Author Archive

Date:16/4/8

ファッブリカ・デル・ヴァポーレは不思議な場所です。もと工場だったのをミラノの新しい機運を生む場所とすべく市が動きだし、若いクリエイターや起業家のメッカにするという謳い文句のもと、期待が込められたのは10年以上前です。実際、「若いクリエイター」とは40才周辺の行政にコネがある人たちが多かったのですが、決して「つまらないことをやっている」人たちの溜まり場であったわけではありません。しかしながらトリエンナーレがミラノ工科大学の建築やデザインの学部があるボビーザに別館を作ったことで、ファッブリカ・デル・ヴァポーレは、ある意味、煮え湯を飲まされることになります。別館とその周辺にクリエーターのスタジオに脚光が浴びるような仕掛けができたからファブリカ・デル・ヴァポーレは劣勢に立たされたのです。それに追いうちをかけるように、デザイン学校であるスコーラ・デル・ポリテクニコやコンテンポラリーアートのギャラリーがあるランブラーテの周辺がフオーリサローネの重要なゾーンー特に北欧関係のクリエイターの展示の場所としてープロモーションを開始します。

ファッブリカ・デル・ヴァポーレは何からのイベントをそれなりに毎年サローネ時も開催してきました。また、ちょっと社会派を任じるこの場を好んでぼく自身は訪ねてきたのですが、どちらかというと外れたカードのムードは拭えなかった。

他方、この10年間はミラノの風景を変えました。1990年代後半から、ファッブリカ・デル・ヴァポーレ近くはかつては洒脱な住宅街だったゾーンが中華料理店や服などの卸しが占拠し、卸の客しか路面店の場所に近寄れなくなります。暴動や違法労働などで新聞の社会面を騒がせる地域となったのです(中国の高度経済成長と並行して)。が、このゾーンが再びトレンドにのった地域に戻りつつあります。オシャレなカフェやエノテカができたきただけでなく、中国人の経営する個人商店も世代が変わり店舗デザインにも気を使うようになります。路面は中国人街風であっても建物の2階上には中国人ではなくイタリア人の住居が多かったという背景もあるでしょう。予想より早い足取りで街の雰囲気が「正常化」してきたのです。それに加え、ファッブリカ・デル・ヴァポーレの近くに新しい地下鉄路線M5のモニュメンターレ駅ができました。

それだけでなく数年前、ボビーザのトリエンナーレ別館は閉鎖しました。ボビーザの駅を挟み、ミラノ工科大学のデザイン学部を中心とした地域の周辺には新しい開発がされているのですが、エネルギー学部やMBAなどがある反対側は地域発展から若干取り残され、トリエンナーレ別館ができても活性化ができなかったからなのか理由は分かりません。「あの地域」がファッブリカ・デル・ヴァポーレのライバルの地位から転げ落ちたのは確かです。もう一つ。ランブラーテのコアであったスコーラ・デル・ポリテクニコが市内の南に移転したのです。ここも相対的な求心力を失ってきているわけです。やや長い説明になってしまいましたが、10年ほどの苦労を経て、ファッブリカ・デル・ヴァポーレはやっと「まともな」ことができる環境になってきたのです。トリエンナーレの一環としての「New Craft」が、ここで展示されている意味を、ぼくはこう解釈しました。

「New Craft」に展示されているものは、3Dデータなどの新しいテクノロジーにより洋服をつくるプロセスが変わるとか、生活雑貨品の制作がよりオーダーメイド化されるとか、表現の対象はさまざまです。よくある工芸品の「アート化」現象もみることができます。ぼくは、ここでふと立ち止まります。クラフト品は嫌いじゃないのに、どうしてこういうスペースでみると、ぼくの腰がひけちゃうのだろうな、と考えました。家の中、小さな店、アンティークショップ、レストラン、これらの空間で出会うクラフトには心が休まったりするのに、クラフトをタイトルにした展覧会はあまり好きになれない。もったいぶった重さが苦手なんでしょうかね。それで正直言うと、「New Craft」にもあまり期待せずに出向いたのです。ただ、足を踏みいれて一つ心躍る例外がありました。それは自転車です。「自転車がクラフトのイメージリーダーになる!」との力を感じたのです。

自転車が都市空間の主役に躍り出てそれなりの時間が経過しています。先進国だけでなく新興国でも自転車は魅力的なツールになっています。バイクシェアリングも珍しいニュースではありません。インテリアやファッションの世界でも「小物」として自転車が登場します。単に「アンチ自動車」ではなく、スポーツやカジュアルな生活スタイルの定着のなかで自転車それ自身の力でステイタスを獲得してきました。そういう社会性も含めた上昇気流、外向きの明るさ、ファッション性などがクラフトを「跳ねる」ものとして表現されるー例えば、画像の一番上のバイクは漆塗りですーとクラフトの展覧会でも受け入れることができるのか、と気づきました。職人の心とか語るのはとりあえず脇において、クラフトよ、街へ! です。

