周囲が見えなくなるくらいに何かにがむしゃらになるのは大切です。でも同時に、ぼんやりとする時を忘れてはいけません。自分が相手にする対象が大きければ大きいほど、その両者のバランスがより問われます。社会イノベーションに懸命になりながら、その社会自身が目に入っていなかったら本末転倒です。しかし、そのバランスをとる方こそが奇跡的に難しい。バランスとはおよそ目標に対する態度です。常に均衡している状態を期待はされるが、そうじゃないからといって追及されるのは「たま」です。
時代の変化に途方に暮れる人たちは本書のこの分析を読み、「ああなるほど、そういう血筋と生育環境の問題なのか」とようやく納得できるのだろう。本書が多 くの人に受け入れられたのはそういうことだ。大阪都構想を主張する橋下徹大阪市長に対しても、選挙前に一部週刊誌は血筋の問題をさかんに報じ、非難した。 内容はまったく異なるが、「自分に理解できる感覚だけで理解しようとする」という1点において週刊誌報道と本書は通底している。
これは佐野眞一『あんぽんー孫正義伝』に対する佐々木俊尚の書評です。テクノロジーの進化にのりながら社会変化を作っていこうとしている実業家ー孫正義ーにある人間的側面ーテクノロジーからの視点を拾わずーに佐野がスポットをあてたことを、「自分に理解できる感覚だけで理解しようとする」と批評していますーぼくは本書を読んでいないので、想像を加味した解釈をしています。であればこそ、より広範囲の読者を本書は掴んでいるという皮肉がここにあります。どんなにネットで評判になってもそれは狭い空間。TV番組になると聴衆のゼロのけたが全く違う。Twitter有名人でもどこかのパーティで「・・・さんですよね」と話しかけられるのがせいぜいで、街を歩いていて似たようなことがおこることは稀でしょう。
テクノロジーによる社会意識の変化の大きさを語れば語るほど、その語りが宙をふわふわしているように世の多くの目には見えてしまうのです。「自分に理解できる感覚以上のレベルで理解しようとする」のは特異な存在であり、人の理解できるレベルでまず理解を確認してみよう、という発想がTV番組のバラエティ化を肯定する理由になります。あらゆる事象はふつうの人たちの意識に痕跡を残した時に意味をもつという立場です。おばあさんが分からないことは分からないこととしてみなしてよい、と。そのうえで、理解できる感覚以上を目指すことがバランスのテーマになります。
世界30か所に展開しているThe Hub が今夏、東京でオープンするという記事を読みました。
この the HUB は、2005年にロンドンのIslington という芸術家地区で、350人の刺激的でエネルギー溢れる社会起業家とイノベーティブな環境系のスタートアップたちによるコワーキングスペースとしてスタートしました。
その特徴は、社会を変えるという志を持つ人が共に働く場所であるということ。単なるワークスペースとしての価値だけではなく、志のあるプロジェクト の知識や経験、その志への投資、 メンターとなるプレイヤーたち、心の支えになる人の繋がり、そういったそれぞれのリソースをシェアしていく場です。
今年のはじめからミラノのHubのメンバーとして、ぼくはこの場を時々活用しています。社会起業、ソーシャルイノベーション、デザイン思考、サステナビリティといった最近よく目にするキーワードが空気のように流れ、Mac 使用比率が高く、イタリアの空間にしては大きな声が幅を効かしていない。スペースを利用するにカードの提示や照合は一切なく、使用予定時間で月のタリフが設定されていますが、誰かが明確に管理しているわけではありません。ただメンバーになるにはサステナビリティや社会イノベーションに貢献する、そのポリシーを共有することが条件です。それが、この場がネットワークの契機だけでなくコミュニティとして機能することを目指す基盤であることを意味します。
ぼくはローカリゼーションマップを欧州で展開する道筋を得ようと思って入り、この1か月半、トークショーなどのイベントに参加したり、さまざまな人に会い話し合ってみました。頻繁に出入りする年齢層は20代から30代が中心です。Hubのメーリングリストに自分のプロジェクトをポストして、そこから交信が1対1ではじまり、Hubでリアルに会うという流れです。ネットのコミュニティで熱く語られるコンセプトが物理的空間に置かれることで具体的現実性が付加される。そういう感覚をもちました。新しい感覚がネットで流通すればするほど、そこに足と手と頭と心のカタチが必要になりますが、そういうバランスがこの場に作用しているのでしょう。
上述した内容でいえば、普通の人たちの意識に「変化への希望の痕跡」を残すための前線基地ということになります。ぼくは以前書いたように、これまで距離をもってきたソーシャルエンタープライズの「ヤワさ」に対して見方を変えつつありますが、そのような「ヤワ」な人たちがカタチをもち始めたのが Hub ではないかとも思います。ぼくが知っているのはミラノだけで、他の都市にある Hub がどうであるかは知りませんが、システムやインフラ自身に新規性があるわけではなく、ホストと呼ばれる人たちの力量に相当程度左右されます。「そういうテーマを狙いたいなら、あの人と会うといい」とアドバイスしてくれる人たちです。
そして、その「あの人」の範囲がミラノに限らず、国を越えて繋がっていることに特徴があります。Hubのサイトで世界のメンバーのプロフィールが分かりますが、思いのほかLinkedin をリファーして自己紹介をしあっています。当たり前のようにフェイスブック上でも同じ名前は発見できますが、「あそこは酔った姿をさらけ出している」ためにLinkedin が優先されるというわけです。フェイスブックは「次のステップ」の場です。
短期間の経験で Hub がこうであると結論づけることはできません。ぼくが今言えることは、メンバーが350人以上いるミラノで経験する限り、思ったより居心地は良いし「刺激をうる道」が見えやすいということです。少なくても、社会を「理解できる感覚」の幅が広がることに貢献してくれそうです。












