2009年、生活実感を思考の原点にする
Date:09/1/6
昨日、「あくまで「生身の人間」の生活実感を思考の原点とすることのたいせつさを述べていたことである」という内田樹氏のブログのワンフレーズを引用しました。これが、実際にどのような具体例として出るかといえば、技術的な流れとしては、昨年9月にサンフランシスコで行われたTech Crunch50で発表されたセカイカメラに見られるコンセプトも、その一つではないかと考えています。YouTube で、その時のプレゼンを見ることができます。
iPhoneをもって街に出かけ、カメラを目の前にあるモノに向けると、そこにさまざまな情報がタグされているのが分かります。セカイカメラがみせてくれる世界とは、リアルに対する仮想空間という構図ではなく、今あなたがいる現実をより豊かにしようという願いと仕組みが根本にあります。ヴァーチャルを「向こうにある世界」とするのは、人の思考経路からすると飛躍があるわけです。
この技術はまだ製品あるいはサービスとして市場に出ていませんから、そのアウトプットに、このデモが与えるインパクトと同じものがあるかどうか、ぼくには分かりません。しかし、セカイカメラを開発している頓智の井口尊仁さんのブログを読んでいると、基本スタンスにとても同感できます。例えば、以下にあるように、テレビという媒体に対するおさえ方が適切だと思います。
テレビとネットのアクセス数比較からみた場合、前者が常に圧倒的多数ではなくなってきたにもかかわらず、アクセスしている本人は、あいかわらず後者のネットアクセスを非常に個人的体験の領域とみなしている、というのです。ここに今という時代の特質があります。個人的レベルと思っている力の集積したものは、ユーザーが考えるよりずっと大きい姿であるのですが、それが実感として見えていないのです。それは時により、「無意識の共感のうねり」を作ります。
2009年冒頭にあたり「生活実感を思考の原点にする」というのは、ぼくは、この「無意識」が「意識化」されることにも貢献するのではないかと期待しています。というのは、「無意識の共感のうねり」は時と場合によってネガティブな作用をすることもあります。意識化されれば全てが良いというわけではありませんが、意識化は新しい展望を拓いてくれるはずです。これは、これからのデザインを考えるとき、一つの鍵になります。
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