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Date:08/1/26

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山の中とは聞いていたけれど、こんなに人里離れた場所とは、到着するまで想像もしませんでした。視界のどこかに他の家が見えるものだと勝手に思っていたのでしたが、いやあ、本当に何もない・・・・山火事になったら大変だろうなぁと心配してしまいます。奥さんであり、強力なビジネスパートナーでもあるマヤさん、そして愛犬と生活しています。

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会話のなかでは、こんな台詞も。「ル・コルビジェも家具のデザインはしていないんだ。シャリオット・ベリアンのデザインだからね。イームズも半分は奥さんの働きだということを忘れてはいけない。ワイフは大切だ(笑)。」  これはポランが「過去のことを色々と覚えていない」と言ったら、マヤさんは「私の誕生日もね」と。そこにポランは「1942年5月9日」と即答。そして、パートナーの大切さを語ったのでした。

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ポランについては、まだまだ沢山ネタがあり、また別の機会に書きます。昨年ミラノのサローネ時、ホテルで夫妻と会った時も超多忙でした。80歳を迎えたこともあり、数々のイベントが目白押しだったのです。が、2008年の今年も、ポランは1月からパリやケルンを飛び回っています。そして、彼が歴代大統領のために内装をてがけたエリゼ宮では、今、恋の噂が盛んです・・・。

 

Date:08/1/25

ポランはとっても気のいいシャイなおじいさんです。 彼の気の利いた名言の数々を書きたいのですが、それは別の機会にして、今回はデザイン寄りの話を進めましょう。この年代のデザイナーの例に漏れず、先に述べたスカンディナヴィアと米国デザイナーの影響を強く受けています。ネルソンやイームズといった人たちです。「イームズはテクニック以外のことで人を満足させようとしない、潔癖な人だった」とポランは語ります。

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ご存知のイームズチェア、 彼の自宅のTVの前に二つ並んでいました。ところで、プチデスクをデザインした頃に話を移しましょう。北欧の旅を終えた彼は、トネ社に売り込みをかけます。生活費のために自分で営業をしたのは、後にも先にも、この時だけだったと述懐します。あまりに沢山デザインしたので、いまや、どれをいつデザインしたのかも覚えていない、とも。それでも記憶を辿り、「プチビュローは54年にデザインし、生産は10年間くらいは続いたのでは・・・」と思い出してくれました。

 

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こういう表情をしながら、昔の過ぎ去った日々のことを熱心に語ってくれたのです。「このデスクは、とてもシンプルなデザインですが、60年代になるとオーガニックなかたちが多くなりますね」と話すと、「新しい技術の影響は大きかったよ。新技術が新しいデザインを生んだわけだね」と60年以降の変貌に触れていきます。

Date:08/1/24

フィンランドのロヴァニエミといえばサンタクロースの北極圏の街ですが、アルヴァー・アールトが都市計画に関わり多くの作品があることでも有名です。第二次大戦が終わって数年を経た1950年前後、ピエール・ポランはこの街を訪れます。

幼少のポランにはクルマ関係の仕事をしていた大好きな叔父さんがいました。ベントレーやロールスロイスがクライアントで、小さなピエールもカーデザインには憧れました。この叔父さん、ドイツのメッサー・シュミット戦闘機の部品を作ってもいたのですね。そう、英国側のためにドイツ軍のスパイもやっていたらしく、結局、フランス人のゲシュタボに見つかり処刑されてしまいます。1942年のことです。

このような辛い戦争を経て平和な時代となった、しかし、あらゆるところに戦禍のあとがみえる1950年前後、ポランはフィンランドで衝撃的なデザインに出会ったのです。スウェーデンを筆頭に北欧デザインが世界をリードしていた頃です。別の機会にも書きますが、この頃、北欧デザインに憧れていた人たちはものすごく多い。例えば、下のチェアをデザインしたイタリア人のピレッティなどもそうです。彼はヤコブセンに弟子入りしました。イタリアがヨーロッパのデザインセンターとなる前のことです。

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ポランはフィンランドでモダンと遭遇しました。森の中にも、戦時中に司令塔として使われたのであろう丸太が積まれたまま残り、多くのスキー板が虫に食われたまま放置されている、そういう風景から一歩出たところでアールトのデザインをみたのです。

こういう話をポランは夜遅くまで自宅で僕たちにしてくれました。下の写真は中庭を囲む廊下で、ポランの試作品のチェアが置いてあります。その晩、僕はこの突き当たりの部屋で寝ました。

 

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