ミラノサローネ2018 (3) – 意味の希求と流通経路の変化・多様化

いつもサローネの会場は2日目以降に行くことにしていました。初日はスタンドでの対応に混乱があったり、2日目以降に訪問者の傾向や反応を聞くためですが、今年は初日に行き、そして最初にサテリテに行きました。北欧のデザイナーたちの家具づくりの上手さはさておき、日本のデザイナーの作品を眺めていて、1つの傾向を思いました。それは前回に書いたコンテンポラリーアーティスト・廣瀬智央さんが20数年前から作品で強調していたポイントが、若手デザイナーたちの関心事になっている、ということです。自然や環境との関係性で作品が作られ、したがって可変性がある。2つ目は、和紙をエスニックではなく使い始めている、ということです。

まず、自然や環境との関係性は、次のような作品にみられます。

 

 

 

上は Yuji Okitsuさんの作品、下はHiroto Yoshizoe さんの作品。両方とも、基本的にそれぞれのパーツは発光体ではなく(上の作品は発光体でもありますが)、周囲の光を意識しています。外の光などによって表情が変化するようになっているのです。ある構造体で決まったパーフォーマンスを発揮するのではない。パーフォーマンスが揺れ動くことに意味を見出しています。ベルガンティの『突破するデザイン』で紹介した意味のイノベーションと近いところに、デザイナーの思考がよってきていると言えるでしょう。また、和紙の作品も同じような意味の転回傾向があり、なお且つ日本の伝統的な表現とは違うイメージを放っています。

 

 

 

一つ目は原口敬子さんの作品。鹿児島で自分で和紙から作り上げています。このカタチをみて「ずいぶんと西アジアあたりのテイストが匂うなあ」と感心しました。いや、西アジアの素人としての思い付きなのですが、なにやら日本の空間においてもエキゾチックな雰囲気を醸し出していそうです。一方、2つ目はBaku Sakashita さんの作品。とても薄い和紙を使っています。彼もエスニックを売りにするのではなく、インターナショナルデザインで勝負をしたい、と考えているようです。

更に、これらのデザイナーに共通するのは、メーカー探しよりもアート&デザインギャラリーとの契約を望んでいそうなことです。如何にメーカーのカタログに入れてもらえるかではなく、デザイナー自身が主導権も持ちながら、限定した数量を(多分)それなりの価格で売れる市場を求めています。廣瀬さんも指摘していたデザイナーのアート分野への関心度の高まりは、デザインの問題解決型から意味の提案への希求を背景として、デザイナーの作品の流通システム自体の変化や多様化を促しています。

また少々話がずれますが、現在、モノのデザインよりもストーリーや経験の提供が盛んに語られますが、本当にそうなのか?という疑いはもってよいと思います。ぼくも『デザインの次に来るもの』で書きましたが、ストーリーの押しつけがましさは家系自慢のようなもので、とても好感がもてるものではありません。「結局は経験さ」と言いながら、その経験が記述されたプログラムのように「約束されたもの」である限り、経験は意味をもちません。鼻白むに過ぎないのです。そこで「やはりモノだよ」と一周してかえってくるわけですが、この時のモノは固定的ではないたたずまいをしていると、とても意味深い位置を占めることができるはず・・・とは考えられます。

最後に。これまでサローネのPAD16-18はデザインの新作をみる場として混雑する場でしたが、少々違和感がでてきました。いくつかの会社では入るのに登録が必要であったり、あまりに独自の世界を作るに夢中になったため壁で取り囲み、結果、通路に閉塞感が漂っています。複数のスタンドが共通する広場を形成する感じが薄れています。その点、PAD10もデザインですが、息がつげける空間になっています。

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

Category ミラノサローネ2018 | Author 安西 洋之