ミラノサローネ 2009(8)-現実主義であること

Design it! w/LOVE というブログを書いている棚橋さんという方が、「知る力より観る力」というエントリーで、柳宋悦の『手仕事の日本』を引用しながら、次のようなことを書いていらっしゃいます。

すこし前に「自分の好みを知るということが結局自分を知ることなんだと思う」というエントリーも書きましたが、物の好みを知ることが自分自身を知ることであるように、物を見ることそのものが日本の文化の有り様を理解することになるのでしょう。

けれど、実際はこれほど多くの物が生活のなかにあふれているにも関わらず、ほとんどの人が自分の生活を取り囲む物にちゃんと目を向けていないのではないかと感じます。
物をじかに見る目を持たず、他人の評価やマーケティング情報を介してしか物を知ることができなくなっている。自分の眼で見て、自分で使って評価するということができなくなっている。知識ばかりに頼って、自分自身の生活そのものを織り成す物にきちんと目を向け、そこから何かを感じとろうとしていません。

真摯な良い指摘だと思います。ブランドというのは、「知識」「愛情」「信頼」などの複合要素によって成立するものですが、それを構造体として裸にしすぎたブランドビジネスは弱体化の道を歩みます。直接「観て、触って、使う」というプロセスを待たないで、即ち時間をかけて熟成しきっていない段階で急いでブランドを形成しようとすると、いわば化けの皮が剥がれるわけです。

ぼくの別のブログ「ヨーロッパ文化部ノート」において、「ヨーロッパにおけるカトリックとは何か」というエントリーで、西洋紋章デザイナーの山下一根さんの文章を紹介したことがあります。ヨーロッパでカトリックが、(大きな凋落傾向が見えようが)長い年月を経て生き残っているのは、カトリックは知恵の結晶であるからだと彼は語っています。それに対して、日本のカトリックは知識として受け止められている傾向があるといいます。彼が欧州で学んだカトリックによれば、以下のような表現が出てきます。

人が壁にぶつかったときに、どのように耐えるか、、例えばローマの父親代わりの多くの枢機卿は、僕の日本への出発前に口を大にしてこのように「あえて」いいました。

『ぶち当たったら希望を持つな、現実をみてカトリシズムに基づいて歩め!』。これは、一見聖書の言葉とあい矛盾するように見えます。しかし、人間は現実と向き合って、どんな困難にあってもそれを一度受け入れ『なにくそ~』という力を育てたいということからなのです。

優れて現実主義であることが、最高の解決策であり知恵であるわけです。ミラノサローネにおいて文化リアリティをつかむとはどういうことかを考えるのあたり、一つのヒントになります、

<本ブログや拙著『ヨーロッパの目 日本の目ー文化のリアリティを読み解く』に関するコメントやご意見は以下のメールアドレスにお願いします>

european.eyes@gmail.com

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Category さまざまなデザイン, ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之