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Date:08/1/24

フィンランドのロヴァニエミといえばサンタクロースの北極圏の街ですが、アルヴァー・アールトが都市計画に関わり多くの作品があることでも有名です。第二次大戦が終わって数年を経た1950年前後、ピエール・ポランはこの街を訪れます。

幼少のポランにはクルマ関係の仕事をしていた大好きな叔父さんがいました。ベントレーやロールスロイスがクライアントで、小さなピエールもカーデザインには憧れました。この叔父さん、ドイツのメッサー・シュミット戦闘機の部品を作ってもいたのですね。そう、英国側のためにドイツ軍のスパイもやっていたらしく、結局、フランス人のゲシュタボに見つかり処刑されてしまいます。1942年のことです。

このような辛い戦争を経て平和な時代となった、しかし、あらゆるところに戦禍のあとがみえる1950年前後、ポランはフィンランドで衝撃的なデザインに出会ったのです。スウェーデンを筆頭に北欧デザインが世界をリードしていた頃です。別の機会にも書きますが、この頃、北欧デザインに憧れていた人たちはものすごく多い。例えば、下のチェアをデザインしたイタリア人のピレッティなどもそうです。彼はヤコブセンに弟子入りしました。イタリアがヨーロッパのデザインセンターとなる前のことです。

plia

ポランはフィンランドでモダンと遭遇しました。森の中にも、戦時中に司令塔として使われたのであろう丸太が積まれたまま残り、多くのスキー板が虫に食われたまま放置されている、そういう風景から一歩出たところでアールトのデザインをみたのです。

こういう話をポランは夜遅くまで自宅で僕たちにしてくれました。下の写真は中庭を囲む廊下で、ポランの試作品のチェアが置いてあります。その晩、僕はこの突き当たりの部屋で寝ました。

 

ph

 

Date:08/1/24

パリの弁護士事務所で僕たちも粘りました。「じゃあ、申し訳ないけど、ご本人に電話をして、サインを入れてもらえるかどうか確認してくれませんか?」と交渉代理人には少々失礼なお願いをしたのです。弁護士は、しぶしぶ、本当に「しぶしぶ」顔の表情で電話しました。

 

sign

その結果が、上の写真です。「人目につく場所は駄目だけど、引き出しの中ならいい」という回答をもらったわけです。これぞポランのセンス! 作品にも大げさな名前はつけず、記号的な番号をつけるのです。

その彼と実際に会ったのは、それから1年以上経てからです。場所はまたまた山の中! フランスの南西部、スペインとの国境をまたぐピレネー山脈もそう遠くないところ。ここの家で、彼の親友の話をしてくれたのですね。もう亡くなったデザイナーですが、下の作品を作った人です。

panton

「パントンと僕は並行に生きてきた、と言えるだろうな。どちらも特に大きな影響を与えることもなく、同じような速度で進んできたんだね。」 とポランはゆっくりと言葉を選びます。 「同じ時代を生きながら、まったく違うデザインをしてきたが、社会や時代に対する考え方は共通するものが多かったということですね?」と問いかけると、「そう、お互いに尊敬しあっていたね」と彼は答えます。

Date:08/1/23

前回までの「マックス・ビルのポスターを作ろう」が思いもかけないほどの反響があり、気をよくしています(笑)。色々と問い合わせもありました。本当はちょっと休もうと思ったのですが、この調子でしばらく書いていくことにします。

さて、時は今から数年前。場所はパリ。僕たち(「たち」の相手は前回同様下坪さんです)の前には女性弁護士。あっ、まず気分をパリに変えないといけませんね。じゃあ、パリの写真でトリップしてください。

paris

僕たちは、この弁護士と製造権と販売権に関する契約金の協議をしていました。フランスを代表するデザイナー、ピエール・ポランのデスクを何とか復刻させようとしたのです。1950年代半ばに発表されたものですが、長い間、生産中止になっていたのです。偶然、下坪さんは、これをパリの蚤の市でみつけ、「ものにしたい!!」と燃えていたわけです。「そりゃあ、頑張らねばならぬ」と、著作権者探しの旅に僕はでました。そうして、やっとパリで交渉代理人である弁護士と会えたというわけ。

こちらは、デスクのどこかにポラン本人のサインを刻印したかったのですね。が、「そういうのは、依頼人であるピエールがもっとも嫌うこと」と弁護士は主張。まあ、ポランは慎ましい人だとも聞いていたので、「こりゃあ、諦めるしかないかなぁ」と僕たちも弱気になってきました。

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