Category: ミラノサローネ2016 | Author 安西 洋之  | 
Date:16/4/7

戦後、イタリアのデザインがスカンジナビアを超えたのは「人、モノ、空間」を重視したためだと(2)に書きましたが、住空間への目の配りようには並々ならぬものがあります。10年以上前に今は亡きガエ・アウレンティと話したとき、「私は(自分のデザインした)空間を前提としない家具や照明器具はある時からデザインしないことにした」とクラシックな言葉を聞き、そこに底知れないプライドを感じたものです。モノだけが先走ることを良しとしないというのは、コンテクストを重視することですね。つまりイタリアデザインはハイコンテクストの性格が殊更強い、ということになります。

そのポイントをもう一度見つめなおそうというのが、トリエンナーレ美術館で開催している「Stanze」です。これは意欲的であり、イタリアデザインを実感させてくれる展覧会です。特に各ルームのコンセプトが、どの本にヒントをもらっているとの説明は抜群に面白い!これを読まないと、この展示をみた意味はないでしょう。


さて今年のミラノデザインの目玉はトリエンナーレの復活です。トリエンナーレ美術館だけでなくさまざまな場所で分散して実施されますが、上記の「Stanze」以上に身体にドスンとくるのがトリエンナーレ美術館での「Neo Preistoria」(新先史時代)です。アンドレア・ブランジと原研哉が100の動詞を選んで、それにマッチしたモノを展示しています。まだ人類が服をまとわずに活動していた頃からの動詞ー「殺す」とかーからスタートして「仮想する」「極小化する」という現代まで至ります。他の展示を見なくても、この展示だけは見逃してはいけない。そういうレベルです。正直なところ、トリエンナーレ美術館は昨年のアートと食の展覧会がものすごく良かったので、冒頭で紹介した「Stanze」以外はやや残念な感は否めない。でもその残念さを帳消しにしてくれる力が「Neo Preistoria」にはあります。

この展示は鏡に囲まれた暗い空間に、一つの動詞がイタリア語、英語、日本語で記載されており、その意味も説明があります。その横に黒い台の上にガラスの展示ケースがあり、その中に展示品があるー小さなモノはーという形式をとり、番号順に1から追っていけばよいようになっています。これを見ながら気づいたのは、遠い昔の石を使った道具の時代にある動詞ー「磨く」-は、イタリア語、英語、日本語、どれをとっても共通の文化要素であることがあまり考えずに理解できます。これらはアンドレア・ブランジも原研哉もけっこうスムーズに言葉のリストアップができていったと思います。 しかし、現代に近づいてくると、2人の協業はどうだったのか?という興味がわいてきます。「拡張する」(expand)とか「極小化する」(minimize)というのは、日本語では一言の動詞ではありません。一方、イタリア語と英語は一つの動詞です。原研哉が最初から英語なりでリストアップしていれば違いますが、どうも日本語の言葉をみていて、そうではない印象をもったのです。

「あっ、近代哲学が日本に輸入された時の苦労そのものが表現されているな」と感じました。欧州近代哲学が日本で定着しづらかったーあるいは結局において定着することはなかったーのは、欧州言語においては日常的な言葉であるにも関わらず、日本語に翻訳するに際して対応する言葉がなく、漢字で熟語を作ったわけです。抽象的な表現は殊にです。この翻訳努力が文明開化を完遂させた一方、思想的なエッセンスは身に着かなかったーいわばコンテクストなしの言葉ではコンセプトを総体的に理解するのは難しい.ーという反省を強いることになりました。その延長線上に(やや無理な)日本文化への固執があるのですが、まったく企画者が意図していなかったであろう日本近代の歪んだ点を、この展覧会で日本語を理解するぼくは確認せざるをえなかったのですね。

コンピューターにせよ、ヴァーチャル世界にせよ、イタリア人も英国人も動詞として掴んでいる。でも日本語の世界では、やや遠回りした硬い漢字で理解しないといけないわけで、「これは極めて不利だなあ」と思わず独り言を言ってしまいました。グローバル化が進んでいるITの分野になればなるほど、かつてあった共通性の高い「動詞という性格」の道具が文化性を帯びてくるというように見えてしまうパラドックスがある。不思議な感覚です。

いずれにせよ、鉄器時代や石器時代という時間や地域のカテゴリーから石や鉄の道具をみていくのではなく、「研ぎ澄ます」「渡る」「崇める」「射る」といった動詞からモノをみると一瞬にして世界の歴史を身体で感じることができる、というのは今後いろいろなモノをみていくときの参考になる見方です。名詞ではなく動詞で世界を掴めとか頭では分かっていても、なかなかできるものでもない。でも、その癖をどうやってつけていくか? そのヒントは十分に得られます。

 

