ミラノサローネ 2009(4)-時間感覚の綱引き

子供の時の1週間はものすごく長かったという覚えが貴方にもあるでしょう。いわんや1年先なんて、とてもじゃないけど計算に入らないくらい遠い将来に思えたはずです。年齢が増すにしたがって、時の流れが早く感じられるといいます(第三者的表現ですが、ぼく自身も同意します)。1年なんてアッという間です。

一方で、ネット社会の到来と共に変化のスピードも猛烈に増しました。前回、イエス・キリストを例に、5年間で一つの全体像が見えてくると書きましたが、現代のイエス・キリストはもっと短い時間で十分かもしれません。そういうなかで、「明日が今日より良いか?」と問うた時、「いや、明日も今日と同じかもしれない」と答え、それこそが新しい現代のあり方かもしれないという考え方がじょじょに出つつあります。特に経済状況が悪化した昨秋から、そのような記事を目にします。中世的な「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」の連続である世界を認めようという動きとも言えます。

ぼくは、アーサー・D・リトルの川口盛之助さんが、日経BPオンラインで年産500台の光岡自動車を「クルマを愛せないのは誰のせい?」というタイトルで紹介しているのをみて、これも時間感覚への問いかけかもしれないと思いました。読者コメントには「コピー版のクルマではないか」「ビジネス規模が大メーカーと違うから参考にならない」等の批判もありますが、ぼくは別の文脈で読んでみました。

記事は現在のクルマ市場を「嫁の実家から届いた見合い話」と比喩して語っています。

そんな恋愛破局劇を4年おきに繰り返すうちに、旦那が女性不審に陥るのは必然的な結末でしょう。「もう二度と車(女)なんか愛すまい!」となり、そんな身勝手な自分を慰める論理的な説明とは「車(女)なんて所詮は機能に過ぎない、楽に心地よく効率よく移動してくれる単なる手段として解釈しよう」となります。そうなると、価値判断の基準は「ニューモード」と「新技術」になるのは必然でしょう。

モードとはコスメティックなデザインの流行のことで、去年はルーズソックス、来年はネールアートというふうに理論では予測不能の「揺らぎ」のような現象です。一方の新技術は、知恵の積み上げでできてきますから、ファッション的なものとは一見対極にあるように映りますが、売り手側にとって両者に共通する点は、毎年目先を変えるための理由に過ぎないという点です。

<中略>

結局は、短い商品サイクル設定で売り上げを立てるというやり方とは、「この商品を愛さないでください」というメッセージを出し続けているということなのでしょう。売ろうとしているモノは長く愛すべきモノではなくて必要な機能を提供する手段に過ぎませんというメッセージです。

<中略>

どこかで狂ってしまったこのメカニズムを正し、ドライバーの愛を取り戻すためには、市場側に「いじってもらってなんぼ」という冗長な車づくりをする必要があると考えています。走行制御系の中身はさておき、ハンドリングから表層までの部分は完成車メーカー側がユーザーサイドに対して積極的にその体制を敷きつめる覚悟をしなくてはなりません。ソフト産業や衣料品、軽工業分野ですでに起きているプロシューマー化の潮流を先取りして反映する必要があるのです。

短いサイクルの時間感覚と長いサイクルの時間感覚の綱引きは、今に限ったことではなく、常にどの時代にもあったことです。しかし、この記事が語っているのは、この綱引きがビジネスの現場(それも同じ業界のなかで)で、より鮮明な形で出てきていると理解するのが良いのではないかとぼくは考えたのです。「少量特殊車両を得意としてきたイタリアのカロッツェリアと同じじゃない」、と言い切ってはいけないもう一つの潮流があるのではないか、と。

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Category さまざまなデザイン, ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之