ミラノデザインとイタリアデザイン

先週はピレッティが独立する頃までの話をしましたが、ちょっと気になったところがありませんか? スカンジナビアからイタリアへデザインの中心が移動してきたにしては、ピレッティはミラノデザインのことを触れていないと思いませんでしたか? ミラノで活躍していたデザイナーの話がでなかったわけではないのですが、ミラノの連中が勝手にいろいろとやっていたようだね、という表現をします。ボローニャにはボローニャの時が流れるという空気が強くあります。

cs202

1940年代の後半、ピニンファリーナがチシタリア202をデザインしましたが、こういう記念碑的なクルマについてミラノのデザイナーがそう思ったほどに夢中には喋らない。少なくてもそうは見せたがらない。それと同じく、ボローニャのデザイナーはミラノよりスカンジナビアやアメリカに熱心だった姿を見せる。そういうことを印象としてもちます。これがイタリアデザインとして総括しずらいところです。いわゆる地方主義が個性を発揮すると同時に、全体を読みずらくする作用をもつのですね。

そういうわけだから、カーデザインの巨匠が作ったクルマ以外の工業デザインに対しても、必要以上に冷淡だったりするわけですね。一方、ピレッティは違いますが、 「本当はクルマのデザイナーになりたかった・・・・」という家具デザイナーも少なくありません。やはり動くモノをデザインしたいという気持ちは、特に昔の男の子はもったのです。ピエール・ポランもそうでしたね。カーデザイナーの叔父さんの仕事はインパクトがあったようです。別の機会で書きますが、ジョエ・コロンボもクルマには熱心でした。

あくまでも推測の域をでませんが、カーデザイナーになりたかった家具デザイナーは、カーデザイナーの家具デザインに厳しい目をもつと思うのです。こういう背景を掴んだうえで、いろいろな人の意見なり考えに接しないと振りまわされることも多いのではないか・・・とそう思うことが時々あります。

 

 

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Category さまざまなデザイン | Author 安西 洋之