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Date:12/7/3

先週、日経ビジネスオンラインである記事に目にとまりました。「若者がファッション専門学校に来ない - 教育とビジネス現場の深刻なミスマッチ」です。

昨今、多くのアパレルメーカーが業績不振で採用者数を大幅に減らしている。店頭での販売員は足りないくらいだが、型紙(パターン)やデザインを行う 商品企画部門での社員採用はほとんど無いに等しい。むしろ、パターンやデザインなどの商品企画部門を完全に無くしてしまって社外のOEM(相手先ブランド による生産)やODM(Original design manufacturer、相手先ブランドのデザイン・設計から製造まで請け負うこと)の企業に外注してしまうケースが増えている。

一方、ファッション専門学校ではパターン作りやデザインなど商品企画を重点的に教え、それを学びたい学生が進学してくる場合が多い。当然、企業側との需 給のミスマッチがある。もし、学生がパターン作りやデザインなどの商品企画に属する仕事に就きたいのなら、アパレルではなくOEM/ODM企業や商社の製 品事業部、海外の縫製工場などに就職先を探すべきである。

ファッションそのものへの関心は高いのに、就職先としてのファッション産業の人気はなく、ファッション専門学校にも人が来ないというのです。それはそれとして考えるべき話題なのですが、日本のファッション専門学校の教育が重視する「自分の手で服を作れる」との趣旨を今後も維持するのか、軌道修正していくのか、その点にぼくは興味を惹かれました。

今年、ミラノサローネで多くのデザイナーの考えることがが沸騰点に到達していることが非常に気になりました。そこでプロダクトデザイナーの周辺からプロダクトデザインをみたらどうだろうと思い、ファッションやテキスタイルのデザインに関わっている人たちから「発想のありか」について聞いてきました。それらの一端は「セント・マーティンズ大学について語ろう」「ファッションデザイナー・村田晴信さんに聞く」「ファッションデザイン教育におけるテキスタイル」というエントリーに書いてあります。

ファッションデザイナーの村田さんもテキスタイルデザイナーの今井さんも、お二人とも「日本では手を動かすことを徹底して教えられたけど、イタリアではさ ほど重視されない」と語っていました。英国の教育はさらにその傾向が強まるのは、「セント・マーティンズ大学について語ろう」でも紹介しました。それなのに、日本のファッション業界でさえ、二人が「強み」として語った部分が正当に評価される範囲が狭まる傾向にある、と冒頭の記事を読んで思ったわけです。

パタンナーの岩井梓さんに話しを聞きました。彼女はイタリアやフランスのファッションハウスのコレクション向けパタンナースタジオで働いています。

「例えばシャツの胸ポケットを決めるとき、日本のファッションデザイナーって肩から何センチ、センターから何センチって指定することが多いんですよ。イタリアでは、デザイナーはスケッチに『このあたり』って描くだけで場所をきっちり決める提案はパタンナーの役割なんですよ」と岩井さんは日本とイタリアの比較します。彼女はファッションデザイナーの小出真人さんが推進している Made in ME Project のパートナーですが、小出さんは「基本的に優秀なファッションデザイナーは国を問わず、自分で手を動かすかどうかは別として、服の構造をよく知っています」と語ります。

ファッションデザインを学ぶにあたり、シルエットを立体のカタチに移行させるに構造が分からなくていいわけがない。しかし、「優秀ではない」デザイナーは、構造を考えずに絵を描きます。だから「優秀ではない」とも言えますが、構造が分かっていれば優秀なデザイナーになれるというわけでもありません。パタンナーにポケットの位置を「このあたり」であると実寸ではなく、「位置の意味=そこでなくてはいけない感覚」を伝えられる人がデザイナーを名乗れる資格があるのだと思います

人はどういうプロセスで発想するのでしょうか。フィールドによって異なるのでしょうか。

ファッションデザイナーはシルエットを考えます。そのシルエットは動くため、コンセプトは映像としてイメージしやすいようだと気づきました。それがプロダ クトデザイナーの場合、映像をイメージするのですが、コマ送り的にすることで分析的にカタチのイメージを確定していく傾向があるようです。それではファッ ションも動いたままなのでしょうか?シルエットをカタチにするのはパタンナーという型紙を作る人です。パタンナーの岩井さんに聞いてみたら、やはりプロダクトデザイ ナーと同じく、いったん「一時停止」のボタンを押しているようです。

