ミラノサローネ2018(2) – 廣瀬智史さんのアート作品

 

 

2008年のブログでコンテンポラリーアーティスト・廣瀬智央さんの楕円形の大理石に花びらが浮いた作品について何回か書きました。今日、ミラノ市内のギャラリーでこの作品と再会しました。周囲の人の動きで大理石の上にはった水に動きが出て、花びらも動く。つまりこの作品は、環境によって変容するわけです。西洋美術の伝統にある「フィックスする」あるいは「フィックスしたオリジナルにこそ価値がある」という考え方に異を唱えています。西洋社会で重要なものにある重さの象徴としての大理石の上で、日本の美にある「はかなさ」を「泳がせる」。そこで「固いー柔らかい」「重いー軽い」「安定ー不安定」「固定ー可変」という対比が思い浮かびますが、これらの意味や感覚を対比することが目的ではなく、実は、「固いと信じているものは、本当に固いのだろうか」「固定としているものは、本当に動かないのだろうか」との問いを連続的に放つところに、この作品の面白さがあります。それも図式的にではなく、全ての両義性を小宇宙的に表現しているのです。

 

 

ぼくは、この作品について2008年に上梓した拙著『ヨーロッパの目 日本の目』でも紹介しました。およそ10年が経過し、社会での両義性に対する受容は高まってきたと思います。長く固定的と思われていたことが、そうではなかったと多くの人が現実に経験し、白黒をはっきりさせることが必ずしも善ではないとの認識も増してきました。これがまさしく欧州文化の行き詰りや影響力の低下として語られ、東洋の文化にある曖昧さを「救い」として見つめる人もいるわけですが、この作品を眺めながら思ったのは、アート作品にある予言性ではなく、アート作品にある価値や意味の持続性に注目しなくちゃあいけない、ということです。最近、いろいろなところでアートのもつ時代の先端的嗅覚が語られ、脳科学者とアーティストの共同研究なども行われています。その類の研究を、ぼくは欧州の哲学者からも聞きました。ぼく自身、この15年以上、アートをその観点で見る効用を人に話してきましたが、どうも最近、それを語る自身に違和感をもつようになってきました。まるでアーティストが、インスタのインフルエンサーと似た位置で語られるのと変わらないじゃない、という風に感じるのです。でもですね、インフルエンサーが悪いというわけではないのですが、やはり両者は同列にできないです(と、もう一度、ぼくは思い返すわけですが、一見の印象がどうしても似た位置にあることに困惑するわけです)。なぜならアーティストは考える量が勝負で、それが表現の1つ1つの細部で「暗躍」するのです。その「暗躍ぶり」ををどう見極めるかが鑑賞者の力量なわけで、鑑賞者もそれだけの考えた量がないと、作品をみてもイマイチ分からない羽目に陥ります。

 

 

廣瀬さんがレモン1万個を資生堂ギャラリーの床に置き、壁を黄色く塗ったレモンプロジェクトを行ったのは1997年です。視覚が主流のなかで嗅覚など他の五感に訴えるアート作品は、1995年、タイのチェンマイで床一面にカレーパウダーを敷き詰めた例などもあります。それからおよそ20年がたち、「視覚以外の五感をテーマにするアート作品は増えてきて、珍しくなくなってきた」と廣瀬さんは語ります。今回ミラノで展示した作品は、2008年のものです。レモンの木の周囲の床、あるいはギャラリーのかなり遠くの床や棚にもレモンがあります。レモンの匂いと、レモンの位置関係から、点と点がつながり面・空間となっていくのです。大理石が小宇宙なら、レモンは中宇宙かな、という感じで、この2つの作品が世界のサイズ感を示してくれています。そして、これらも対比ではなく、あるいはどちらがどちらを征服するということでもなく、両者が静かに対話しています。

 

 

ぼくは彼の作品を20数年間、見てきました。アーティストの作品は、1つだけ見て分かる面白さも当然ありますが、長年の作品の推移を追うと、抜群に深みのある感動を得ることができます。先に述べた作家が考えた量、つまりは視点の数の多さや、それらの視点が鑑賞者に立体的に迫ってくる迫力、そしてもう1つ付け加えるならば、作家のイデオロギーが表現される「愉快さ」です。社会的であれ、政治的であれ、デザイナーはイデオロギーを消そうとする。またはイデオロギーを隠そうとする。しかしながら、アーティストはその点に関しても自由でいられます。アートとデザインの境界がなくなる方向にあるような気配や動きがあり、アーティストがデザイナーになりたがるのではなく、デザイナーがアーティストの領域に入り込もうとするわけですが、イデオロギーの扱いが大きな障壁になります。自分の人生そのものを語るのがアーティストである、という時に、政治的・社会的なイデオロギーからまったく無縁の存在があり得るのか?との質問に、「あり得ない」と答えるのがアーティストでしょう。デザイナーはなかなかそうははっきりとコメントできない立場にいる、それがデザイナーの作品にある切れの悪さの要因だったり、良い面であったりするのですね。

 

 

展覧会情報です↓

Processo alla Natura at Spazio Maria Calderara

Spazio Maria Calderara – Via Lazzaretto 15, Milano

Monday – Friday 10:00-17:00 (until May 13)

 

 

 

 

 

 

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Category ミラノサローネ2018 | Author 安西 洋之