ミラノサローネ2018 (4) – アルティザン型中規模量産への道の探り方

デザインは産業革命による質の悪い大量生産品の質をあげるところからスタートしたわけですが、21世紀の今、アルティザン文化が盛んに語られるのはなぜでしょうか? 今日は、アルティザンとデザインの対話をテーマにした「ダブル・シグナチュア」の見学からスタートしました。実のところ、アルティザン文化に基づいた工芸美の世界をブランドとして確立したのはフランスであり、イタリアは後塵を拝してきたので、追い上げている最中です(ちょうど1昨年、シャンパンを販売数量では抜いたプロセッコのごとく)。ブランドにおいて必要なのは、地域とサインです。どこで誰が作ったのか? ここではアルティザンの名前とデザイナーの名前が記されています。ヴェネツィアグラスと照明など、アルティザンとデザイナーの手の交わりの13の事例が展示されています。2番目の写真”Modular type” の事例は、「このプロジェクトではアートがどこで終わり、コミュニケーションがどこで始まるかを示したい」と説明してあります。

 

 

 

その後、トルトーナに行きイタリアの雑貨メーカーの社長とかなり長い時間、話し込んでいると「インダストリーの世界は退屈だ。同じモノを大量に作り、いつも同じような問題とその処理に追われ、アルティザン文化が個人的にでも欲しい、という気持ちになる」と語ります。MBAをとったかなりバリバリタイプの創業者が、そういう言葉を発するので、ぼくは意外な展開に驚きました。そして彼は「デザイナーは課題を与えないと動かない」と話すので、ぼくが「デザイナーも起業化することもあるけど、アルティザンの起業の方が発展が早いかもね」とコメントすると、「そう!ただ、その若いアルティザンがこのロバルディアではいなくなった」とまた考え込みます。

それで、ぼくは知人が最近スタートした北東のウディネのプロジェクトの話をしました。それはこういうことです。若い人に「釘と金づちをもって何か作れ」と言っても気乗りしないでしょう。彼らはデジタルネイティブでコンピューターは好きで、そこの苦労は苦労にならない子が多いです。そこで知人の会社で小さなEVの全体設計をして、17-8才の子たちにそのレベルにあったコンポーネントの設計をさせ、それらを3Dプリンターで作り、自ら組み立てるワークショップをやったのです。彼らはモノを自らの手で作ることが面白く、喜々としてクルマを完成させました。つまり郷愁的なアルティザン文化に若い子をダイレクトに誘っても人数が限られますが、デジタルアルティザンの可能性を示すと展開は違ってきます。

それからトルトーナを歩いているとリトアニアのカウナス工科大学デザインセンター長のルータと偶然に会いました。数週間前にサンケイビズの連載コラムで彼女の記事を書きました。「ソ連時代の美意識の欠如が社会の構築にあたり障害になっている」と。一方、ヴィルニウスのデザイン史研究者は、「ソ連時代の審美性に関する審査制度は最悪を生まなかった」と話しました。これは意見が対立しているのではなく、1人1人が自分なりの美的意識を持たない社会に将来性はない、ということを言っているのですね・・・ということをトルトーナの路上で延々と語りあいました。何かモノであれサービスであれ、自由な精神を基盤としてないとどうしようもないわけです。

結果、ぼくが今晩、日本の企業の人と夕食をとりながら話したしたのは、「アルティザンの一品モノ、低価格の大量生産品の二分化が中間層を喪失させたが、アルティザン型中規模量産を望む人たち、あるいはそうしたビジネスを実行したい企業はまた増加傾向にいきつつあり、それを実現させるロジックと方法を知っているのは欧州の企業である。そこに活路があると認識するのが第一歩」ということです。

 

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Category さまざまなデザイン, ミラノサローネ2018 | Author 安西 洋之