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Date:17/4/10

今年の連載では、欧州で生まれたHuman Centered Design が米国で User Centered Design になり、このHumanとUserの差に注目しています。なぜなら、狙っているテーマである「意味のイノベーション」はUser ではなくHumanをベースにしないと成立しないからです(このイノベーションでは人としての向かいたい方向=視野の角度、が一番大事)。欧州のイノベーション政策のデザイン関係の公式文書では、デザイン思考のおかげでより定着したUserを使っていますが、欧州においては(Userではなく)Humanを起点に考えることが定着しているので、この差を承知したうえで「ビジネス的に引きの強い」Userをあえて使ってもさほどギャップはないであろう、と考えている節がありそうです(このあたりの事情は、今月後半にでる新著「デザインの次に来るもの」を読んでいただくと分かります)。いずれにせよ、Humanという言葉を全ての出発点におく、という視点でフオーリサローネを見てみます。

例えば、この路線でブレラ地区で展示していたパナソニックを見てみると、まず”Electronics Meets Crafts” というタイトルがひっかかってきます。パナソニックという会社を主体としているので当然のようにElectronics が主語になっているのでしょうが、Humanを起点とした場合、少なくても主語はCraftsになるのが自然な発想です。Craftsが長い歴史のなかで生き残ってきたのであるとすれば、新参者のElectronicsとどう邂逅したのか?という文脈の理解が、欧州文化に馴染んだ人たちへのメッセージを考える際に必要になってきます。これは単なるタイトルの問題ではなく、プロジェクトを進めるにあたり思考プロセスの優先順位の問題になってきたはずです。そうすると、確かに美しい演出はしているけど、「で、どうなの?」という疑問がすぐ出てくるわけです。これだけの仕掛けでやるのならば、ElectronicsとCraftsの邂逅との組み合わせの妙以上の理由が、あるいは意味が見る人に伝わらないといけない。しかし、残念ながらそうとは思えない(少なくても、ぼくにとっては)。それは、やはり出発点が悪かったのではないか、と考えざるをえないのです。

この展示をみた後にブレラのアカデミアの外にある庭に出ると、家庭雑貨のguzziniの展示がありました。ガラスの食器がフワフワと浮いています。このフワフワだけでなく、いくつかインスタレーションがあるのですが、なんというか、「発見感」があるんですね。

このガラスを通して庭を眺めると、当然ながら現実の風景は歪んできます。まったく普通のキッチンにある食器が、外でこれだけの世界を見せてくれるのです。

意味のイノベーションは、「心の記憶に残る」モノ・コトの開発を目指すものです。guzziniのようなイラストレーションに出会う回数を増やすのは有効でしょう。

Category: ミラノサローネ2017 | Author 安西 洋之  | 
Date:17/4/9

常々思うのですが、何事もドレスアップよりもドレスダウンこそが難しいです。ドレスアップは、ある意味、ルールに従うことで実践可能です。が、ドレスダウンはルールを自ら破って頭を働かさないといけません。それなりの勇気も必要なことがあるし、それこそ方向を決めることがより重要になります。フオーリサローネを眺めていて、この数年、本当にドレスアップが主流になりました。「売る」ことを強く意識しているのでしょうね。そういうなかにあってIKEAが「売る」ことを意識しながらチープな舞台設定を行ったのは、ドレスダウンの強調ではないか、と思いました。この数年間、IKEAは単なる売り場的な発想が目につく展示を重ねてきましたが、今年はかなり主張をはっきりと「IKEA FESTIVAL」という名称で表明しています。

あまりに高い商品を買うのはカッコよくない、との空気がありますが、それをドレスダウンによって表現しているのがIKEAということになります。これは一つ、批判的アイロニーとも呼べます。かつてランブラーテは、廃棄材などを活用してドレスダウンの極め付けのような場でした。しかしながら、最近、ややドレスアップ傾向になっています。そこにIKEAという大企業が、かつての「ランブラーテ・スピリット」(あるいは、フオーリサローネ・スピリット)を再現しようとした、との読みができます。2015年のEXPOではストリートフードがテーマとも呼ぶべきほどにアピールされましたが、このトレンドとIKEAの「原点回帰」的な方向付けは同一線上にあると考えて良いでしょう。

イタリアの若い世代も、以前であれば住居を「買う」と発想していたのが、「借りる」との流れにあります。経済的背景だけでなくノマド的な生活スタイルの浸透があり、それが「インテリア家具にお金をかけすぎるのはスマートではない」との考えをひっぱりだします。それで気の利いた起業家やデザイナーは、移動生活にマッチするモノがまだ充実していない現状をみたうえでの商品開発に力を入れます。即ち、リビングルーム→寝室→キッチン→バスルーム→ベランダなどのアウトドア との流れで発想やスタイルが影響してきた次にあるのが、「脱プライベート空間」となったわけです。そこにはスマートデバイスを使いこなす空間があるわけですが、ただ、これをもって境界のない世界へ足を踏み入れた、と楽観的に解釈するのは安易すぎます。オランダのユトレヒト芸術大学の学生たちが提案している内容は、ボーダレスな情報空間へのNOを示しています。街角のあらゆる場に監視カメラがおかれプライバシーを喪失している。ビッグデータはいったい誰のものなのか?との問いを発しています。自分の顔や表情をどう守るか?に対してマスクコートというアイデアを出していて、デジタルネイティブ世代の危惧がよくうかがえます。

さまざまな顔の表情を描いたスカーフを提案している、Sanne Weekersのサイトから引用します。

These products protect your emotions, opinions, data and thoughts. For example, by using a scarf that has multiple faces in which you can keep your anonymity.

