トリノでぼくは「自動車と都市計画の両方を視野に入れたビジネスを作っていきたい」と話しました。「考え方としては面白いが、ビジネスは別個に考えた方が いい。石畳とアスファルトの道ではサスペンションを変えないといけないし、コミュニティのあり方との関係で新しいコンセプトの車もスタディしている。が、 ビジネスにはまだ早い」というのが宮川氏の意見でした。 そこで二つのプロジェクトの可能性を示してくれたのです。一つはスーパーカーの限定生産。もう一つはトスカーナに約12万坪の丘にある狩の館を購入したので文化センター設立。

その頃、自動車会社にいたぼくは、スーパーカープロジェクトに何らかの貢献ができるかもしれないと考えました。 しかし、それらがどういう意図でどういう人たちの間でどのように進められているかという詳細は何も教えてくれない。この日に分かったことが一つあります。頭を下げてお願いしますと言えば働けるものではなく、ぼくが何らかのことを具体的に示す必要がある、ということでした。これが宮川氏流の仕事のやり方だと、ぼくは理解したのです。
東京に戻っても、彼が言った「このままいくと、日本では試行錯誤という言葉が死語になってしまうかもしれない」という台詞が頭から離れません。 ぼくの結論はこうでした。日本からビジネスのお土産をイタリアに持って飛んでいくしかない。会社の仕事との二足のわらじの生活がこうしたスタートしたのです。
1989年4月末、ストックホルム経由でミラノに飛び、そこからトリノに電車で出かけました。連休直前に決めた旅で、そういう手段を使うしか方法がありませんでした。トリノのホテルに着いた翌日、宮川氏の長男が、設立して2-3年目の会社に案内してくれました。フェリーニの映画「インテルビスタ」や黒澤明「影武者」で助監督をつとめた彼は、その頃、ビデオ製作をしていたのです。F1のパイロットがアルプスで行うスキー大会の様子を見せてくれ、「プロストやピケたちと友達になったよ」と話してくれました。24-5歳だったと思います。
2日目は自宅での昼食に招かれました。国王が生まれた建物の向かいにある天井にフレスコ画が描かれた家に、その「地球家族」が住んでいました。日本、韓国、インド、イタリア、それらのハーフ、さまざまな顔の子供たちがあの日も5-6人いました。 宮川氏は「昨日みた会社、いいでしょう。僕もね、子供が学校を終えたら親の教育は終わりだと思っていたんだ。でもある人に言われた。子供がちゃんとした職業人、家庭人になるまで親は教えるべきだと。手取り足取り教えるのではなく、僕達夫婦の背中をみて育って欲しいという目的であの会社を作ったんだよ」と説明してくれました。

まだ独身の身にとってはあまりピンと来ない話でした。この趣旨が如何に大切なものかを知るには、その後の自分自身の体験が必 要でした。とにかく10人近くでテーブルを囲んだ食事は、「国際的」などという言葉が簡単に吹き飛んでしまうような強烈なインパクトがありました。夫妻が言う「開かれた家族」の活動の場がまさしくここにあり、外部の人間を実にスマートに内に入れてくれる空気があります。
前日みた会社は会社と呼ぶにはあまりにエレガントな空気があり、その感想を伝えると、宮川氏いわく、「あそこは仕事をするというよりモノを考える場所ですね、とお客さんに言われるよ」と笑って答えてくれたのです。
1989年1月末になっても、宮川氏からは何の返事もきません。半ば予想していたこととはいえ、やはり気落ちします。彼の本のなかにあった、あるエピソードを思い出します。オートバイの世界一周を企画している頃、朝日新聞ロンドン特派員がトヨタの車でロンドンから東京まで走りきりました。それが新聞で連載され、大きな話題になっていたのですが、宮川氏はこの記者にアドバイスを求めようとしました。しかし、やはり手紙にすぐ返事がきません。が、三度目の手紙に「自宅においでください」とのお誘いがきたのです。ぼくも、三度は覚悟しないといけないと思っていました。
そうはいっても、何とか一度は会ってみたいと思う気持ちは日々大きくなるばかりで、2月のある日、思い切ってトリノのイタルデザインに直接電話しました。そうしたら「夜、自宅に電話するといい」と言われ、やはり自宅の電話番号も入手していたぼくは、日本時間の夜中遅くに彼の自宅に電話しました。いつも本人はおらず、毎日違った子供が電話に出ました。宮川氏本人と電話で話せたのは3-4度目でした。「はい、手紙は読んでますよ。一度、会いましょう。今度、東京に行ったときに、いろいろと話しましょう」という言葉を聞いた晩、興奮して眠れるはずもないベッドでのなかで一晩中、これからのことを考えました。

宮川氏と有楽町の帝国ホテルのレストランで朝食を一緒にとった時、「階段をひとつひとつ上るように、ひとつの会社のなかで出世していく人生を悪いとは言わないが、自分で考えながら山や谷をこえて切り開いていく人生の魅力には勝てないよ」「イタリアは先進国の顔をしたジャングルだね。一度、イタリアのサイズというのが、どういうものなのか、実際に知ってみるといいと思う」と言われ、その場でぼくはすぐ、「今度のGWにトリノに伺います」と答えました。これは行くしかない、と。