)を再現しようとした、との読みができます。2015年のEXPOではストリートフードがテーマとも呼ぶべきほどにアピールされましたが、このトレンドとIKEAの「原点回帰」的な方向付けは同一線上にあると考えて良いでしょう。

イタリアの若い世代も、以前であれば住居を「買う」と発想していたのが、「借りる」との流れにあります。経済的背景だけでなくノマド的な生活スタイルの浸透があり、それが「インテリア家具にお金をかけすぎるのはスマートではない」との考えをひっぱりだします。それで気の利いた起業家やデザイナーは、移動生活にマッチするモノがまだ充実していない現状をみたうえでの商品開発に力を入れます。即ち、リビングルーム→寝室→キッチン→バスルーム→ベランダなどのアウトドア との流れで発想やスタイルが影響してきた次にあるのが、「脱プライベート空間」となったわけです。そこにはスマートデバイスを使いこなす空間があるわけですが、ただ、これをもって境界のない世界へ足を踏み入れた、と楽観的に解釈するのは安易すぎます。オランダのユトレヒト芸術大学の学生たちが提案している内容は、ボーダレスな情報空間へのNOを示しています。街角のあらゆる場に監視カメラがおかれプライバシーを喪失している。ビッグデータはいったい誰のものなのか?との問いを発しています。自分の顔や表情をどう守るか?に対してマスクコートというアイデアを出していて、デジタルネイティブ世代の危惧がよくうかがえます。

さまざまな顔の表情を描いたスカーフを提案している、Sanne Weekersのサイトから引用します。

These products protect your emotions, opinions, data and thoughts. For example, by using a scarf that has multiple faces in which you can keep your anonymity.

彼女のプロフィールをみると、このテーマが実に(Userではない)Humanな発想から出ていることが分かります。

The project I am currently working on is all about emotion and transformation. My personal life rapidly moves from one emotion to the other, sometimes I don’t even know how, why or even when these changes happen. I am trying to make this connection between time and emotion more explicit. I’ll soon elaborate on this.

Category: さまざまなデザイン | Author 安西 洋之  | 
Date:17/4/7

昨日、デザイン思考=問題解決(改善された商品)というレイヤーだけでなく、デザイン・ドリブン・イノベーション=意味のイノベーション(心離れがたき新しい意味をもつ商品)というレイヤーに注力すべき時期になっていることを書きました。これを強調しているのが、ミラノ工科大学経営工学研究所のロベルト・ベルガンティ教授の「Overcrowded」(MITプレス)です。今日は、彼と米国ペプシコCDOのポルチーニ(彼はミラノ工科大学のデザインの出身で、3Mで実績をあげヘッドハンティングでペプシコに転職)の講演、それにパネルディスカッションにエコノミストのコラムニスト、デロイトデジタルのコンサルタント、ミラノ工科大学のズルロなどが並びました。

問題解決には大いに力を発揮した人たちが、こと意味のイノベーションには戦力になっていない。それは今回何度も書いている(Userではなく)Humanレベルの理解とコミュニケーションが鍵になっているからですが、問題解決に適用されている方法論が意味のイノベーションのケースには応用できない、と認識すべきというのが第一歩です。問題解決がユーザー観察からスタートしてアウトからインという順序になるのに対し、意味のイノベーションでは個人の熟考→2人(スパーリングパートナー)での議論→7-8人(ラディカルサークル)→解釈者たちのグループを経て初めてユーザーが登場してくるのです。多くの人を最初の段階で巻きこんではいけない。クラウドソーシングやオープンイノベーションは問題解決の作法であり、その限定された目的のために使うべきだ、というわけです。

アイデアは現状の改善のためのもので、変化は批判精神によってこそ起こすことができる、と散々デザイン思考でもてはやされた言葉や方法が小気味よいぐらいにバッサリと切られていきます。ぼくはベルガンティの本は読んであるし、彼自身とも何度か直接話し合っているので、そこに新しいネタはなかったのですが、デザイン経営として注目を浴びているペプシコのポルチーニの話を聞いて大いに納得がいったところがあります。彼はベルガンティの前著「デザイン・ドリブン・イノベーション」から今回の新著に至る内容を支持しており(彼は学生の時にベルガンティの授業も受けていた)、「ペプシコの社内でも、この考え方と近いところでプロジェクトが進んでいる」と話した後、デザインの考え方や現在の戦略などを紹介しました。

ぼくが納得がいったのは、ポルチーニのセリフの一つ一つがまっとうに「自分の言葉になっている」という点です。徹頭徹尾、自分の言葉からはじまり、それらを何度も鍛え直したプロセスが浮かび上がるような話ぶりなのです。「消費者がこう望んでいるようで」という心もとないニュアンスがなく(もちろんマーケット調査は散々やるにせよ)、彼自身にスタート地点があるとしか思えないアプロ―チなのです。それでいてデザインアプローチのアカデミックな裏付けもしている。なるほど、アカデミックなデザインマネジメント研究はこう使うのか、という良い見本です。

