ミラノサローネ 2009(9)-プリウス入っている

先週の月曜日に書いた「ミラノサローネ 2009(4)-時間感覚の綱引き」は、アーサー・D・リトルの川口盛之助さんが日経BPオンラインに書いた、光岡自動車を「クルマを愛せないのは誰のせい?」を時間感覚への問いかけかもしれないと記しました。今日、その続き「市場に任せる「ケーレツ2.0」を作れ  愛情喪失とは無縁の光岡自動車(2)」がアップされたので、この記事のポイントを紹介しておきます。

http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_34925_361747_147

ポイントは「市場と協力して完成させる自動車」です。完全無欠な完成度の高い車両を少しの車種だけ出すのではなく、寸止めした冗長なクルマを市場というまな板の上に素材として差し出すという謙虚な姿勢です。

この例として、オタクの「痛車」を挙げています。外装にキャラクターを描いたクルマが、今、カスタムカーとして市場を作りつつあることを以前、紹介しています。

どこまでいじらせるのかというのはもちろん重要な話です。安全性抜きに自動車の話はできませんから、ここを供給側が担保する仕組みは不可欠です。エ ンジンだけもらってきて自己責任で型式認定まで行う光岡のような臓器移植の執刀医レベルから、痛車のように表皮だけいじるネイルショップのような美容サロ ンまでの間に、様々な階層の「いじる専門医たち」がひしめき合っている状態が理想的です。

今はそこがバサッと抜けています。がゆえに、この手のカスタム化の論陣を展開すると、「そんな小規模経営の理論を大メーカーに持ち込むのはナンセ ンス」という読者のお叱りを必ず頂きます。しかし高付加価値化でしか豊かさを維持できない我が国のモノづくりの未来に、他に選択肢はあまり潤沢には残され ていません。大きな発想転換が求められているのです。

ぼくの別のブログ「ヨーロッパ文化部ノート」でも、高価格・高品質に「逃げ込む」形は決してMADE IN JAPANが長期戦に勝つ方向ではないと書きました。

いろいろ食い散らかすように話をしてきましたが、要は既存の大自動車メーカーを頂上に頂くヒエラルキー構造に自己否定の視線を持つ度量が求められて います。痛みを伴う構造改革。自己否定なきところに前進はありません。大局に立って新時代の「ケーレツ2.0」の構造を先に打ち立てた者が、変極点を超え た次の時代の勝者となるのです。日本のトラフィックの風景を変えるくらいの処方が必要な転機かもしれません。

自動車メーカーは儲からなくなるよという声が聞こえてきそうですが、ヒントは中身のブランド化とエレベーターのようなメンテビジネスです。中身の部品であっても、「インテル入ってる」から、カール・ツァイスレンズ、ゴアテックスやドルビーのように差別化は可能です。要は「プリウス入ってる」になればいいのでしょう。

日本にはイタリアのカロッツェリアや英国のバックヤードコーチビルダーのような文化がないので、クルマは大企業領域という固定観念がメーカーとユーザーの両方に強く、中間領域の存在を認めたがらない傾向にあると思います。川口さんは、まさしくその文化の欠如が、大メーカーの首を絞めていく大きな原因となっているので、その文化を創る方向を指し示しているのだとぼくは考えました。また、それぞれの分野の敷居を低くしておくというのは、ヨーロッパ文化一般のありようでもあります。

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Category さまざまなデザイン, ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之