Category: ミラノサローネ2016 | Author 安西 洋之  | 
Date:16/4/6

デザイン思考が経営に採用されるという流れ。イタリア企業は経営にデザインを取り入れてきたという評判。この2つは繋がっているのか、似て非なる現象なのか。もう少し風景を描いていきましょう。

トム・ディクソンだけでなくデザイナーが家具・生活雑貨を中心とした自らのブランドを作るという試みは数多あります。今年のサローネ期間中も、ある名の知れたデザイナーが、そうしたブランドを発表する予定です。生産する場所は世界中に可能性があり、オンライン販売が普及してきた現在、「自分が当事者になってやっていこう」と考えない方が不思議なくらいです。なにせ悪名高きロイヤリティ契約は価格の数パーセントです。巨匠のロングセラー作品ならいざしらずー実際にはヒット作品のロイヤリティ契約の詰めが不十分でヒット作品では思うようなお金がもらえず、ヒットして高名になった後のデザインで稼いでいるケースが一般的「歴史的事実」ですがー、生活雑貨のデザインで大きく利益を手にするのはあまり期待できません。しかもデザイナーはメーカー外部の人間ですから、経営判断に関わるような内容に踏み込むことができないストレスを抱えます。

ストレスの背景には次のような事情も絡みます。「プロトタイプになるデザインの僅かのフィーをもらえればマシで、後はメーカーの意向が強い。しかも近年はカタログの更新頻度は高まり、いつ生産が中止になるとも限らない。ロイヤリティは長期間市場で紹介されてこそ旨みのあるシステムだ。現状の流れにはマッチしない」というわけです。

他方、皮肉にも(?)デザイナーの役割も変化を遂げています。製品開発の外部アシストがメインの役割だったのが、今や生産立上げまでの一切を仕切ることを期待されるようになってきています。マテリアルの選択だけでなく、サプライヤーのリストアップとそれぞれの会社との交渉まで。となると必然的に数パーセントのロイヤリティとは桁の違う金額を保証されないと割に合いません。仮にその金額が契約でサインされるなら、デザイナーの仕事はより経営的な判断に近くなります。つまり経営がデザインのプロセスを取り入れるとは、文字通りデザイナーが経営のなかに入り込む余地が大きくなった状況とパラレルでもあるのです。

・・・とすならば、「なんだ、こんなことなら、全部自分がリスクを背負って自分のブランドで商売した方がビジネス的に面白いじゃない。自分でも納得がいくし」と考える人がでてきますよね。メーカーの連中をクライアントとして説得するのに時間とエネルギーを費やし、もしそれが成功しても、どこで生産が打ち切られるか分からない仕事よりも、自分自身で市場の最終消費者に対峙して納得いくまで勝負をかけたい、と。それなりに名のあるデザイナーであれば投資家も味方することもあるでしょう。ただ、このようなトレンドを目の前にすると、「イタリアの経営者はデザインに理解があってデザイナーと二人三脚でやってきた」との評判の裏側にあったものは本当は何だったの???との疑問をもたざるを得ないことになります。

イタリアの経営者はこう言ってきました。「我々はデザインの強みを発揮して、職人的な技術や表現を量産的なシステムにうまくのせたことだ」 これは生活雑貨分野だけでなく、それ以外の分野のメーカーの人間も同様に語ってきたことです。家具や生活雑貨でのイタリアデザインの成功を踏まえ、とても地味な分野の製品を開発するのにデザイナーに委託してきたような会社の経営者が、特にこういうことを話すのです。

ただ、それが全ての量産品に適用されるのではなく、一部の限定商品に「デザイナーに提案してもらって、そのデザイナーの名前も使って企業イメージを向上させる試みをしたことがある」との範囲にとどまることが多いのは否めません。しかし、それでも(生活雑貨以外の企業であっても)何人かのデザイナーを知っており、実際に面談もし、一回でも何らかの製品開発を一緒にやったことがあるとの経営者がそれなりの数がいるー これが「イタリアの経営者はデザインに理解がある」という評判の大かたの実態ではあると思います。このテーマに絞って詳細にリサーチしたことはないですが、ぼくが多くのイタリアの中小企業とつきあってきての経験値です。

即ち、こういうことです。一度でもデザイナーを名乗る職業人と仕事をしてきた経営者は、そういう経験がまったくなくデザイナーなる人間を生まれてこの方見たことも話したこともない経営者と違う可能性が大きいのか? そして仮に答えがYESならば、企業経営者がイタリアデザインをリードしたとの評判は、一度での経験でも経営者に与えた影響は大きいことによるという想定が成り立ちます。が、これはスタンフォード大学などで誕生したといわれるデザインシンキングなるものを好意的に受け入れることを意味しない。国を問わず、それまでデザインに関わってきた多くの人が「なに?デザインシンキング?笑わせるなよ」と反応するのとまったく同じです。

*今日の画像もミラノの病院にあるショッピングセンターにある店舗です。

 

 

Category: ミラノサローネ2016 | Author 安西 洋之  | 
Page 4 of 241« First...23456102030...Last »