ミラノサローネ2018 (6) ードレスアップよりもカジュアルダウンを目指す意味

毎年、サローネの期間中、千葉工大の山崎和彦さんと一度は夕食を共にするのですが、今回「MINIは毎年いい感じですね」と言われ、ぼくもいつもそう感じていたので「そう、そう」と同意しました。大仕掛けな空間を構成するわけでもなく(いや、それなりに大仕掛けであっても、そうは感じさせないセンスがあり)、特に驚きの演出がなくても、しっかり伝えたいことを伝えている・・・というのがよく分かります。およそ毎年出ているとブレがあるものです。MINIに見る側が過剰期待しないという背景もあるかもしれませんが、いつも「ふ~ん、いいねぇ」と思うのです。そして、この印象こそがMINIへのブランドイメージとバッチリと合うから、驚きです。多分、MINIは大きな枠を設けるのが得意なだけでなく、それをカジュアルに示すのが秀逸なんでしょうね。

この点をぼくは恒例のように書いているのですが、フランスなどのブランドメーカーが仰々しく重厚な建物で「これぞ!」と決め技的に見せるのにもいい加減ウンザリするなあ、と感じはじめました。何か頂点のような見せ方は、とてもヒエラルキーを感じさせ、およそデモクラシーとはかけ離れている。そうだ、これがイタリアのファッションブランドが60年代以降に強調してきたデモクラシーなのかも、とふっと思います。よくイタリアのファッション関係者が、「フランスのエルメスやLVはもともと服ではなく、アクセサリーでブランドを作ってきたから、変わらぬラインや世界観というのを誇張しやすいんだよ」と表現します。「でも、彼らも服では右往左往するんだ」とも。たまにああいう世界も悪くないですが、あそこを絶対軸におかない見方を自分でもっていないといけないです。

そういえばかなり前、MINIとFIAT500のユーザーの違いをクルマ業界のマーケティングに解説してもらったことがあるのですが、違いはこれらのクルマをセカンドカーとしてもつ人がファーストカーとして何をもっているか?という点からみるのです。うろ覚えですが、MINIはフェラーリ、FIAT500はベントレーだったような気がします。MINIもFIAT500の両方ともカジュアルなんだけど、ちょっとした匂いの違いがあります。このカジュアルな表現の仕方に世の多くの企業は現在、切磋琢磨しています。ドレスアップよりもカジュアルダウンの方が難しい、その境界に如何に挑戦するかに実力のほどがはっきり出てきます。そういう差は、展示の仕方やモノだけでなく、展示の入口の趣旨説明にも出てきます。

 

 

MINIと同じトリエンナーレで開催していた中国のデザインは、その趣旨説明を読んだだけで「あっ、そう」というものです。もう何処にでも書いてあるようなことが書いてあり、展示されたものはそれなりに面白いものもあるのに、あの説明に基づいてキュレーションされていると思うと、モノを見るのにもあまり力が入らなくなります。逆に言えば、モノはその説明レベルのガッカリを越えないといけないってことにもなります。どうしても借り物のコンセプトを出発点にしているように見えてしまうのです。で、こういうありきたりの説明は、これまで述べてきた観点でいうと、カジュアルダウンがまったくできる感じがしない。つまり、カジュアルダウンは自分のアタマで考えたコンセプトが基礎にあって、崩していくわけ。だから言葉が本物じゃないといけないんですね。

 

 

このテーマ、前回に書いたイタリアンメンズファッションの特徴でもあるのですね。基本はスーツにあり、英国のビジネスパーソンの仕事のためのスーツではなく、南イタリアの貴族が日常生活を送るためのスーツであるから、イタリアのスーツはソフトになっている。そこからバリエーションあるジャケットなどがでてくるのですが、かといってスポーティなカジュアル服ではない、との点に技があります。西海岸文化と大きな差がありますね。

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

Category ミラノサローネ2018 | Author 安西 洋之