散歩しながら周囲を眺める
Date:08/12/25
たまに、茂木健一郎氏のブログ「クオリア日記」を読むのですが、今日の日記に次のような文章がありました。
<ここから>
代々木から明治神宮を抜けた。
もう、初詣の準備をしている。
こもれびの中で、凛とした
空気が浄化されている。
歩いていると、いろいろなことを考える。
ケンブリッジに留学していた頃は、
家から大学までの道を、
一時間くらいたどりながら
随分いろいろなことを考えた。
歩きながら思索する時間は、
きっと、人生の中でももっとも良質の
精神性に充ちている。
<ここまで>
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
ぼくの本『ヨーロッパの目 日本の目ー文化のリアリティを読み解く』 のなかで、「イタリア人はなぜ遅刻するのか」という文章を書きました。アングロサクソンとラテンを比較すると、後者のほうが「もう少し」という表現が意味する時間が長い。これをだらしないか否かと論じるのではなく、この文化差をどう扱うか?を考えないといけないと述べました。ここには、「ひらめき」を招く創造性を生む可能性があります。それはジグザグ歩行するイタリア人の行動パターンからこそ生じることがある、と。
肝心なのは、「ジグザグ歩行をする時間をお互いに大目にみる。それは遅刻を許すということではなく、そういうゆとりある時間を、スケジュールを組むときの前提に入れることをお互いに認め合う。これが余裕あるスタイルをつくるに必要な価値観です」と書いたのです。
茂木健一郎氏は、超人的なスケジュールをこなしているようですが、こういう価値観の世界に生きているのだろうか・・・だから、明治神宮を歩きながら思索する時間について語ったのか。あるいは、そういう価値観のないことを嘆いたのか。ちょっと気になった一文でした。







