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Date:11/2/10

昨年の3月よりローカリゼーションマップを、いわば啓発活動として続けてきました。その間に、この実践編をどうすれば良いのかという具体的な相談を随分と受けるようになりました。色々と事情を知るにつれ、これは自分で乗り出すしかないなと思いはじめました。そこで今までの啓発活動にプラスして、「海外市場向け商品開発のサポート」に特化したビジネスを私自身の会社(モバイルクルーズ株式会社)でぼちぼちとスタートすることにしました。はい、ぼちぼちです。現在準備進行中の話ですが、どんなことを考えているか、メモしておきます。まず、全体のビジネスのフローのなかで、どういうポイントに絞るかという問題があります。それが以下です。

事業企画から販売までのプロセスでそれぞれに問題はあるが言葉で記述されたプランをクリエイティブ領域に落とし込む間に大きなギャップが生じやすい。例えば、メーカーでいえば何の商品を作ろうーケータイではなくスマートフォンでいこう。内燃機関ではなくEVでいこうと方針を決める。それをコンテンツを含めどういうカタチにもっていけばよいのか。そこに右往左往があり話の蒸し返しがある。結果、当初の事業プランで思い描いていた青写真を覆すことが往々にしてある。

これは事業プランを策定する人間の一方的な説明不足ではなく、かといってクリエイティブ側の途方にくれた理解不足でもない。両者を連携する成熟した共通言語が準備されていないからだ。この言葉による説明で、実際に次のステップに、どういうビジュアル的イメージがあるのかがお互いに見えないのだ。「よし、それではインド市場向けの商品開発をしよう!」が、デザイン言語レベルで何を意味するのかが分析的に説明できない

事業企画とクリエイティブ領域の間のブリッジ役を演じる

これが全体の位置づけです。これで何をやるか?です。日本の企業の現状を見据えて語ると、以下の方向がみえてきます。国内市場での伸びが期待できず、海外市場に活路を見出そうとしているにも関わらず、このような弱点があります。

現在、多くの日本のメーカーは商品企画上の以下の問題を抱える。

1)国内向けに開発した商品を海外向けにどうローカリゼーションを施せば良いのか、あるいはローカリゼーションする必要があるのかないのかを自信をもって語れない。

2)ローカライズを不要とするグローバルに通用する商品を作るためのナレッジベースがない。

ローカリゼーションという言葉が翻訳やソフトウェアの領域で「業界用語」として通用するが、ハードウェアの商品企画の上流での一般的な概念となっていない。1)2)の解決が容易に図られにくい状況は、そうした概念の欠如と大いに関係があると思う。そして上段で述べた、事業計画とクリエイティブのディスコミュニケーションが背後にある要因だ。本ビジネスアイデアでは、顧客企業が海外市場で勝負していくにあたっての必須科目として、この二点に明確なロードマップを示して実行のアシストをしていく。


キーワードはローカリゼーションマップとデザイン

絞り込むと、こんなところです。で、こんな内容のフライヤーを中林さんと一緒にPDF版で作りました。

日経ビジネスオンラインで連載している「異文化市場で売るためのものづくりガイドーローカリゼーションマップ」の著者が、実際のサポートに乗り出します。

海外での会社の登記の仕方は人づてながら、それなりに何処に相談にいけば良いか勘がついたりするものです。でも、肝心の売るための商品開発をどうすれば良いのか。案外、相談相手がいないもの。現地に住んでいる知り合いの4-5人に「どう思う?」と聞いても、「いやあ、分からないなあ、その分野じゃないし」ということが多いものです。検索エンジンやSNSもイマイチ不十分。

「ローカリゼーションマップ」の執筆者はセミナーや勉強会を通じ、「こんなにも、ポイントの押さえ方が分からず、海外進出に右往左往しているんだ!」と知りました。そこで、これまでの自分たちの経験やネットワークをフル活用し、海外向け商品開発に特化したサポートを始めることにしました。市場リサーチを行う、エキスパートの意見を集める、ローカリゼーションで考えるべき点を抽出する、それらの結果に基づいて企画をたてる、そして商品レンダリングからプロトタイプまで落とし込む・・・このあたりのプロセスなら、自転車に軽快に乗るようにできます。まずは、お話を伺いましょう。そして、お手伝いできる内容について一緒に相談しましょう。

これを、またぱらぱらとメールで配布をはじめ、こういう意思があるんだよという第一声をあげました。すると、「いや、もう少しキャッチーな書き出しの方がいいんじゃない?」という意見をもらったり、「このPDFをどっかに格納しておいてくれない?」と言われたり。それで、フェイスブックのファンページを作り、そこのURLからダウンロードしてもらうということにしようと思ったり・・・。なにか、あんまり堅苦しいのも嫌だし、このソーシャルメディアの時代、ホームページを作成することに時間をかけるより、β版的取り組みで「途中経過」を表に出していったほうが都合がいいし、気分にフィットするというわけです。


Date:11/2/8

よく日本の「おもてなし」のサービスが話題になります。きめの細かいところまで神経が行き届くことを指します。一方で、タイのホスピタリティの質の高さもよく語られるところです。たとえば、マンダリン・オリエンタル・バンコクについてウィキペディに次のような記述があります。