彼女のプロフィールをみると、このテーマが実に(Userではない)Humanな発想から出ていることが分かります。

The project I am currently working on is all about emotion and transformation. My personal life rapidly moves from one emotion to the other, sometimes I don’t even know how, why or even when these changes happen. I am trying to make this connection between time and emotion more explicit. I’ll soon elaborate on this.

Category: さまざまなデザイン | Author 安西 洋之  | 
Date:17/4/7

昨日、デザイン思考=問題解決(改善された商品)というレイヤーだけでなく、デザイン・ドリブン・イノベーション=意味のイノベーション(心離れがたき新しい意味をもつ商品)というレイヤーに注力すべき時期になっていることを書きました。これを強調しているのが、ミラノ工科大学経営工学研究所のロベルト・ベルガンティ教授の「Overcrowded」(MITプレス)です。今日は、彼と米国ペプシコCDOのポルチーニ(彼はミラノ工科大学のデザインの出身で、3Mで実績をあげヘッドハンティングでペプシコに転職)の講演、それにパネルディスカッションにエコノミストのコラムニスト、デロイトデジタルのコンサルタント、ミラノ工科大学のズルロなどが並びました。

問題解決には大いに力を発揮した人たちが、こと意味のイノベーションには戦力になっていない。それは今回何度も書いている(Userではなく)Humanレベルの理解とコミュニケーションが鍵になっているからですが、問題解決に適用されている方法論が意味のイノベーションのケースには応用できない、と認識すべきというのが第一歩です。問題解決がユーザー観察からスタートしてアウトからインという順序になるのに対し、意味のイノベーションでは個人の熟考→2人(スパーリングパートナー)での議論→7-8人(ラディカルサークル)→解釈者たちのグループを経て初めてユーザーが登場してくるのです。多くの人を最初の段階で巻きこんではいけない。クラウドソーシングやオープンイノベーションは問題解決の作法であり、その限定された目的のために使うべきだ、というわけです。

アイデアは現状の改善のためのもので、変化は批判精神によってこそ起こすことができる、と散々デザイン思考でもてはやされた言葉や方法が小気味よいぐらいにバッサリと切られていきます。ぼくはベルガンティの本は読んであるし、彼自身とも何度か直接話し合っているので、そこに新しいネタはなかったのですが、デザイン経営として注目を浴びているペプシコのポルチーニの話を聞いて大いに納得がいったところがあります。彼はベルガンティの前著「デザイン・ドリブン・イノベーション」から今回の新著に至る内容を支持しており(彼は学生の時にベルガンティの授業も受けていた)、「ペプシコの社内でも、この考え方と近いところでプロジェクトが進んでいる」と話した後、デザインの考え方や現在の戦略などを紹介しました。

ぼくが納得がいったのは、ポルチーニのセリフの一つ一つがまっとうに「自分の言葉になっている」という点です。徹頭徹尾、自分の言葉からはじまり、それらを何度も鍛え直したプロセスが浮かび上がるような話ぶりなのです。「消費者がこう望んでいるようで」という心もとないニュアンスがなく(もちろんマーケット調査は散々やるにせよ)、彼自身にスタート地点があるとしか思えないアプロ―チなのです。それでいてデザインアプローチのアカデミックな裏付けもしている。なるほど、アカデミックなデザインマネジメント研究はこう使うのか、という良い見本です。

さて、この話、ミラノサローネの文脈に落とし込むための、ベースとなる現実を見てみます。

リーマンショック以降のこの10年近く、イタリアのインテリア業界で生じた大きな変化は、1) 従来の流通経路による商品のビジネス比重が下がっている(特に個人客にブランド浸透率が低い場合) 2) オンライン販売は成長している(が、1)をカバーするほどではない)3) ホテルやオフィスなどへのB2Bに売り上げを頼るケースが増えている 4) フィールドごとの商品が生きづらい(オフィスではオフィス家具ではなく、従来の一般家庭向けのデザイン家具が使われるなど脱”小さいコンテクスト”という流れがある 5) 4)とは反対に”大きいコンテクスト” という観点では、よりコンテクストが重視される(それがオフィス家具に一般の家具が使われる、という展開を生む) というようなところだと思います。

これらの事実を前に分析的な問題解決ではなく、意味のイノベーションを考えるとするならば、今年のデザインウィークの何を見るとよいか?を考えることになります。

 

Category: ミラノサローネ2017 | Author 安西 洋之  | 
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