ミラノサローネ 2009(12)-時代の変化
Date:09/2/25
トマス・マルドナードは耳にしたことのある名前だけど、誰だっけ?と思いながら、ミラノのトリエンナーレに入りました。マルドナードの展覧会入り口で履歴をみて「あっ!」と気づきました。90年代半ば、ミラノ工科大学に工業デザインのコースを作った人でもありますが、ぼくの記憶にあったのはウルム造形大学のマルドナードでした。1953年、ウルム造形大学はマックス・ビルを初代学長として招きスタートしましたが、1956年以降、マルドナルドが主導権が握っていた話を、プリアチェアをデザインしたジャンカルロ・ピレッティから聞いていたことを思い出しました。以下がピレッティの言葉です。
「わたしはね、マックス・ビルが はじめたウルム造形大学に行きたかったんだよ。準備もしていたんだ。でも閉まってしまったからね、いやあ残念だった。けれど後になって、ディレクターだっ たトマス・マルドナードがボローニャに教えに来ていたとき、わたしは彼の生徒だったんだ。いい仕事をした人だと思うけど、わたしを夢中にはさせてくれな かったなぁ。」
ピレッティというのはとても熱い人ですが、彼が惹かれなかったというのが、どうにも心のなかで引っかかっていました。マックス・ビルをウルム造形大学から追い出したようなイメージがついて回っていました。彼は1922年にブエノスアイレスに生まれ、最初はアーティストとして活動をはじめます。マックス・ビルとは1940年代後半にヨーロッパで出会い、その後、マックス・ビルもアルゼンチンに出向き、ウルム造形大学にはマックス・ビルがマルドナードを招聘したのでした。
この展覧会を見ていて、「なるほど、ピレッティとはケミストリーが合わないだろうな」と思いました。マルドナードのアート作品やデザイン、特にデパートのリナシェンテのデザインマニュアル製作やオリヴェッティの電動タイプライターのインターフェースやアイコン開発の数々を見ていて、彫刻的な作品に没入してきたピレッティとは正反対かもしれないと感じました。
この展覧会の真ん中に位置していたのは、まさしくウルム造形大学にいた頃のマルドナードです。1950年代半ば、哲学者のマルティン・ハイデッガーがウルム造形大学を訪問した際、マルドナードと言葉を交わしている写真が展示されていましたが、これはマルドナードが知識人としての階段を上がるに絶好の場面だったのだろうな・・・と、そんなことを考えました。また、1950年代、マックス・ビルは新しい時代の変化についていけなかったのだろうか・・・とも思いました。
以下に展覧会のレポートがあるので、写真やさらなる情報はここを参考にしてください。
http://www.designboom.com/weblog/cat/8/view/5536/tomas-maldonado.html