「1人の宿泊客に対して4人のスタッフがついている」と称されている程の、タイ風のきめ細やかなサービスが世界的に高い評価を受けており、そのサービスは、インスティテューショナル・インベスター誌やコンデナスト・トラベラー誌などの権威ある雑誌による調査で常に世界のトップクラスに選ばれている。

ぼくは残念ながら、このホテルに泊まったことがありません。でも、タイに二度旅した経験から、タイ風のきめ細かいサービスがどんな点を言っているのか、なんとなく分かるような気がします。やはり、客の欲することへの想像力が優れているのでしょう。日本の「おもてなし」が独自なスタイルを伴い、そのスタイルがそれなりに評価もされているなかで、日本の「おもてなし」に欠けていることがあるとしたら、なんだろうとも思います。いや、ぼくは日本のホテルや旅館のサービスが、世界レベルの調査のなかでどう評価されているか知りませんが、ぼく自身が日本で気になることがあります。

ぼくが、日本でこの15年近く定宿にしてきたホテルは、常時ロビーに沢山のスタッフを配置していました。アシスタントマネージャーも必ずいて、ぼくはそれらの人とほぼ顔なじみであったと言って良いでしょう。そして滞在中、何度もロビーを通過します。したがって、何度も顔をあわせます。で、気がつくのは、たまに客を見なかったフリをするスタッフがいるのです。目での挨拶を避けるための本能的な動作です。彼らも、実際に話せば、まったく普通に話すサービスマンです。しかし、一瞬、怠惰になるのです。躊躇ではなく怠惰。それはきっと目で挨拶することが、DNAのなかに組み込まれていないからではないかと思うほどです。

イタリアのホテルでサービスマンが客を無視するなら、それは堂々と無視をしている。頭にくるほどに無視する。中国料理屋に入って中国人のウエイターにも無視されることがある。でも、それは日本のホテルで味わう、あの一瞬の怠惰とはどうも違うのです。挨拶すべきと任じているからこそ、怠惰になる一瞬。そこで、あれか?と思い出します。イタリアの0歳児からのあまりの人懐っこさ、です。道端で公園で出会う赤ん坊たちの何ともいえない笑顔。日本の赤ん坊と決定的に違う微妙な差が、あの人懐っこさにあると考えているとき、タイの赤ん坊はどうなんだろうか・・・と思いました。他人を目にしたとき、一瞬、腰をひくようなことが、タイの赤ん坊には少ないのだろうか・・・とするなら、マンダリン・オリエンタル・バンコクの評価の高さがよく分かります

Category: その他 | Author 安西 洋之  | 
Date:11/2/6

ミラノの高級住宅地にあるイタリア人知人宅。引っ越したばかりの家には、名作と呼ばれたり、トレンディとされる家具が目につく。「さすが金持ちは違う。趣味も悪くない」と思う・・・・が、それは半分本当で半分は嘘。なぜなら、その目をひく家具の数々はほぼ全てコピー品なのだ。趣味のよい奥さんが指定したデザインを、旦那さんがコピー品を作る家具工場に依頼して製作されたものだ。もちろん、金の問題ではない。あるいは「こんな遊びしているんだ」というジョークでもない。有名なデザイナーものを高い金を出して買う価値を見出していないのだ。ブランド品のコスト構成において名前代がどのくらいかよく知っている人間は、その名前代に金を払いたくない。

いや、材質が違う。品質管理が違う。そういうことも言える。しかし、同じ材質が使える環境だったら?高いレベルの品質を維持していたら? 機械で加工した場合のほうがきれいに仕上がることがある。だから機械をもっているブランドメーカーの工場を推すこともある。モノは作りなれたほうがきれいに仕上がる。だからコピー工場の作りなれたよりも、本物工場の作りなれたほうが良いとも言える。しかし、そこの差異にあまり価値をおかない人間は、こうしてコピー工場に発注する。全体としてバランスがとれればいいじゃないか、と。

毎年サローネで発表されるブランドメーカーの新作家具を買い続ける人はいない。洋服じゃないのだ。それでも、「こんな、えらく高価な家具を買う人はいるんだよな」とヨーロッパの社会構造を頭に思い浮かべながら見たりする。よくいう「ヨーロッパには、そういう層がいるんだよ」という台詞だ。確かにそういう家もそれなりに見てきた。しかし、そうしてみてきた人の家以上に資産をもっている家で、ほぼ全てが偽モノであることを知ったとき、これは新しい見方をすべきなのかと考え込んだ。どういう視点で、これを納得すべきなのか。

どこの業界でも、業界にいる人間は自分の業界の商品を正規価格で買わないものだ。ファッションなら7-80%引きで買ったり、それこそコピー製品を部分部分で使ったりする。クルマだってそうだ。しかし、ここで書いている主人公は、家具業界の人間ではない。しかも、お金がふんだんにある。そういえば、ここの家の使用人が作る料理はそう美味くない。高級レストランで食べなれた人間が、自宅では多分、一般のイタリア人家庭よりレベルの低い料理を享受する。このギャップとはなんだろうか。

人は何に価値をおくか。金があればブランド家具を買うと思ってはいけない。ただ安物の家具でいいとも言っていない。ブランド家具のコピー品を経済的理由ではなく選択する動機を知ることは、ブランド家具を買う人の説明を聞くよりよっぽどためになるだろう

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  |