次回は、ファッションデザイナーは本当に「手を動かす」必要があるかどうか、「一時停止」にはどういう意味があるかなどを考えてみたいと思います。

Date:12/6/24

昨晩、ミラノ郊外のレストランで夕食会がありました。ぼくたち家族を「家族」として扱ってくれるイタリア人夫婦の誕生日です。旦那さん91歳。ヨーロッパ人の地理把握の事例としてよく引用する「イタリア人の描いた地図」の作者です。このレストラン、バンドの演奏とダンサーの踊りがはいってかなり煩い。メインのお客さんは20代後半から30代が多く、女性はかなり肌露出度が高い服を着ている、「91歳の誕生日をここで食事するの?」という雰囲気です。もっとシックな場所が似合うのではないかと思ったのですが、実はこの選択はオーガナイズした息子たちの「親孝行」です。派手な女の子たちが出入りする場所こそが91歳の親父に相応しい、と。下の写真でダンサーの腰に手を回しているのが昨晩の主人公で隣でニコニコしている女性が奥さんで、もう一方の男性が彼らの息子です。こういう誕生日プレゼントが「通用」する社会なわけです。

夏の地中海の海辺に出かけると、足が悪くまともに歩けない老人が水着を着て新聞を読みながら日光浴をしています。どんなに傍目に不便が多そうでも、本人はそんな目を気にする風もなくフツーの表情です。フツーであろうとし、周囲もフツーであるように対応する。しかし、実際、何が困ったことがあればフツーに周囲にいる他人に頼み、その他人はフツーに困っている状況を救ってあげます。バスの乗り降りが辛いなら、「ちょっと手を貸して」と近くにいる若い人にお願いできるのです。そんなペコペコ頭を下げずに。

最近、次のようなブログを目にしました。「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」と題する医師の文章です。

「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」

答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン 先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでし た。

その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。

この後にコメントがかなり書き込まれています。それぞれに気持ちや考え方がわかるコメントですが、「命の尊厳」の実態が希薄な印象をどうして拭えない・・・そういうしっくりいかないわだかまりがぼくの心の底に残りました。

言ってみれば、「フツーの状態であろうとするスピリット」に関する現実感が日本社会には乏しいのではないかという気持ちを抱いていたとき、91歳の誕生パーティの派手さにハッとさせられたのです。

 

Date:12/6/18

最近、ローカリゼーションマップをはじめた経緯について質問されることが多いので、サンケイBIZの連載で2回にわたって書きました。下記です。

「異文化市場の理解に真正面から立ち向かう」

「ワークショップ実施の必要性を実感」

さて、ローカリゼーションマップ勉強会15回目の開催です。前回の『検索エンジンとローカリゼーション』は、講師の井上俊一さんがスライドをアップしてくれています。→ http://www.slideshare.net/toshiinoue/20120609-13259993

参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taro(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のJIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)です。

7月28日(土)16:00-18:00 「グローバルルールにローカル文化は介在するか」

グローバゼーションの是非が騒がしい時代が続いています。前回の勉強会『検索エンジンとローカリゼーション』で、アップル、グーグル、アマゾン、フェイスブックの米国の4強が如何に個人情報を握っているかが話題になりました。すべては米国企業中心に動向が左右されているのではないか?と意識されることが多いです。

しかし、グローバルルールの設定に自ら関与してきた藤井敏彦さんは、著書『競争戦略としてのグローバルルール』(←ぼくのレビューを参照ください)で以下のように書いています。

インターネット上の個人情報保護のルールを主導しているの は、ヨーロッパである。ヨーロッパの規制は厳しすぎるという米国側の苦情にヨーロッパは、「米国がヨーロッパと同じように個人情報保護に関する独立した規 制機関をつくるのであれば、話し合いに応じてもよい」と余裕しゃくしゃくである。

理念の力もEUに味方している。ヨーロッパは「個人情報保護は基本的人権にかかわる 問題である」という出発点に立つ。したがって、個人データがどのように使われるのかは、本人が管理できなければならないと考える。しかし、米国は「何か問 題が発生すれば、消費者保護に関するさまざまな法に基づいて事後的に救済がなされればよい」という考え方をする。

これを読むと、グローバリゼーションを巡る風景を見る目はずいぶんと「調整」しないといけないのではないか、と気づきます。EUがグローバルルール策定のリーダーであり、新興国がEUのルールをコピペしている現在、グローバルルールに文化的特徴が出ないはずがないことになります。今回は、著者ご自身に本テーマについて語っていただきます。

参加定員数:20名
参加費:1500円(18:00以降の懇親会参加費を含む)

講師:藤井敏彦(ふじいとしひこ)さんの略歴

1964年大阪生まれ 1987年東京大学経済学部卒業、通商産業省(現・経済産業省)入省。1994年ワシントン大学にてMBA取得。2000年在欧日系ビジネス協議会(於ブラッセル)事務局長。対欧ロビイストとして活動。2004年経済産業省に復帰。通商機構部総括参事官(WTO全般に加え、TPP、レアーズ問題を担当)などを経て、現在、資源エネルギー庁エネルギー交渉官。経済産業研究所コンサルティングフェロー、埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授を兼任。

日本の対EUロビイストの草分けであるとともにWTOルール交渉の主席交渉官を務めるなど、世界的ルールメイクに精通している。主な著書に『ヨーロッパのCSRと日本のCSR』、『EUのガヴァナンスと政策形成』(共著)、『競争戦略としてのグローバルルール』がある。

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