さて、この話、ミラノサローネの文脈に落とし込むための、ベースとなる現実を見てみます。

リーマンショック以降のこの10年近く、イタリアのインテリア業界で生じた大きな変化は、1) 従来の流通経路による商品のビジネス比重が下がっている(特に個人客にブランド浸透率が低い場合) 2) オンライン販売は成長している(が、1)をカバーするほどではない)3) ホテルやオフィスなどへのB2Bに売り上げを頼るケースが増えている 4) フィールドごとの商品が生きづらい(オフィスではオフィス家具ではなく、従来の一般家庭向けのデザイン家具が使われるなど脱”小さいコンテクスト”という流れがある 5) 4)とは反対に”大きいコンテクスト” という観点では、よりコンテクストが重視される(それがオフィス家具に一般の家具が使われる、という展開を生む) というようなところだと思います。

これらの事実を前に分析的な問題解決ではなく、意味のイノベーションを考えるとするならば、今年のデザインウィークの何を見るとよいか?を考えることになります。

 

Category: ミラノサローネ2017 | Author 安西 洋之  | 
Date:17/4/6

ファブリカ・デル・ヴァポーレで開催されているサローネサテリテ20周年の展示会は、期待以上でした。しっかりとお金をかけ、展示の仕方も(高い段に置かれた作品を見にくいけど)気が利いています。まだ見本市会場が市内にあった20年前のサテリテを思い出すと、学生のロックな感じの展示が多く、量産に至るまでには気の遠くなるようなプロセスが必要、という類ばかりでした。どちらかといえば、若いエネルギーや「ものの考え方」の面白さを見せる場という色彩が濃かったです。それがこの10年くらい量産化を見据えたような作品が主流になり、性格がずいぶんと変わりました。また20年前には今のように中国、南米、東欧の学生や若手デザイナーなどもめったにいなかったと思います。デザイン教育の世界均質化を、このサテリテの20周年でまざまざと見せつけられます。

こうやってみると、ここから沢山の才能が出たことが分かります。ただ、このサテリテで最初に展示したデザインがそのまま量産として市場に出回るというより、サテリテで多数の人の反応や意見あるいは刺激を受けたことで、その後に活躍の道を切り開いた、というパターンが圧倒的に多いでしょう。若手登竜門のチャンスが限定されていたがために(20年前はフオーリサローネもスタートしたばかりの時代であり、多くの注目を集めるための場はサテリテくらいしかなかった)、結果的にサテリテ経由で多数の才能を輩出した、ということになります。

もう一つ、気づいたことがあります。20年前頃は「デザインは問題解決である」ということが学生の間にどれほど定着していたか知りませんが、いわゆるアイデア勝負を前面に出していた。「こうすれば、こういう問題が解決できますよ」というアイデアが満載。それがロックな感じでもあったのですね。しかしサテリテに限らず、今回のフオーリサローネを見ていて感じるのは、ロマンティックなデザインが増えている、ということです。今回、ぼくは「意味のイノベーション」という観点でデザインを見ており、同じジャンルのなかで傑出する意味をもたらす試みをしているかどうか?と考えています。ロマンティックというのは、簡単な比較をすれば、「問題解決を第一に考えていない」ということで、これは「問題解決ばかりに頭を使うのはもうウンザリ」という方向の表れではないか、と思います。もちろん、かといって「意味のイノベーション」に値すると言えるものは殆どないわけですが、少なくても問題解決とは違う方向に意識的にデザインする、という転換期にあるのは確かではないか、との想いを強くもっています。

サテリテ20周年の展覧会を建築家の芦沢啓治さんとまわった後、一緒に食事をしながら彼が語ったことで印象に残った言葉があります。彼とは10年くらい前のサテリテのスタンドで知り合って以来の付き合いですが、「問題解決だけがデザイナーの仕事ではない」と語りました。ぼくも数年前に「アートは問題提起で、デザインは問題解決」という区別をしていましたが、デザインがあまりに問題解決だけにとどまっているのもどうかな?と考え始めていました。実は、今月に出る新著、「デザインの次に来もの」では、問題解決と意味のイノベーションの両輪の重要性を書いているのですが、EUの2010年からのイノベーション政策におけるデザインの方向として、デザイン思考(=問題解決)とデザイン・ドリブン・イノベーション(=意味のイノベーション)の両方を定着させていくことを目指しています。これは政策上のレベルだけではなく、人々の気持ちとして「人は問題解決のために生まれてきたのではなく、意味の探索を行うために生まれてきた」(ベルガンティの「Overcrowded」の一節)との欲求を真正面から受け取るようになってきたのではないかと思うのですが、ここで前回書いた、「Human」と「人間」の差というテーマが浮上してきます。明日、ベルガンティの講演を聞いて考えたことをまた記します。

 

 

 

Category: ミラノサローネ2017 | Author 安西 洋之  | 
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